第27話 風呂桶の聾唖者

 壁の時計は午後四時を指す。

通りの向こうの銭湯が開く時間である。


年寄り達が一番風呂をめざし足早に銭湯に向かう。

ドアーチャイムが鳴り風呂桶を抱いた常連の老人が店に入って来る。

ギンボが、


 「イラッシャイマセー」


老人は「髭剃り」を手に取りカウンターに持って来る。

老人はギンボを見て、


 「おお、良い若い衆(ワカイシ)入れたなー。大きいねえ。国は?」

 「ケニア デス」

 「インドかあ。インパール作戦だな」

 「インドデハ アリマセン。アフリカデス」

 「アフリカ? 何処だい? ガザの近くかい?」

 「ガザ? ・・・チガイマス」

 「日本語上手(ウマ)いね」


龍太郎が、


 「ありがとう御座います。今、特訓中です」

 「良いんだよ、地(ジ)で行けば」

 「ジ? オーナー、「ジ」ハ、ドウ書キマスカ?」


ギンボはカウンターの下の「国語辞典」を取り出し龍太郎に見せる。

龍太郎はそれを見て、


 「ギンボ、それは後で。今はお客さんが先だ」


ギンボがカウンターの上に国語辞典を置いて、両手両肩を上げ、


 「オウ・・・」


ギンボは次の客の「髭剃り」取ってスキャン。


 「百三十円ニ、成リマス」


老人は代金を渡しながら龍太郎を見て、


 「アフリカかい?」

 「そうなんですよ。日本人より優秀なんで」

 「アンタ、いま何やってんの?」

 「大学ニ行ッテマス」

 「学生かい。大したもんじゃないかい。で、母(カア)ちゃんも一緒に来たの」

 「イイエ。僕、一人デ来マシタ」

 「そうかい。エライじゃねえか」


老人は龍太郎を見て、


 「しっかりしてるねえ。よく面倒見てやれよ」

 「はい」


老人は店を出て行く。


 「アリガトウゴザイマス」


 静子がカウンターの上を整理している。

すると風呂敷に桶と湯道具を包んだ、風呂上りの老婆が店に入って来る。


 「いらっしゃいませ~」


老婆は強度の近眼らしく、度の強い眼鏡を掛けている。

よく見ると耳掛けのツルが片方無く、ゴム紐で耳に掛けている。

老婆は慌(アワタダ)しく、パンの陳列ケースに行くと無心に何かを漁っている。

するとそこに自転車を停めて、石田が店に戻って来る。

静子は石田を見て、


 「あら、イッちゃん!忘れ物?」

 「店長~、アタシ、退勤忘れたみたい」

 「何、そんな事。明日でも良いのに」

 「確か忘れてると思うんだけど。じゃ、すいません。四時十五分で入れといて下さい」

 「良いわよ」


石田が売り場を見渡す。

見覚えがある『風呂桶の老婆』が。

石田がカウンター越しに静子の耳元に、


 「店長、あの婆さんもヤバイっスよ」


静子は驚いて、


 「ええ! いつも風呂上りに、ジャムパンを一つ買って帰るお婆さんよ」

 「一つだから怪しいんですよ。あの風呂桶の風呂敷包みン中。アブナイっスよ」

 「そんな・・・」


石田は急いでパンを漁る老婆の所に張り付く。

老婆がイブッタ化に石田を見る。

手に、袋の 「ジャムパン」を一つ取り、腰を曲げてレジに向かう。

石田が執拗に 老婆の後を追う。

老婆はカウンターの上にジャムパンを置いて、首から提げたガマグチを開く。

ガマグチの中を覗く老婆。

百円を探し出しカウンターに置く。


 「すいませんお婆さん、百八円なんですよ」


老婆はもう一度ガマグチの中に目を近づける。

目が悪いせいか、ガマグチの中が見えない。

老婆は静子にガマグチの中を見せる。

中は空(カラ)っぽの様である。

と、隅の方に銅銭が。


 「あ、十円!・・・有りました」


老婆は片手を耳にあて、空いた片手を団(ウチワ)の様に振る。

静子はそれを見て、


 『このお婆さん、耳も遠いの?』


静子は少し声を張り上げ、


 「十円有りましたよ。じゃあ、この十円、頂きますよ」


老婆は悲しい目をして、静子に懇願の仕草をする。

静子は更に大きな声で、


 「十円、有りました。良かったですね!ジャムパン、買えますよ。はい!二円のお釣り!」


老婆は何を間違えたか、釣銭を貰わずにジャムパンを手に取り、逃げるように店を出て行く。

石田が静子の手から二円を奪い取り、急いで老婆を追いかける。


 「お婆ちゃ~ん! お釣(ツリ)~」


老婆は石田の声を振り切って、通りを走って逃げて行く。

店の周りを掃除していたギンボが売り場に戻って来て、


 「石田サン、オ婆サンヲ追イカケテマスヨ。ドウシマシタ?」

 「お婆さんに、お釣(ツリ)を渡しに行ったの」

 「オツリ? オ婆サン、逃ゲテマスヨ?」


静子はギンボの顔を見て両手両肩を上げ、


 「・・・?」

 「オウ」


暫くして石田が店に戻って来る。


 「どうだった?」

 「あの婆さん、アシが早えーの」

 「で、お釣は?」

 「言っても分かんないんスよ。アタシに何回も頭を下げて。自分が万引きしたのと間違ってるんじゃないっスか?」

 「で、受け取ったの?」

 「渡しましたよ。そしたらそのカネ、アタシに返すんですよ。手でこんな事しながら」


石田が老婆の手振りを真似る。


 「だから耳の傍で大声で、オツリ! 二円。て言ってやったら、目元にそのカネを近づけて、一生懸命、見回すんですよ」

 「目も不自由みたいね」

 「だから、また大声で二円! 光ってるけど軽いから二百円じゃないよ! これは、パンのオツリ! って言ってやったら、アタシに何回もお辞儀しながら帰って行ったの。ッたくー」

 「そう。イッちゃんて意外に優しいのね。でも、目も耳も悪いんじゃ可哀想ねえ」

 「手も悪いんじゃないっスか。店長、甘く見ちゃだめっスよ。あんなのがいっぱい来るんだから。この店は」

                     つづく

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