第15話 婚約者

 あの時から、ずっとずっと心を掴まれたままだった。

 母のねっとりしたナニかから解放されて、ようやくまともに息ができるようになった。

 そして、出会ったのだ。あの笑顔に。

 弾ける様に輝いたあの子に。

 彼女には表立って親愛を示すことも、愛を囁くこともできない。王太子として、妃候補を冷静に見極めなければならないのだ。

 適性も、努力も、実力も、家柄もすべてを鑑みて選ばなければならない。

 あの母のように好き勝手に取捨選択などできようはずもない。

 だが、もし……。

 あの笑顔が、可愛らしく輝くあの瞳が……。





「殿下?」

 はっと我に返ったユアンを覗き込んだのは、年配の護衛だった。

「あ、ああ……すまない」

 ソファで転寝をしていたようだ。

「どれくらい経った?」

「ほんの数分です。もうすぐ、お二方がいらっしゃるかと」

 今日はサンドレッドとともに馬車で帰る日だ。学園が終わり次第ストラリネ女史のところへ連れて行くのが仕事の一つだ。

 とはいえ、まだ候補でしかないため馬車に二人きりというわけにはいかない。ちょうど王宮の図書館へいくというイオリティも誘ったのだ。

(サンドレッド嬢は当てが外れたとがっかりするのだろうな)

 そうして、笑顔を保っているイオリティがどこかうんざりした気持ちを目じりに浮かべるのだろう。

 二人の妃候補を平等に扱わねばならない。

 王と王妃の思惑が真っ向から対立している現状、宰相はどちらでも構わないと傍観している。イオリティの味方なのかと思えば、特にそうでもないらしい。

『王妃でなくとも、あれはこの国の益となることでしょう』

 娘の才を信じているセリフだった。

 より優秀なものを王妃に、と口にしないのが宰相の恐ろしいところだ。現王妃が執務において全くの無能であることを誰もが知り、誰もが解っていない。

 それを肩代わりしているのが宰相であると。

 王妃など飾りでも構わないのだと身をもって証明しているのだ。いや、何なら王とて――。

「殿下、コンタスト伯爵令嬢がいらっしゃいました」

 はっとなって扉を見ると頬を上気させたサンドレッドが礼を執っている。

「よく来てくれたね」

「はい、ユアン様。ご一緒できるのが楽しみです」

 すこし息遣いが荒い。可愛らしい頬が赤くなっている。

(もしかして、走ってきたのか?)

 令嬢にはない行いに一瞬背筋が冷やりとした。

(いや、まさかな。せいぜい急ぎ足くらいだろう)

 もう少しストラリネ女史に厳しく見てもらう必要がありそうだ。礼儀作法担当者の顔を思い出して、ユアンはにっこり微笑んだ。

「そう言ってもらえて嬉しいよ」

 そう口にしたところで、再び護衛から声がかかる。

「カスリットーレ公爵令嬢がいらっしゃいました」

「――え?」

 いつもより低い戸惑いの声がサンドレッドの口から洩れた。

「ご無沙汰しております、殿下。本日はご一緒いただきありがとうござます。サンドレッド様も、よろしくお願いいたします」

 完璧な礼を執るイオリティを呆然と見つめるサンドレッド。

「ああ、待っていたよ。ちょうどあなたも王宮へ行く用があると聞いたものだから」

「はい。図書館の予約を取っておりましたので、とてもありがたですわ」

「良かったよ。ところで、ここは公ではないのだから、殿下ではなく……」

「失礼いたしました、ユアン様」

 にこやかに微笑み合う二人を見て、サンドレッドは動けなかった。

(どういうこと?いつの間にイオリティ様までユアン様呼びになったの?わたくしだけの特別ではなかったの?)

「どちらかだけと馬車に乗るわけにはいかないからね。お互い妃候補として差の無いようにしなくてはならない」

「勿論です」

(え?差の無いように?平等にってこと?だから、イオリティ様にも名前呼びを許したし、馬車も載せるってことね。――なあんだ。そうだったのね)

 自分の方が優先されているのは変わらない、とサンドレッドは納得した。

(そうよね。ユアン様は王太子だもの。周りには、わたくしだけ特別扱いしてるってばれたら困るわよね)

 ふふ、と思わず笑みを零すサンドレッド。

 イオリティはそっと心の距離を取った。

(えー。なんか、怖いんだけど、サンドレッド様の笑い。めっちゃドヤってる……)

 笑顔を保つのがこんなに苦行めいたことになる日が来ようとは。

 イオリティはすっと視線をサンドレッドから外した。

「では、行こうか」

 二人のどちらもエスコートすることなく、ユアンは歩き出した。ここでどちらかをエスコートすれば問題だし、二人共は廊下をふさいでしまう。

 学園では、ユアンの後ろに二人がついていく形をとることになっていた。

「そういえば、コンタスト伯爵の件を聞いた。大変だったね」

 馬車に乗って落ち着くと、ユアンがサンドレッドに優しく告げた。途端に、彼女の目じりに涙が浮かぶ。

「はい。父の安否がわからず……」

「船のことや家のことは、伯爵夫人が采配を振るっているとか」

「ええ。わたくしには、妃教育を優先するように、とお義母様がお心遣いをしてくださったんです」

(確か、下級乗務員数名の死体が発見され、残る乗務員は伯爵を含め安否不明。荷も発見されず、破損した船の残骸のみがあったとか。荷の補償等で伯爵家の身代が危ぶまれる事態って……このまま、妃候補から降りることになるんじゃないわよね?)

 悲しみに身を震わせながら俯くサンドレッドを気遣う王太子。

 相も変わらず絵画のような世界が繰り広げられている。

(なんか、父親が死んだり行方不明になったりって、ますますシンデレラっぽくない?――ってことは、後から父親が生きてたってパターンもあり、か……。舞踏会の時にドレスがダメになって、妖精か何かに……あれ?)

 ドレスは、恥をかく前に本人にダメにしてもらおうとアレクサンドラと相談した。

 家も父親の事業の失敗で苦しくなって貧しい生活を余儀なくされ(る予定)、ドレスもダメになる(予定)だ。ここまでは、物語通りになっている。

(舞踏会で王子に選ばれれば、エンディングってこと?)

 では、妖精が現れるのか。

(え、でもこの世界の妖精って、あれよね?心のままに生きる存在よね。人を助ける気は、ほぼないはず。愛し子なら助けたりするかもしれないけど……。現愛し子は王妃だけ)

 もし、誰もサンドレッドを助けなかった、なんてことになったら……。

(シンデレラの世界じゃなかったってことよね。でも、王子様と結ばれなかったら、私が結ばれる……)

 それは、未来としてどうなのか。

 完全なる政略結婚の結果、一生相手を伺いながら生きていくのか。――いや、サンドレッドが舞踏会に行ければ良い。ドレスは予備があるはずだ。――え?あるよね?と不安になってくる。

(ちょっと準備が居るかも)

 しんみりした二人を横目に、イオリティは色々と考えを巡らせた。

 もしかしてシンデレラに似た世界かもと思っていたが、ここまで似てくるならシンデレラの大まかなストーリーに沿っていくほうが良いのかもしれない。シンデレラの物語自体、国によって話の内容が異なっていたはず。

 だが、大筋はどれも一緒だった。

 もし、本当にここがシンデレラの世界なら、登場人物にライバル令嬢なんていなかった。だからイオリティは単なる脇役だろうと思う。シンデレラの世界でなかったとしても、主役ではなさそうだ。

(あまりにも、サンドレッドに優しい世界すぎでしょ)

 馬車がゆっくりと王宮に入った。

 傾きかけた日が夕日の色を放つにはまだまだだろう。





「コンタスト伯爵令嬢。お待ちしておりました」

 ストラリネ女史が迫力ある笑みで待ち構えていた。逃がすものか、という心の声が聞こえてきそうな目つきだった。

「じょ、女史」

 サンドレッドが引き攣った笑みで礼をする。

「お久しぶりですわ、ストラリネ女史」

 こちらに視線が来たので、イオリティも挨拶をする。

「まあ、カスリットーレ公爵令嬢、ご無沙汰しております」

 優雅な礼を返される。

「ますます美しくおなりですのね。研鑽を続けられているとか」

「ありがとうございます。できることを少しずつ増やしているところですわ」

 まるでサンドレッドに見せつけるようなお手本の会話が進んでいく。

 見せつけられる様なやり取りに、制服のスカートをぎゅっと握りしめたサンドレッドの腕を、王太子がそっとすくい上げる。

「さあ、今日も頑張ってきて」

 にっこりと微笑みストラリネ女史にその手を渡した。

「ありがとうございます」

「では」

 悲し気な顔をするサンドレッドを容赦なく導いていくストラリネ女史。

(売られていく子牛みたい)

 悲壮感漂うサンドレッドを見送ったイオリティは、そのまま図書館へ行こうと王太子に向き直った。

「では、こちらで……」

 失礼いたします、と続けようとしたところに、すっと手を差し出された。

「図書館まで、良ければ」

 エスコートをしてくれるらしい。

「――はい、ありがとうございます」

 そっと手を添えると、ほんの一瞬きゅっと握られた。

(――え?)

 動揺する間もなく歩き始めた王太子にあわせて、イオリティも歩き出した。


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