第2話 西支部

 スフィリーナ・白軍西支部本部・第一副長室――




「お疲れ様です。サード先輩」


 部屋に入ってきたネリドルは寝癖で乱れた髪に手櫛を入れながらサードの前に座った。


「また昼寝してたらしいな。勤務中に」


「何を言ってるんです先輩。明け方までジェノ上級司令官殿を接待していたんですよ。つまりは半休ですよ、半休。その上で先輩の呼び掛けに応じてやってきたんですから。後ろ指差されるようなことではありません」


 ネリドルは小さい欠伸をしながら、息苦しそうな表情で制服のネクタイを緩めた。


「遊び呆けていた奴が偉そうなことを言うな」


「それは心外ですね。この前の島流しの件と船の襲撃の件、何とかジェノ殿に中央の機嫌を取ってもらおうと必死になだめてるんですよ。連日高級店に接待して、いい女の子紹介してあげて。つまりは私が支部を救っていると思って頂きたい」


 ネリドルの言葉を聞いてサードは大きく舌打ちした。反吐が出るような言い分である。


「あーはいはい! 分かりましたよ。ネリドル副長殿は随分ご立派なことで」


「またそうやって嫌味を言う……。私と先輩は、支部内の立ち位置は大きく違えど、元は先輩後輩の仲ではないですか。もっと優しくして下さい」


「都合のいいときだけ後輩面しやがって」


「それじゃあ、ビジネスライクに行きましょうか! 用件をうかがいましょう」


「用件もクソもあるかよ。これを見ろ」


 サードは机の脇の引き出しから書類を取り出して、ネリドルに突きつけた。


「ダーク・ファングの被害が一向に減っていない。もう秋になっちまったじゃねえか。総会終わってからこっち、有力な情報も得られず、何も進展がない。ネリドル、ダーク・ファングを何とかするのはお前の役目だろう。あんなブタ野郎の接待なんかしてる暇があったら組織の撲滅にもっと力を入れろ」


 サードは机に広がる資料に向けて勢いよく平手を振り降ろし、室内に衝撃音が響き渡る。ネリドルは萎縮して肩をすくめた。


「いや、ダーク・ファングはかなり手強く、なかなか尻尾をつかませないのです。逐次兵を増員させてしらみつぶしに捜査に当たらせています。有力な手掛かりに辿りつくのも時間の問題かと」


「お前送春祭のときも送夏祭のときも同じ言い訳してたじゃねえか! しかも白女神祭でダーク・ファングがクレープや焼きトウモロコシの屋台出してウチが出店許可してたって、節穴にも程があるぞ! はっきり言ってやる、お前は何もしてねえ!」


「いや、私には私なりのやり方があるんです。それに、いくらサード先輩が先輩とはいえ、今は立場的には同格です。お互いにカバーしている分野も働き方も違いますし、支部長ならともかく、管轄外の先輩にそこまで怒られるのは心外です」


「お前な、さっき自分は接待頑張ってるみたいなこと言ってたが、お前がもっと早期にダーク・ファングを鎮圧できていれば船の襲撃も起きなかったし、そもそもあの航海ルートを大丈夫だと保証したのは誰でもないお前だろうが。自業自得なんだよ。それを恩着せがましく言ってんじゃねえ」


 サードはネリドルの一点に落ち着かない目を睨みつけた。


「ならば私を副長から降ろすよう支部長に仰ったらいいでしょう。私はこんな役職なりたくてなったわけじゃないんです」


「それができたらお前にしっかりしろって説教なんかせん!」


 ネリドル副長は、ボンボンが多い西支部の隊員の中でも、西地区屈指の名門貴族出身のボンボンの中のボンボンである。何しろ、西地区に所領を持つ特に有力な七つの上級貴族、いわゆる『七諸侯』の中でも序列三位の家柄なのだ。


 ネリドルは中央軍時代、サードと同じ隊で激戦地の戦場を転戦した後は、白都ルテルの中央本部に異動して財務院の軍財官を務めていた。その後、自ら中央本部を離れ地元の西支部の所属となった。そういった経歴から、中央本部の実務派の文官達にも顔が利くのだ。


 西支部はネリドルが持つ白軍中央、七諸侯を初めとする地元貴族、豪商との人脈や発言力を必要としていたのである。はっきり言ってネリドルのコネクションは強力だ。中央や西地域の上流階層に強力なパイプを有している。よって、ゴダが彼から副長の権限を取り去ることは考え辛い。


 西支部の支部長は慣例的に中央の貴族が天下り的に着任する。ゴダも例外ではない。そして、東支部長のオルジェがベレリラ家をないがしろにしては東地区の統治が成立しないのと同じように、ゴダを含む歴代の西支部長も七諸侯と上手く付き合うことに腐心してきた。


 地元貴族、つまりは有力な地方領主との付き合いも各支部長の大事な仕事で、辺境の治安や税の徴収にも直結する課題だ。スフィリーナ、レベリア、エルティ、ラチェルといった準都市だけに目を向けていればよいわけではない。なので、ゴダが七諸侯の出自であるネリドルを、西の貴族社会への足掛かりに使うのはある意味当然と言えた。


 ゴダとネリドルは西支部の立場を強めるために西支部の中央協調路線を推し進めてきた。ゴダはサードやネリドルが副長に就任する前から、忠誠の何よりの証として、中央にならって『洗礼』を受けた兵士達を軍内に大量に組み込むことを受け容れ(但し、中央が送りつけてきた洗礼兵はいくらでも受け容れたが、地元西地区で生まれ育って入隊した兵士に関しては、話が持ち上がった当初に自ら志願した者を除き、洗礼を受けさせることをゴダは強硬に拒絶しており、現在もその態度は崩していない)、それに反対する勢力を軍の中枢から遠ざけた。その際はゴダによって更迭、降格、または田舎へ左遷された高官も多かった。


 そして、ゴダは副長に、軍の統率・運営に長け、歴戦の勇士と名高いサードと高名な家柄出身で、政治的・経済的な働きが期待できるネリドルの両名を副長に据えた。


 しかし、ネリドルの軍人としての能力は(犯罪捜査や市中警備などの、軍隊というより警察機構の指揮官としては通り一遍務まるものの)、どう贔屓目に見ても低いと言わざるを得ず、実際、西支部はサードとごく一部の真面目で優秀な軍人の頑張りでもっているようなものだった。


 特にネリドルは中央との友好を深めようとゴダと結託して、ろくに能力のない中央の人間を積極的に支部の幹部に引き抜いて、高い給料を支払っている。また、兵士全体の能力不足・経験不足も明らかで副長のネリドルを含めて、まともに実戦の指揮ができる人間がどれほどいるか怪しいものであった。


「……すみません。至らない点はありますが、引き続き組織の撲滅に向けて粉骨砕身尽力するつもりであります」


 ネリドルはしおらしくなってサードに頭を下げた。サードは溜息をついて話を続ける。


「ダーク・ファングの件、北に協力を依頼した」


「……えっ? 北に?」


「北の管轄地域にも被害が発生している。もうお前の手には負えないだろう。北から優秀な人材を回してもらうようゴダから依頼してもらった」


「支部長が? 私一言も聞いてないです!」


 ネリドルが目を丸くして仰天した。


「ゴダにダーク・ファングの撲滅を北と連携したらどうかって進言したら、ゴダの野郎二つ返事で『任せる。好きにしろ』って言ったぜ。依頼の文章も頼んだら書いてくれた」


 それを聞いたネリドルが顔を歪め歯を食いしばり、腕を組んで顔をうつむけた。


「……支部長は、私がダーク・ファングの進捗を報告しに行ったときも、ろくに聞かずに二つ返事で『任せる。好きにしろ』って言ったんですよ。くそ、何だって先輩にも同じことを!」


 プライドを傷つけられ悔しがるネリドルを尻目に、サードはにやりと笑ってみせた。


「そういう奴なんだよ、あいつは」


「何で対策本部を指揮している私に何の連絡もないんだ……。支部長……」


「北から人材を回してもらって、特別対策チームを作る。お前が仕切れ。今抱えている他の仕事は一旦全部俺なりカゼッタなり、お前の直属なりに引き継いで、組織の撲滅に専念しろ」


 サードのこの判断は、西支部の中央癒着体質の象徴であり、いつもつるんでいるゴダとネリドルを切り離すという狙いがあった。そして、その間にサードが出来る限り、たるみきった支部の引き締めを行うのだ。


「確かに、先輩の意見には賛成です。今回の件は中央には絶対に口出しさせるわけにはいきません。もし中央の手を借りてしまったら、今後は本当に中央の言いなりになってしまいます。せっかくウォールリバーを発展させ、我々の経済的基盤が強まってきたというのに」


「そのウォールリバーも、ワグレみたいに消されるかもしれないぜ?」


「そうさせないためにも、我々は町長さんや商人とも力を合わせて、ウォールリバーを中央の経済拠点として誘致を行い、リゾート地として分譲し、中央のお偉いさんを多数街に住まわせているんです。これだけやれば中央だってウォールリバーを黒軍に消させるようなことを許すはずない」


「……お前はワグレ、黒軍がやったと思うか?」


「えっ?」


「何でもない。それじゃあダーク・ファングの対策チームはお前が隊長だ。総会も白女神祭も終わって暇になったんだから、もう送秋祭が最終期限な。奴らを撲滅して誕生日を迎えろ」


 サードが指定した期日は秋の月の100日。送秋祭の日であり、ネリドルの誕生日でもある。今日から数えて猶予は七十五日。


 西支部は例年夏が一番繁忙期になる。夏の30日から中央での総会があり、夏の終わりの95~100日にかけてスフィリーナの白女神祭が控えているからだ。なので、送夏祭を迎えて秋の月になると、緊張の糸が切れたように一気に組織の雰囲気が弛緩するのもお決まりである。高官が長期休暇をまとめて取るのもこの時期が多い。


「いや、待って下さい。無理ですよ」


「何?」


「私は今、夜も寝ないで昼寝して、船の襲撃の金貨12,000枚の損害賠償裁判や、島流しの件を何とか穏便に収めるよう、中央に工作しなければならないのです」


「まさかとは思うが、お前犯人の引き渡しに応じる気じゃないだろうな?」


 サードが凄みを利かせてネリドルを睨む。


「いや、そういうことにならないための懐柔です。さすがに今回は支部長もかなり怒ってました。洗礼を受け入れたのにそれを利用して我が軍の兵が強姦されたんですから。それだけじゃなく、今は視察の対応中だし、会計報告も間に合わせないと。主計課が上げてきた決算、全然収支が合ってないの今になって分かって、何考えてるんだかまったく……。こんなことならもっと早く目ぇ通しときゃよかった」


「その辺は他にも振れるだろ」


「いやまあそうですが……。ああ、あとそうだ、ほら、あの、運河の工事、あれも遅れてるんでした。今ちょっと現場がヤバいことになってて、聞いてます?」


 ネリドルが言っているのは、白軍西支部始まって以来の一大事業である、準都市スフィリーナとウォールリバーを繋ぐ運河開拓工事のことである。


「ありゃあ元々工期が遅れてるだろうが」


「更なる遅れが確実となりました。第二工兵隊が、第四区画にあった資材の集積所を撤収しないで置きっ放しにしたまま水門を開けて、第四区画まで注水しちゃったもんで、今後使う予定だった建築資材が全部運河の底に沈んでしまったんです」


「ハァ!?  何だそりゃ!? 人は巻き込まれなかったのか!?」


 サードがまず気になったのは建築資材の損害より人的被害であった。


「そのときは注水記念式典をやってたもんで、招待したお偉いさんや現場の作業員はみんな堤体の展望台に上がってたんです。……支部長一人を除いて」


「ゴダは何してたんだ?」


「もうすぐ演説なのに、ちょっと目を放した隙にいなくなっちゃって。みんなで探したけどいなくって、後で聞いたら集積所の石灰で砂山やアリジゴク作ったり、資材に隠れて一人かくれんぼして遊んでたそうなんです」


「いやもう怖い怖い怖い。あいつ今年で四十三になったんだろ」


 ドン引きするサード。


「仕方ないから、支部長の演説はカットしてもう水門開放したんですが、集積所でかくれんぼしてた支部長に水流が押し寄せてきて、巻き込まれる直前、一日一回だけ使える【光速】で、ご自分で避難されたとのこと。幸い怪我もなく」


「そのまま死んでくれりゃあよかったものを」


 サードが真顔で言う。


「今の発言、冗談では済まされませんが冗談ということにしておきます。えーっと……、何だっけ。ああ、そうだ、あのー、雇った工員達に払った給金が当初の取り決めと違って、どういうわけかお金じゃなくてパンとビールが配給されたみたいで。『ふざけんな!』って作業をボイコットされてしまったそうです。交渉も難航してるとの事」


「お前それマズいだろ!」


「でしょ?」


「何で現物支給なんだよ。いつの時代の話だよ! 逆に金より用意するの手間かかるだろ」


「だと思うんですけど、もうとにかくこっちの指示がことごとく現場に正しい形で伝わらないんですよ!」


「しかもビールのアテがパンって、合わねえだろ!」


「多分麦芽繋がりなんだと思います」


「ああ……」


「まあ、とにかく近い内ちょっと一回行ってみないと。そういった諸々あって、ダーク・ファングの件にだけ当たるのは無理です。私もう頭が煮詰まって沸騰しそうです」


「そんなのお前じゃなくてもできる。金食い虫の豚共かゴダにやらせろ。運河の件なんかウォールリバーへ向かうついでに寄ればいいだろ」


「それに、私を隊長に据えるってことは、作戦の失敗を意味しますよ?」


「何だと、貴様」


「私の能力ではそんな大それた作戦の指揮なんて執れませんよ。自分は現状の担当分野で限界です」


「今さっき『粉骨砕身尽力します』っつったじゃねーか!」


 サードが声を荒げた。


「すいません、できません! みんなに迷惑をかけることになります!」


 ネリドルが泣きそうな顔をして懇願する。サードは顔をしかめた。


「分かった。俺が隊長をやる。しばらくウォールリバーに滞在するから、ここはお前とゴダに任せる」


「了解しました……」


「俺が抜けた後の軍全体の指揮系統はお前が作れ。もう明日にも北の返答が届くはずだ。それと合わせてゴダの承認を取っちまえば俺も速やかに現地入りして下準備ができる。明日の朝イチで作った系統図を俺に見せろ。チェックする」


 ネリドルの顔面が引きつる。


「あああ明日の朝イチ!? そんなすぐには無理です!」


「徹夜してでも作れ。カゼッタを貸す。俺も残念だが手が回らん」


「今から何かあるんですか?」


「ああ、今夜別件の摘発がある」


「もしかして、バカジャネーノ家の例の件?」


 上級貴族でありゴダ支部長の幕僚の一人であるアホスギール・バカジャネーノが、領地の収入をごまかして、一族ぐるみで税金逃れをしているという疑惑があった件だ。しかも周囲の隣接した貴族の領地も不正に自分の物として扱っていり、更には『みんなの力を合わせてカツラを作るナリィィィ!』と言って領民の陰毛を税として徴収していたり、相当阿漕なことをやっているらしい。


「そうだ。今夜踏み込む」


「えっ、大丈夫ですか? ガサ入れて何も出なかったら」


「お前、俺を誰だと思ってんだ?」


「もしかして、もう裏取ったんですか? この前のタレコミからろくに時も経ってないのに」


 ネリドルが自信満々のサードに対し、目を丸くする。


「当たり前だろ。奴にはもう偽情報もつかませた。俺が五日後にガサ入れするってな。そこを今日叩く。証拠隠滅される前にケリをつけたい。正直、今こうやってダラダラ話してる時間も惜しい」


 しかめっ面で聞いているネリドルをサードは一蹴した。


「分かりました」




 サードはネリドルとの話を終え、カゼッタを自分の執務室に呼んだ。


「カゼッタ。ウォールリバーへは俺が行く。ネリドル副長が俺が抜けた後の臨時指揮系統を作っているから手伝ってやれ」


「了解しました」


「あと、お前はスフィリーナに残ってゴダとネリドルに睨みを利かせろ。俺がいなくなると好き勝手やるだろうから」


「分かっています」


「俺はこれから第一部隊と第六部隊を率いてバカジャネーノ家の摘発に向かう。頼んだぞ」


「承知」


 カゼッタは、内心自分もサードと共にバカジャネーノ邸に行きたいと思いつつ敬礼をした。




 カゼッタはネリドルの執務室で、夜を徹して指揮系統作りの補佐を行っていた。


「まったくさ、私は先輩と同格の副長なのに、何でいつまでも頭が上がらないのかな。やっぱり器の大きさかね。でもさ、私だってサード先輩のできないことを裏で色々やってるんだよ。今視察に来ているジェノ殿の相手だってそうさ。誰が好き好んであんなのと夜通し酒なんか飲むっていうんだ」


「副長殿、口より手、動かして下さい」


 カゼッタがうんざりしたように注意した。


「ちょっと休憩しようよ。集中切れた」


 ネリドルは椅子から立ち上がり、大きく伸びをした後、執務室脇のソファーにゴロンと寝転がった。


「またですか? 私明日も早いんでさっさと終わらせたいんです。副長殿はまた『新しい働き方』とやらで、昼過ぎまで寝てればいいんでしょうけどね」


 カゼッタは露骨に不満を言い放った。それを聞いたネリドルはすまなさそうな表情で上体を起こし、頭を掻いた。


「カゼッタ君、悪い! 本当に迷惑かけるね! 作業がスムーズに進んでいるのも君のおかげだ」


「は、はあ……」


「今回、先輩がウォールリバーへ行くのも私のわがままなんだ。そんでもって、私のこなせる業務量が少ないから、そこの系統図の通り、君の仕事を増やしてしまう結果となる」


「それは構いません」


 あんたに任せた方が却って仕事が増える。カゼッタは心中で毒舌を吐いた。しかしこれは厳然たる事実だ。


「……なるべく先輩の耳に入れたくない案件をたくさん抱えててね、先輩がここを出た隙に、できるだけ支部長の承認を取っちゃいたいんだ」


 急に聞き捨てならない台詞が飛び出した。カゼッタは不信感を募らせる。


「どうしてサード副長の部下である私にそのようなことを?」


「こういうことさ」


 ネリドルは制服の内ポケットから財布を取り出し、金貨を十枚取り出した。そして、カゼッタの書類を押さえている手を取り握らせようとする。


「誰にも言うなよ、特にサード先輩には」


「何ですかそれは!」


「声が大きい。私は事をこじらせたくないんだ」


「こんなの賄賂ではないですか」


「たかだか金貨十枚如き、こんなの賄賂の内に入らない」


 金貨十枚と言えば相当な大金である。どうやら、金銭感覚においてカゼッタとネリドルでは相当な隔たりがあるらしい。


「自分は受け取りません」


 カゼッタははっきりと拒否のポーズを取り、金貨を持つネリドルの手を突っぱねた。


 ネリドルは金貨を拳の中でじゃらじゃらと踊らせ、気まずそうにカゼッタから視線をそらす。


「どうやら君のプライドを傷つけてしまったらしい。申し訳ない。だが、私も男として一度出した金を引っ込める真似はできないんだ。どうだろう。この金はそんな汚い金ではなく、私の愚痴を聞いてくれたのと、徹夜を強いる詫び料ってことで」


「いりません」


「分かった! もう言わない。ちょっとしつこかったな、申し訳ない。君は先輩から与えられた役割をきちんとこなすといい。私や支部長を監視するよう言われてるんでしょ? OKOK、もう全っ然OK! あと、金を受け取ってくれなかったからって、復讐とか、嫌がらせとか、そんな真似はしないから安心してくれ。私はそこまでクズじゃない」


 ネリドルがこちらの機嫌をうかがうような低姿勢で言った。言われなくてもそんなことは気にしていない。


「ネリドル副長はいつもこんなことしているのですか?」


「まさか」


「この前、サリーっていう女性隊員が言ってましたよ。呪力が増大する高級な腕輪を副長からプレゼントしてもらったって」


 ネリドルが口を半開きにして絶句し、ソファーにもたれかかった。


「何でだよ……。誰にも言うなって言っといたんだけどな~?」


「大喜びではしゃいでましたよ。私はネリドル副長の隠れ彼女だって。副長のお嫁さんになるんだってあちこちに言いふらしてました」


「そんな馬鹿な。滅茶苦茶だ。断じてそんな事実はない! あいつ、軍を遊び場か何かと勘違いしてるんじゃないか? 支部長じゃねえんだからまったくもう……」


 ネリドルは制服の上着を脱いでソファーにかけ、ネクタイを少し緩めてからカゼッタの正面に座り、渋々作業を再開した。


「ああ、副長、ここんとこ、もうアホスギール殿の名前外しときましょうよ」


 カゼッタが系統図の一部を指差す。そこには、西支部高官アホスギール・バカジャネーノ氏の名前が。今まさにサードが屋敷の摘発に向かっている。最早失脚は決まったようなものだ。


「ああ、そっか。どうせ今夜捕まるんだった。後で修正するの面倒だもんね」


「でも変な人でしたね。アホスギール殿」


 カゼッタが言い、苦労人じみた溜息を漏らした。


「うん。結局あの人何も仕事してなかったよね?」


「はい、勤務時間中、ずっとパンツに手ぇ突っ込んで、抜いた陰毛でカツラ作ってました。『脱毛できてハゲも隠せる! 一石二鳥ナリィィィッ!』って」


 カゼッタが呆れ顔で言う。


「あぁー……、今だから言うけど、実はあれ、支部長のアドバイスなんだよ」


 ネリドルも呆れ顔で言う。


「そうなんですか?」


「アホスギール殿が支部長に『暇なので何か仕事ありませんナリか?』って聞いたら、支部長が『ならば貴殿の陰毛でカツラを作ったらどうかね?』って。そしたら本当にやり始めて」


「へーそうなんですねー」


 カゼッタが生気の失せた目で、投げやりに言った。


「これ先輩朝イチで目を通して、すぐ支部長の承認取るつもりでいるんだろうけど、もし支部長が朝すぐに出勤してこなかったら」


「あ、今夜はミリカの所に泊ってるんですよね」


「知ってたか」


 ミリカとはゴダの秘書官で、愛人である。彼女は以前は水商売をしていて、ゴダの行きつけの、スフィリーナでも指折りの高級クラブで人気の嬢だったが、太客のゴダが水揚げして、支部長権限で白軍に就職させ、いきなり秘書官という地位を与えたのだ。屋敷まで与えて、時々ゴダはそこに泊る。


「もちろん。昼になっても来ないことなんてざらにあるんで、もうこっちはそれも想定して常に居場所を把握するようにしているので。もし来なかったら、自分は早朝からニモット地方に向かわないといけないので、誰かしらに系統図持たせてミリカの屋敷に向かわせますよ」


「いい、いい。そんなのはこっちでやるって。先輩からGOサイン出たらこっちに戻してくれりゃあデニックに行かせるから」


「そうですか? じゃあすみませんがお願いします」


 そんなこんなで、結局、指揮系統が完成したのは太陽が昇った後。カゼッタは完全徹夜を果たし、早朝の勤務に望むのだった。


 そしてサードは腐敗貴族、アホスギール・バカジャネーノ邸の強制捜査で見事不正を明るみにして支部に帰ってきた。


 そんな二人をよそに、ネリドルは自分の執務室のソファーでぐっすりと眠っていた。

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