第158話

 共同生活が始まって一週間が経過した。


 結論から言えば、非常にうまく行っている。


 男一人女四人という控えめに言って“もげろ”案件ではあるんだけどね。


 僕自身その自覚はある。

 流石に香織と互いに向け合いあってる感情の正体くらいはわかるし、男女の機微に疎くてもそういう感情が存在することは知っているからね。


 ただし人間としての欲求が過剰なまでに希薄で枯れ木のような生態をしているだけで、理解ができない訳じゃないんだぜ。


 とはいえ、男は男。

 うら若き霞ちゃんや紫雨くんとは適切な距離を保たなきゃなと思っていたのだけど──これがね、うん。


 想定外と言うか……

 僕が想像してる以上に二人とも距離感が近いって言うか……


 いや、まあ、あのね。

 理解できない訳ではないんだよ。

 要素だけ考えれば僕に懐く──言い方はよくないけれど──理由はわかるんだ。


 霞ちゃんは命を救った関係で、紫雨くんも地上に出て不安な所を全力でカバーするって宣言したしさ。


 多少の信頼を向けられるくらいの関係はあるかなって思うよ。


 だからと言ってこれは、ちょっと予想外だった。


 ある日の夕方、霞ちゃんが部屋を訪ねてきて……


「ねね、勇人さん。今度買い物行かない?」

「買い物? どこまで行くのかな」

「えっと、もう夏も終わりに近いけど……そういう季節でしょ。水着とかそういうの欲しいな〜って」

「それって僕がついてっていいやつ?」

「うん。 ていうか、居てくれないと困る、かも」

「……ならご一緒しようかな。どこか休日合わせようか」

「……! うん!」


 ある日の深夜、紫雨くんが部屋を訪ねてきて……


「その……勇人さん。今度、買い物に付き合って欲しいんだけど」

「僕? いいけど」

「その、たいしたことじゃないの。ほら、日頃からお世話になってるし、何か贈り物でもと思って。でも……私、男性経験ないから。男の人が何をもらって喜ぶのかがわからなくて」

「わざわざそこまでしてもらわなくてもいいんだけど……」

「……ごめんなさい、迷惑だった?」

「いや、迷惑なんてそんなこと。……そうだね、紫雨くんは何がいい? せっかくだし、君も好きなものを見に行こうか」

「…………なら、えっと。本屋さん、とか」

「いいね。おっきなお店があった筈だから、あそこに行こうか」

「ええ、楽しみにしてるわ」


 そして彼女は入ってきた時よりも軽い足取りで部屋を出ていった。


 なんだか僕に対する好感度が想像してるよりもずっと高い。


 霞ちゃんはともかく、紫雨くんが本当に想定外だ。


 嫌じゃないさ。

 でもさ、こう……

 二人の行動がなんとなく似てて、やっぱり姉妹だなぁと。


 姉妹が仲違いするよりはマシだが、姉妹二人とそれぞれデートに行く約束を取り付けることになってしまったのだ。


 これこそが想定外ってやつ。

 想像してるより悪くないが、想像してるより仲が良くなりすぎている気がする。


「──って訳なんだけど、澪、僕はどうすればいいと思う?」

「それは介錯されたいって意味でいい?」

「過激だね。まだ死ぬ時じゃないかな」

「もげろ、いや、もぐわ」

「ふっふっふ。もがれても僕は生やし放題だから好きにしてくれ」

「無敵? この男……」


 もがれたところで機能するかも不明なので好きにしてくれと言いたい。


 呆れと怒りを混同させた澪は口を尖らせ半目で睨んだ。


 怒られる謂れは無いと思うね僕ァ。

 だってこっちは普通に接してるだけだもの。

 意図的に好意を抱いてもらおうと行動した事なんて、数えるほどしかないし、それもかなり前の話で紫雨くんにはやったことすらない。


 仲が良くなるのはいいんだけど、なんか彼女らの異性に対するハードル低くない?


「それはあんたの性根が原因でしょ」

「親しみやすいってことかな?」

「下心を感じさせないように振舞ってるから」


 それは間違いない。


 香織が復活してからそれは露骨だと思う。


 それまでは霞ちゃんにも揶揄うようなことを言ってたりしたんだけどね。流石に彼女が復活した今、そういう言動をする気にはあまりならなかった。


 実際九十九ちゃんや瀬名ちゃんにはそんな事は全くしていない。

 見た目を褒めることはあったがそれまでだ。


 ではなぜ紫雨くんの好感度がここまで高くなったのか、という点だが、それもある程度考えはつく。


 初めは殺し合いをした。

 次は互いに直接会話をしないまま同じ方向を向いた。

 最後には合流を果たし人類として協力し合うことを約束した。


 そのあと地上で一緒に過ごしていた訳だが、その間彼女が抱いていた人間に対する殺意やら破壊衝動やらを抑えるために色々ケアをしていたから、多分それだね。


 結構気を配ってたんだ。

 なにせファーストコンタクトが最悪だった。


 初手で殺し合いをした挙句首筋まで剣を通してるんだぜ?


 そんな奴が『状況が変わったから仲よくしよう』って、自分のホームで言ってきて信じられるかって話だ。


「で、結果的にやりすぎて篭絡しちゃったわけね」

「そうなるね。なにかいい手はある?」

「諦めて受け入れなさい」


 ニッコリと笑顔で澪は言う。


 それでいいのか本当に。


「もちろん私個人の倫理観としてはあんまり良くないけど、あんたに対する感情的にはオッケーってところ」

「えぇ……」

「そりゃ、そこら辺の男がハーレムやろうとしてたら潰してやろうかと思うけど……あんたは一人にしたらどっか行きそうだからいいの」

「なにそれ。僕は猫かなにか?」

「自覚はあるでしょ?」


 流石に澪に隠し事は出来ない。


 降参しながら首肯すると、彼女は口元を軽く歪めて笑った。


「世界が平和になったら消え去ろう、なんて思ってる奴を一人で繋ぎ留めれると思うほど私達も自惚れてない。ま、本当に勇人が望むならあの世まで付き合ってあげるから。擦り切れてだめになるまではちゃんと生きることね」


 重い言葉だ。


 僕らにとって命とは軽く、しかし重いものだ。


 希死念慮に似たものを抱いている僕にとっては何よりも突き刺さる言葉だね。


「しかし、なんだってそれが女性になるんだ? 他にもあるだろ、例えばうん、食欲とか」

「あんた味覚死んでるでしょ」

「……えっと、立場や名誉とか」

「そんなもの欲しくもないくせに」

「…………君達さえいればいいかな」

「ありがと。私はあんたが居なきゃ生きていけないんだから、責任取って生きてよ」


 勝ち目が何一つ無かった。


 世間にどういわれようが最早気にならなくなってきたが、それを嬉々として受け入れるのもなんだかなぁ。


 大体、有馬くんもそうだけど、迷宮省側も明確に僕らに対して厚遇する気満々だもの。


 あくまで貴重な戦力として優遇するならわかるんだよ。


 そうじゃなくて、完全にこう、明確に取り込もうとしてるからさ。


 一般人出身である僕としてはこんな露骨でいいのかと怯えてしまう。


 大丈夫?

 国民感情酷くならない?

 そんな心配をしてSNSを見て見れば、まれに批判する意見はあるものの人格否定や何やらではなくあくまで作戦上の話だったり探索者という立場に関してのものばかり。


 僕ら個人を攻撃する意見はほぼない。


 だからこう、僕の感覚だけがおかしいのかと錯覚しそうになる。


「とっととアップデートするしかないわね、おじいちゃん」

「君は僕とほぼ変わらないだろ。おばあちゃんめ」






 自分一人でやってあげられる事なんてわかりきってる。


 私が、遠藤澪が、勇人という男性にしてあげられる事なんて微々たるもの。


 一緒に居る事しか出来ず、それも、何も軽減してあげられない無能だ。


 せめて言葉が話せれば、せめて身体が動けば、そんな言い訳ばかりが頭の中に浮かんでは消えていく日々。

 一生このまま終わるのかという恐怖があった。

 これが私に与えられた罰なんだと納得もした。


 私は、この人の事を、蔑ろにしすぎたんだから。


 自分の恨みや怒り、自棄になった感情ばかりを優先する愚かな女の末路には相応しいとすら思ったほどに。


 だけど未来は違った。


 五十年の空白期間を経て私は意志を取り戻した。

 私にとっては諦めがついて自我がおかしくなるくらいの長さ。彼にとっても、色々なものを喪失してしまうくらいの長さ。


 その間、もし私が意識を持っていたら……

 身体が動いて、彼に自分であることを証明できていたのなら、こんな風に擦れることはなかったのだろうか。


 眠る必要のない肉体。

 一人でベッドに寝ころびながら湧いてくるのは後悔ばかりだ。

 償いきれない罪がぐるぐる胸の中を巡っては消え、また沸々と湧いてくる。


 どうして私はあそこで止まれなかった。

 どうして私はあの時一歩でも早く現実を見れなかった。

 どうして私は自分の感情ばかり優先して仲間のことを置き去りにしていたのか。


 どうして、どうしてどうしてどうして。


 胴体を貫かれて死んだ香織。

 血を吐きながら死んだ綱基。

 衰弱して倒れ込みそのまま死ぬ私を見送った、勇人の酷い顔。


 全てが鮮明に思い出せる。

 瞼の裏にはずっとその光景が焼き付いている。


 それでも私に狂う事は許されない。


 生きて行かないと。

 死んでしまった彼の代わりに。

 彼を死なせてしまったのだから。


 生きて行かないと。

 倒れた私をひどく悲しそうな顔で看取った彼の気持ちの為にも。五十年で失ってしまった人間らしさを取り戻すためにも。


 あんなに戦って頑張って人生を全て投げ捨てて戦い続けて世界を救った人の今が、こんな形で終わっていい訳が無いんだ。


 だから、勇人。


 私はあなたが人らしい部分を取り戻すまで、あの手この手で足掻く事をやめない。


 傍から見ればバカバカしい手段でもなんだって試す。


 私の身体を使っても構わない。


 私の全ては勇人のものだ。

 あなたがいないと生きていけない。

 あの日々は、私の人生を振り返らせて、後悔の念を募らせ、深い反省を抱かせるには十分すぎた。


 あなたが呼び起こしたの。


 それはつまり、このまま死んでしまうなんて許さないってことでしょ?


 覚悟はした。


 私は全てを賭けてあなたに報いる。


 世界の全てがあなたを否定しても一緒に地獄に落ちるから、逃げれるなんて思わないでよ。

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