第13話 学園③

 お昼を食べれば大好きな魔道工学の授業だと楽しみにしていたイオリティとナナの前で、世にも奇妙な寸劇が開催されていた。

「そんな、申し訳ありません、私が……」

 ぐっと涙を堪えるサンドレッドが義姉のアレクサンドラの前で縮こまった。

 近くに立つ数人の男子生徒が、サンドレッドに駆け寄りたいが耐えている、と云わんばかりの表情をしていた。

「ええ、そうね。何時ものことだわ」

 ばっさり切り捨てたのはアレクサンドラ。

「貴女は、家族との約束など守る価値もないと思っているのね」

 氷点下の眼差し。

(うわっ!!アレクサンドラ、めちゃくちゃキレてない?)

「そんな!お義姉さま……違います。忙し過ぎて心に余裕の無いわたしが悪いのは解っています!でも、家族を大切に思っていないのとは、違います!」

 切に訴えるサンドレッドを冷めた目で見る義姉。

「では、なぜあなたは毎回家族との約束を忘れるのかしら。連絡も無しにさんざん待たされた挙句、他の約束で出かけていた……というのもいい加減にしていただきたいわ」

 低い冷たい声音が廊下に響いた。

 いや、それはひどいな……。と周りの目がアレクサンドラへ同情的なものに変わる。

「先週もドレスの仮縫いであることを忘れて、ゆっくりお休みだったようだけれど。お茶をしながら相談を……という約束はあなたの中ではなかったことになっていたようだったし」

(ひどいな、サンドレッド)

 これは切れるわ。

「ち、違うんです、お義姉さま」

 涙を浮かべて小さく首を振るサンドレッドは、いじめに耐えるヒロインのようだった。

「わたくしが悪いと分かっているんです。でも、妃教育で……」

 疲れ果てたように項垂れる義妹に、アレクサンドラは容赦なかった。

「昨日は王宮に参内せず、劇場に向かったと聞いているけど」

「そ、それは……王妃殿下が……」

(ええええええええええええ?!めちゃくちゃ妃教育が遅れてるのに、更にサボってたの?!)

 イオリティの外面の笑顔が崩れそうになる。

「妃教育の担当教官から連絡をいただいたわ」

 義姉のセリフにサンドレッドが固まった。本当は朝から妃教育に取り組むべき日だったが、たまたま王妃が劇場へ向かうと聞き早めのランチと午後の公演について行ったのだ。

「本当は、こんなところで言いたくはないのだけれど――明日は必ず登城して教育を受けるように、と」

「はい……」

 こっそり伝えるつもりが、あまりにも義妹がことを大きくしてしまったために公衆の面前で恥をさらすことになった。意地悪をしているようで後味が悪いし、家の恥をさらして外聞も宜しくない。この義妹はそれを解っているのだろうか。

 だが、サンドレッドの目じりには涙が浮かんでいた。

 耐えられなくなったのか、男子生徒が一人そっと近づきハンカチを差し出す。

「あ、ありがとうございます」

 花が綻ぶような笑顔でお礼を伝える彼女に、男子生徒は顔を赤く染めた。

(いやいやいやいやいや、妃教育!感情を簡単に見せてはいけませんってヤツ、どこ行った?なんでこんな何でもない時に涙見せてるの?)

 イオリティの口の端が引き攣りそうだった。

「コンタスト伯爵令嬢!いくら妹だからと言って、ここまできつく当たる必要はないのでは?」

 同じ伯爵位の子息が前に出てきてアレクサンドラへ抗議する。

(えっ、すっごい言いがかり!)

 明らかにサンドレッドに非があると思う。

 周りも少し困惑気味だ。

「かわいそうに、こんなに怯えて」

 ハンカチを差し出した男子生徒が、サンドレッドを庇うように立ち上がった。

(明らかに、サンドレッドが悪いでしょ?約束すっぽかしたって言ってたじゃん)

「妃教育は大変だと聞きます。頑張っている妹を労わって差し上げたらいいのでは?」

 伯爵子息は、諦念を滲ませたアレクサンドラに冷たく言い放った。

(サボってるって言ってたじゃん。ちゃんと話を聞けっての)

 勘違い子息の言動にイオリティはむかむかしたものを感じた。

 子息二人は何も言わないアレクサンドラをきつく睨みつける。

「それは、おかしいのでは?」

 気づいたら、アレクサンドラの横に並んでいた。

「カスリットーレ公爵令嬢……」

 伯爵子息が驚愕の表情でこちらを見た。隣のアレクサンドラからも物凄く視線を感じる。

(人を化け物みたいに。――失礼な奴らね)

「先程アレクサンドラ様は『毎回家族との約束を忘れる』とおっしゃっていたようだけれど。それを家族として注意することのが『きつく当たる』ことになるのかしら」

 にっこり。

 殊更優しい笑顔で微笑むイオリティに周囲の視線が集まった。完璧な外面は非常に整った美貌と相まって輝くようだった。

「え、あの――それ、は……」

 勘違い男子二人の表情が目に見えて変わり、焦りが生まれたようだった。先ほどまでの怒りとサンドレットへの同情が消え、冷静に状況を飲み込もうとする理性が蘇ってきた。

「そうでしょう?」

 ぐるりと視線を動かして周りへ同意を求め、こちらへ引き込む。場の空気を扱う基本的な方法だ。多くの者が優しく威厳を持って微笑むイオリティに向かって、同意するように頷いた。

 一瞬だけ、サンドレッドの顔が悔しそうに歪んだのが目に入った。

(自業自得よね)

 溜飲が下がったのか、イオリティの感じたむかむかしたものがすっと消える。

 立て直そうとしたのか、サンドレッドが顔を上げて口を開いた。

「も――」

「申し訳ありません、勘違いで礼を失してしまいました」

 伯爵子息がアレクサンドラへ謝罪する声に、サンドレッドのセリフが遮られる。

「ぼ、ぼく……わ、私も、申し訳ありませんでした」

 ハンカチを差し出した男子生徒も頭を下げた。

「いえ。こちらこそ家族のことで、お見苦しい様でお目汚しを失礼いたしました」

 さすが才媛。イオリティの作った流れに見事に乗ってきた。

「アレクサンドラ様。宜しかったら、私共とご一緒に昼食はいかがかしら?」

「まあ、イオリティ様。光栄ですわ」

 授業で数回やり取りをしたことがあるだけの関係だが、ここで交流を深めてもいいかもしれない。

「では、皆さま。失礼いたします」

 目線でナナを呼び、イオリティは周囲に笑顔で終了を告げた。

 彼女がサンドレットに声を掛けなかったことに気づいたものは居なかった。





「なにそれ、そんな面白いことがあったの?」

 親友ヘレナにアレクサンドラを紹介した後、先程のことを説明した。

「ちっとも面白くありませんでした」

 ぼそりと呟いたのはナナだ。あのやり取りの最中において、徹頭徹尾、嫌悪しか感じなかった。

 話が通じないだけではなく、自分がかわいそうという気持ちしか持っていないようなサンドレッドが気持ち悪かったのだ。

「本当に、ご迷惑をおかけしました」

 頭を下げるアレクサンドラ。

「あなたは何も悪くないわ。むしろ、お疲れ様というべきかしら」

「そうね。『混ぜたら危険』な者たちサンドレッドと王妃の犠牲者よね」

 容赦のないヘレナのセリフにナナが笑った。

「毒じゃないんですから」

「あら、自然発生のものだからもっと質が悪いわよ」

「アレクサンドラ様。やはり、サンドレット様は妃教育をあまりきちんと受けていらっしゃらないのかしら」

 遠回しに聞こうと思ったが、この面子だしいいかとイオリティは直接質問をする。

「ええ……お恥ずかしながら。どうしてあのように都合よく逃げていられるのかわからないのですが」

「まあ」

 それは困る。

「夏の舞踏会までには国際マナーを終了させなくては、と淑女教育のストラリネ女史がおっしゃっていたと思うのだけれど」

 先日用があって王宮に上がった際、ストラリネ女史に会った。

『このまま諸外国の方々にサンドレット様が妃候補であると紹介するには、問題しかございません』

 はっきり言い切った。

 父の顔が珍しく引き攣っていたのを見て、さすがの国王陛下も苦い表情をしていた。

『大丈夫よ。あんなに、愛されているんだもの』

 王妃のセリフの根拠はいったい何であろうか。国の恥はこれ以上いらん、とこぼした父。

『伯爵家に、もう少し努力するよう、申し付けておく』

 陛下が絞り出すように告げた。

「マナーもですが……その、仮縫いで上がってきたドレスが問題しかなく」

 知恵をお借りしたい、とアレクサンドラは口にした。

 仮縫いで仕上がってきたドレスの型は間違いなく問題だ。

「えっと……それは、まずいのでは?」

「なんでそんなドレスを注文したのかしら?」

 ナナとヘレナのセリフにアレクサンドラはますます項垂れた。授業の時のきりっとした雰囲気がすっかり鳴りを潜めている。

「一応、我が家で対処をする予定ではありますが……」

 あの義妹が素直にこちらの思惑に乗ってくれるとは思えない。もしもの時を考えてイオリティに伝えておきたかった。

「待ってくださる、アレクサンドラ様」

 予想通りだとすれば、家族でドレスをだめにするつもりだろう。

「何かあって、ご家族が責に問われることは避けた方がいいと思うの」

「ですが、あのままでは……」

「だから、どうにかしてサンドレット様自身にドレスをダメにしていただきましょう」

 


 

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