Ｒｅｈｅａｒｔｓ二次創作 ユウラサイドストーリー・闇組織を叩け！

第10話 ゴダ資金

「西地区の七諸侯序列三位の出自でありながら……。貴族としての誇りはないのかしら？」

　ネリドルは額から血を流し、険しい顔で唇を固く結んだまま、黙り込む。真下の絨毯をじっと見つめ、フィレネの方に決して視線を移さない。

「お分かりでしょう？　勝手に尻尾を振って媚びてくる従順な犬に、あえて優しくする必要などない。ましてや、殴れば殴るだけ金を出す肥え太った犬なら尚更」

「フィレネ副長！」

「何でしょう？」

「せめて、一万枚にはなりませんか？　二万枚は高過ぎます」

　ネリドルが懇願するかのように言葉を絞り出す。

「お話になりません。冗談も休み休み言いなさい。だったら我々が担っている戦場をあなた方に受け持ってほしいですわね」

　フィレネが冷徹に言い放つ。まるで取りつく島もない。更に言葉が続く。

「そもそも、一万枚値切る理由は？」

「り、理由ですか？　それはもちろん、我々としてもこれだけの額を簡単には……」

「そういうことを言っているのではありません。下げるにしてもなぜ一万枚なの？　その金貨一万枚という金額は何に根差しているの？　なぜ一万枚なの？　どうして五千枚でもなく一万五千枚でもなく一万枚？」

「えっ？　いや、あの」

　ネリドルにすぐ回答できるはずもない。そんな視点では全く考えていなかったからだ。

「なぜ二万枚だと高過ぎて一万枚だと良いの？」

「ああ、その、えーっと」

「一万枚である理由は何？」

「いや、その、戦費としての軍事予算で言うと、例年の東支部の軍事費は」

　ネリドルは言いつつ、頭をフル回転させて理由を作り始める。

「何ですのあなた？　『軍事費』の話をしてるの？　『軍事予算』の話をしてるの？　どっちですの？」

「あの、軍事費です！」

「じゃあなぜ『軍事予算』などと言ったの？」

「言い間違いです！　深い意味はありません！」

「意味も意識せずにそんな重要な言葉を使っているの？　あなた予算と支出の区別がないの？」

「いや、本当にただの言い間違いです！　取り消します！　忘れて下さい！」

「そんなことではあなたの話を何も信じることはできません。そんな人間とどうやって会話しろと言うの？」

「いや、今回だけです。もう間違えません。だから軍事費の話をさせてもらいます！　軍事費！　で、えーっと、よろしいか？　数字の根拠は決算ですよ、決算！　例年公開されている東の決算を見ても、戦況も変わっていないのに金貨二万も追加計上するというのは明らかに」

「資料もなしにそんな手ぶらの状態で、正確な認識に基づいて話せてるのかしら？」

「えっ？　そりゃあこの前見たので、大体のことで」

「あなた今、後付けで一万枚の根拠を考えながら喋ってますの？」

「あ、いや、その、あの、別に、決してそんなことは」

　完璧に図星を突かれ、動揺しまくるネリドル。

「ではその一万枚で、どこの何を削ればいいと言うの？　人件費？　兵糧？　牛馬？　武具？　薬？　税？　減った金貨一万枚、何を犠牲にすればよくって？」

「え、いや、それは」

「あなた激戦区には行ったことありますの？」

「も、もちろん！」

「答えになっていません。もちろん何ですの？　もちろん行ったことがない？　もちろんそんな戦場なんか知りませんと？」

「いや、ありますよっ！　サード先輩の下で散々色んな戦場回りましたよ！　一体何度死んだと思ってんだ！　あんなに死んだってのに、何で私は生きてんだ!?」

　飢えと疫病、上官殺しに部下殺し、陰湿な虐め、僅かな兵糧を巡って争い。騙し合い。略奪。強姦。拷問。規律維持の見せしめ。命乞いに意味はなし。中央に戻れば役立たず扱い。血と死臭のどん底をサードや他の隊員達と共に生き抜いた事実を否定され、久しく忘れようと努めた地獄がネリドルの脳に追体験のように押し寄せる。フィレネに激戦区の記憶を否定され、戦場を知らないボンボン扱いされ、俄かにネリドルは今自分が生きている事実に自信が持てなくなったのだ。

「あなたの事情なんて知りません。質問には正しく答えて下さい」

　フィレネの辛辣な問いかけのお陰で、ネリドルの心は徐々に激戦区から今ここに戻りつつあった。

「でもそんなの、前後の話の流れで普通分かりませんか？　行ったことないという風には聞こえないでしょ！」

　ネリドルは先ほどからの心を抉るような攻勢を受け続け、無意識の内に声が大きくなりヒートアップしていく。

「『前後の話の流れ』って何ですの？　前のことなら分かるけど後の流れをどうして事前に知れるの？　未来を予知しろというわけ？」

「申し訳ない。確かに『前後』って言葉はおかしかった。要は『それまでの流れで』って言いたかったんです。すみません」

「今年白軍全体で聖戦にいくらかかっているかご存知？　その内東がどのぐらい負担しているか」

　ネリドルの謝罪を無視し、即この返しである。ネリドルはフィレネのまくし立てる会話攻勢に全く頭の処理が追いついていかない。

「分かりません。いくらですか？」

「なぜ知らないの？」

「ここのところ忙しくて、資料にも目を通していなかったもので」

「あなた本当に中央の軍財官やってたの？」

「はい。不思議なことに、これでもやってたんですよね。一応」

「ではどうしてそんなことも知らない有様でこちらの戦費に口を出すの？　一万枚などという具体的な数字が言えたの？　金額を減らせなどと指図するの？」

「さ、指図って……。いや、だから、一万枚ならばこちらとしてもそれほど用意するのは難しくないので」

「つまりあなた方の都合ということ？」

「恥ずかしながら、その通りです」

「ハァ!?　自分達の都合で一方的にそんな指図する気ですの？　信じられない！　一体何を考えているのかしら？」

「指図なんてしてないだろ！　この言い方でどう聞いたら指図してるように受け取れるんだ！　ええっ!?　どの辺が指図してるように聞こえんだよ！」

　言いながら、先ほどからずっと床に膝を突いたままだったネリドルが立ち上がる。ルベールも同じく。

「質問を質問で返さないで。会話が成立しません」

「では逆に、どうすれば額を減らして頂けますか？」

　激昂するネリドルを見たルベールが、代わりと言わんばかりに両者の間に立つ形でフィレネの前へ出た。

「既に先ほどの会合で決まったことです。減額の余地はありません」

　フィレネがルベールに言う。あくまで冷静に。

「分かったよ！　払えばいいんだろ！　払えば！」

　ネリドルが言い放った。前に立つルベールが心配そうに目線を寄越す。

「当然ですわ。そんなに声を大きくして言うようなことではありません。何を威張ってますの？　あと、それだけじゃありませんことよ？　バルセン平野の責任者の件、わたくしは納得したわけではありません。また追って、お話させて頂きますわ」

　フィレネが冷たい目でネリドルとルベールを見つつ言った。

「我が軍の将校の処遇についてとやかく言われる筋合いはない」

　ネリドルが言い返す。

「ウォルダ副長はもう興味を失っているようですけど、わたくしは決して許さない。あの指揮官は命惜しさに敵前逃亡を犯し、多くの犠牲を出した」

「うう……」

　言葉に詰まるネリドル。言葉にならぬ発声をするのみ。

　西支部の激戦区派遣部隊のジャコヴィッチ中隊長がバルセン平野の牽制任務を放棄し、敵前逃亡した。部下の兵達もそれを見て這（ほ）う這（ぼ）うの体で散り散りとなった。勢いづいた黒軍が東の支えている戦線になだれ込み、挟み撃ちにされる形で多くの東の将兵が犠牲になった。だから、その点を持ち出されてしまうと西支部側としては何も言えない。完全にこちらの落ち度だ。

「もしあなた方があの隊長をそのままにしておかれるのなら、我々の手で裁きます」

「貴殿らで裁く？　二万の拠出でも譲歩せぬ相手に、我らが『はいそうですか』とジャコヴィッチを引き渡すとでもお思いか？　どうやってパソコ殿を抱き込んだか知らんが、そも交渉というのは、ギブアンドテイクなのだ」

　ルベールが苦虫を噛み潰すような顔つきで言う。

「ルベール参事官。この件に関してあなた方と交渉するつもりなどありません。東はただその者の処罰を求めるのみですわ」

「話にならん。そんな態度で物事が解決に向かって進展すると思っているのか」

　フィレネの言い分をルベールが一蹴する。

「その言葉、そっくりそのままお返しします。あなた方の態度、先ほどの会合でのネリドル副長の謝罪はやはり表面的なものだったと受け止めざるを得ません」

「それは違う！　それに関しては本当に西は済まないことをしたと思っている！　金貨二万も払う！　その上でどういった形で償えるかを話し合いたい」

　すかさず割って入るネリドル。一軍人として、激戦区、即ち聖戦の経験者として、そしてケルムに並ぶ無数の墓標を見た一人の人間として、その気持ちだけは誤解されたくない。たとえその気持ちが交渉において何ら意味を持たないとしてもだ。

「我々の要求はそのナントカヴィッチ？　まあ、そんな者の名前など覚えるのも汚らわしいですけど、その者を我らの尺度をもって処罰なさい。言いたいことはそれだけですわ」

「東の尺度？　それはつまりジャコヴィッチを死罪にしろと？　斬刑に処し、首を差し出して詫びろと？　そう言ってるのか？」

　ネリドルが言う。ルベールも息詰まる様子でフィレネをじっと見ている。

「そんな者の首など持ってこられても困ります。ただ、あなた達の中でしっかりとけじめをつければそれで良し。まあ、構いませんわ。もしそれが望めぬようなら、東の手で処断するまで」

「だから身柄は渡さんと」

　ルベールが言いかけると、フィレネが遮り言葉を被せる。

「関係ありませんわ。東は法に依らずその者を裁く。庇い立てするなら覚悟なさい。最近は一歩も外に出さず、屋敷の中に引きこもらせているようだけど、無駄なこと。わたくし達は、それを実行できる力があります」

　フィレネが冷たい声色で静かに言うと、ルベールの顔がみるみる内に青ざめていった。

「脅迫するつもりか？」

　ネリドルが言う。

「つもりも何も、脅迫しています。そうでもなさらないとあなた達は自浄作用を期待できないようですから」

「貴様……」

　フィレネのプレッシャーを浴び、ネリドルは前歯を剥き出しにして食いしばることしかできず、二の句が継げない。

「あなたの首でも良くってよ」

　フィレネが冷たい笑みを浮かべて言う。

「ふざけるな。なぜ私がジャコヴィッチの身代わりなんか。死んでも嫌だね」

　ネリドルが激戦地での記憶を思い起こしながら言う。サードや他の古参兵達が、落ちこぼれで役立たずの自分を守ってくれて生き延びることができた。生還できたのはそういった恩人達のお陰であり、決してネリドル自身の力で運命を切り開けたわけではない。だからこそジャコヴィッチ如きの身代わりなどというくだらない理由でこの命を差し出すわけにはいかない。

「あなたさっき、上級司令官に東にも洗礼を受けさせろと訴えてましたわね」

「それが？　私は間違ったことは言ってない」

「中央の要求を断れなかったのは西の弱さのせいでしょう？　だからあなた達は兵の心を中央に差し出した。自分達の保身のために」

「強者の理論を振りかざすな。貴様の主張は強いからこそ言えてるだけだ。貴様らが秩序を揺るがす反体制思想を広め、北支部も唆（そそのか）してる！」

「東は北を唆してなどいない。彼らは自らの意思で中央に対抗しています。中央に流されるだけのあなた達と一緒にしないで下さる？　彼らの名誉に関わります」

「どっちだっていいわそんなん！　東が洗礼に反発してから全ての歯車が狂ったんだろうが！」

「だから洗礼を受け容れろと？　あなた達は兵の心を差し出した罪から逃れようと、中央の命だから仕方ないと正当化しているだけ」

　フィレネの刃のように鋭い指摘がネリドルの心を張り裂く。

「西に金貨二万出させるためにパソコ殿と手を組んだ貴様らに言われたくない！　そんなに中央が気に食わないならさっさと反乱でも何でも起こしゃいい……」

「副長！」

　ルベールが声を張り上げネリドルを制止する。

　ここは中央本部の大回廊。ネリドルは自らの発言の危うさを顧み、俄かに口を閉じる。

「……本当なら、二十万枚でも三十万枚でも出させたいくらいだわ」

「ふざけんな！　出せるわきゃねーだろーがそんな金！」

「副長！」

　前のめりになるネリドルをルベールが肩をつかみ制止する。

「さっきの東にも洗礼を受けさせろという発言、中央（ここ）でなければ、その瞬間あなたの首は胴体から離れてましたわ。命拾いしましたわね」

　フィレネがルベール越しに手を伸べ、白く細い指先をネリドルの首に宛がう。

　瞬間、フィレネの大鎌が自分の首を一太刀の元に刎ねる光景が浮かび、背筋が凍りつくネリドル。フィレネの殺気に完全に呑まれたネリドルは最早、動悸と共に呼吸荒く黙り込むことしかできない。

「あの発言は絶対に許せない。保身がお得意のようですから言うまでもないと思いますが、長生きしたければ二度とわたくし達の兵に洗礼を受けさせろなどと言わないことね」

　沈黙したままフィレネを睨み据えるネリドル、ルベール。

「それでは、ごきげんよう。西支部に白女神ルテルアーノの祝福があらんことを」

　フィレネはにっこりと笑顔を作って美しい所作で一礼し、亜麻色の巻き毛を揺らして踵を返した。

「皮肉のつもりか小娘！　心にもないことを！　どちらが正しいかいずれ分かることだ！」

　ルベールが一歩踏み出し声を張ったが、フィレネはこちらを振り向きさえもしなかった。

　ネリドルがパソコに足蹴にされた際の額の血を純白の軍服の袖で拭おうとしたら、ルベールがハンカチを差し出した。

　ネリドルは無言で受け取り、額の血を拭った。

◆

　スフィリーナ・西支部本部・支部長室――。

「まったく！　ただ言われるままに二万も出すとは！　一体何を交渉してきたんだお前らは！」

　ゴダが苛立ち怒鳴る。

　会合の結果をゴダに報告したネリドルとルベールは、ゴダからの叱責を受けていたのだった。

「申し訳ございません！」

　必死に平身低頭するネリドルとルベール。

「これじゃ丸っきり子供の使いだ！　この能無し共が！」

「申し訳ございません！　仲介役のはずだったパソコ殿やスマーフォン殿が完全に東の味方で、何とも」

　ネリドルが言う。

「言い訳など聞きたくない！　いつもいつも、お前の口は言い訳をするためにあるのか!?　ええっ!?」

「申し訳ありません！」

「何故パソコ殿が東の味方なのだ！　おかしいだろ！」

「さっぱり分かりません。私も不思議でして。仲介役とは名ばかり。あれは完全に東の代弁者でした」

　ネリドルが首を傾げる。

「もしや東から金でも掴まされたのでは？」

　ルベールが言う。

「パソコ殿に限ってそんなことはあり得ん！　あの方は高潔な人格者だ！」

　ゴダがルベールに語調強く言い返す。

「そ、そうでしょうか？」

　ネリドルが口を挟む。

「そうだとも！　私の人を見る目に間違いはない！　どうせお前らが何か変なこと言ってパソコ殿の心証を害したんだろう！」

「そうかもしれません」

　ネリドルにはどう考えてもパソコ上級司令官が人格者の部類とは思えなかったが、とりあえずそう言っておいた。心なしか、土下座しているときに蹴られてできた額の傷跡が疼いた。

「そもそもだ、この前金貨五万枚渡したばかりではないか！　この上二万も何に使うってんだ！　あ゛あ～ん!?　まったく使えん奴らだ！　いいようにタカられてるじゃないか！」

　ゴダが派手で成金趣味的なデザインの指輪で彩られた手に葉巻を挟み、口元に持っていく。

「申し訳ございません！」

「ったく、こうなったら臨時で徴税するしかあるまい」

　ゴダが言い、口から葉巻の煙を吹く。

「無理です！　今出回っている地下新聞にスッパ抜かれてるので民はこちらの動向に過敏になってます。下手したら民衆の暴発を。もしそうなったら我らには抑える力が……」

　ルベールがあくせくとしながら言う。

「何ぃ!?　ふざけた話だ！」

　ゴダが忌々しげに葉巻を咥える。

「かくなる上は私の家も含め、七諸侯から一時的に借りるなどして」

　ネリドルが言う。

「それだって二万に届かんだろ。奴らは荘園には絶対に介入させまいとしてくるのだから。しかもお前、一括払いってどういうことだ！　せめて分割にして時間を稼ぐとかできなかったのか！」

　ネリドルから提出された東支部との覚書を手に取りつつ、ゴダが再び葉巻の煙を吹いた。

「すみません。売り言葉に買い言葉というか、その場の勢いで、すぐ出せる剰余があると、つい言ってしまいました……」

　ネリドルが言いながら再び頭を下げる。

「バカモン！　そんな余計な金持ちアピールはせんでいいのだ！　東には金欠アピールしとけ！　金欠アピール！　お腹が空いて力が出ないとか、何か、そういうこと言っとけ！」

　ゴダがネリドルを叱り飛ばす。

「申し訳ありません！」

「ワン！　ワンワンワン！　バウバウ！」

　ゴダの側近である軍用犬ポチもネリドルを叱り飛ばす。

「申し訳ありません！」

「ニャン！　ニャニャニャン!?　ゴロニャ～ン？　ニャニャンッ！」

　ゴダの側近である軍用猫タマもネリドルを叱り飛ばす。

「申し訳ありません！」

「もうよい！」

　ゴダがうんざりしたように言い捨て、灰皿に葉巻を押し付け灰を折る。

　そして椅子の背もたれに深く体を預け、ゆっくりと煙を吐き、十分に勿体ぶって口を開いた。

「分かった。私が一肌脱ごう。多少リスクは伴うが、どうやら久しぶりにあの資金を使うしかないようだな。ちょっとばかし闇の深い金だが仕方あるまい」

「支部長」

「ま、心配するな。大船に乗ったつもりでこのゴダに任せておけ。ガハハハハ！」

　膝元でタマを可愛がりながら、豪快に笑うゴダ。

　ネリドルとルベールは目を回すような勢いで不安に苛まれ、お互いの顔を見合わせた。