第9話 御花畑からのご招待

 なんとなく沈んだ気分のイオリティを見て、ヘレナはそっと手を取った。

「何かあったの?」

「いえ、大丈夫よ。ちょっと、改めて自分の立場を思い知っただけだわ。連れてきてくれて、ありがとう」

 きゅ、とヘレナの眉が寄った。

 親友が我慢強すぎるのを知っているから、余計に心配なのだ。妃教育も特に嫌がることなく進め、婚約者候補のお茶会も笑顔で乗り気っていたのを知っている。

「これくらい、なんでもないわ。ーーねぇ、王太子に何か言われたのぶちのめしとく?」

 つい、本音が漏れてしまったヘレナ。

(副声音が物騒すぎるわ!)

 イオリティは急いで首を振った。

「大丈夫よ。というか、大丈夫になったわ」

「そう?」

 少し残念そうに引き下がるヘレナ。日頃から王家がサンドレッド側を優遇し過ぎではないかと不満をもっているため、どうしても攻撃的になりがちだ。

「無事にお渡し出来て良かったですね」

「ええ。ブレスレットが完成したのは、ナナが手伝ってくれたおかげよ。ありがとう」

「いえ、お役に立てて嬉しいです!あたーーわたしも研究を頑張らないと」

 ナナの火力エネルギーの研究や今回のイオリティの発明は、国防の面でも生活面でも画期的過ぎる。

 正直、これを公にすれば婚約者の座は此方に転がり込んでくるだろう。そして、一気にイオリティの安全は失われる。 

 ヘレナが今回王宮に同行してくれたのは、個人的にも公にも仲がいいことをアピールするため。イオリティを狙うなら、ヘレナ・ストラディア南の辺境伯家も敵に回すことになるぞと牽制するためだ。

 四人は帰るために馬車へ向かうことにした。父に差し入れ、という名目で来ているのだ。長居はしたくない。

「旦那様、来客でございます」

 執事が宰相へ近づき、耳元へ囁いた。

「王妃殿下のお使いがいらしておりますが、如何いたしましょう」 

「やはり、嗅ぎ付けられたか。……通すしかあるまい。ーーイオ、どうやら御呼びがかかったようだ」 

「まあ、やはりですか」

 執事が下がると同時に、全員が深い溜め息をついた。できれば遭遇せずに帰りたかった。

 妃教育を終えたイオリティが王宮に来た理由を探りにきたのか、牽制をするためか。

(面倒だわ)

 教育期間に王妃と関わることはなかった。教育担当の教師からは、王妃殿下はあまりお得意ではなかったので……と濁された。学ぶことがあまり好きでない王妃は、学ぶことが得意なイオリティのこともあまり好きでない。

 勿論、流行りや好みの話ばかりの王妃との会話は、イオリティも好きではない。

「失礼致します。王妃殿下よりカスリットーレ公爵令嬢とストラディア辺境伯令嬢をお茶会にご招待したい、とのお言葉です」

 父親の専属執事とともにやって来た王妃の侍従が、歓迎しにくいご招待を告げる。

 ちらり、と父親を見ると頷かれたので、イオリティは侍従に向き直った。

「後程お伺いいたします、とお伝えください」

 侍従が王妃に返事を持ち帰った頃を見計らって案内の騎士を呼び、王妃の元へ伺わなくてはならない。 

「いえ、このままご同行していただくように、とのことです」

 早くしろと云わんばかりのこの言葉に、父親がはっきりと不快感を示した。

「このまま?」

 冷たい声音の宰相の言葉に、侍従は慌てて頭を下げた。

 それまでの態度を見て、普段からこのような無作法を良しとし、立場をわきまえず王妃仕えとして調子に乗っていたのが判る。

「王妃殿下におかれましては、そのように」

 未だ宰相の怒りや己の立場を理解していないのか、従って当然だろう、との意を込めて侍従は言い切った。

 マナーを無視し、相手の都合も無視した無礼極まりない対応を認める訳にはいかない。王妃に仕えている部下相手ですら、許される誘い方ではない。

「ほう?それは、おかしなことだな」

 執務室の空気が一気に重さを増した。

 侍従の背中や額から冷や汗がたらたらと落ち始める。

(虎の尾を踏んだわね)

 宰相であり公爵家当主に対して、侍従がとって良い態度ではないのだ。

「王宮や上流のマナーとしては、聞かないご招待だ。王妃殿下には、後程伺うと伝えよ。私の言葉をすべて、しかと、間違いなく、な」

 マナー違反だと伝えろ、と更なる圧を込められて言われた侍従は顔を青くして逃げるように下がった。

「あの感じだと、いつも相手の都合をお考えになってらっしゃらないようね」

 ヘレナが呆れたように呟く。

「都合、という言葉をご存知かどうか、だな」

 宰相が答え、イオリティとナナはひきつった笑みを浮かべた。

(これ、ご機嫌の悪い王妃を相手にしないといけないんじゃない?妃教育の間も、殆ど接触してこなかったのに、今更……?ーーああ、光魔法……)

 鬱陶しいことこの上無いが、ご招待を安易に断れる立場でもない。

「旦那様」

 侍従を見送った執事が父に耳打ちする。

「ふむ……」

 宰相はほんの刹那不快感を示した。

(何の情報?)

 父の専属執事は非常に優秀だ。屋敷の筆頭執事と双子で、内と外の仕事を各々が担っている。

「王妃の所に、コンタスト伯爵令嬢が居るそうだ」

(はいぃぃ?あの子、講義サボってるの?!)

 只でさえ遅れている妃教育と成果の怪しい学業より、お茶を飲むことを優先するのか。王妃とよくお茶をしていると先日言っていたが、学園まで休んでいたとは、こちらの予想を上回り過ぎだ。

 ヘレナの目が完全に据わっている。

「あの方、学ぶつもりがないのかしら。学園の授業でもそれなりの成果がやっとだと聞くわ」

「あー、なんというか、平民の間でも微妙な評価関わってはいけない人ですね。王太子妃候補なのが謎だって噂です」

 なにせ、出来ないことを嘆くため周りを巻き込んで全ての進行を止めてしまう。迂闊にご注進しようものなら、劇的な謝罪で一気に此方を加害者にしてしまうのだ。

 平民としては、雲の上の貴族を被害者にしてしまうと、学園追放どころではすまない。

「私も、そこまで関わっているわけではないけれど……王妃殿下も、良く似ていらっしゃるところがおありよ」

「周りを巻き込んで舞台にするところなど、そっくりだろうな。常に主役でいたがる病のようなものだ」

「本当に迷惑よね、あの方々」

「え……」

 ナナの顔が引きつった。

 そんなのが二人も居るところに今から行くらしい。そんな予定ではなかったのに。

「では、そろそろ向かいなさい。案内の騎士も到着したようだ」

 ナナは声を出さずにイキタクナイデスと呟いた。

「三流のお芝居だと思えばいいのよ。」

 ヘレナのアドバイスに、豪華なお芝居なんて観たことありません、とは言えないナナ。壁際に静かに控えていられるだけ、マシだと思うことにした。





「ご無沙汰しております、王妃殿下。イオリティ・カスリットーレが参りました。ご招待をありがとうございます」

「同じくヘレナ・ストラディアでございます。ご招待に預かり、ありがとうございます」

 中庭に用意されていた可愛らしい雰囲気の席には王妃とサンドレッドが座っていた。周りには護衛の騎士や侍女がこれでもかと控えている。

 豪華な三段のスタンドにあるべきケーキ等は既に幾つか食べられた後で、開始からかなりの時間が経っていることが分かった。

(こんなところで、お茶会してる場合じゃないと思うけど……)

 ナナと公爵家の護衛がそっと斜め後ろに立った。

「良く来てくれたわね。サンドレッド嬢とお茶をしていたら、あなた達が宰相のところへ来たと聞いたのよ」

 頭を上げなさいと言われなかったが、イオリティとヘレナは姿勢を戻した。王妃にマナーや心遣いを求めるのは無駄だと思っている。

 庭園の花に紛れて微かに薫るのは、海を越えた大国の高級な茶葉だ。

(コンタスト伯爵が先の航海で買い付けて来た品で、かなりの高級品だとか)

 知っておくべきだと少量手に入れて試飲したが、独特なクセの強さはミルクを入れたり、ジャムを入れたりして飲むには適さない。

 侍女が二人椅子を用意してくれたので、ヘレナと共に座る。

「お久しぶりです、サンドレッド様」

「ご無沙汰してます、コンタスト伯爵令嬢」

 王妃が紹介も何もしてくれないので、とりあえず声をかけた。

「はい、イオリティ様もヘレナ様もお久しぶりです」

 横のヘレナの背筋がほんのわずかに伸びた。余所行きの笑顔から、臨戦態勢のそれへと切り替わる。

(ちょっと!ヘレナから名前呼びを許可されてないわよね?勝手に呼んだらダメでしょ!!ヘレナが家名でよんでたじゃん!どうなってんの、マナー教育!?)

 サンドレッドの非常識さに脳内が荒れまくりだ。

 侍女が二人の前にお茶を置くが、どうやら王妃とサンドレッドが飲んでいるものとは違う。茶器そのものも、王妃のお気に入りではなく、来客用のもの。サンドレッドとの差をはっきりと着けているのだ。

 宰相の苦言が伝わったと見ていいだろう。

「学園では魔道具を作っているんですって?」

 王妃から突然話題を振られた。

 ヘレナがとびきりの笑顔で王妃を見つめた後、勧められる前にお茶を口にした。無作法をやり返した相手にするに値しない、と示している。

「はい、まだまだ思ったようにできないのですが」

「まぁ、イオリティ嬢にも難しいのね」

 嬉しそうな王妃に微笑みだけ返す。

(妖精の愛し子の心根が純粋だというのは、心優しいと同義ではないのよね。ご自分の欲に忠実なんだし)

 改めて王妃を見ると茶色がかった金髪をふわふわに結い上げ、ピンクの瞳に合わせたピンクのドレス。四十に手が届こうとする女性というより、大人を目指す少女のようなデザインだ。

 幼少時初めて国王夫妻に謁見した際に、このピンクの瞳から得体の知れない何かが放射状に放たれたのを見て、慌てて振り払ったことがある。

 周りには緊張して焦っているように見えたらしく、微笑ましいものと受け取られたと聞いた。

 だが、国王と側近の驚愕に染まった表情と、父の王妃を睨む様が怖かったのを覚えている。

 あの頃はまだ、国王夫妻の仲は良かった。

「イオリティ様、こちら父が海の向こうから持ち帰った紅茶です。是非ともご感想をお聞かせください」

(マジか!?)

 ーー戦いの火蓋がきって落とされた。

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