第4話 ロム~北街道~サンフ砦~エルティ


 講義が終わり、テイトと合流したユウラはジュンと合わせて三人でロムの住宅街の一角にあるクルトの実家に向かった。ロムで残っている最後の仕事である。


 クルトの遺族への報告はテイトが行った。


「知らないよそんな人。息子でも何でもないね。で、見舞金みたいなのは出るの?」


 クルトは両親とは相当不仲だったようで、母親の反応は徹底して酷薄であった。クルトと母親がこれほど険悪な事情が気になるが、個々の家庭の中に踏み込むべきではないし、尋ねられる雰囲気でもなかった。


「もちろん出ます。白軍より追って送金がありますので」


 テイトは申し訳なさそうな表情で言った。一貫してその表情を崩していない。


「こちらがクルト君の遺品になります」


 テイトの言葉に応じて、横に立つジュンは持っているカバンを母親の前に置いた。


 母親はカバンの中を乱暴に物色し、クルトの財布だけ取り出すと「あとはいらない」とぶっきらぼうに言い放った。


「あなたねえ!」


 ジュンが怒り心頭の様子で声を上げたが、その瞬間にユウラはジュンの腕をつかんだ。


 ジュンが言葉を飲み込んでユウラの顔を見遣る。ユウラは無言で首を横に振った。ジュンは眉間にしわを寄せて顔をうつむけた。奥歯を強く噛んだのだろう。ジュンの頬が微かに振動した。


「かしこまりました。遺品は北支部で引き取り、丁重に処分させて頂きます」


 テイトは悲しげな表情のまま、丁寧な所作で頭を下げた。


「あんたさっきテイトって名乗ったね、エルティで呪の教官やってんでしょ?」


 クルトの母親の言葉に対して、テイトは「はい。クルト君は私の教え子で。このようなことになり、本当に」とか細い声を漏らした。


「あんたがクルトを呪使いにしなきゃ死なずに済んだのに。あんたが殺したようなもんだね。ま、あたしゃあんなの死のうがどうでもいいんだけどさ。元より白軍あんたらには何も期待してないし」


 母親が抑揚のない口調で言った。目つきは無機質極まりなく、何の感情も感じ取れなかった。まるで鳥か虫の目だ。


 横に立つユウラはテイトの目じりが少しだけ震えたように感じられた。


「申し訳ありませんでした」


 そう言って頭を下げるのが今この場におけるテイトの精一杯のようだった。


「どうでもいいけど、中央と事を構えるのだけはやめとくれよ。もしものとき真っ先にやられるのはロムここじゃないの。洗礼だか証持ちだか知らないけど、さっさと受け容れてアタシらの暮らしを壊さないようにしてほしいんだけどね。さあ、もういいだろ?」


 最後に母親は息子の死から話題を変え、北支部に対する不満を言ってきた。そして、ユウラ達の返答を待たずに、戸を閉めてしまった。




 馬車や旅人が行き交う北街道。


 エルティへの帰路、テイトはユウラに声をかけた。


「教え子を失っても、また戦うための人材を育て、戦地に送らないといけない。さすがにちょっと堪えたかな。……今回は」


 テイトは寂しげに笑って見せた。


「テイト……」


 ユウラはテイトの名前を呼んだが、かける言葉が見当たらない。しかし、自分もついこの前ニーナの死を両親に報告し、同じ苦しみを味わっているから、テイトの気持ちはよく分かるつもりだった。


「うわ、出たよ重い話……」


 ジュンが嫌そうな顔をして、テイトには聞こえないであろう小声でつぶやいた。


 ユウラは無言でジュンの足をギュッと踏みつけた。


って! ごめんなさい!」


 ジュンは悲鳴を上げて片足でピョンピョン小刻みにジャンプした。


「ごめんねジュン。嫌な話しちゃって」


 テイトはまたしても寂しげな微笑を浮かべて、ジュンに謝罪した。


「あ……、もしかして聞こえてました? あ、あの、やだなあそんな。冗談ですよ冗談! ちょっと暗い雰囲気だったからテイト殿を元気づけようとして。ホント気にしないで下さい!」


 ジュンは気落ちしているように見えるテイトに慌てて弁解した。


「テイト、今だったらあたしとジュンしかいないから、何でも言っていい時間だと思うわ。気の利いたこと言えないかもしれないけど、人に話すだけでも随分違うし。あたしだって、ついこの前ニーナのことがあったし」


 ユウラが言った。照れ臭いのを隠すために、手に持った槍を意味もなく数回回転させた。


「ううん。もう大丈夫。慌てるジュンを見てたら元気が出てきたよ」


 テイトが意地の悪そうな笑顔を浮かべながら言った。


「あら、そう? それじゃあ、ジュンをもっと慌てさせた方がいいかしら?」


「そうだね。どうすれば慌てるかな?」


 ユウラも意地の悪そうな笑みを浮かべて、テイトとヒソヒソ話を始めた。無論ジュンをからかっているだけで、実は何も話していない。


「ユウラ殿、テイト殿、ちょ、やめて下さい、ホント。スイマセンってば!」


 結局ジュンは慌てることとなった。


 街道を歩く中、しばらくしてジュンがテイトに語り出す。


「そりゃあね、俺だって今の部署に回されて、正直思うところありますよ? もうベージオ物流部長が耳にタコができるほど『補給だ補給だ』って言うもんだから、命令のままに物資も食料もどんどん民から徴収して、クッソ重い荷車何日も引いて激戦地に運び込んで。あんな量の荷物背負わされる馬やロバも可愛そうで。なんか虚しいんですよねえ。兵站を支えることって、犠牲と消耗を出し続けることなんじゃないかって。レクシスのジジイもこっちは苦労して運んでやってんのに『これだけか』なんて言いやがって。まったくふざけんじゃねえっつーの。前線の連中にこんなこと口が裂けても言えないんでここだけの話にしてほしいッスけど」


 結局、言いたいことを言っていたのはジュンばかりで、こんなときもテイトは聞き役だった。


 ジュンの愚痴は、潜在的な徒労となって、内心ユウラの士気を下げた。




 そんなこんなで、ユウラ達は、日が暮れる頃にはロムとエルティの中間点に位置する白軍のサンフ砦までやってきた。街道から東へ外れた所にある小さな集落、サンフ村に因んで命名されている。


 エルティからもロムからも歩いて四分の一日ほどの場所にあるこのサンフ砦は、比較的新しい施設である。ここ数年で北支部と中央の緊張が急速に高まる中、南から中央が攻めのぼってきた場合の早期警戒を目的として造られたものだ。中央の統治区域の境界線ギリギリに位置するロムの町より南に砦を作ると、明らかに中央に向かって挑発行為をしているように受け止められるだろうから、この辺りに建設するのが妥当であった。つまりこの砦は必然的にロムの町を見捨てることになる。そのためロムの駐留部隊は、街の浪人や冒険者を雇って防衛力を強化し、少しでも住民の不安を和らげるよう努めている。


 境界線間近で、昔から中央の圧力を肌身に感じてきたロムの住民にとって、北と中央の関係悪化に対する危機感はエルティの住民より遥かに強いのだ。


 砦を建造する際に激戦区総指揮官のレクシスが、『友軍を警戒するための砦などあり得ない。我々の本当の敵が黒軍だということを支部長は見失っている』と反対したらしいが、万が一に備えるハリアルは建設を断行。反対意見も鳴りやまぬ内に土木部の工兵達があっという間に立派な砦を完成させてしまった。


 サンフ砦はエルティの南側に遠征する場合、朝に出れば夕暮れ前には着くという丁度便利な位置にあり、ロムの町と合わせるとスケジュールを非常に組みやすい。


 物資の中継地点や人員の途中交代などでも重宝しており、白都ルテル~エルティ間の通行量の多さも鑑み、一部宿泊設備は民間人にも解放している。そのため、ユウラ個人の意見としてはこの砦があってよかったと思っている。


 ユウラ達は砦の風呂に入って身を清め、ベッドで就寝し、快適な旅をすることができた。




 エルティに戻ったのは翌日の昼過ぎだった。


 一旦テイト達と別れたユウラは、代表で支部の総務部に任務終了の報告をし、兵士宿舎の三階の自室へ戻った。兵士宿舎は一階が来客用、二階が男子寮、三階が女子寮となっている。宿舎は特殊な構造をしており、一階の正面玄関から入った場合、内部の階段は一階と二階を繋ぐものしか存在しない。外部の螺旋階段は三階まで繋がっているが、常に内側から施錠されており、全くと言っていいほど使われない。

 宿舎の二階と三階は支部本館と渡り廊下で連絡されており、一旦本館の三階まで上がり、渡り廊下から行くのが事実上唯一の女子寮へのルートとなる。

 これも男性兵と女性兵の密通を防ぐための、軍の風紀を乱さないための措置なのだ。


 自室に戻ったユウラは、軍靴ぐんかと靴下を脱いで素足になり、呪で錬成した伸縮性のある繊維を用いた、最新の縫製技術で作られた胸回りのみを覆うスポーツ用のブラトップと、同じ素材で作られたスポーツタイツ状のレギンスに着替える。上下とも白。身体にぴっちりと、ややきついぐらいに締め付けてくる感触が心身を引き締める。


 鏡に自分を映しながら、前髪や肩まで伸びる後ろ髪を全て上げてひっつめにし、紐を使って頭頂部辺りで団子状に結い上げる。前髪を一切下ろさず額を全て露出した顔を見ると、何となく若干小顔になったような気がする。


 ユウラは着替えのために一旦外した、白女神祭のときにセトに買ってもらった(※)、小さな赤い石が埋め込まれたペンダントを首にかける。防御呪の永続呪が込められた、かなり値の張る高級品だ。セトがこれを買ったのは成り行きというか、屋台の主への義理からであった。それは分かっているが、今はセトがユウラのためにこれを見繕って買ってくれたのだと、嘘でも思うことにしている。軍服の襟のボタンを一つ多く留め、その下にこのペンダントを毎日着けている内に、ユウラは自分の願望をごまかせなくなっていた。


 鏡台の引き出しから、揺れないタイプの小さなピアスを取り出して両耳に着け、ユウラは日課の柔軟体操を始めた。


 柔軟体操を始めてしばらくすると、非番のリイザが隣の自室からふらっとやってきた。


 リイザは黒髪のポニーテールの女性で、実戦部隊のアージェ隊の副隊長である。


「ユウラお帰り」


「ただいま」


 ユウラは直立した体勢から前屈し、上半身を折り畳むように脛に顔をぴったりと付けていた最中で、その動作をやめることなくリイザを迎え入れた。お喋りなリイザでも、このときはユウラが集中していることを察し、あまり話かけてこない。


 柔軟体操はいい。やっていると心が落ち着くし、柔らかくしなやかな肢体を獲得することは戦闘でも損になることは一つもないし、自身の女としての魅力も増すように思える。


 ユウラは両脚を綺麗に左右180度開脚し、背筋を真っ直ぐ垂直に伸ばし、両腕を水平に広げる。リイザが無言で凝視する中、構わず、暫くの間、呼吸を整えつつそのポーズを維持する。そして、ゆっくりと上体を左にぴったりと倒し、次は右に倒す。このとき、髪を結っておかないと髪が足首にかかってくすぐったい。自分の身体がここまで柔らかくなると、達成感も並々ならぬものがある。常にこうやってトレーニングしていないと体はすぐ固くなるので維持するのは大変だ。


「凄いわ。いつ見ても柔らかーい。羨ましいわ」


 リイザが童顔の顔つきを感嘆の色に染め上げた。


「リイザも一緒にやってみる? ちょっとのことでは怪我しなくなるし、戦いのとき相当無理ある体勢でもいけるようになるわ」


「うーん、でも普段の訓練も大変だからねー。それに加えて自主トレってちょっとキツイかも」


 リイザは残念そうな顔で人差し指を突き出し、口元に当てた。


「でも続けることによって、意思も強くなるし、身体の隅々まで意識が行くようになるわ。まあ、私は好きでやってるんだけど」


 言いながらユウラは、次に右脚を前、左脚を後ろに180度開脚し、ぴったりと床に付け、再び上体を倒し、右脚の脛に顔を密着させた。


「痛くない?」


 リイザが問う。


「全然。180度じゃまだ自己満足のレベルよ。台か何かに足乗せれば左右でも前後でも、220度ぐらいは行けるわよ」


 ユウラはリイザに笑顔を投げかけつつ、後ろに伸ばした左脚を垂直に曲げた。上体を後ろに倒し天井を仰ぎつつ、団子状に丸く結い上げた髪を足の裏で何度か撫で回して遊んだ後、足をつかみ、足の指先を額に乗せた。


「ところでセトって今日どうしてるか知ってる?」


 そのままのポーズでユウラが尋ねる。


「ああ、ユウラはさっき戻ってきたばかりだったわね。久しぶりに支部長とアージェの三人で内緒話してるよ。オーガスがなんかこそこそやってるから、締め上げてやったんだけど、『現段階では守秘義務があります』とか生意気言っちゃってんのよアイツ」


「総務や情報は隠し事が多いものね」


 ユウラは開脚する脚を前後反対にしながら言った。


 その後、ユウラは立ち上がり、床に手をついて脚を天井に伸ばす。勢いをつけず、音もなくスッと倒立姿勢となり、両脚を左右に180度開いた。脚がぶつかりそうになったリイザが咄嗟に避ける。そしてユウラは逆立ちを維持したまま、まるで扇のように、両脚を閉じ、また左右に180度開き、また閉じを幾度も繰り返す。


「凄い……」


 リイザがつぶやき、ずっとその様子に見入っていた。


「でしょ?」


 ユウラは逆立ちで脚の開閉を繰り返したまま、再びリイザに笑顔を見せた。


 そのとき、ドアをノックする音が聞こえてきた。


「はい」


 ユウラは静かに床に足をつき、返事をする。


「ユウラ先輩、ローズです」


「はーい」


 ユウラがドアを開けると、後輩のローズがそこには立っていた。


「ユウラ先輩、副長から伝言です。手が空いたら支部長室に」


「分かったわ、ありがとう」


 ユウラが扉を閉めると、リイザがにやにやと笑っている。


「人を使わないで、自分で伝えに来ればいいのにね」


「何言ってんのよ。セトがここに来れるわけないじゃない」


 女子寮は男子禁制である。


「いいじゃん別に、付き合ってるんだから」


「ちょ、ちょっと! 何言ってんのよリイザまで! みんなよく誤解するけど、あたしとセトはそういう関係じゃないから!」


 ユウラは顔が熱くなるような気分になった。


「えー、あんなにべったりなのに?」


「それはあたしがセトの副官なんだから当然!」


「そっかー。でもちょっともったいないわね。お似合いだと思うのに」


 何を期待していたのかは知らないが、リイザは残念そうだった。


「そんなことないわよ。あんな無理ばっかりして、自分の心配をしない奴。近くにいるこっちが大変なんだから」


「これだってセトからもらったんでしょ」


 リイザがユウラの胸元のペンダントを指差す。


「成り行きでそうなっただけよ。はい、もうこの話題はお終いね」


 言いながらユウラはハリアルの所へ出向くため、着たばかりのトレーニングウェアを脱ぎ、てきぱきと制服に着替え直し、ピアスを外し、結った髪を戻した。




https://kakuyomu.jp/works/1177354055049306484/episodes/16817330660777102459

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る