西支部クオリティ
「ネリドル副長、只今戻りました」
アンナがネリドルの執務室に入ってくる。
アンナはネリドルの副官で、レンズの大きい丸眼鏡をかけた、ショートボブの髪形をした女性士官である。
「ああ、アンナ君、ご苦労様」
「すみません、ハウニム隊長いませんでした」
「いなかった!?」
「どうも、近隣の村々に定期パトロールに出ているみたいで、数日戻ってこないそうです」
「何それ? また? ウェーブグルーにいるんじゃなかったの?」
「それが、こちらで把握している情報と違うみたいで。これ、屯所のを、一枚持ち帰ってきたんですけど」
アンナが出したのは実戦部隊の一角であるハウニム隊の警備計画表だ。ちなみに、ハウニム隊はネリドル派閥だ。親中央の主流派を成す。
この警備計画表には、三週間、つまり三十日分のハウニム隊の行動予定が書かれていた。
「これ、春の12日とあります」
アンナが表に記載された作成日を指差して言う。
「えっ? じゃあこっちで持ってるのは」
ネリドルは直近でハウニムから提出されていた警備計画表をデスクの引き出しから取り出す。その警備計画表の作成日は春の5日とあった。
それぞれを見比べてみると、確かに今週はアンナの持っている計画表だと近隣の定期パトロールで、ネリドルの持っている計画表ではウェーブグルーの町に滞在していることになっている。
「まただ! 差し替え版が届いてない!」
「すみません、結局何もせず帰ってくることになっちゃいまして……」
アンナが途方に暮れた様子で言った。
「いいよ。分かった。今度は私がウェーブグルーに行く」
◆
ウェーブグルーの町・白軍西支部屯所・ハウニム隊事務所――。
「すいません副長、寸前で警備計画に変更があったんですが、差し替え版をそっちに送るの忘れてました」
ウェーブグルーの屯所でネリドルを迎え入れたハウニムは、不味そうな顔をして謝罪した。
「アンナ君を無駄に往復させることになった。二日かけて」
ネリドルが辟易して言うと、ハウニムが笑いを噴き出した。
「ヘラヘラすんじゃないよ」
「すいません」
「一日置きに連絡員を行き来させてんだから差し替えがあったら持たせろよ。ただでさえお前んとこ一番多いんだよ、土壇場で変わるのが。ほら、これだよこれ。こっちは全部、この古い、春の5日バージョンの警備計画表で説明しちゃってんだからさ。しかも結構予定変わってんじゃんこれ」
ネリドルが変更前と変更後の警備計画表をテーブルに並べつつ、ハウニムに説教する。
「とはいえ、そこら辺の予定がなかなか寸前まで固まらないんですよ。身内に不幸があって急遽実家に帰んなきゃいけない奴が出たりってのもあって、どうしても定期パトロール先に済ませないと後半こっちの人員が定数満たせないとか、今回特に色々。クルモ村の村長から自警団に剣教えてやってくれなんて言われちゃって……。もうここんとこ余計な事ばっかで」
長々と口答えと言い訳を並べたてるハウニム。
「いやそれはいいんだよ。もちろんそりゃ色々あるの分かるよ。現場だもの。そうじゃなくて、計画変わったらこっちにも知らせてって言ってんの」
「う~ん、どうしても計画書作り直したところで何か一仕事終えた気になっちゃうんですよね。つい」
「それを本部にも共有して初めて終わったと言えるの。ちょっとお前の隊、そういうの多過ぎる」
「すいません」
先ほどと同じ調子で謝るハウニム。
ネリドルは溜息をついた。
「ほら、更新された手配書。こっちの束が中央案件、こっちが西案件」
ネリドルが気を取り直し、新しいお尋ね者の手配書の束を渡す。ハウニムは受け取ってパラパラとめくる。
「新顔もいるし、既存の奴も懸賞金の増減が発生してる。屯所前の掲示板も貼り替えとけよ」
ネリドルが念を押す。
以前、ハウニム隊は屯所前の掲示板にずっと昔のボロボロになった手配書を掲示したままで、それより後に発行された手配書を、倉庫の奥に乱雑に突っ込んだまま放置していたことがあったのだ。
「承知」
「中央案件は頑張ってるふりでいいよ。どうせ他の地方にいるかもしれないし。西だよ西。できる限りお前の隊で捕まえちゃってよ。そんな懸賞金払いたくないし」
「とはいえ、まず第一に黒獣優先ですし。最善は尽くしますが」
ハウニムはぼやきながら立ち上がり、事務所のボードに貼り付けてある、大きな地図の前に立った。ハウニム隊の管轄エリアの地図である。
「人に危害を加えるって意味では黒獣も指名手配犯も同じだ」
ネリドルが言い返す。
「ここんとこ黒獣も増えてますしねぇ……」
ハウニムが地図の前で腕を組む。
地図には幾つもの黒いピンが刺さっている。
「おいハウニム、このピンって」
ネリドルが地図に目を向ける。
「やっつけた黒獣なんですけどね、これが」
平然と言うハウニム。
「待って待って待って、報告上がってきてないよ! そんなに出現してんの? えっ? 何これ? このピンが黒獣ってこと? だとすると七、八匹ぐらい出てない?」
「はい。春になってから七、八体出てます。言ってませんでしたっけ?」
「聞いてない!」
ネリドルが眉をしかめる。
「ごめんなさい、言った気になってました」
「え? ここのなんて、三体出たってこと? 同時?」
ネリドルが同じ場所に三つピンが集中して刺してある箇所を指差す。
「はい、お父さん黒獣、お母さん黒獣、子供の黒獣……」
「ええっ!? 待て待て待て待て!」
「はい?」
「えっ? 何? 黒獣親子で出てんの?」
「はい。親子」
「繁殖してるってこと? 親子の個体?」
「ええ、多分……」
首を傾げるハウニム。
「何でそんな大事な事言わない? えっ!? そんな衝撃の事実、まさかお前の隊の中だけで消化しようとしてんの? 他の部隊に共有せずに」
ハウニムの言葉に衝撃を受けるネリドル。
「いや、そりゃあ黒獣だって生き物なんだから子供ぐらい産むんじゃないですか、そりゃ」
ネリドルが浴びせる質問の嵐にも動じず、平然と答えるハウニム。
「いや、大問題だよ! 黒獣の子供が
声を荒げるネリドル。
飄々とした態度を取り続けるハウニムとの温度差が拭い切れない。
「いや、違うんです、ただデカいのが二匹、小さいのが一匹同時に来たってだけで、実際に爆誕してるかどうかは」
またハウニムが首を傾げた。苦笑を交えながら。
「親子じゃない?」
「何となく親子っぽく見えたから、俺が勝手にそう呼んでただけです」
「そうなんだ。親子じゃないんだ?」
再び確認するネリドル。
「いや、本当に親子なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれません。そりゃ分かんないですって。でも違うんじゃないですか? 大きいのは四つん這いで、小さいのは一本足でジャンプして移動してましたから」
「一本足でジャンプ? ピョンピョンやってきたわけ?」
「はいそうです。ピョンピョン来ました。てなわけで、全然タイプが違ったんですよ。でもまあ、黒獣なんて生き物の
「そうか……。ならまあ、何とも判断のしようがないか……。でも誤解招く言い方やめてよ。何だよお父さん黒獣お母さん黒獣って。ビックリしたよもう!」
「どのみち、もう随分前の話なんで、間違いなく殺してるから大丈夫です」
「でもこの地図、この黒獣出現ポイント、さっき春に入ってからって言ってなかった?」
「はい」
「じゃあ最近じゃん。全然随分前じゃないじゃん」
「はい、そうですね、すいません」
「黒獣が出現したらホント報告上げて。マジで」
「すみません、どっかで伝わってるだろうと思ってました」
「しかもこれなんて、何? もしかしてキ村に出現してたの?」
ネリドルが地図上の、辺境のド田舎・キ村に刺さっているピンを指差す。
「はい。キに出ました。俺達は間に合わなかったんですけど、村の自警団が自力で撃退してます。撃退って言うか、ちゃんと殺せてます」
「それも初耳。被害は!?」
「自警団員が一人怪我。命に別状なしです。ご安心を。まあ、命に別状なし、とはいえ、とはいえ、とはいえ~……」
「とはいえ、何?」
「片腕もげちゃったんですよね、その人」
「ええええっ!? そういうの言ってよ! そんなことあったんだ! 『怪我』ってお前」
「えっ? 副長マジで知らなかったんですか? 逆に」
意外そうに言うハウニム。
「知らなかったよ! そんな、キが黒獣に襲われてたなんて」
「いや、キ村の中までは入ってきてないんですよ。厳密に言うと」
「だからそういう細かい経緯とか状況、ちゃんと報告してよ! 本部に上げてよ!」
「すみません、我が隊が報告漏れしてたんだと思います。改めて書面出すようにします」
「ああ、頼むよ。って言うか、お前の隊間に合わなかったの!? 面目丸潰れじゃん!」
「まあ、でも、それはドぃ……、はい、まあ、結果的には、そうですね」
「お前今『ド田舎』って言いかけた?」
「いや……、その、申し訳ありません」
ばつが悪そうに、ハウニムは言葉を濁した。
◆
ネリドルがハウニムと必要なことを話し終え、スフィリーナに帰ろうと屯所を出る。
屯所玄関の脇にある掲示板には、早速新しい手配書が張り出されていた。
「ネリドル副長」
ハウニム隊の隊員であるフィルが声をかけてきた。
「はい?」
「この手配書の、これ、オベントゥーって奴、もう捕まってますよ?」
フィルが張り出されたばかりのオベントゥーの人相書きを指差す。
「そうなの!?」
驚くネリドル。
「この前我が隊が逮捕しました」
フィルが平然と言う。
「そうなの!?」
更に驚くネリドル。
「メナントの街中を返り血だらけで普通に歩いてたんで、
得意げに言うフィル。
「マジで言ってんのそれ!?」
確認するネリドル。
「マジです。もう町中大騒ぎで、メチャクチャ大変でした」
「ああ、そりゃそうだろうね。オベントゥーは今どこにいるの?」
「屯所の牢屋にいます。メナントって屯所がないから
「マジで!?」
ネリドルはすぐに掲示板の手配書をはがし、それを手に屯所の地下にある牢屋に走った。
牢屋には、一人の男が入っていた。
「君はオベントゥー!? 凶悪犯の!? もう捕まってたの!?」
ネリドルが牢屋の中の男に質問する。
「そうです。私が凶悪犯のオベントゥーです。もう捕まってます。フォーッフォッフォッフォ(笑)」
オベントゥーが答えた。
ネリドルが改めて、目の前の人物と手配書の似顔絵を見比べてみる。
「ああ、ヒゲを
思ったより似ている人相書きに感心するネリドル。オベントゥーの顔にはハウニム隊の者に殴られたのか、幾つかの痣もあった。
「すいません、ちょっと死にたいんですけどどうしたら死ねます?」
オベントゥーがネリドルに言う。
「ああ、大丈夫大丈夫! 絶対死刑だから! 心配せんでいいよ! よかったね! おめでとう!」
ネリドルが答える。
「私はこれまでずっと、法からも秩序からも解放され、究極的自由を楽しんできた」
「なるほど~」
ネリドルが小さく頷く。
これはあくまでネリドルが犯罪捜査をしてきた中での経験則だが、殺人欲求を満たすこと自体が目的の連続殺人犯は、大抵の場合は最も計画が緻密で証拠隠滅も丁寧なのが初犯だ。犯人が殺人を行う際の緊張、そして犯行発覚の恐怖が最も強いのが初犯なのである。
それで捜査の手が及ばぬと、二件目、三件目と犯行を重ねるにつれ、犯人は計画の組み立て、アリバイ作りや証拠の隠滅、死体の処理といった数々の作業を次第に面倒に思うようになり、犯行がどんどん雑で
そして、白軍の無能さゆえ、幾度犯行を行っても逮捕されないとなると、どんどん逮捕への恐怖、殺人に対する緊張感も薄れていき、最後はあっさりと逮捕されて殺人劇は終幕を迎える。
なので、殺人を手段でなく目的とする犯人は遅かれ早かれ捕まる。ただし、そこに至るまでどれだけの犠牲者が発生しているか、そこが問題だ。このオベントゥーの場合、逮捕には至ったわけだが、これまでに殺された者の数を考えると、実戦部隊にしろ警護部隊にしろ、
あるいは、サードかカゼッタ辺りが捜査指揮していたら、もう少し違った結果になったのかもしれないが。
「そして、これからも」
ネリドルがそんなことを考えていると、オベントゥーは言葉の最後にぽつりとこう添えた。
「そうはいかないんだよね~これが」
「いや、駄目なんです。私は最後まで究極的自由。死すらも私自身の自由の
「う~ん、まあそういう方法も知ってるけど、君が自分の究極的自由のためにどれだけの人間に『死』という究極的不自由かつ究極的不利益をもたらしたと思うとね」
「これから死ぬ人間に説教ですか? そんなのどうでもいいです」
「んなわけねーだろクソが。死刑間違いなしの凶悪犯に何を説諭すんだよ。楽に自殺できる方法を教えたくねー理由を言っただけだ」
名門貴族の御曹司であるネリドルの口調が、彼の怒りに比例して粗野なものに変貌してゆく。
「法の裁きなんて嫌です。苦しまずに自殺して逃げ切って、人生自由を謳歌したもん勝ちだと、あの世で嘲笑うとしましょう。フォーッフォッフォッフォ(嗤)」
「貴様! 楽に白女神の
ネリドルはそう言ってすぐに反転し、階段に向かった。
「フォーッフォッフォッフォ! フォッ、フォーッフォッフォッフォーッ! フォーッフォッフォ自由フォッフォッフォッ! ゲホッ、ゲホン!」
狭く急な階段を上る途中、ネリドルは薄暗い牢屋から発せられるオベントゥーの嘲笑と
地下室から一階に戻り、ハウニム隊の事務室へずかずかと歩いていく。すると、事務室からハウニムの大声が聞こえてくる。
「何度同じ説明させんだよ! なまじメモなんて取ってるから覚えた気になってミスるんだよ!」
自分のことを棚に上げて何を威張っているのか。ネリドルはそう思いながら、事務室のドアを開けた。
「おいハウニム!」
「ふ、副長!?」
いきなり入ってきたネリドルに、いつも飄々として動じないハウニムが珍しく動揺していた。彼のデスクには競馬新聞が広がっている。ネリドルが帰ったと思い、完全に油断していたのだろう。
「今フィル君から聞いたよ! オベントゥーってもう捕まってんじゃん!」
ネリドルがハウニムの前まで来ると、たった今叱責を受けていたらしい兵士が脇へ下がった。
「ああ~……、はい。この前捕まえました」
ハウニムがすぐに普段の平静モードに持ち直して答える。
「捕まえたんなら報告しろよ!」
「あれ? 言ってませんでしたっけ?」
ハウニムが言いつつ、しれっと競馬新聞を折り畳み、音もなくデスクの脇に
「聞いてないよ!」
「すいません、あいつを捕まえて牢にぶち込んだところで、一仕事終えた気になっちゃって、すっかり報告し忘れてました。捕まえた段階で、どうも心の中で一区切りついちゃうんですよね」
「さっき渡した手配書にオベントゥーのもあったの見た?」
「はい」
「じゃあそのとき言ってよ! どういう感情であの手配書に目を通してたのお前?」
「いや、だから、俺も、どうもおかしいと思ってたんですよ。何で既に捕まってる奴の手配書をわざわざ持ってきたんだろうって」
「言えよ! そう思ったときに!」
「いや、何か考えあってのことなのかと思って」
「そんなわけないじゃん」
「理由もなしにこんなことするわけないだろうから……」
「まず、捕まったという事実をこっちが把握できていないことを疑わないかな~?」
「すいません、こっちが捕まえたことを報告してなかったっていう、そっちの可能性を考えてませんでした。今指摘されるまで」
「マジか」
「はい、すみません」
渋い顔で謝罪するハウニム。
「分かった。じゃあとりあえず今報告受けたってことでいいよ」
「はい」
「じゃあ、後日オベントゥーを護送して。スフィリーナの本部に。そこまではお前の隊でちゃんと責任持ってやってよ」
「了解しました。すぐ準備してそちらに護送するようにします」
「あと、今見てきたけど、オベントゥー自殺ほのめかしてた。牢番つけてないの?」
「
「それこそ
「とはいえ、『生死問わず』ですからね、オベントゥー。万一自殺したらしたで別に。どのみち
「駄目だ。無法者を法で裁くことに意味がある。
「分かりました」
「あと、グルッチ君とサントス君には追って特別ボーナス出すから」
「あれはオベントゥーがアホ過ぎたんで……。そんな甘やかさんでいいですよ」
「いや、どうあれ手柄だ。出すよ」
「俺には?」
「もちろんないよ。寧ろ減給しようかと思ってたところさ」
「そんなあ」
「メナントの件とキの件、早急に報告書を作って、でき次第連絡員に持たせるように」
「ハッ!」
ハウニムが観念したかのように敬礼した。
「そうだ、最後に、今回の被害者はどんな感じ? 報告書の前に、概略だけ教えて」
「ちょっと待って下さい」
ハウニムは立ち上がり、事務室のロッカーから一束の資料を取り出し、その中の一枚をかいつまんでネリドルに渡した。
被害者の名前はエミリィ。メナント在住、十五歳の女性。遺体は両手を後ろ手に縛られ、下半身に着衣なし。全身に生活反応のある刃物による裂傷が三十ヶ所以上。生前に両目を抉り取られ、両足のアキレス腱を切断され、強姦されていた。直接の死因は裂傷からの失血。死後、ハサミのような物で舌を切り取られていた。
遺留物として被害者の皮膚及び体内から犯人の物と思われる体液を入手。屯所内での鑑定結果、体液から検出された呪がオベントゥーの呪と完全一致。体液の鑑定結果と、逮捕時に被害者の下着、眼球、舌、財布を所持していたこと、本人の自白より犯人と断定。
「まったく……。ホンットに目が好きなんだなぁ、あいつ。逃げないように足の腱切ってるのもこれまでの手口と同様だ」
ざっと目を通したネリドルは、そう零しながら溜息をつき、ハウニムに被害者状況の捜査書類を返した。
「……ご遺体を見た母親、誇張抜きに発狂してましたよ。取り調べもしましたけど少々頭に血が上っちまいましてね。奴の言う究極的自由とやらがどうにも気に食わなかったもんで」
「ああ、顔見たけどボコボコだったね」
「俺が取り調べすると殴り殺しちまうかもしれないから、やめてくれって部下達が言うもんで、後は副隊長達に任せましたよ」
「まあ、今回は犯人が犯人だから、多少のやり過ぎは大目に見よう」
「ありがとうございます」
「でも微罪の容疑者に対しては控えろよ」
「ハッ」
ハウニムは再び敬礼した。
◆
二週間後。
「副長」
アンナが深刻そうな顔をして第二副長室にやってきた。
「ん?」
「ウェーブグルーの屯所に留置してるオベントゥーの件ですが」
「ああ、もうあれから二週間、二十日経ってるじゃん、ハウニムの奴なんですぐ送ってこないんだよ」
ネリドルがうんざりして言う。更には、ハウニム隊からは例のメナントの町の殺人事件とキ村の黒獣襲撃の報告書すら、未だ提出されていなかった。
「それが……、オベントゥー、死亡しました」
「死んだ!? 自殺!?」
懸念が現実となったか。ネリドルが一旦ペンをデスクに置き、腕を組んでアンナに目を向けた。
「それが、ハウニム隊、食事を運ぶ係を決めてなくて、餓死させてしまって」
「何だって?」
懸念より遥かにお粗末な顛末。ネリドルの胃が痛くなる。
「臭いが上の事務所まで漂ってきて、ようやく牢屋で死んでることに気付いたそうで。ずっと地下室の扉閉めたままだったから、開けた瞬間ハエで凄かったって」
「何てこった……」
絶句するネリドル。
オベントゥーが獄中で餓死して死臭が充満するまで気付かなかったということは、結局あれから牢番も配置していなかったということになる。ネリドルが口を酸っぱくして指示したにも関わらず。
「こちらから聞いて初めて分かったことです。ハウニム隊長、『そうそう、あいつ餓死した。あれ、言ってなかったっけ?』って仰ってました。もう埋葬も済んでて。ちょっと私ももう、色んな意味でショックで」
「もう何だよそれ! もう何だよあの隊!」
「牢屋の床石、どんなに掃除しても臭いがこびりついて取れなかったということで、石工さんを呼んで全部取り替えたそうです」
アンナの口から更にバッドニュースが出てくる。
「そんな仕事を町の職人にやらせちゃったの? すげえ地域の印象悪くなるじゃん! そういうのはこっちの土木課に回せっての」
「工事費、口止めオプション、
アンナが困り顔で言う。
「ハウニムあいつマジでふざけんなマジで! マジかよあいつ!」
「あと……、怒らないで下さいね、って言っても怒ると思いますが、鉄格子も作り直してます」
「何で? ああ、そっか! 汁で腐食したのか!」
「そうです。オベントゥー、こうやって、鉄格子を両手でつかんだまま、膝を折って、上半身を鉄格子に押し当てるような姿勢で死んでたらしく、腐乱した死体と一緒に、鉄格子もグズグズになってしまったと。だから町の鍛冶屋さんに頼んで交換しました。工事費は金貨十五枚。これも警護部隊の支出で処理してくれって」
アンナがもう一枚請求書を取り出した。
「こんな余計な出費を……! ホントマジかあいつ! ああああああ~っ!」
「あ、あの~、どうしましょう? この請求書、警護部隊の会計上で処理するよう主計課に出していいですか?」
「駄目だ! 私が預かる!」
ネリドルは二枚の請求書を受け取り「ウェーブグルー行ってくる! 灸を据えてやる!」と言って立ち上がった。
「副長、こっちの仕事は?」
アンナがかけている眼鏡のレンズのように目を丸くする。
「問題ない! 後に回しゃいい!」
ネリドルはそう言うと、副長室を飛び出していった。
「本当に、場当たり的なんだから」
ネリドルが出て行った後、アンナがぽつりと言った。
<終>
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