第154話

 前書き

 今回後書きにてちょっとした言い訳がありますが、そういうのが見たくない方はお気をつけください。

 





 雨宮霞にとって土御門香織という女は一言で語り尽くせない相手だった。


 嫌いなわけではない。

 むしろ好意を持っているし大好きな一人である。

 大人としての責任を背負う覚悟があり、立場に甘える気がなく、力を振るいより良い道に歩いていこうとする気高さがある。

 楽な方向を認めつつ、決して靡くことはない。

 辛く険しく、しかし光の強い方向を見失わず。

 かっこいい大人とはこういう人のことを指すのだろう。

 率直にわかりやすく言えば、土御門香織という女性のことを尊敬していた。


 それと同時に嫉妬していた。


 雨宮霞はこれまで、物語のヒロインのような立場にいた。


 ダンジョンの地下で死にかけて、辿り着いた先に封印されていた黎明期の勇者を名乗るリッチが居て。

 モンスター混じりの肉体になり命が助かった。

 その代わり命令権があったり感情が伝わってきたり、顔が良くて身体もすごくて頼れる男の人に飼われるような立場になった。

 そのくせ男は妙にフランクで霞に対して距離感が近く、そういう目で見ることはないと告げてくるくせに、女を刺激するのが上手い。

 腹立たしかった。

 でもそれ以上に好きになった。

 魅力的な異性か頼れる人間としてかは定かではないが、少なくとも、この男を独占している事実がとてつもない優越感をもたらす程度には好きだった。


 だが、そんな日々は終わった。


 彼がかつて並々ならぬ想いを抱いていた女性が生き返った。


 霞の姉を起点とした一連の騒動も片付いた。

 しかも、五十年近くずっと男の近くで見てきたかつての仲間も復活した。それらのことを隠す事はできず、世間に公表し彼ら彼女らは受け入れられた。


 霞も、それを喜んだ。

 手放しで喜んだ。

 男、勇人の抱える感情の重さを理解していたから。

 自分だけで彼を支えることは出来ないと悟っていたから。

 未来に届く可能性があったとしても、今この瞬間支えることが出来ないとわかっていた。


 だから喜んだ。


 しかし結果として霞が得たものは、失ってすらいない喪失感と、どうしようもない程の焦りだった。


 唯一の理解者というポジションが消えた。

 唯一の共犯者というポジションが消えた。

 唯一の共同体というポジションが消えた。

 唯一の支配下というポジションが消えた。

 雨宮霞という女性が勇人という男に出会ってから得たものは、ほぼ全てが他人のものになった。


 代わりに強い焦りを得た。

 役立たずになりたくないという思いが強くなった。

 捨てられたくないという願いが必死さを駆り立てた。

 他人に攻撃的な感情を抱きたくないという至って普通の善良さが、彼女の心を蝕んだ。


 土御門香織は五十年前、勇人を見出した張本人だ。


 絆も自分より深い。

 互いの感情も成熟されて向け合うことに忌避感がない。

 あれだけ自分に対して一線を引いていた勇人がグイグイ迫っている姿を見て、霞は胸が引き裂かれるような痛みがあった。


(だけど、これは恋じゃない)


 恋なんて甘いものではない。

 勇人に抱いているものはもっと重たく粘つくものだ。


 全て、そう、全てだ。


 雨宮霞は全てを捧げたいと思っている。


 勇人に出会わなければ死んでいた。

 勇人もまた、霞に出会わなければそのままだった。

 エリートとやらの動きを悟ることもできず、いずれ日本は黎明期の再来を招いていただろう。総力戦になる前に相手の計画を悟り戦力を削れたのは、間違いなく霞があの場で死にかけたおかげだ。

 だから自分だって特別だと、そう思いたかった。


(──そんなわけはない。私は、特別なんかじゃない)


 特別でもなんでもない。

 自分は、雨宮霞は、ただ運がいいだけだ。

 生き延びれたのも、その後に選ばれたのも、ただひたすら運が良かったから。生きる道を探すのに疲れて探索者になって、死にたくはないからがむしゃらに行きていただけの自分は、運が良かっただけ。


 本当に特別なのは、土御門香織や遠藤澪のことを指す。


 彼女らは特別だ。

 その能力もそうだし成し遂げたこともそうで、何より、勇人にとって特別だ。


 自分とは違い隣に立つ資格がある。


 それがひどく羨ましかった。


 一度得た立場を軽々しく崩壊させた二人が羨ましかった。


 嫌いだとは微塵も思わない。

 だが、自分もその立場になりたいと夢を抱いてしまう程度には羨ましかった。


 だから────霞は今の状況に絶望していた。


 暖かい湯に身を浸す彼女の両隣には、その二人がいた。


「ふう……まさか、こうして首都に戻って来れる日が来るとはなぁ」


 抜群のプロポーションを誇る肉体をタオルで隠している香織は空を見上げながらそう呟いた。


 肌が少し上気している。

 死体なのにそんな艶かしいのはなんで?

 霞は憤った。


「私は死地に戻ってきただけだからあんまり何も感じないわね」


 左隣には身体を一切隠していない遠藤澪が入浴していた。


 澪の身体も健康的で出るところは出て引っ込むところは引っ込む、夢のようなボディラインをしている。

 筋肉で部分部分が硬くなっている自分の肉体と比べて泣きたくなった。


(私も死体になればこんな綺麗になれるかな)


 これはしょうがない問題だった。


 霞の肉体は普通に生きているので、成長すればその分筋肉が付くし衰えればだらしなくなる。他二人は魔力で好きなように維持できる上に提供される魔力は化け物じみた量を誇っている勇人が出しているので困ることもない。


 回復ができるようになったとはいえ、好きなように身体を弄れるほど卓越してない魔力制御を恨めしく思った。


「これからここが生きる地になるんだ。死んだ記憶だって薄れていくさ」

「一瞬で死んだ方は気楽ね。こっちなんて勇人の泣き顔も覚えてるのに」

「おま……それは反則だろ」

「まあ、もう泣かせなくていいと思えば気は楽よ。死んでも蘇り放題だし」


(素直じゃないなぁ)


 なぜか二人に挟まれた状態で会話を聞いている霞は、澪の言葉にそう思った。


 澪は素直だが素直じゃない。

 ここまでまだ二ヶ月程度の付き合いだが、言葉とは裏腹に物凄く二人のことを大切に思っているのを理解した。


 昔、会話が殆どないくらい精神的に追い詰められていたと勇人に聞いた。


 それでも今こうして和やかに──多少棘はある──会話できている事自体が楽しいんだと語っていた。


 だから何を言われても勇人は楽しそうだし、澪側も楽しそうに返している。


(──いいなぁ。私も、そうなりたいなぁ)


 これは決して表に出すつもりのない嫉妬だ。


 雨宮霞は、かつて勇人の特別だった。


 短い間だったけれど、それは紛れもなく彼女にとってアイデンティティになりうるものだった。


 霞はダンジョン一筋だが、人並みに流行に詳しかったり、他人の目を気にする部分がある。だからこそ世界で唯一で尚且つ世界を救った人物に目をかけられているという事実に浸っていた。

 無論、それで驕ったわけではない。

 ただ純粋に嬉しかった。

 自分がまるで特別な人間のように感じられて、雲の上の人物だった一級探索者に目をかけられて、配信を観に来る人が増えて。


 自分が物語におけるヒロインになったような、そんな気持ちよさがあった。


 だが、それは終わった。

 本当は自分は特別などではなかった。

 あの時偶然出会っただけの小娘であり、勇人の想う人は他にいた。


 ただそれだけだ。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 他の誰であっても同じ立場になれた。

 かつて戦いを共にした四人とは違う。


(勇人さんは、私が死んだら泣いてくれるのかな)


 力になりたい。

 役に立ちたい。

 その思いは揺らがない。

 この身体を捧げ、人生を注いでもいいという覚悟がある。


 だがそれはそれとして、少しくらい見てほしいと願う邪な感情もあった。


 興味がないよと宣言されるのは辛い。

 本音を言えば、少しくらい女として見てほしい。


 そんな、ちょっとしたわがままだ。


(────諦める理由には、やっぱり、ならないなぁ)


 二人を見る。


 女としての魅力でも勝てるとは思えない。


 ダンジョンのことばかり考えてきた自分が、今更、そんな目で見てもらえることはないかもしれない。


 それでもそれは諦める理由にはならなかった。


 諦めなかったからこそ今の自分がある。


 それに、そういう目で見ることはないと宣言されても、勇人が女を取っ替え引っ替えする姿は見たくなかった。

 自分にその目が向くことはないと知っている。

 本質の部分で、他人にその目が向くことがないのも知っている。

 それでも、少しくらいは興味を持って、女として見て欲しかった。


(……うん。頑張ろう)


 隣に浮かぶ双丘には勝てないが、他の魅力を磨けばいい。


 別に選ばれたいと思っているわけではない。

 ただ、少しくらい良い女だと思われたい。

 それくらいのことを思う権利はあるはずだ。

 なぜなら自分は、勇人とカップルチャンネルをしてたんだから。

 少しくらいそういう目で見れる人でないとそんなことは了承しない。


 香織が復活してから幾度となく爆破されてきた脳みそは、この程度のことでへこたれたりしない。

 出会った当初から強かった霞の精神は強固な鋼に変貌した。

 勇人が寝取られるとか、そんな程度のことでは動揺すらしない。

 ただ嫉妬はする。

 嫉妬はするが、いずれ自分も少しくらい見てもらえれば、そしてあわよくば味見の一つでもしてもらえればいいな程度のものだ。


(勇人さんの負担にはなりたくないしね。私は軽い女でいい。邪魔になりたくないもん)


 常識的に考えてずっと想いを保ち続けて一歩後ろで歩き続けて最終的にちょっと手を出してもらえれば嬉しいと思うのはアホみたいに重いが、本人は迷惑かけなければなんでもいいと思ってる節があり口にすることはないのでそれを指摘する人はどこにもいなかった。


「しかし……勇人の女癖にも困ったものだな」

「それ全部香織の所為なんだけど」


(でもああいう感じがいいんだよね。わかる……香織さんもいい趣味してる。時々ぶん殴りたくなるけど、そういうところがまたいい……)


 真ん中で後方理解者面みたいなことを考えながら、二人の会話を聞いて楽しんでいると、香織が強く否定する言葉を吐き出した。


「ええい、私は知らん! そもそも五十年前の勇人は私の裸を偶然見ただけで顔を真っ赤にする程度には純情だったんだぞ!」

「ふーん。ふーーーん」

「…………忘れろ。忘れてくれ」

「私は忘れてあげるけど、霞はどうかしら」

「え゛っ」


 突如として飛んできたキラーパスに思わず変な声を上げた霞は、二人の視線が集まっていることに気がついた。


 というか、そもそも何でこの広いお風呂で二人に挟まれてるの?

 お姉ちゃんはどこに行ったの。

 当てつけなの?


 のぼせ始めた思考と先ほどまで考えていたことがぐるぐると周り、霞は何を言うのか迷った。


「す、すまん。その、今のはあくまで勇人がああいう男じゃなかったということを言いたかっただけでな。決して他意があるわけじゃ……」

「…………です」

「え?」

「私は、今の勇人さん、好きですよ」


 まず、あんな距離感で顔がいい男がいれば普通に好きになるでしょ。


 誰にいうわけでもない言い訳を心の中で漏らしながら、霞は続けた。


「私結構勇人さんのこと好きです。香織さんには勝てないかもしれないけど……置いて行かれたくないって思う程度には、好き」

「…………そうだな。私も、今のあいつが好きさ。愛している。だからこそ困るんだ、ああいう態度を誰にでも取られると。年甲斐もなく嫉妬してしまうからな」

「そういう部分ひっくるめて、しょうがないなあって思いません?」

「困ったことに、思う。惚れた弱みという奴だ」

「私は違いますからね。異性としての好きとかじゃなくて……」

「別に、それでも構わないが」

「…………え」

「君が勇人のことを好きで、一人の女として愛していても構わない。そもそも私一人であいつを常に見ておくことなどできんだろうしな」


 香織も澪も理解している。


 勇人の精神が遠い昔におかしくなっていることに。


 おかしくなって、それでもなお狂い切ることは選ばずに、人間として生きていくことを強く願った。

 己は人間である。

 人は美しく、しかし醜い生き物である。

 それでもなお人は美しく高潔にあれるはずだと。


「人としての勇人は香織が死んだ時一緒に死んだ。後半のあいつはモンスターを殺すだけの機械みたいだったし、私達の犠牲を悼んでくれたけど……それが要因でますます壊れてしまったから。少しずつ元に戻ってたのが、香織の復活を機に少しマシになって、私が蘇ったことで少し悪い方向に傾いたわ」

「だからあいつを繋ぎ止めるものがいる。女だろうがなんだろうが、あればあるだけいい。あいつには全てが終わった後のんびりと生きていこうと、そういう気持ちになるためのものがとにかく必要なんだ」

「……私もそれに、混ざっていいんですか?」

「? 混ざるも何も、既になってるだろう」

「……え?」

「雨宮霞は、勇人をこの世に繋ぎ止めるための大切な一人だよ。君が望まずともそうなっている。悪いとは思うが、これはもう止められん」


 申し訳なさそうな表情で香織は言った。


 最初出会った時から、既に霞は勇人を現代に繋ぎ止めている大事な人間だった。


 自分と同じように人生を一つのことに捧げていること。

 人としての美しい意志の強さを持っていたこと。

 そして、他ならぬ勇人の手によって命が救われたこと。


 壊すことしか知らない勇人が唯一自分の手で救った一人。


 無意識の部分で勇人が霞を特別扱いしていることを、香織と澪は見抜いていた。


「君には負担をかけて申し訳ない。だが、勇人は……我々が想像しているより打たれ強く、しかし、打たれ弱い。支えてやらなければならん」

「……い、いいんですか?」

「なにがだ?」

「私なんかが支えになんて、いいんですか……?」


 雨宮霞は、特別だった。

 しかし今はそうではない。

 ただ自分に追いつく可能性がある一人である。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 かつてともに世界を救った仲間たちが復活した以上、自分が踏み込める場所ではないと思っていた。


「無論だ。というか、君がいなければどうするのかという話だよ」

「……ペットは飼い主に似るって言うけど、これって人間にも適応される話よね」

「失礼な言い方をするんじゃない。……同意だが」

「霞、あんたね、自己肯定感低すぎ。そんなとこまで勇人の真似しなくていいのに」

「え、ぅえ……」


 思わず狼狽えた霞に、二人は優しく微笑んだ。


「嫌なら嫌でもいいんだ。本来我々がやるべきことだからな」

「ま、復活までさせられちゃったらやらないわけにはいかないわよねー」

「ナンパな気質を得たことで生きやすくなってるならそれでいいさ。耐えればいい」

「……ま、本気で女をどうこうって考えは一切ないんでしょうけど。あれを素でやってるのがやばい」

「囲ってやろうと邪な思惑があればまた別なんだが……素であの誑しっぷりなのに、止めれるわけがない」


 はぁ、と本気のため息を吐いた。


「まあ、そんな訳だ。今すぐ答えを出して欲しいものでもないから、じっくり考えてくれ」

「えっ、あ、はい……」


 湯から一足先に香織が上がり、その後に澪が続く。


 いつの間にか誰もいなくなっている大浴場で、霞は一人、今なにが起きたのかを考えるのだった。











 以下後書き


 









 アークナイツの新イベントをがっつり摂取して文章と話の構成が影響を受けてる気がするので、この話を簡単にまとめると『勇人から向いてる愛は間違いなく全て同じかそれ以上の量で返されている』ということです。

 

 それとπは香織>エストレーヤ>>>澪>霞です。

 

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