第12話 コンタスト伯爵家

 王都の貴族街の端にあるコンタスト伯爵家の屋敷は身分のわりに大きなものだった。

 伯爵家当主自らが海の向こうとの取引を行う二度目の航海に同行し、すでに二か月が経つ。

「サンドレッドはどこに行ったのかしら」

 豪奢な居間でお茶を口にしたコンタスト伯爵夫人が義理の娘の姿が見えないことに気づいて長女アレクサンドラに尋ねたが、肩をすくめられただけだった。

「そろそろ来るでしょう」

 騎士服をきた次女マルディナが、きりっとした姿勢で母親に答えた。

「だと良いのだけど」

 長女がお茶を持ち上げて呟いた。

 行政コースで学ぶ優秀なアレクサンドラは義父の不在中に母と二人で伯爵家の領政を行っていた。新たな事業も始め、伯爵本人が不在中のほうが収益が上っているくらいだ。

「姉上がサンドレッドに説明したのでしょう?」

「ええ。でも、あの子が話を理解しているかはわからないわ」

 サンドレッドは自分の都合の良いように解釈する特技を発揮しているかもしれない。

「困ったこと……」

 夫人はため息をついた。

 彼女の現夫と義理の娘はよく似ている。夢見がちで、地道な努力を嫌うところがそっくりだ。

 夫人の前夫は他国の王族公爵家の嫡男だったが、当主を継ぐ前に事故で無くなってしまい、その弟が後を継いだ。引き止められはしたが継承問題で争うわけにもいかず、まだ幼かったアレクサンドラとマルゴットをつれてリアンテ王国に戻って来たら、伯爵家との再婚を勧められたのだ。

 王妃の差し金だろう、とは思ったが実家の侯爵家は弟夫婦がいるのでそのまま世話になるのも……と頷いた。

(せっかく、アレと縁が切れたと思ったのに)

 こんなところで関わることになるとは思ってもみなかった。

(先日、国王陛下からサンドレットは勉強をもっと真剣に取り組め、と言われたばかりなのに。あの子はお茶会だの観劇だの……まるで王妃と本当の親子のようだわ。学生時代から、ちっとも変わりのないあの方と母子と言われたほうがしっくりくる)

 すっかり老けてしまった国王の顔を思い出し、次いで王妃の自慢げな顔まで浮かんでしまったせいか、思わず茶器が音とたててしまった。

 本来、コンタスト伯爵家からはアレクサンドラが妃候補として立つはずだった。

 ところが家族で王城に招かれた際、王妃がサンドレッドを気に入ってしまったとかで突然候補者が変更になった。他国の血を入れるのも良くないだろうとのことだが、明らかな王妃への忖度。

 確かにアレクサンドラもマルゴットも低いながらも父親の国の王位継承権を持ったままなので、干渉を受けないための判断だと言えなくもない。

 が、サンドレッドを選ぶのもどうかと思うのだ。

(アレが王妃になってから、この国はおかしくなってしまったわね)

 夫人は元々現国王の婚約者であった。妃教育も終了し、婚約期間を経て……というところで現れたのが『妖精の愛し子』と言われる男爵令嬢だった。

 学園でも社交界でもマナーも配慮もまるっと無視して好き勝手にふるまい、異性を中心に軒並み魅了して回った男爵令嬢は、いつの間にか王太子の恋人となり、婚約者となっていた。

 あっという間に婚約を解消され、気づけば二つ向こうの国の公爵家嫡男から求婚されていた。

(嫁いだのは、正解だったわ)

 自分の婚約者がデレデレとほかの女性に侍り愛をささやく姿を見せられ、わずかに生まれかけていた恋情があっけなく涸れた。嫌悪を募らせたまま嫁ぐ覚悟を抱いて過ごしていたところへ婚約の解消。そして間を置かずすぐに求婚され、気付いたら他国での婚姻式だった。その後は夫を失うまで、幸せでしかなかった。

 夫の弟が未婚であったため、あらぬ醜聞を避けるためにも婚家へ残るわけにはいかなかったのが悔やまれる。

 この国に帰ってきてすぐに王城へ挨拶に向かった時は相も変わらずべたべたしていた国王夫妻だったが、翌週の再婚をすすめられた呼び出しでは夫婦仲は冷え切っていた。

 わずかの間に、何があったのか。

 元婚約者夫人を見て慌てていたのは国王だった。

『コンタスト伯爵家に、後妻として輿入れ、だと?』

『やだ、先週そう言ったら、いいなって言っていたでしょう?』

 呆然と繰り返す国王の言葉に、王妃がきゃらきゃらと笑いながら答えた。

『だって、旦那さん亡くなっちゃったのよね?この国に帰って来てもお家は弟が継いでるんでしょうし』

 丁度いいじゃない、と王妃は嗤った。

『だが、彼女は……』

 言いかけた国王は、言葉を飲み込み凍えるような一瞥を王妃に向けた。

『あら、貴方だって賛成していたじゃない』

『……其方っ……』

 王妃を睨みつけた後、国王は夫人に一瞬だけ縋る様な眼差しを向けた。

『いや、そうだな……。夫人が望むなら、再婚を許可しよう』

『勿論、望むわよねぇ』

 にんまり、と王妃は満足気に微笑んだ。

『わたくしは、父に、――侯爵に従います』

 そうとしか、答えられなかった。

「だれか、サンドレッドを呼んできてくれる?」

 アレクサンドラが控えている侍女に命じた。

(昔を思ったところでどうにもならないわ。それよりも、サンドレッドね)

 しばらく待っていると、慌てた様な気配とともにサンドレッドが現れた。

 明らかに寝ていたような姿に、姉二人がため息を溢した。

「お呼びと伺いましたわ、お義母様」

「あら、この時間にお茶をするよう約束していたと思ったけれど」

 いきなり呼びつけられたかのようなセリフに、ますます王妃そっくりだとため息を飲み込む。

「あ、そうでした、けど……」

 虐められたかのような悲しげな顔をするが、いつものことなので同情はされなかった。

 少し前であったなら、ここで同情した使用人が避難の眼差しを向けてきていたものだったが、ある時を境にそれがなくなった。

 王太子妃教育で作った見事なタペストリーを候補同士で交換したとかで、カスリットーレ公爵令嬢の作品を持ち帰ったころだった。王太子殿下から、お互いに飾るようにと言われたとかで玄関に飾っていたが、使用人たちが作品のすばらしさに感動していた時に、違和感を覚えたのだ。

 公爵令嬢を褒めているようで自分への同情を誘う言い方があまりにも厭らしく感じたが、いつもなら賛同する使用人たちが冷めた目で見ていたのだ。

 ふと目に入った指輪。

 アレクサンドラもマルゴットも実の父親から送られた状態異常を解除する指輪。

(まさか、ね)

 夫人は義理の娘に声をかけた。

「あなたの夏のドレスが仮縫いで上がってきたのだけれど、アレでよかったのかしら?」

「まあ、もうできたんですか?」

 途端にサンドレッドは笑顔になった。

 ドレスメーカーが来てからそろそろ一時間にもなろうとしていた。

 三人は時間通りに試着を済ませ他の入用なものを注文して終わったが、なかなかサンドレッドが現れずドレスメーカーの者達にお茶を出しているのだ。

「ええ。デザイナーが待っているから、客間へ向かって頂戴」

 答える気のない義理の娘の返答を諦めた。

「分かりました、お義母さま」

 義姉達には一言も挨拶をせず、サンドレッドは部屋を後にした。

「相変わらずだな……」

 血筋がかなり格上の義姉を格下扱い。

 マルゴットの眉根が寄った。

 自分が王太子妃候補だからこちらを馬鹿にしているのか、単なる天然で義姉に気づいていないのか。

「いつものことでしょう。とはいえ、あの子供のようなドレスで夏の舞踏会に参加するのは、ちょっと、困るわね」

 しかも薄いとはいえ王家の紫で。

 ドレスメーカーが持ち込んだトルソーに掛けられていた薄紫のドレス。

 前が少し短めになったフリルとレースのスカートにふんわりパフスリーブ。あちこちに散らばる大振りな金のリボン。ザ・お姫様といった子供のお祝いドレスの見本かと目を疑った。

 せめてリボンがなければ……いや、フリルが立っているのかと思うくらいのボリュームでなければ……。

『これは、今の流行りなのかしら』

 呟いた夫人のセリフに、ひきつった笑いで首を横に振ったデザイナー。

『そう、あの子の趣味なのね。……申し訳なかったわ』

 サンドレッドが夜会でドレスを着て恥をかけば、ドレスメーカーの評判も落ちる。

「予備のドレスを頼んでいたのでしたか?」 

 マルゴットの問いにアレクサンドラが頷いた。

「ええ。でも、私達ではあの色を注文できないから、サンドレッドが頼んでいるはずよ」

 予備のドレスは、いざというときのために注文しておくものだ。

 今回は王家の色を使っているため、二度と着ないかもしれないと少し地味目にするように伝えたが、まだ仕上がっていないためどうなっているのか。

「それは、……困りましたね」 

 言葉が見つからないマルゴット。

「そうね」

 ため息しか出ない。

「いざとなったら、強硬手段を採るしかないでしょうね」

 アレクサンドラのつぶやきに、夫人は頷いた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る