第6話 副長候補

 夕方になり、再び支部長室を訪れたユウラはハリアルから作戦の概要を聞いた。


 支部長室には人事部長のファストも同席していた。


「ユウラ、君には我が方のリーダーをやってもらいたい」


「分かりました」


 二つ返事でユウラは承諾した。なかなかやりがいのある内容だと思った。


「君にはもっと部隊を担う経験を積んでほしいと思っている。君が将来的には副長になることも視野に入れてのことだ」


「副長……?」


 ハリアルの口から出た言葉はユウラにとって予想外の内容であった。自分が副長になる。セトの副官という今の立場でしか物事を考えられていないので、あまりイメージが沸かない。


「知っての通り、セトに負担がかかり過ぎている状況が随分長く続いている。本来ならアージェを副長に据えたいのだが、彼はなかなかウンと言ってくれなくてね」


 少しだけハリアルの顔が曇る。


「はい」


「人手不足は頭の痛い問題だ。そのうえウチの人材は若すぎる。その中から一刻も早く、優秀な人材を育て、組織の力をつけなければならない。君は入ってどのぐらいになる?」


「七百三十三年のときに入隊したので、もうすぐ三年になります」


 エルティに来てからはノナタの宿で住み込みで働いていたが、春の終わり、あの年の白女神祭に応援に来ていた東支部の副支部長フィレネ・ベレリラと出会った。


 ユウラはこの頃既に白軍入りを決意しており、フィレネに付いていく形で東に行き、彼女から戦いの手ほどきを襲わり、半年後エルティに帰ってきて北支部に入った。


 東にいた半年の間でやったことは戦いの修業だけではない。その半年の間で、ユウラはその身にベレリラ家に伝わる秘術を施し、『力の保存』を可能にする肉体を手に入れたのだった。


 簡単に秘術の力を手にしたわけではない。代償はある。


 肉体に刻み込んだ呪が全身に馴染むまで、かなりの期間、全身に大きな苦痛が襲いかかることになる。想像を絶する、拷問といって言いほどの痛みが(※1)。


 術を受ける者へふりかかる苦痛とリスクを一切考慮しない秘術。人としての倫理を無視した外法と言っていいだろう。道理でベレリラ家の外に出せないわけだ。出せるわけがない。


 フィレネからは事前に十分過ぎるほどに決意と覚悟は問われた。


 脅しではなく、一度術を身体に施せば途中で解除はできない。ベレリラ家の歴史の中では、身体に呪が馴染むまでの痛みに耐えきれず、心が壊れて、廃人になってしまった者もいる。それでも秘術を受けるか、と。


 ユウラは、これから味わう痛みへの恐怖で自分の鼓膜が破れそうなくらいに心音が高鳴る中、妹を救う決意と、妹を奪った者への怒り、そして、目の前にその痛みを耐え抜いて秘術を体得した者がいる事実を拠り所にし、震える唇で秘術を受ける決断を口にした。


 そして、事前の覚悟など簡単に吹き飛ぶほどの地獄の苦痛の海をユウラは泳ぎ切った。自分の身体に呪を刻んだことへの後悔が襲いかかる中、力を得て妹を助けること、死んだ両親のこと、そして自分達をこんな目に遭わせた張本人への復讐などを強く思い耐え抜いたのだ。


 そして、その間、フィレネがずっと側で見守ってくれていた。そうでなければ本当に精神が壊れていたかもしれない。


 形容しようがないほどの苦痛の中だったので、おぼろげにしか思い出せないが、取り乱して醜態を晒す中、フィレネに対して随分酷いことを言ってしまったような気がする。自分で望んだことにも関わらず。それでもフィレネはずっとユウラの側に寄り添ってくれていた。感謝してもしきれない。


 フィレネは東支部に入隊することを勧めてくれた。妹探しも協力すると言ってくれたが、ユウラはエルティに戻り、北支部に入る道を選んだ。


 セトとノナタは入隊を思い留まるよう説得してきたが、ユウラは意思を曲げなかった。それに、秘術を身体に施し、あの心すら壊しかねない苦痛の底から這い上がり、既に『力の保存』を可能とする特異体質になってしまったユウラは、もう戦いの道を歩む他に後戻りできない所まで来ていたのだった。


 ベレリラ家の秘術は言葉通り秘中の秘だ。


 その秘密を一族以外の者に教えてくれたフィレネの信頼を裏切るわけにはいかない。だから、その信頼とあの苦痛を耐え抜いたことを無駄にしないためにも、ユウラは前に進む他なかったのだ。


「そうか。成績を見ると、当時のセトより優秀かもしれない」


 ハリアルが嬉しそうな笑顔をユウラに投げかけた。


「いえ、まだまだです」


 ユウラは遠慮して言葉を返した。自分で自分のことを優秀だとは思うが、ハリアルに評価されるために努力しているわけではない。


ことに、戦闘における指揮能力に関しては、セト副長より君の方が優れてると俺は思ってて(※2)、今回そのことを支部長によ~く申し上げといたから」


 ハリアルの脇に座るファストも、何やら隊員の査定書らしきファイルをめくりながら言う。


 これには、さすがにユウラも内心慌てた。セトを通り越して自分が評価されることに抵抗を感じる。あまり自身の評価がセトと切り離されて独り歩きすることは、セトとの距離感が生まれていくような気がして、ユウラにとっては不本意なことだ。


「私が副長殿より優れているなど恐れ多いことです。副長殿の采配が優れているからこそ、そのように見えるのかと」


 ユウラは上司を立てる返答をした。


「いや、以前副長の不在時に君が何度も指揮を執った戦闘記録がその事実を物語っているでござるぞ! やっぱ君、冷静というか、戦場を広い視野で見れてるよね。セト殿、個人プレイというか、自分ありきというか、危ない橋渡りたがるから。それと比べて君の指揮は、堅実で安定感があるでござるぞ!」


 ファストが査定資料らしきものを見つつ言う。ユウラはハリアルの脇に座るファストが見ている資料を上から覗き込んでみる。人事評価の内部資料だ。それもユウラの。戦闘指揮や、事務処理能力など、さまざまな分野の評価が事細かに書かれている。ユウラの素性、来歴や、人格的な長所・短所などの、かなり生々しい評価もちらりと見える。直属の上官であり一次評価者であるセトのユウラに対する評価まで記載されていた。一瞬見えただけでも、ほぼ満点に近い高評価で、丁寧にユウラのことを褒めてくれており、少し嬉しい気持ちになる。


「……っておいおいおい! 何普通にしれっと見てんだよ! これ人事部の内部資料でござるぞっ! 本人が見ていいもんじゃねーから! あんまり普通に覗いてくるから違和感感じなかったじゃん! 駄目駄目! やめてよもう、びっくりするじゃんか! もう絶対ぜーったい見せてやらんもんねー!」


 ファストが慌てて資料を畳み、隠してしまう。ハリアルやファストのユウラ評も綴られていたようだったが、そこまで見ることはできなかった。


「ファスト」


 ハリアルは脇に座るファストに目を向ける。


「ハッ」


 ファストは立ち上がり、ハリアルの机に簡単な系統図の下書きらしきものを数枚広げた。ユウラがそれに目を向けると、ハリアルが話を続ける。


「今検討している案がいくつかある。これは君がセトと同じように副長と実戦部隊隊長を兼任し、実戦部隊はセト隊、アージェ隊、ユウラ隊の三隊構成とする案」


「はい」


 ユウラは若干気後れして下書きを覗き込む。更にハリアルは説明を続ける。


「そしてこっちは、もしアージェが副長を引き受けた場合。空席の枠にアージェが入り、リイザが代わって隊長に昇格しアージェ隊を引き継ぐ。その場合は君が副長になるのは見送られるが、実戦部隊の隊長にはなってもらい、セト隊、リイザ隊、ユウラ隊の三隊構成。それでこっちは、ファストの案だが君を副長にして、セトと君は実戦の隊長は兼任させず副長に専念させ、アージェに今のセト隊を引き継がせ、アージェ隊の隊長はリイザを昇格させる。この場合実戦はアージェ隊(旧セト隊)、リイザ隊(旧アージェ隊)の二隊構成のままだが、なるべく早く適任者を探してもう一隊新設するようにしていく」


「はい」


 うなずきながらもユウラにとっては突然のことに感じられ、内心動揺していた。


 ファストが広げた資料。下書きとはいえ、まさかここまで具体的で突っ込んだ話をしているとは。しかも、上に置かれる系統図に重なって僅かしか見えないが、北地方の地図らしき物もあり、どうやら担当地域の見直し案らしい。エルティを中心に地区をざっくりと三等分に区切っているようだ。ハリアルは検討段階だと言っていたが、かなり切り込んだところまで話は進んでいる。


 現状、北支部の実戦部隊(=遠征部隊)は二つの隊に分かれている。


 一つは、支部の中でも精鋭中の精鋭と名高いエース集団であるセト隊。もう一つがセトに次ぐ実力者であるアージェ率いるアージェ隊。


 大まかに現状の担当区域はセト隊が北地方の西側、アージェ隊が東側。それを見直すということか。


 考えつつ資料に目を落としているユウラに、今度はファストが気さくな様子で語りかけてくる。


「いきなりこんなの見せられるとビビるよね? 分かる、分かるよ。まあまあまあまあ、あくまで仮だからね、仮。まぁ、とにかくこうやって支部長と色々考えてんだけどさァ、要はねェ、今やセト隊とアージェ隊だけになっちゃった実戦部隊を増強したいっちゅーことなのよ。人の面じゃなくて、組織面でね? 現状、君やテイト、レヴィアンビューナとか特に秀でた人材は何でもかんでもセト隊にブッ込んでるから、セト隊に一極集中しちゃってるじゃん? いろんな意味で」


「はい。それは分かります」


「セト殿も君も、信じられないくらい忙しいでしょ?」


「はい」


「そりゃ当たり前なんだよ。そうなるに決まってんだよ。例えばこの前入ったばかりのイッチェにしたってさあ、めっちゃ強いことが分かってすぐセト隊に配属させたけど、それも所詮は人材面だけの強化だからね。結局組織なんてのは、いつの世もできる奴に仕事が集中するんだから。でも、俺ら人事部が目標とするのはあくまで個人技にらない『組織力』の強化、精強な北支部を組織することでござるぞ!」


「はい」


「言うまでもなく、我が北支部は大きく三つの部隊で構成されている。一つは激戦区派遣部隊、一つは実戦部隊こと周辺地域遠征部隊、一つはエルティ警護部隊とその所轄下の各地駐在軍。戦場の派遣部隊に要求されるのは『数』! 少数精鋭が集う実戦部隊に要求されるのは『個』! 支部長の直轄で治安維持や犯罪捜査、組織運営を担う警護部隊に要求されるのは『専門性』! 人事部俺らは現体制となった七年前から『三大部隊に求められる要素の獲得』と、『決して徴兵を行わない』こと、そして『人事で中央の干渉を受けない』ことの三本柱をドクトリンとし、支部長の意図が忠ぅぅぅ~実に反映される組織作りを目指してきたのでござるぞ! 適材適所と正確な査定・評価、公正な信賞必罰が強き軍を作ると信じ! だが、現状実戦部隊は、支部有数の才能タレントを集中させ過ぎた結果、少々『個』に依り過ぎた。属人的になり過ぎて、セト殿がダウンすると特にヤバい! ヤバ過ぎる! おかげで北支部全体のブラック化が止まらないでござるぞ! 副官なら分かるっしょ?」


「それは同感です」


 ユウラもファストの言に同意する。ファストが「だろ~?」と返す。


 何度も倒れながら軍務をこなすセトを見て、前々から思っていたことだ。同意しながらも、正直、今更こんなことを言い出すファストに、ユウラは内心呆れてすらいた。これまで散々セトに負担を集中させるような組織体制を作ってきておいて、今更何を言っているのか。ただ、これは本質的には人事部の責任ではなく支部長であるハリアルの責任なのだろう。人事部は、ハリアルの忠実なるしもべとして、彼の方針を反映させてきただけであろう。その結果として、なるべくしてこうなっているのだ。


「だから、まずは実戦部隊を一つ新設して、三隊構成にする。目標とするのは担当区域を見直して三つに割り、夢の三方面同時稼働。こうなれば層も厚くなり黒獣への対応も柔軟かつ迅速化するっちゅーわけよ。セト殿や君のオーバーワークもめでたく解消、万々歳でありまするぞ」


 ファストが組織図の下に敷いてある地図をつまみ、一番上に持ってきた。この案だと、エルティの北西をセト隊、北東をアージェ隊、南西から南東辺りの内陸側(中央寄りで黒獣の発生頻度が少ない)を新設の部隊にやらせるようだ。


「もちろんそれには人も足りないから、採用にも力を入れている。北支部は南の次に人数が少ないから、二、三年の内にせめて西と同じぐらいには兵を増やしたいと思ってる。ね? 支部長」


「ファストの言う通りだ。だから君にもより大きい役割を担わせたい。今回のダーク・ファングの件で実績を作れたら、副長として推薦するためのいい材料となるだろう」


「ハッ」


 ユウラが自らの迷いと気後れを跳ね除ける意味でも、力強く返事をした。


「ファスト、もしユウラがダーク・ファングの件でいい結果を出せたら、勲章の一つでも出せないか?」


 勲章。


 またユウラの心の準備が整わぬ内に、唐突な言葉が飛び出てきた。


「えっ、く、勲章ですか!?」


 ファストが面食らった様子で言う。


「ああ。さっき聞いたろう。ユウラは入って三年も経っていない。仮に副長に推挙するとしたら四年目で副長になったセトより早いことになる。しかもセトより年下だ。周囲を納得させる材料として欲しい」


 ハリアルの返しを受け、ファストはユウラに視線を移した後、頭の中の引き出しを探るように、若干顔を上に向けた。


「えーっと……、そうですね。犯罪組織の捜査や戦術指揮官としての功績ってことだと……、まぁ、ルテル白軍功労勲章辺りが妥当なとこですかねえ。副支部長への推薦材料としては十分かと」


「今回の合同作戦、期限を送秋祭までとしている。それまでに授与の目途を付けておいてくれ」


「ハッ。し、しかし、ユウラ君の年齢でルテル白軍功労勲章というのは、北支部ウチでは前例がありません。退役軍人会のOBが何と言うか。あの方達はただでさえレクシス殿贔屓でセト殿の副長就任の際も……」


 ファストの弱音を最後まで聞かず、ハリアルが言葉を被せる。


「御老人達の反対など押し退けろ。この前の採用スカウト活動で何の成果も出せなかった埋め合わせはしてもらうぞ。お前は部下のせいにしているが、思想と精神論だけで志願者を釣ろうとした、人事部長であるお前自身の責任だ」


「ハッ!」


 ハリアルのファストに対する強い口調の指示には叱責も混じっていた。顔をしかめつつも恐縮して敬礼するファスト。


「支部長」


「ん?」


 ユウラの呼ぶ声に応じて、ハリアルが正面を向く。


「お言葉ですが、始まる前から勲章の準備など、出来レースではないでしょうか?」


 ユウラは支部長であるハリアルに対し、はっきりと異を唱えてみせた。そもそも勲章などに興味はない。


「ちょ、ユウラ君!」


 ファストが慌ててユウラを嗜めるが、ハリアルは無言のまま軽く手をかざしてファストを制止する。


「自信がないか?」


 ハリアルは露骨に異を唱えたユウラに動じず、僅かに笑顔を見せつつ問いかけた。


 ユウラは沈黙して一呼吸置く。


 ユウラが即答しないことで、ファストがハラハラした様子でハリアルとユウラを交互に見遣った。


「いえ、自信はあります」


 しばし沈黙の間を挟んだ後、ユウラはハリアルの目を正面から見据え、はっきりと答えてみせた。ハリアルは満足げにうなずく。


「そうか。君は向上心がある。これからもどんどん伸びるだろう。今回の任務もいい経験にしてほしい」


 ハリアルの目には期待がこもっているようだった。


「了解しました。ありがとうございます」


 ユウラが答える。


 勲章の件は、はぐらかされてしまった。


「君が力をつけて副長になり、より大きな任務を任せられるようになれば、セトだけでなく、多くの隊員の負担を減らすことに繋がる。是非君はそのことを意識して臨んでほしい。期待しているよ」


「了解しました。必ずやダーク・ファングを撲滅してみせます!」


 ユウラはハリアルに力強い敬礼で応えた。


「期待しているでござるぞ!」


 ユウラはどこからか耳に入ってきた雑音を無視した。


「期待しているでござるぞ!」


 ユウラは再び無視した。


「期待しているでござるぞ!」


 無視。


「ファスト、お前はもう下がっていい」


「ええ~っ!?」


「ご苦労」


 ハリアルに促され、ファストはすごすごと支部長室を後にした。


 その後、ユウラは作戦についての詳細をハリアルから更に聞いた後、本任務に参加する連中が中庭でアージェから稽古を受けているという話を聞いた。


 ユウラは支部長室を後にし、中庭へ向かった。




(※1)

この辺に関しては、今後原作のユウラ外伝が展開されていく中で扱われる可能性が高い部分を先行して、想像で補いつつ書かせて頂いております。苦痛の度合いやフィレネの記述などに関しては、外伝が更新され次第、そちらに合わせる形で修正する場合がございます。



(※2)

https://kakuyomu.jp/works/1177354054921844582/episodes/16817330661552439950

うちはとはつん様のコメントに対するIf様の返信より。

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