第157話
晴信ちゃんを育て始めて五日。
迷宮省側に任せてたお役所仕事も終わりを告げ、ついに新たな住居への入居日がやってきた。
買うことにしてた家具をそれぞれお店を回って回収し、繊細なものは配達をお願いして、別にそうではないものはそれぞれが抱え車で移動すること一時間。
東京23区内ではあるけどほぼ外れの場所にポツンと建つ大きな家の前に到着した。
「え、大きいな……」
想像してたより大きい。
そう、それこそ……有馬くんの家より大きいぞ、これ。
「そうだろう。ここは一世帯が住むには大きすぎる。宿泊施設が営める程度には部屋数があるし、設備も整っているぞ」
「一体なんのために建てたんだ……?」
「さあな。だが時代背景を含めれば想像に難くない」
時代背景、ねぇ。
……戦後の動乱をおさめ生き残った人達が国内の生存者のみで文明をもう一度復活させていく中で、非常に短いスパンでの高度経済成長が発生している。
人類圏の確保が終わってから一気にそれが起こったはずだ。
擬似的なバブルと言うのかな。
僕は経済に明るくないから香織の言葉から察せるのは短いことだけ。つまり、これは戦後の需要の中で生まれた産物の一つなんだろう。
「第一次産業が整えば次が来る。全てを失いそれでも立ち上がり前を向いた者達が、自分たちの栄光の象徴として、たくさん生まれた次世代に受け継ぐための遺産として、各地にこういったものが用意したそうだ」
「気の長い話だ」
その有難い遺産を僕ら同世代の人間が使うのはどうかと思っちゃうけどね。
だがしかし、ちょうどいい物件──主に、仲間達のお目に叶うと言う意味で──だったんだから仕方ない。
「一人一部屋は余裕、それに加え来客用の空き部屋もあるし応接室なんかもある。はは、ここまで来ると事務所だな」
「あながち間違いでもないのがねぇ……どうせ、何度も迷宮省とやりとりするんだし」
「令和の世なら癒着だなんだと批判されゴシップに取り上げられていただろうな」
妙に感情の籠った声色で香織が言った。
「今だってそうじゃないか。僕なんか毎日SNSで本命は誰だと茶々を入れられてるよ」
「それはアンタの自業自得でしょ」
「もちろんその中には君もいるんだけどね」
「…………」
微妙な顔で無視を決め込んだ澪はさておき、ひとまず中に入ろう。
ちなみに、中を見たことがないのは僕だけで後のみんなはすでに内見を済ませている。これは仲間はずれにされたとかそう言うわけではなく、僕に拘りがないとわかっている上に晴信ちゃんとダンジョンに行ってるから無視されただけだ。
決して仲間はずれにされたわけじゃあない。
そう思いたい。
物理的な鍵と電子的な鍵の二つを解除して、扉を開く。
「…………おお……」
中にはいればあるのは一面のガラス。
透過した向こう側にはリビングがある。
広い……えっ、これ本当に一軒家なの?
民宿って感じを想像してたらお金持ちの家が出てきて硬直していると、後ろからみんな入ってきた。
「……どうだ?」
なぜか不安そうに香織は訊ねる。
「ん、んん……僕には勿体無いくらいの豪邸だと思うよ。うん」
僕は至って普通の一般家庭出身だ。
だから驚きが強い。
別に拒否感があるわけじゃない。
貧乏なのが素晴らしい、なんてことを言うつもりは一切ない。むしろそれとは真逆、贅沢で煌びやかな生活を全ての人類が行えるならそれこそが素晴らしいとすら言えるよ。
現実問題そんなことはあり得ないんだけどね。
ただ心持ちとしては、貧困や苦しみにあえぐ姿を嫌と言うほど見てきたから、そう言うのと無縁な生活を全ての人が行えればいいなと思ってる。
これは昔から変わらない。
誰もが苦しむことなく、己の人生を楽しく過ごせればいいなって思ってるよ。
「……かつて、お前に言ったな。富める者の義務、というものを」
「そうだね。現代になってもよく目にしてる」
瀬名ちゃんは本当に高潔な精神をしていた。
初めて顔を合わせて話した時なんか、香織と重ねて見てしまったほどだ。
「私はそう言ってお前を巻き込んだ。ただ戦う力だけを持っていて、しかし、人と変わらない感性を持ったお前を」
「うーん、あの時点ですでに命を奪うことに躊躇いがなかったから一般人と変わらなかったかと言われると微妙だけど……」
「人は殺さなかっただろ? 殺してやりたいと思う奴はいたが、むしろお前は怒る私を諌めた」
「そりゃあ、人殺しはよくない。でも手を出したことがないわけじゃないさ」
「あれは……まあ、その、なんだ。そんなこともあったが、それはいいんだ」
香織はわずかに嬉しそうに口元を緩めたのち引き締めて言う。
「私が言いたいのはな。お前は戦うことばかり考えすぎだ。今、霞のおかげでそれなりにまともになったがまだまだ足りん」
「えっ、私……?」
「富めるものの義務。まあいいだろう。では勇人は何もかもを持つ豪族か? 違う。お前は全て失い、今だってなにも取り戻せていない」
「香織と澪がいる。それだけで十分だけど」
「味覚は? 睡眠欲は?」
「それは、必要ないからなぁ」
「……それこそが問題なんだ。人が人らしく生きるためにはそのどちらもが必要なんだよ」
と言ってもね。
肉体的には人外で、精神はまだ人間であると思っているからそれで十分じゃないか?
「ダメだ。私が許さん」
「横暴だ……」
「そういう女だからな。それに──愛する男に幸せになってほしいと願うのはおかしいか?」
おっ……
おお……。
困ったな、ちょっとドキッと来た。
特に、キメ顔で言ってる割に耳が真っ赤になってるところとかが、特に来た。
「……と、とにかく! お前はこれから戦いを続けるが、それと同時に無くした物を取り戻さねばならんのだ! いいな!?」
「……うん。ありがとう、香織」
まったく、僕にはもったいない良い女だ。
思わず抱き寄せたくなるのをぐっと堪えた。
「……ここがこれから、お前の帰ってくる家だ。良いな?」
「……ああ。これからもよろしくね、みんな」
晴信ちゃんの家に居候してた時もそうだけど、僕は、自分の戻ってくる家があるってことに安心感を得ているらしい。
香織に、澪に、霞ちゃんと紫雨くん。
不思議な共同生活だ。
でも、これがこれからの日常になる。
そう思うと、思わず口元を緩める程に嬉しくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます