第11話 公爵家②

 公爵家の広い敷地にあるイオリティの工房の一角にはナナの実験場が作られた。庭続きの実験場は防音と衝撃防止の結界が張られているのに、この一か月で地面は何か所か抉れたようになっていたり、埋めなおされたりしている。

「なかなか、出力が安定しませんね」

 円盤状のものが回転しながら前へ進む様を見て、ナナがため息をこぼす。

「これを取り付けると、馬車が壊れてしまうわ。発車時だけ起動して馬をスムーズに進めるにしても、下手をすると馬車が馬へ激突してしまうかもね」

 イオリティの感想にやっぱりと肩を落とす。ナナは物流をもっと安価にして庶民の生活を向上させたいと考えているのだ。

「馬車そのものを見直すのが早いか、改善するのが早いか……よね。いっそ、馬を繋がないのもありかも」

「馬を、繋がない……ですか?」

「そうよ。馬車に推力をつけたり、重さを軽減したりすると、馬のことを考えたらかなり制約があると思うの。でも馬がいない場合、馬車そのものを動かすことさえ考えたらいいでしょう?」

 ナナの目が大きく見開かれた。

「馬車、そのもの……」

 頭の中で馬を取り払った馬車の姿を想像できなかった。ただ、馬を使わないと言うのはいいかもしれない。

「考えてみます!ーーあ、そろそろドレスの試着のお時間では?」

「そうだったわ。残念だけど行かなくちゃね。ナナはまだ研究するの?」

「はい、このまま夕食までは頑張ります」

 本日の仕事は昼過ぎで終了したので、可能なら研究を進めておきたい。魔道工学の授業は月に一回の講義と担当教師への報告がある以外はほぼ自習だ。自己管理のもと研究をひたすら進めていくだけである。

「頑張ってね。では、行ってくるわ」

 イオリティは別の侍女を伴って広間へ向かう。夏の舞踏会用のドレスが仕上がってきたのだ。それ以外にもいくつか注文をしていたもの届いたらしい。

 楽しみではあるのだ。ドレスはたくさん持っているし、毎回仕立てるのも大変なのでパーツを取り換えて着まわすようにもしているから日々新しいものを身に着けているようなものだけれど。

 一から仕立てるのはいつもわくわくする。

「お待たせいたしました」

 広間の中には仕立て屋とデザイナーにお針子が控えており、ドレスや外套のほか色々な材料が持ち込まれていた。

「お時間をありがとうございます、カスリットーレ公爵令嬢様」

 仕立て屋のオーナーが深い礼をとる。彼自身は子爵位を持ち、領地では絹も生産しているとか。

「楽になさってください。ドレスの仮縫いができたとか」

「はい。お召いただくドレスと予備のものを併せてお持ちいたしました」

 トルソーに掛けられたドレスが二着運ばれてくる。

「まぁ、これは……」

 あまりの見事さに公的な笑顔が外れ、感嘆のため息がこぼれた。

 ドレスのスカート部分と袖部分はドレスと同じ紫と銀で編まれたチュールレースや刺繡レースが重ねられ、動きによってわずかに濃さを変えるためグラデーションを生み出している。銀糸で編まれた部分にはりってい的な刺繍もあり、光を反射して宝石を散りばめるよりも控えめな輝きをまとっていた。

「す、素敵です……」

 オーナーの思わずこぼれたような賛辞に微笑みで返し、イオリティはくるりと回ってみた。ふわりと広がるレース部分が上品さを損なわず華やかさを演出している。

「当日が楽しみになってくるわ」

 いくつか気になった点をデザイナーやお針子と話し合い、追加の注文をオーナーと相談する。予定の一時間があっという間に過ぎてしまった。

「来週には、お届けいたします!」

 メインのドレスは最終調整を終えてから届けられる。

「すべて、部屋へ運んでくれる?」

 侍女に声をかけ使用人たちに荷物を運ばせてから人払いを済ませ、腕輪にすべてのものを収納していく。

 外套に、サイズ調整の可能な予備のドレス、ちょっとした衣装をすべて納めると侍女を呼びお茶を頼んだ。

(明日は魔道工学の講義とお茶会よね。夏の舞踏会まであと半月もないし……)

 サンドレッドからはどのような攻撃が来るだろうか。前回の王妃のお茶会ではヘレナのおかげもあり、サンドレッドの舞台は王妃との連携不足で不発に終わった。

 最近では下位貴族の中に、我々を思いやってくれるサンドレッドを王妃にという声が出ているらしい。王太子とサンドレッドの二人が並ぶ様が絵のように美しいとも。

 そして、日々草臥れていくサンドレッドに対して、王太子教育をあんなにも頑張ってくれていて……と感動する声もあるらしい。

 不思議なことに魔法科――特に魔法学コースでは、サンドレッドの話は全く聞かない。

 最もサンドレッド劇場が魔法科で上演されていないだけかもしれないけれど。

 こんこんこん、と遠慮がちなノックの音がする。

「お嬢様。旦那様と奥様が西のテラスでお茶をご一緒にとのことですが、いかがでしょうか」

 扉の向こうで侍女の声がした。

 珍しく父が家にいるらしい。

「伺います、と伝えて頂戴。あと、お茶を頼んでしまったのだけれど、いらなくなったと伝えてくれるかしら」

「畏まりました」

 専属の侍女を呼んで簡単に身支度を整え、イオリティは部屋を出た。





 テラスの向こうに初夏の花々が咲き、風にそよぐ木々は日差しを優しく遮っている。

 繊細な細工の施されたテーブルでは銀髪に王家の紫の瞳を持つ父と金髪に黒い瞳の母がお茶を飲んでいた。

「お待たせいたしました」

「まあ、イオ。来てくれてうれしいわ。今日はドレスが届いたんでしょう?」

 母は可愛いらしい容姿に上品な所作と慈愛の微笑みを携えた淑女である。花々が単なる背景であると思い知らしめてくれる可憐さだ。

「王家の紫より淡い色のドレス、とっても上品できれいだそうね。さすがイオだわ。――――――どこかの、くすんだ紫下品な王妃に見ていただかなくてはねぇ、本物の気品を」

 王妃とは仇敵である。

(こっっっっわ!)

 可愛らしい笑顔なのに駄々洩れの殺気。

「最近、イオがあちこちのお茶会に行ってくれているから、くすみ王妃の影響が減って助かっているのよ」

 ふふふふ、と圧のこもった笑みで茶菓子を口にする母に、父が頷いた。

「そうだな。イオリティの光魔法は昔からすごかったものな」

(――え?昔から……?)

 光魔法の属性が判明したのは今年に入ってからだ。

「ああ、そうか。お前は自分の属性を知らなかったのだな」

 そういって父が説明してくれたのは幼少期の自分について。

 七歳のころイオリティが光魔法を持っていると気付いた両親は、こっそり魔力量を測定したが大したことはなかった。ほぼ発現できずに終わるだろうと隠すことにしたのだ。一般的な貴族令嬢はそこまで魔法を重要視しないこともある。下手に知られて王家に囲い込まれることを危惧したのだ。

 ところが初めて国王夫妻に謁見した時に魔法を行使してしまった。

「王妃は妖精の愛し子だ。純真無垢と呼ばれるのは己の欲に忠実であるが故。――――欲しがったのは、愛される自分だ。そして、妖精はその願いを叶えた」

 妖精が王妃に与えたのは魅了の力。愛される力だ。

「あの方はねぇ、元々の魔力があまりにも低くって。努力の嫌いな性格も相まって大した力ではなかったのよ。……好意を持たない者にとっては」

 私のように嫌っている人間には無効よ。

 母は冷たい微笑みを浮かべた。

(え、でもそれって好意を持ったらヤバいってことよね?その好意って、一瞬のものでもいいってこと?もしそうなら、ちょっとした出来事をきっかけに魅了される人間が爆破的に増えるってことじゃない?)

 もしかしたら、王城は王妃に魅了されたものばかりではないのか。

 ぞっとする。

「でも、陛下を始め多くのものが魅了されていたわ。いつの間にか、全く実力も無いのに王太子妃になり……愛される王妃となったの。まぁ、女性には圧倒的に嫌われていたけれど」

(あ、それは何となくわかるわ)

 王妃は同性からの人気がほぼ無いといってもいい。

「お前が六歳の時、城に挨拶に行ったことを覚えているか?」

「はい」

 覚えているのは、王妃の目から放たれた何か。

「あの時、我々の目にははっきりと見えたのだ。お前が打ち払った王妃の魅了の力が」

(えっ?!あの気持ち悪い光、魅了の力だったの?あんなに無節操に放たれてたんだ)

 王妃が何らかの力を使っているのを一部の人間は気づいていたらしい。だが、何をどのようにしていたのかが解らなかった。

 そこへ謁見した幼子のイオリティが突然おびえ始めて、何かを振り払うような動作をする。その場の高魔力保持者の目には、王妃の目から放たれる何かがイオリティの手で打ち消され、その場の多くの者にまとわりついていた力を消し飛ばしたのが見えた。

 それと同時に王妃に抱いていた敬愛や愛情などのあらゆる感情が消え、もやついた嫌悪すら沸いた。

 特に国王は、なぜこのような愚かな女を王妃として迎えたのかも理解できなかったし、一瞬で憎悪が煮えたぎった。

 当の本人王妃は周りの感情が変化したことに気付かなかったようで、その場にいた王弟が『ご令嬢は緊張して焦っているのだな。可愛らしいことだ』と話を持って行った。

 すぐに王と王弟と公爵で話し合ってこのことに対する箝口令を敷き、時折イオリティを王城に連れていくことで王妃の魅了の力を無力化していった。

 けれどもイオリティが怯えたのはあの一回だけだった。本人は魅了の力に全く気づいておらず、近くにいることでその力を消すことができるようだったので、なるべくあちこちに顔を出させた。常に王妃の傍にいる者ほど魅了がなかなか解かれず、解いても再びかけられてしまうので、非常に手間がかかる。

「大変だったのよ、あなたを連れていくといちいち嫌味を言ってくるから。あの方、いつ仕事してるのかと思ったけど、能力的に仕事を振られていなかったようなのよ」

(それって、どうよ)

 不思議なことに王太子は幼いながらも一回で魅了の力の影響を抜けだし、早々に母親から距離を取った。

「お前には、苦労を掛けるが……夏の舞踏会は近隣諸国から王家が集まる。王妃の魅了の力に侵される王族は少ないとは思うが……いざというときには、助けてほしい」

「わかりました。もう少しこの力を研究してみます」

「無理に王家に嫁がなくても良いから、くすみだけなんとかして頂戴。あれは実害があるから」

「そうだな。国のことを考えれば王妃はコンタスト伯爵令嬢では、な。だが、お前に無理を強いるほど王太子殿下の実力は低くない」

 好きにして良い。

 そう言われ、イオリティは胸の奥でほっとした。

 


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