第3話 ありふれた通常任務の風景の中を

 北支部統治区域、宿場町ロム。


 ロムの町は準都市エルティから南へ半日ほど進んだ、西ラフェンティア大平原のど真ん中に位置する、白都ルテル~エルティ間の街道のほぼ中間点に位置する町だ。北と中央の境界線ギリギリに位置しており、平均して寒冷な北地区では最も気候が温暖な部類に入る。雪国とは程遠く、特に今日は、もう秋の月も中旬に入るという頃なのに、まだ残暑を感じる陽気だった。雪深いトレアの村出身のユウラにとって、単純にロムは暑い。


 町の大通りには大小たくさんの宿屋が立ち並んでおり、北と中央を行き来する旅人達で賑わう。


 ユウラはこの町に、テイトや警護部隊の物流部と共に、ロムの北支部屯所への物資輸送の護衛の任に就いていた。


 二泊三日の行程の間、ユウラはロム屯所からの依頼で、屯所が町の警備に雇う浪人の腕試しを行うことになった。


 屯所の訓練所で、ユウラは槍を構えてテストする相手を待ち受けていた。


「よし、一番前へ」


 進行役の兵士が詰所のドアを開けて声をかけると、中から安っぽい革の鎧に身を包んだ若い男性が出てきた。


「この女を倒しゃいいんですね? 殺しちゃっていいッスか?」


 浪人の男性がにやつきながら進行役の兵士に言う。


「殺して構わん! ただし殺すな!」


「それなら安心、せっかくだからブッ殺してやる!」


 浪人は進行役の意味不明な回答に、更に輪をかけて意味不明な回答を寄越して、これまた安っぽい剣を鞘から抜いた。


 ユウラは支離滅裂な会話を無視し槍を大きく二度回し、静かに戦いの構えを取った。


「始め!」


 進行役が開始の合図をした。


 ユウラは速攻で浪人に向かって疾走する。浪人は槍と打ち合うべく剣を振るった。


 ユウラは腕に力を込めて素早く槍を薙ぎ、剣と打ち合う。ユウラの腕力から繰り出された槍によって相手の剣は弾き飛ばされ、回転しながら宙を舞う。


 その剣が地面に突き刺さったときには、既にユウラは槍を浪人の喉元に突き付けていた。


「それまで!」


 進行役が終了の合図をしても、浪人は唖然とした表情を硬直させたままだったが、進行役の「次、二番前へ!」という声を聞いて我に返り、地面に刺さった剣を鞘にしまって、気落ちした表情でとぼとぼと詰所の中へ戻り始めた。


 そのとき、浪人の頭を詰所から出てきた何者かがつかんだ。


「ヒッ!」


 浪人が怯え、悲鳴を上げる。詰所から出てきた見上げるような体躯の、褐色の肌で筋骨隆々で、ビキニアーマーを付けた女の浪人が片手で浪人を持ち上げているのだ。


 眉毛は太く、角ばった輪郭でアゴは割れており、まるで男のような顔つきだ。


「二番、ムキコでええええす!」


 そう言ってムキコは浪人を投げ飛ばし、地面に叩きつけた。


「うげっ!」


 浪人は潰れたような悲鳴を上げる。


「違う、そいつじゃない、そこの制服着た、紅い髪の女性!」


 進行役は慌ててユウラを指差す。ユウラの存在に気付いたムキコはのしのしと訓練所の中央に歩みを進め、ようやくユウラの前に陣取った。


「アタシは武道家だから素手でお願いします」


 ムキコの呼びかけに応じて、ユウラは槍を地面に置いて、両の拳を握り身構える。


「始めっ!」


 勝負開始。ユウラは再び相手に疾走し、先手を仕掛ける。


 体格が違いすぎる山のような大女に対して、ユウラは素早くジャブを打ち込む。ムキコはそれをガードしていたが、反撃に大振りの拳を振りかざしてきた。


 ユウラはフットワークを生かしてそれを回避し、横に回り込んで長い脚からハイキックを繰り出した。


 見事蹴りは敵の上半身に決まったが、その筋肉に覆われた体格ゆえか、大して効いていないようだ。


 ムキコは両手を振りかざしてユウラをつかみにかかってきた。ユウラもそれに応じ、ムキコの大きな両手とのつかみ合いになった。


「ぬううう!」


 両者の力比べの図式になった。ムキコは顔を真っ赤にして、唸り声を上げて手を震わせているが、ユウラは白い細腕で、涼しい顔をして相手の両腕をつかんでいる。


 あまり本気で秘術を行使し、腕をへし折ってしまうのも申し訳ない。ユウラはあと少しだけ、『保存した力』を解放して腕をひねって見せた。ムキコの両腕が外側へねじれる。


「ぐわあああ! まいった、まいった!」


「それまで!」


 進行役の合図によってユウラはすっと手を離す。ムキコは息を荒くしてユウラを睨みつけた。


「そんな細い腕で、信じられない! あんたその力、何か『別の方法』使ってるでしょ?」


「答える義理はないわ」


 ムキコの問いかけに対してユウラはそっけなく返した。


 ムキコは悔しそうに詰所へ去って行った。


 ユウラに体にかけられた、ベレリラ家の秘術。


 それは『力の保存』を可能とするもの。解放する力の箇所、エネルギー量に関しては調節できるが、ストックしたときの方向や使う筋肉が再現されるので、槍術はもちろん、体術に関しても、あらゆる場面を想定して、全身のあらゆる筋肉を使い、多くの型、ポーズで保存しておく必要がある。筋肉をボロボロに破壊する覚悟さえあれば、溜めた力を全開放することで自身の肉体で発揮し得る限界以上の膂力りょりょくを行使することもできる。当然自身もただでは済まないので、最後の手段だが。


「三番、前へ!」


 進行役が詰所へ呼びかけると、今度はやや頭髪が禿げている冴えない感じの中年の戦士がやってきた。


「す、すいません、急に腹が痛くなって……。私は試験いいです」


 三番は腹を手で押さえて、ユウラに対して怯えたような視線を向けながら、進行役に言った。


「え、そりゃ大変だ。じゃあちょっとウチの医務室に行くといい。ちょうどエルティから物資が届いたばかりだから薬も揃ってる」


 進行役が三番を医務室に連れて行こうとすると、三番は手を突き出し拒絶のポーズを取った。


「いや、大丈夫です。ちょっとすると治ると思うんで。お構いなく」


「そうか。じゃあ、しばらく待って、腹が治ったら試験再開する?」


 進行役の提案を受け、三番はチラリとユウラに視線を送った。


 ユウラは、これ見よがしに槍を大きく二度回転させ、三番に対して構えを取ってみせた。


 ユウラは三番に敵意を込めた眼差しを送ったが、これはわざとで、内心では笑っていた。自分に対して怯えている三番をちょっとからかってみたのである。


「いやいやいや! 大丈夫です、私はもういいです。やっぱ腹治りそうにないんで!」


 三番が必死に訴えた。


「なんかキツそうですよ? やっぱ医務室で診てもらったほうが……」


「いいですいいです、ホント放っておいて下さい!」


 三番はこそこそと詰所へ戻っていく。


「すいません、合格発表までは三人ともそこで待機しといて下さい!」


 進行役が詰所に向かって声を張り上げた。


「四番、前へ!」


 今度はユウラがそう言って、進行役に向けて槍を構える。


「……えっ? もう試験終わりですよ?」


「まだよ」


「あ、あれ、あれれ? 何だろ、この流れ」


 進行役が作り笑いをした。


「あんた、『殺して構わん』って何よ?」


 ユウラが進行役をキッと睨んだ。


「ああ、あれは勢いっていうか」


「次はあんたをテストしてあげる。来なさい」


「……お手柔らかに。だああーっ!」


 進行役が剣を抜いて、ユウラに斬りかかってきた。


 ユウラは相手に全く隙を与えぬまま、槍の長いリーチを生かして穂先を胸元に突き付けていた。


「それまで!」


 審判がいないので、進行役は自分で試合終了を宣言した。


「頑張ってね」


 ユウラは進行役に少しだけ微笑んで、訓練所を後にした。


「……強い、強過ぎる……」


 進行役は呆気に取られた顔つきでユウラの背中を見送った。


 その後、詰所で合格発表が行われた。進行役が三人の前で書類を読み上げる。ユウラは詰所の隅でその様子を見ていた。


「全員合格! 三名とも町の警備の任に当たってもらいます」


 進行役の発表を聞き、三名は喜びの表情を見せた。一体全体何がどうなったのか、棄権した三番目の浪人もどういうわけか合格していた。彼、もう腹の調子は良いのだろうか。


 その後、屯所を後にしたユウラは町外れへと向かった。


 煙と喧騒に包まれた、ゴミゴミとした市場の狭い通りを、人をかいくぐって進んでいく。


 ユウラはテイトと合流するために、浪人組合の集会所へやってきた。集会所は壁の塗料がぼろぼろにはげ落ちた老朽化した建物だが、そのくたびれた外観とは対照的に、十人十色の様相をした大勢の浪人や冒険者達で活気にあふれていた。


 そんな浪人の中に、白軍の制服を着たユウラが現れたことにより、周囲を歩いている浪人達の視線がユウラに集中するが、彼女は構わず集会所の玄関を開け、中に入った。


 玄関の脇には、立て札が置いてあり、『浪人組合主催 無料呪講義開催中!<呪って何ぞや今更聞けぬわ☆レベル0☆超超超初心者一から始めようコース> 場所:施設一階・大会合室 講師:白軍北支部呪部門主任教官・テイト氏』と書かれていた。


 看板の謳い文句から推測するに、わざわざ北支部随一の呪使いである主任教官テイト自らが出向くほどのレベルの講義ではなさそうだが、テイトは教え子の『呪との出会い』、即ち導入部分に関しては自分で指導したがる。支部での基礎講座や下級呪講座も他の教官に引き継ごうとしない。当然北支部の呪使い全員をテイト一人で指導できるわけはなく、教官もテイト一人ではないので、逆にある程度テイトの試練を乗り越えた者に対する、中~上級以上の講座に関しては、他の教官に任せたりする。新米兵士が初めて受ける『第一回呪部門基礎講座』での鼻っ柱のへし折りっぷりは語り草である。そのため、テイトの課す厳しい課題を乗り越えた北支部の呪使い達は粒揃いだ。


 集会所一階の大部屋へ向かうと、廊下に一人の白軍兵士が立っていた。ユウラとテイトがこのロムまで護衛した物流部兵站部門の隊員の一人、ジュンである。彼の足元には大きな革のバッグが置いてあった。


「あれ? ジュン、どうしたの?」


 ユウラが声をかけると、ジュンはこちらに気付いて会釈した。物流部の連中は屯所の兵士と共同で倉庫の搬入作業や在庫管理等の業務をするため、まだロムに滞在する予定だったはずだ。


「お疲れ様ですユウラ殿。ベージオ部長からついさっき通達が届いて、自分だけ別の任務が発生したからユウラ殿やテイト殿と一緒に戻るように言われたんです。だから自分だけ屯所の作業抜けてきました」


「なるほどね。何の任務?」


「いや、まだ知らされていません。でも部長曰く支部長直々の案件だっていうから何かキツそうな予感するんスよねぇ……」

 

 ジュンが苦笑して溜息をついた。


「そう。それ、これからクルトの実家へ?」


 ユウラは足元のバッグに視線を移した。


「はい。なのでここでテイト殿が終わるのを待ってるんです」


「ふーん」


 ユウラは軽く相槌を打った。


 このバッグは、物流部が屯所に輸送する物資と一緒に運んできたもので、戦死したクルトという兵士の遺品が入っている。


 クルトは、激戦区の部隊の所属で、この前支部に届いた殉職報告書に名前が挙がっていた人物のひとりであった。


 呪の教官を務めるテイトの教え子であり、呪においては特に優秀な兵士であり、優秀ゆえに激戦区へと配属されていったのだ。そして、命を落とすことになった。


 実はユウラもこのロムの町に向かう数日前、同じ殉職報告書に名前の挙がっていたニーナという後輩の女兵士の実家に報告に行っていたのだ。


 まず、大切な後輩を失ったことでユウラ自身悲しみと喪失感でやりきれない気持だった。そして、ニーナの両親が戦死の事実をユウラの口から聞いて悲しみに暮れる姿を見た。ユウラは更にやりきれない気持ちになった。


 両親は悲しみ、涙を流したが、決して白軍に対して恨み言は言わず、ユウラに『娘がお世話になりました』『この地を守るために死ねて娘も本望だったと思います。今頃は白女神様の下へ行っていると思います』などと、礼を尽くした言葉をかけてくれた。白女神教の白教書はくきょうしょを肌身離さず携えている、敬虔な両親だった。


 その両親の気丈さが痛ましかったが、だからこそ戦死の事実を伝える役を与えられた自分は決して泣いてはいけないと思った。


 ユウラ自身は確かに悲しかったが、あれから数日経った今はこうしていつも通りの職務に従事し、喜んだり、笑ったり、先程の屯所では、浪人をからかったりもした。この仕事をしているかぎり、仲間の死は常につきまとう。ユウラは、白軍に入り、既に自分の気持ちを切り替える術を覚えていた。単に仲間の死に慣れただけかもしれない。そんな自分が少し嫌になるが、いつまでも悲しみに囚われていては自分が死ぬことになるかもしれないし、悲しみを乗り越えて本来の自分の役目を全力で果たすことが死んだ仲間へのせめてもの手向けである。


「結局、生き残った奴にできることといったら、死んだ連中の分まで笑ったり、泣いたり、あんな風に次の世代を育てるくらいしかないんでしょうね。たとえそれが次の戦死者を生み出すための教育だとしても、できることをやるしか……」


 ジュンがそう言いながら腕を組んで廊下の壁に寄りかかり、すぐ脇の会合室の扉に視線を流した。部屋の中からかすかに「自分の属性で何ができるのかを知るのが重要になる!」と言っているのが漏れてきた。テイトの声だ。


 ユウラはドアを少しだけ開けて、隙間から会合室を覗いてみた。


 長机と長椅子が等間隔に配置された大部屋は、白軍への仕官を狙う浪人や興味本位の冒険者達で満員状態であり、立ち見の者もいる始末だった。浪人の大半はローブのような服装で、椅子や机の脇に杖を立て掛けている者達だったが、体格の良い戦士風の出で立ちをした者も若干名いた。


 部屋の後ろの方では受講生がごちゃごちゃ談笑していたり、こっくりこっくり首を揺らして睡魔と戦う者、まだ途中なのにおもむろに立ち上がり、荷物を手に堂々と部屋を出ていく者、挙句の果てには最前列にも関わらず堂々と机に突っ伏して寝ている者もいる始末で、受講生達の態度はお世辞にも良いとは言えない。しかし、教壇に立つテイトはそれでもめげずに、受講生達に対して一生懸命身ぶり手ぶりで何らかの説明をしていた。確かに不真面目な者が多い弛緩した空気ではあった。だがその一方で、呪について真剣に学ぼうとする受講生達も大勢いるのもまた事実なのだ。


 テイトはいつもは大人しくて口調も丁寧だが、今は会合室の一番後ろでも十分聞こえるように声を張って力強い口調で話していた。黒板には呪の基本概念がびっしりと記載されている。ユウラには、身長の低いテイトが、この授業をしている瞬間には何倍にも大きく見えた。

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