閑話

迎賓館と会員券

「いや~さすがは我が支部が誇る迎賓館! 盛大なパーティーでした!」


 迎賓館の廊下。


 脇に置かれているソファーで小休止を取っていたネリドルの元に、ゴダ支部長の長男・ゴル支部長補佐官が、赤ら顔の上機嫌で歩んでくる。


「飲んだねえ。ホスト側なのに。てか君、貴賓代表の方々を壇上に上げる役だったよね? あのとき何でいなかったの?」


 ネリドルは若干呆れて、勢いよく隣のソファーに腰を下ろした肥満体の青年に目を移した。


「いや~、もうワインがホント素晴らしくて、飲みまくってました。高級な銘柄なんですよね? 何てやつですか?」


 結局ゴルのエスコートなどなくても、こういう場に慣れている貴賓達は勝手に壇上に上がり、スピーチを終えたら勝手に脇に掃けていた。その後、ネリドルが貴賓達に頭を下げた。


 あのとき、彼はテーブルで招待客に混ざってワインを飲んだくれていたらしい。


 ネリドルは眉をしかめ、しわでよれよれになったパーティーの進行表・役割分担表を四つに折り畳み、胸ポケットに差した。


「いや、銘柄を言ってもアレだけど、君が想像しているようないわゆる『高級ワイン』ではない。ただ安物でもない」


「へえ?」


「色々考えた中で、バランスが取れてて、今日という場に最も相応しいやつを選んだ」


 こういう場で手軽に扱えて、あれだけの人数に対して振る舞えるだけの量を確保でき、騒がしい環境下でも味わい易く繊細過ぎず、それでいてネリドルが今まで飲んできた中で中央貴族の肥えた舌を相手に文句なしに推せると思えるテイスト、それらの条件を満たし、更に当たり年であるワインを選んだのだ。


「さっすがネリドル副長! 料理の方もまた素晴らしかった! 中央の方々も大満足だったようで。親父も凄く褒めてましたよ。こういうのは副長に任せれば間違いないって」


「褒められるべきは私よりスタッフだよ。それよりゴル君、まだ終わってないんだから。君は最後まで中にいなさいよ」


 パーティー会場では、ゴダが締めの挨拶を長々としている最中だ。


「ああ~、まあ、いいですよ。親父の演説は中身もないのに長いんで」


 ゴルは会場の方に一瞬だけ視線を流し、ソファーに深くもたれかかった。


「何かお客様気分だけど、そのうち君が差配役をやるんだよ」


 ネリドルが言うと、ゴルが引きつった顔をこちらに向けた。


「ふへっ?」


「別にこんなの私がやる理由もないんだから。次辺りから君に引き継ぐことになる。限られた席に対し、誰に招待状を送り、誰に送らぬか……というところからね」


 招待状。


 それ即ち、誰を遇し、誰を切り捨てるかの選別に他ならない。そして会場の席次も。政治的な側面を持つ作業だ。


「え、いや、そ、そんなの無理ですって。勘弁して下さいよ」


 酒に火照ほてった顔を一瞬で凍りつかせ、取って付けたかのような薄ら笑いを浮かべるゴル。


「まあ当然初めの内は教えながらやるから。君のお父さんが言ってんだよ。君にやらせろって」


 ネリドルがスピーチ中のゴダを遠目に眺めながら言う。


「親父が? 何で?」


「君に目立つ役割を担わせたいんだってさ。中央の有力者の方々に顔を売っていかないと」


「はぁ~……、す、すいません、トイレ行ってきます」


 ゴルは戸惑った様子で話を打ち切り、逃げるようにトイレに向かっていった。


 ネリドルは溜息し、舞台裏で迎賓館のスタッフ達に指示を出している最中のデニックの所へ行った。


「ご苦労様」


「お疲れ様です!」


 敬礼を返すデニック。彼はネリドル直属の上級兵士であり、腰巾着的存在だ。


「もう支部長の挨拶も終わるから。下の連中に言ってきて。もうすぐ皆さん下りてくるから二次会場へ案内する準備を」


 会場からは盛大な拍手が聞こえてくる。


「分かりました」


 デニックが足早に階段を下りて行く。


「ラリー、会員券はさばけた?」


 ネリドルが側にいた中級兵士に問う。


「いや、半分も減っていません。申し訳ありません」


 ラリーが申し訳なさそうに、まだまだ分厚い会員券の束を差し出した。


「結構残ってんな……。やっぱ金貨五枚は高過ぎたかなー?」


 今度西支部で新たに開かれる政治サロンの会員券を招待客に売りつけるのが今回のパーティーの主目的の一つなのだが、残念ながら売れ行きは芳しくなかった。


「かもしれませんね」


「支部長案件だからあんま売れ残ってるとカッコ付かないんだけど。まあしょうがないか」







「皆様、お疲れ様でした! お気をつけて!」


 ネリドルは迎賓館の正面口に直属の部下達と並び、二次会場に向かう者や外に宿を取っている者を笑顔で甲斐甲斐かいがいしく見送る。


「皆の衆! とりあえず二次会じゃあ!」


 こういうときだけ威勢のいいゴダが音頭を取ると、西支部の高官達や同行する護衛兵達も調子付いて呼応する。


「支部長、二次会はどの店でしたっけ?」


 高官の一人がゴダに尋ねる。


「知らん! 私はただ皆の衆の後をついてくだけだ! うおぉ~い、誰か案内しろーい!」


 ゴダが声を張り上げる。


「支部長、今デニック達に案内させますんで」


 ネリドルがゴダに言う。


「うおお~いネリドルこの野郎! お前は来ないのかこの野郎! お前全然飲んでないなこの野郎? ええっ! この野郎!」


 酒臭いゴダがネリドルの首に腕を回し、ヘッドロックをかける。


「支部長駄目ですって、私はこっちにいなきゃいけないので」


 酒など乾杯のときに口にした一杯だけだ。後はバタバタして酒どころか料理にも手をつけていない。


「な~に言っとるんだ! 付き合い悪いぞお前はぁ!」


「ちょちょちょ!」


 ゴダのウザ絡みに慌てるネリドル。


「支部長! はいはい、は~い、行きましょうね~」


 すかさずゴダの護衛兵のエース的存在であるエールがネリドルからゴダを振り解く。


 彼の双子の兄であるアールもゴダを掴む。アールは洗礼を受けた証持ちだ。


 この若い双子の青年は、いつもゴダの両脇を固めている。特にエールは元中央の準司令官。西支部の中ではトップクラスの戦闘能力を持つ。ゴダがいつもスフィリーナの街中を安全に遊び歩けるのはこの双子の兄弟のお陰と言っても過言ではない。


「すいませんネリドル副長」


 自分のせいでもないのに申し訳なさそうなエール。


「エール君、悪いね」


 軽く一礼を交わし合うと、エールとアールは両側からそれぞれゴダの肩を支え、二次会へ行く集団の元へ力尽くで引きずっていった。


「じゃあデニック、あと頼んだよ」


「ハッ! それでは、また後ほど!」


 デニックが敬礼し、他の部下達と共に小走りでゴダ達の元へ走っていく。


「支部長、私達がご案内します」


「よ~し! では皆の衆! 出陣じゃあ!」


 エールとアールを両脇に従え、テンション高く場を仕切るゴダ。


 こうしてゴダを初めとする西支部の高官達、そして中央の高級司令官や貴族といった招待客の面々は、デニック達の先導で二次会場へと向かっていった。


「はぁ~……」


 とりあえず一段落着き、大きな溜息をつく。


 他の部下達と迎賓館の中に戻ろうとすると、サードと副官のカゼッタがやってきた。


「馬鹿騒ぎは終わったか?」


 軍服のポケットに両手を突っ込んだサードはニヒルな冷笑を浮かべる。


「はい、ようやく皆さん次の所へ向かったところです。ってか先輩、見計らって来たんでしょ?」


 ネリドルが苦笑して応じる。


「まあな。あの連中とは顔合わせたくねえから」


 サードが言うと、脇に立つカゼッタも苦笑した。


「お前は二次会行かないの?」


「あっちはもうデニック達に任せました。こっちは一番面倒な後片付けが残ってますんで」


「そっか、お疲れさん。で、例のモンは?」


「はい。確保しときましたよ。どーぞ」


 ネリドルは式典用軍服の右ポケットから琥珀色に輝く瓶を取り出し、サードに渡す。今日のパーティーで振る舞われた未開封のウイスキーだ。こちらもワインと同じくネリドルの自らのチェックが入った厳選品だ。サードから頼まれ、少々必要数より多く用意し、ちょろまかしていたのである。


「おう。わりぃな。こいつが最高なんだ。ま、こんぐらいは、な」


 サードはそう言うと、ウイスキーの瓶を素早くポケットにしまう。


「カゼッタ君。君の分も」


 ネリドルは左ポケットから同じ瓶をもう一本出し、カゼッタに渡そうとする。


「いえ、自分はそういった物は」


 カゼッタはそう言い、口を真一文字に結んで普段から硬い面持ちを余計に硬くした。


「余りもんだから。取っときなよ」


「そもそもお願いしてないので」


 なおも断るカゼッタ。


「そっか」


 ネリドルは瓶を再び左ポケットにしまった。


「相変わらず硬い奴だな、お前もよ」


 サードが言う。


「申し訳ありません」


「そういうところだ」


 サードはそう言うと、続けてネリドルに「じゃ、お疲れさん」と言い、カゼッタとさっさと本部の方へ戻っていった。







「皆さん、今日は本当にありがとうございました! 皆さんの心尽くし、ゴダ支部長や中央の方々より多くのお褒めの言葉を頂いています! こんなに素晴らしいパーティーになったのも皆さんのお陰です! 明後日の反省会もよろしくお願いします。それでは、お疲れ様でした!」


 全てが終わり、ネリドルが迎賓館のスタッフを一同に集めて、締めの挨拶兼、労いの言葉をかける。


 執事、メイド、シェフ、着付け師等々、皆伝統と格式あるスフィリーナの迎賓館で働くことを許された一流のスタッフ達だ。七諸侯の家臣筋である中~下級貴族の出自の者達も多い。中央の高名な招待客を満足させられたのはひとえに彼らの力あってのことである。


 ネリドルの言葉を受け、彼らは皆、表情に達成感と安堵を滲ませていた。







「二次会終わりました。あと、三次会、四次会あるのかもしれませんが、さすがにもう付き合い切れません」


 ネリドルの執務室にやってきたデニックが辟易した様子で報告した。


「いや~、デニックも本当にお疲れ様だったね」


「いえいえ」


「支部長は?」


「最初はずっとオルジェ支部長の悪口ばっか言ってて。『あのジジイ大して仕事もできないくせに最強の支部長であるこの私を見下してる』って」


「なるほど。意味分からんけどなるほど」


「その後はほとんど寝てました。もうベロンベロン」


「だろうね。いつも通りの支部長だ」


 ゴダは大して酒も強くないのにハイペースで飲むから、大抵そうなる。


「支部長は二次会終わったら、エール殿とアール殿が秘書官殿の家まで送ってました。後はまあ、お客人の方々はそれぞれ分散して、宿泊場所に戻るか、まだ飲むって人はそれぞれ知ってる店に向かうかですね」


「そうか」


「支部長、今頃秘書官殿とよろしくヤッてんのかなぁ……。今日の着飾ったミリカ殿、信じられないくらいキレイだった。マジで羨ましいです」


「今夜は無理っしょ、そんなベロベロじゃあ。支部長そんな絶倫旺盛じゃないもん。飲むとたねえんだからあの人」


 周囲の目がない場での男二人、下世話かつ下品な冗談で笑い合うネリドルとデニック。


「……カラミザー家のメンドクサ卿とアルハーラ中級司令官殿が三次会やるから、副長も迎賓館の方が終わったら『バー・ヤケザケ』に来てほしいと」


「ええ~、マジで!? かぁ~っ、うっぜえなぁ。あの二人かぁ……。まだ支部長と飲んでる方が楽しいんだよなぁ。そもそもあの店、バーテンダーさんもちょっと独特な世界纏ってるっつうか変な人だし、あ~あ……」


 ネリドルがぶつぶつと愚痴りながら椅子に大きくもたれかかり、溜息混じりの大欠伸をする。


「だと思って、俺の方で断っときました」


「マジで!?」


「ネリドル副長は今夜夜警が入ってるからって」


 デニックがずるそうな笑みを見せつつ揉み手をする。


「デニック、お前最高! ホント最高! ファインプレー!」


「ありがとうございます!」


「てなわけで、ちょっとささやかにやろうか。男二匹で寂しく」


「はい!」


 ネリドルは会場から持ち帰ったワインボトルを取り出し、執務室脇のテーブルに置いた。愛用のソムリエナイフでコルクを開ける。「おっ、良い音!」とデニック。


 料理の残り物を詰めた箱も開ける。ローストビーフを最優先で詰め、魚のフライとサラダを少々。


「お疲れ様」


 デニックのグラスにワインを注ぐ。


「よぉ」


 ネリドルとデニックがワインを口にしようとしたとき、執務室のドアが開いた。


 サードとカゼッタだった。


 サードは先ほどネリドルが渡したウイスキーの瓶を持っている。


「このワインは他の種類の酒と一緒に味わってほしくないんだよなぁ」


 ネリドルがぼやきつつ、部屋の隅に積んである椅子を運んでくる。すぐにデニックも立ち上がり椅子を一つ引き受けた。


「何てワインだ?」


 椅子に座ったサードが尋ねる。


「銘柄を言ってもアレですけど『スーパー・ファミコ』の732年物ですよ」


「知らねえな」


「でしょ?」


「って言うか、洗礼が始まった年じゃねえか。縁起でもねえ」


 サードが嫌そうな顔をする。


 デニックがサイドボードからワイングラスを二つ取り、テーブルに置いた。


「この『スーパー・ファミコ』の当たり年なんですよ。シャトーにも残り少ないのを今日のために調達したんですから」


 言いながら、ネリドルはまずサードに、次にカゼッタに、ワインを注いだ。







「秘書官殿のドレス、ちょっと評判悪かったみたいです」


 デニックが言う。


 ゴダの秘書官兼愛人であるミリカは、『絵面の華やかさ担当』ということで、パーティーの司会進行を務めるアムラン統括官のアシスタント役を務めていたのだが、何のことはない。ただ進行表を挟んだバインダーを片手に、ドレス姿でアムランの横に立ち、美しい笑顔で適当に相槌を打っているだけである。アシスタントとは名ばかりだ。


 ただ、あのほぼつま先立ち同然で歩くことも大変な、宝石をちりばめた極めてヒールの高いサンダルを見事な姿勢で履きこなしていたのは大したものだった。舞台袖で休憩を挟んでいるとはいえ、あのヒールを履いて一日中綺麗な姿勢で立ち続けるのは足への負担が相当だろうに、ミリカは痛みを耐えて美しい笑顔を堅持し続けていた。

 

 かつてゴダに買われる前は、夜のスフィリーナの高級店でナンバーワンの嬢だっただけのことはある。舞台袖に下がった際はすぐさまサンダルを脱いで、恥も外聞もかなぐり捨てて素足のガニ股になり蜘蛛か蟹のように歩いていたが。自分で選んだサンダルにも関わらず、下っ端の兵や迎賓館のスタッフに悪態を突いて八つ当たりしていた。


 舞台裏で、自分は事前準備など何もしていないくせに、しかもたかだか秘書官如きの立場で、スタッフの些細な手違いに対し辛辣に怒っていた。椅子に座ってドレスの裾をたくし上げ、大股開いてふんぞり返り、着付け師達に汗を拭かせ化粧を直させ、挙句の果てに足の裏をマッサージさせる。


 気を遣って飲み物を持ってきたラリーに対し無言でコップを受け取り礼の一つも言わない。


 何様のつもりなのか。いつまで夜職の女王様気取りでいるのか。あの場では短い休憩時間だし周囲の目もあるから見逃してやったが、このパーティーの総責任者として、明後日の反省会でたっぷり説教してやる。反省会をサボッたらそれも上乗せして説教してやる。ネリドルはそう思った。


「ミリカ君ねぇ、今日の態度も思うところあるけど、主催側の人間のくせに、何であんな高級なドレス着てきたんだ。白都はくとの御令嬢達にケンカ売ってるようなもんだよ。だから私は打ち合わせのときから普通に軍服でいいって言ったのに。軍人の正装ったら軍服一択なんだから」


 ネリドルが苦々しい思いで言う。


 あろうことか、ミリカは招待客であるどの中央貴族の御令嬢達よりも素晴らしいドレスを着て来た。


 ゴダはいい加減ミリカを甘やかし過ぎだ。立場を弁えるようミリカに指導せねばならないとネリドルは思った。


「まあいいや、次回からパーティーの差配、ゴル君に引き継いでくんで。徐々にですけど」


 ネリドルが言うと、サードとカゼッタが二人そろって怪訝な顔をする。


「あいつに? 無理だろ! 粗相が服着て歩いてるようなボンクラだぞ」


 サードが言う。


「私もゴルには無理だと思います。あいつが迎賓館のスタッフを仕切っているところ、全く想像できません」


 カゼッタも言いながら、僅かに注がれたストレートのウイスキーを、ちびちびと口に浸す。 


「いや、絶対引き継ぎます。もう毎回こんなのやってられないんで。ゴル君にも少しずつ人を使うことを学んでってもらわないと。支部長補佐官つったって、ただでさえ仕事の少ない支部長の使いっぱしりなんかやってたって、あの子にとって何のキャリアにもならないんだから。ホントはルベールさんの横で政治屋の基本ってのを学んでほしかったんだけど、そういうのも好きじゃなさそうだし」


「お前が教えるんじゃなかったのかよ」


 サードが言う。


「とてもそんな暇ないんで、ルベールさんにお願いしました」


「ネリドル副長、政治屋の基本とは?」


 カゼッタが問う。


「色々あるけど、一つ言うなら利害の調整。でき得る限り、広くみんなの合意を取ること。今ちょうど悪い具体例が一つあるんだけど、あの運河工事ね。ちょっと利権の配分をミスっちゃって……こんなこと外で絶対言わないでよ!」


「あれはちょっとどころじゃねえけどな」


 サードが野次を入れ、ウイスキーを口に運ぶ。ネリドルは軽く咳ばらい。副支部長であるネリドルやサードは生々しい突っ込んだ内情まで知っているが、カゼッタやデニックの立場では知り得ないだろう。


「まぁ、そんなこんな色々紆余曲折あった末、めでたく現場がメチャクチャな状況だけど、政治が判断をしくじるとあんな風になる。現場の職人さん達や土木課の工兵隊がどんなに一生懸命頑張ろうが、政治レベルのやらかしは挽回しきれないのさ」


「そういうもんですかね」


 カゼッタが首を傾げる。


 ちなみに今、結果的にネリドルは運河の問題で、現場の惨憺さんたんたる状況を招いた元凶であるゴダを遠回しに批判していたことに気付いたのだが、誰もその点については拾わなかった。内心ほっとするネリドル。


「少数だけど例外はある。先輩なんかはそんなお偉いさんのやらかしを現場から挽回してきたんだけど、誰もがこの人のようにはなれない」


 ネリドルがサードを見ながら言う。


「あ、分かります」


 カゼッタが笑顔を見せる。


わりぃなネリドル。俺は勝てる戦しかしない主義なんだ」


「あれだけ危ない橋を渡っといて、よく言いますよね」


 ネリドルは戦地の記憶を思い起こし、呆れながら言う。


「お前に勝ち筋が見えてなかったってだけだ」


「さっすが先輩。言いますねえ」


 サードの前に道はない。


 彼の後に道ができる。


 皆、その道を必死で追うのだ。サードの背中を。置いて行かれないように必死で。


 だが、サードがそれを他者に要求しているわけではない。故に彼は後ろなど顧みない。彼の背中を追う者は、皆、自らの意思で勝手にサードを信じてついていくのだ。なぜなら、絶望を希望に覆す景色を皆に見せることができるから。


「ところで、例の会員券は売れたのか?」


 サードはすぐに話題を逸らした。


「思ったほど売れませんでした」


 ネリドルがポケットから余ったサロンの会員券を取り出し、テーブルに置いた。


 サードが手に取り券を眺め、カゼッタも視線を寄せる。


「……こりゃあ名前がよくねえな」


 サードが券の束をネリドルに返した。


「『ゴダ・サロン』ですか?」


「政治について語り合うサロンでこの名前は駄目だろ。知識人が寄りつくとは思えん」


「まあ、名前は支部長がお決めになられたので、これはもうどうにもできないですから」


 ネリドルが言う。


「支部長って政治の話できないでしょ」


 カゼッタが苦笑して言う。


「カゼッタ君、それ支部長に言っとくわ」


 ネリドルが言い返す。


「ええっ、ちょ! 待って下さい!」


「冗談だよ」


 言いつつネリドルは、グラスを手に取りワインを口に運ぶ。


「こっちはもてなす目的でパーティー開いてるのに、皆さん勝手に戦場にするもんだから」


「戦場?」


 デニックが問う。


「パーティーでみんなが話してることが、仕事や政治、中央で力のある人に近づくとか、家格の復権とか、もうそんなことばっかりで、もうそういう話はサロンの方でやってくれって支部長が」


「そりゃあどうしてもそうなるだろ。ああいう連中が集まりゃ」


 サードが言う。


「でも、それは支部長の仰ることも一理あるとは思いました。どうせだったらそういう話抜きに純粋にパーティーを楽しんでほしいし」


「ああいう場からその手の話を切り離すのは無理だ」


 サードに言われ、ネリドルは売れ残ったサロンの会員券に目を移した。


「過熱していく傾向には歯止めをかけたいんです。かといって、迎賓館でのパーティーは支部の伝統行事だからやめるわけにもいかないし」


 西や中央の貴族の令嬢達が、最大限ドレスや宝石で着飾って、何とか家格が高い者や、中央で権力を持つ者への縁談を我先に勝ち取ろうと、女同士で激しく争っている。


 ミリカのドレスの方が高級だということに注文をつけてくるなど、血眼になり過ぎている。


「お前は会員券買ったのか?」


 サードがウイスキーを口に運びつつ問う。


「義理で買いました。多分行きませんが。先輩買います? 金貨五枚」


「買うわけねえだろ。金貨五枚もらってもいらん」


「でしょうね」


 ネリドルが笑うと、サードを含む他三人も笑った。


 皆、ネリドルと同じようにゴダの顔を思い浮かべているのだろう。



<終>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る