第148話
土御門香織はお嬢様だ。
本人はただの成金の娘と謙遜するが、受けた教育も育った環境も一般的な基準と比べると大きく差が開く。
そんなお嬢様だが生活水準の低下に嘆く事もせず、五十年前の戦いにおいて一度たりとも文句を言わなかった。
兵士と同じテントで寝た。
何日も身体を洗えなかった。
食事は最低限の栄養を摂るもの。
肉が食べられるようになったのは勇人と合流してからだ。
辛抱強く、やや自己犠牲気味で、善良な正義感持つ令嬢。
それが土御門香織という女の簡単な評価になる。
「────勇人。お前、これはどういう事だ」
そんな彼女にも許せない事があった。
たとえその対象が愛する男であったとしてもだ。
目の前で居心地悪そうに眼を逸らす男──勇人に睨みを利かせながら、彼女は問う。
「なぜ……なぜだ? あれだけ私は教えただろ。なあ、ちゃんと選べって……」
「その……悪かったとは思ってる。でもさ、しょうがないだろ。元々そういうのは得意じゃないんだから」
「なら聞けばよかったじゃないか! どうして──どうして服がたった二着しかないんだ!!」
香織は嘆いた。
勇人が持ってきた荷物はあまりにも少なく、妙に生活感が薄い部屋だなと思っていた。
ホテルだからしょうがないと飲み込んでいたが、数ヵ月滞在してるにしては変わった様子がない。何かがおかしいと思って勇人の持ち込んだ荷物を確認し、それは確信になった。
「お前! 老廃物が出ないから服なんて適当でいいと思ってるな?」
「……いや、そんなことはないよ。その証拠にほら、ちゃんと汚れたら着替えてるし」
「普通は汚れなくても着替えるだろうが!!」
勇人は顔を逸らした。
その昔、この男は生活力が皆無な状況で一人暮らしをしていた。
ゴミが溢れた部屋の中でその日暮らしをしていたので当然片づけは出来ない。
そして衣服のセンスも終わってたので一張羅が白Tシャツとジーンズだった。毎日ジャージだったから使う事も無かった。髪型もただ伸ばしただけのロンゲだったのでセンスの欠片もなく、それらを改善したのは全て香織である。
そう、香織は当時の勇人に対して本当に献身的だった。
人としての大事なもの全て置き去りにした戦闘マシーンだった勇人を少しでもマシにしようとあの手この手で常識を教えた。結果として彼女の性癖詰め合わせ男になったのはともかく、『現代で一人でも生きていける』基盤を叩き込んだ。
そうした結果がこれで、彼女は憤った。
「勇人、いいか」
「はい」
「金がある奴は使うのが仕事だ。見た目がいい奴は磨くのが仕事だ。強い奴は戦うのが仕事だ。違うか?」
「違わない、かな……」
「なら私が何を言いたいか、わかるな?」
「……………………」
「拗ねるな」
不貞腐れたような顔をする勇人に対し呆れつつも笑みを浮かべながら、香織は続ける。
「なあに。私がお前をコーディネートしてやる。任せておけ」
「…………趣味でしょそれ」
澪は知っていた。
香織が自分の好みを押し付けまくっている事を。
そして勇人がそれをなんとなく理解していて嫌がっておらず、寧ろ受け入れている事も。
(…………とっとと結婚しろ)
「ふむ。これはどうだ?」
「いいね。似合ってる」
「少し若すぎるかと思ったが……」
「君は十分若いだろ。髪の色と合わせてちょうどいいくらいだ」
「そうか……」
どこか嬉しそうにはにかみながら香織は服をラックに戻した。
「いいのかい? 似合ってたのに」
「冷静に考えて、三十路になるのに黒のワンピースは攻め過ぎだ」
「そんなことないけど……」
「そんなことある」
勇人の生活必需品を買い揃えると言う名目でショッピングモールへと足を運んだ二人は、すでに目的の品を集め終えていた。
今はせっかくだからと勇人が言い出したため、香織の衣服や化粧品を見繕っている最中だった。
「あまり若作りしてもなぁ」
「いや、若いんだけどね? 肉体年齢で考えなよ」
「死んでた分を考慮すればお前と変わらないくらいだな」
「復活してからでいいでしょ。まだまだ魅力的なままだぜ」
「…………そ、そうか」
いつも着てる服から、一緒に決めた服へと着替えている勇人の何でもない一言に少し動揺しつつも答える。
「まあ、お前の隣に立つのに相応しい姿はせねばならん。背に腹は変えられんか……」
「僕は香織がいてくれるだけでも嬉しいけどね」
「……お前、揶揄ってるだろ」
「あ、バレた?」
「悪いところばかり吸収したな……!」
「君の調教の賜物さ」
実際、勇人は香織が居れば何でもいいやの精神になっている。
考えなければいけないことはあるが、これまでの五十年に比べれば何倍も何十倍も何百倍もマシだ。
エリートは恐ろしい。
だが、国は滅んでない。
頼れる若手だっている。
それに加えてかつて死んだ筈の仲間達が復活してるのに、一体何を嘆こうと言うのか。
霞に出会った後がもっとも精神的に不安定だった男は、今、精神的にもっとも安定していた。
「でもさ香織、考えてもみてごらんよ」
「うん?」
「過去の出来事を公表した後に香織が隣にいることを、誰が否定するって言うんだ」
勇人は人のことが好きだ。
愛していると言っても過言ではなく、良いところも悪いところも含めて好いている。かつての黎明期においてすら人に愛を謳ったのだから、現代の人類のことをかなり高評価していた。
「みんなきっと祝福してくれるよ。こんな僕にさえ彼ら彼女らは優しかったんだ。僕を僕たらしめた偉人である土御門香織に石を投げる人なんて、世界中見渡しても見つからないね」
「さて、そればかりはどうかな。嫉妬で嫌われるかもしれん」
「もしそうなったら、僕がこの手で守るよ。当然だろ」
その目は笑ってない。
口元を軽く曲げただけの笑み。
勇人がわずかに抱いた不愉快だという感情が伝わり、二人の馴れ合いに巻き込まれたくなくて外出を控えていた澪はホテルで身震いした。
「もう、君のことを傷つけさせやしない。誓おう」
「大袈裟な奴め」
「好きだろ? こういうの」
「…………女たらしが」
「繰り返して言うけど、香織の所為だから」
ニッコリと浮かべた笑みに対し、香織は顔を背けた。
この後、勇人がショッピングを行っていることがSNSで拡散され隣にいる香織が何者だと多少話題になったりしたが、それはまた別の話になる。
次から新章に行くと思います。
よろしくお願いします。
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