第10話 御花畑からのご招待②

(父が持ち帰った紅茶?これ、王宮でいつも出る紅茶よね)

 売られた喧嘩は買う前に、悪意はどちらからのものかを見極めなければならない。

(ーー王妃かサンドレッドか)

 まずは、軽くジャブ。

「コンタスト伯爵は、海の向こうまで行かれて、わざわざ王宮でいつも飲む茶葉のルートを開拓されたのですか?」

「え?」

 理解できなかった不発に終わったようだ。

 困ったようにきょとんとした顔が、場にそぐわないほど可愛らしい。

 仕方ない、とイオリティは続ける。

「私も伯爵が持ち帰った茶葉を少し手に入れて試して見たのですが、王妃殿下とサンドレッド様が召し上がっているものしか、試すことができていないのです。他にも在ったのですね」

 お恥ずかしいわ。

 扇を広げて敢えてわざとらしく、恥ずかし気に視線を逸らす。

(こっちに出された茶はお前のやつじゃないぞ~気づかんのか~、って言ってるんだけど……イヤミを分かってくれてる?この王宮御用達の茶葉は生産地が限定されているってこと覚えてる?)

 にやにやと隠しきれない笑顔で此方を見ていた王妃が、ばっと扇を広げて顔を隠した。

(紅茶の違いに気づかなかったら、馬鹿にする気満々だったわね、この方。そんなの、引っ掛かるわけないじゃない)

 幼稚な考えだ。上位貴族の令嬢はお茶の判別くらい出来て当然だと言うのに、自分基準で考えないで欲しい。

「あら、伯爵がこの王宮御用達の茶葉ルートを開拓しているなんて聞いていなかったわ。ストラディア家としても、看過できないわね」

 この茶葉は、ストラディア家と隣の伯爵家が生産しているオリジナルブランドだ。余所が勝手に作れる品種ではない。

 扇で隠せないほど、王妃の顔色が変わった。

(ええええー。もしかして、この紅茶の生産地を忘れてたとか言わないわよね、王妃とあろう者が。いや、この方ならあり得るかぁ。あり得ないけど、あり得るわー)

 あり得る可能性に、呆れしか沸かない。喧嘩を売られる前に、自滅してくれる方が早そうだ。

「お勉強不足で申し訳ありません……!わたくし、茶葉のルートのことは、解らなくて……。お二人にも、この珍しい茶葉を味わっていただきたかっただけなんです!」

 いつもより、ワントーン高い声が響く。

 茶葉のルートが解らない、とのセリフは妃教育を受けた者が言ってはいけない。マナー知識の始め頃に出てくるのに。

 離れて控えるナナが、不思議な生き物を見る目をしている。

(そうよねぇ、侍女として学ぶ内容にも紅茶のことがあったものね。知らないって、堂々と恥を晒せるサンドレッド様の胆力がすごいわ)

 気を持ち直そうと、出された紅茶を口にして何時もの味と薫りで現実を確認した。

 王太子妃候補や王妃が話したり行ったりする内容とは思えない出来事に、意識か余所へ行きたがっているけど。

 さすがにここを守る近衛はちょっと顔を引き吊らせているが、王妃の侍女の中にはサンドレッドを庇護するような雰囲気を醸す者もいる。

(侍女の質が低いのかも。真っ当な侍女なら、こんな低俗な嫌がらせは事前に止めるはずだし。いや、でも王妃がコレだしな……)

 ここが学園なら、下位の令嬢令息の中にはサンドレッドへの同情から迎合するものが出てきたかもしれない。

「不勉強なため、この茶葉がどのような製法かまでは把握していませんが……。父が!父が命懸けで持ち帰ったものなので、是非皆様に……と思っただけなんです!」

 椅子の上で俯いて肩を震わせるサンドレッド。

 声の通りが損なわれないのがすごい。

(安い芝居を見せられている気分だわ)

 横でゆったりと紅茶を飲むヘレナから漏れる冷気。なぜ目の前の二人はコレに気づかないのか。

(近衛がサンドレッド支持に回らないのは、ヘレナへの恐怖……いや、警戒のおかげかもね。それにしても、婉曲な言い回しが通じないとか、あり得ないわ。途中で辞退した元候補達のほうが、はるかに優秀だったわ。愛があるから、良いのかもしれないけど……妃候補ってそれでいいのかと思ってしまう者が出てくるでしょうね。ーーあ~。そっか、もう、出ているかもしれないのか……)

 かちゃり、と茶器の音がした。

 このようなお茶会では聞かない音は王妃の手元からだった。強ばった目をしてちらちらとサンドレッドを見ている。

(この二人、仲が良いのか悪いのか解らないけど、考えが浅すぎる……)

 私達とあなた方では今飲んでいる茶葉が違う、と説明しかけたイオリティを、ヘレナが遮った。

「コンタスト伯爵令嬢」

 にっこりと、目の奥に鋭さを残した笑顔でサンドレッドを呼ぶと、ヘレナは自分の茶器を差し出した。

「このお茶は、ストラディア家が王家に納めているお茶よ。あなた方が飲んでいるのは、コンタスト伯爵が仕入れて来たもののようだけど」

「ーーえっ?」

 ぽかん、とサンドレッドの口が開いた。

「残念ながら、わたくし達はあなたのお父様が命懸けで持ち帰った茶葉ではなく、いつものお茶を味わったのよ」

 ぽかん、と此方を見るサンドレッドの蒼い瞳は乾いている。

「えっ、そ、そんな。どうして?」

 動揺のあまり、悲しみに暮れる様を続けられなくなったのか、イオリティ達のカップとじぶんのカップをキョロキョロと見比べた。

 明らかに、茶器も茶の色も違うことを認め、ぽかん、と口を開けて固まった。

「違うお茶?」

 ぽつりとこぼれた呟きは、いつもの可愛らしい口調と声音ではなく、平坦な少し低めの声だ。

「そうねぇ。急な招待だったから、このお茶を出すように言ってなかったのよ」

 ぱちんと扇を閉じて、ことさら深い笑みで王妃が告げた。謝るわけでもなく、単なる事実として。

 指示してなかったから、普通のお茶がだされた、ということにした王妃。

(他の者がしたら単なる無作法だけど、この方ならあり得る……と思われるコトも計算してそうね)

 わざとミスを装うなどの手法は王妃の得意とするところだ。自分の利益や欲のために動く場合、優秀さを発揮する。今はこれ以上サンドレッドの失態を引き出さないようにしたのだろう。

 事実、王妃にこう言われたらどちらもこれ以上はなにも言えない。

「あ、そうだったんですね」

 ころっと声音を戻したサンドレッドが、王妃へ向き直った。

(切り替え、はやっ……)

 これが天然でなければ、大した女優だ。

「でも、イオリティ嬢はもう味わったのよね」

 良かったわね、とサンドレッドに微笑む王妃。

「あら」

 ヘレナの平坦な呟き。

 王妃の背後に控える侍女の何人かが、ぴくりと肩を揺らした。お茶を煎れる指示を受けた者だろうか。

 庭園を抜ける爽やかな風には花の香りが乗っているはずなのに、控える侍女や近衛には木枯らしに混じって紅茶の香りがするようにしか感じなかった。

 発生源は勿論ヘレナ・ストラディア辺境伯令嬢だ。

「私、味わったことはないのですが、この香りからして、独特の風味があって素晴らしいもののようですわね」

 ヘレナはわざとらしくもう一口紅茶を飲んだ。あまりの美しい所作に、この冷気を忘れたのか幾人かの近衛から感嘆の溜め息が漏れる。

「紅茶のルートも、勘違いのようでよろしかったですわね。我が家から、両家に正式な抗議をしなくてはならないところでしたわ」

 王妃を始め、侍女や近衛に緊張が走った。

 辺境伯家からの抗議が、文によるものか、政治的なものか、はたまた武力によるものか。

 いずれも平和的に済まされないものだ。

「ええ、本当に良かったですわ!イオリティ様も、このお茶を飲んでくださったなんて!」

 場違いな言葉で幼子のように喜ぶサンドレッドに近衛から唖然とした視線が集う。侍女も、数人を除いて引きつる顔を懸命に堪えようとしていた。

(その『良かった』は、何に対して?)

 笑顔のまま、イオリティとヘレナは頷くことなく紅茶を飲みきった。

(親衛隊みたいなのがいないせいか、さすがのサンドレッド様の言動も浮いているわね)

 王妃が光魔法について探りを入れてくるための招待かと思っていたが、サンドレッドのおかげで話がそちらからそれた。 

 このまま、何事もなく帰りたい。

「そういえば、イオリティ様の光魔法とは、どのようなものなのですか?」

 純真無垢な質問爆弾が投げ込まれた。

(ちょっ……!相手の魔法属性について、公の場で話題にだしてはならないってマナーを無視すんの!?)

 王妃とサンドレッド以外が凍りついたように動かなくなったのは、一瞬だった。

「コンタスト伯爵令嬢は、教育マナーをどなたに師事され勉強したのましたの?」

 デビュー前の幼子へ話しかけるような優しい口調のヘレナの目は、最早人を見るものではない。

「王太子妃教育担当のドーラ女史ですわ」

 自慢気に答えるが、きっとドーラ女史は否定したいだろうな、と皆は思った。

「あら?では、公の場で他人の魔法について口にするのは、マナーとしてよろしくないと学ばれなかったのですか?」

 ヘレナからは予めサンドレッドと遭遇した場合は、イオリティでなく自分が相手をする、と言われていた。同じ妃候補で対立するような事実を残さないためだ。

「えっ、あ……そ、そうでした。申し訳ありません、イオリティ様。私ったら、無作法なことを」

「いえ」

 はにかむように謝罪するサンドレッドに、許しの言葉を与えるのは止めた。

 だが、この空気のおかげで王妃からの質問探りを封じることはできた。サンドレッド様々だ。

「さて、残念だけど、この後予定があるの。もう時間切れだわ。またお茶をご一緒してくださる?」

 王妃が席から立ち上がりながら三人を見た。サンドレッドは、はい、と嬉しそうに頷いたが、イオリティとヘレナは頭を下げただけだった。

 何かを言いたそうではあったが、考えが直した王妃は侍女にお茶を片付けるように告げる。

「では、失礼するわね。サンドレッド嬢また明日からも頑張ってね」

 王妃は数人の侍女と近衛を従えてさっさとこの場をはなれた。

(わざとらしく、サンドレッド様だけに声を掛けて言ったわね)

 頷きあった二人は、帰るべく立ち上がる。

「では、サンドレッド様ご機嫌よう」

「あ、はい。イオリティ様。また明後日学園でお会いいたしましょう。私、明日も妃教育でこちらに参りますので」

 本当に妃教育するのか?と喉まで出かかったが、グッと飲み込む。下手な事を口にして会話を広げるのは、悪手だ。

「ええ、また明後日に学園で」

 会いたくないけど。

 ヘレナの耳には、イオリティの心の声が響いたきがする。

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