幕間

第145話

 その日はたまたま休みの日だった。

 休日とは言え僕は継続して世界情勢の勉強をしていたし、香織も特別探索者としての資格発行が決まっていたから勉強中。澪も現代の常識を改めて学んでいて、快晴の中全員が部屋に引きこもってタブレットと睨めっこをしている最中の出来事だ。


「……あ、そうだ。澪ってベッド派? 布団派?」

「どっちでも。あんな経験した後じゃ寝床なんて気にしないし」

「ん、そっか」

「……あれ、何それ。物件?」


 僕の質問に疑問を抱いたのか澪が手元のタブレットを覗き込んできた。


 そこに表示されているのは勉強に必要な資料や記事ではなく、関東の物件情報に関して纏められているリストだった。


 そしてそれらは不動産を介している物じゃない。

 国の保有する物件だ。

 三級以上の探索者になると、ダンジョン警報の際や国の一大事に緊急出動しなければならない義務がある。


 そのため民間で家を借りたりするのではなく、国がここに住めと管理している土地と家を提供してくれるのでそれぞれそこに居を構える形になるのだ。

 ちなみに管理は迷宮省の職員として雇われた元探索者なんかが行っている。

 つまるところ、弱者になってしまった人達の救済措置だ。


「うん。いい機会だし、家を持とうかと思って」

「ほう! 家を!」


 なぜか急にテンションが上がった香織が絡んできた。


 持つ予定はなかったんだけどね。

 特別探索者という身分であるが故に僕らは土地に縛られない。


 だから全国各地を飛び回れるし、いざってときはどこにでも行ける。


 強さ的にもそうするべき。


 僕一人なら、だけど。


「これからは僕だけじゃなく、香織と澪も一緒に行動する訳だ。僕は私生活が終わってるから基本的に野宿でも何とかなるけど、流石に三人分となると嵩張る。そうなるとずっとホテル暮らしを続けていくのも中々難しい」

「あんたそれ自分で言ってどうすんの……」

「僕の生活力が終わってるのは周知の事実だろ?」

「お前な。鍛えてやっただろ」

「聞いて驚け。味覚が無いから料理は出来ないし洗濯はそもそも洗い物が発生せず、同居してたのが女の子だから洗濯物に触れることすらしてない。強いて言うなら皿洗いだけど、あれだって魔力で自動洗浄してくれる機器があるから人の手は必要ないんだ」


 いやあ、魔力と科学が融合した結果非常に生きやすい世の中になったよ。


 晴信ちゃんがお嬢様の割に俗世に塗れてる子だったから助かった。


 色々教えてくれたからね。


「……ん? それはいつの話だ。霞くんは四級探索者で家を持っていたのか?」

「あっ……えっと、その、アレだ。霞ちゃんに拾われて関東を出るまで女の子の家に居候してて……」

「…………ほう」


 場の空気が冷ややかになった気がする。


 少なくとも香織の目つきは冷たくなっていた。


 そういえば話してなかったや。

 世間に一般公開もしてないしこの情報は伝わってる訳ないよね。


 晴信ちゃんの家に二人まとめて居候していた事は秘密だった。


「いや……違うんだ、聞いてほしい。決してやましい事はしてない。霞ちゃんはあんな感じだし、晴信ちゃんはもっとビジネスライクな感じだった。彼女が家に泊めてくれたのは同情心と恩義からだ」

「晴信……流石に思い当たらん。誰だ」

「三門晴信。今は五級探索者だと思う。霞ちゃんが僕を拾う直前、一緒にダンジョンに潜ってた子だ」

「……ああ、そういうことか。納得した」


 香織は何があったか理解してくれたようで、ようやくその冷たい雰囲気を──収めてなかった。


 全然収めてない。

 むしろさっきよりも増えてる気がする。


 おかしいな、何が気に障ったんだろう。


「いい年した男が年頃の女性と一つ屋根の下で暮らしたと報告されていい気分になると思ったか?」


 香織の横から、澪の呆れた視線が刺さる。


「それは……その通りです」

「全く! お前はそういうところも昔から何も変わらん! どうせその方が効率がいいとか、感謝してるとか、そういう事を言われたんだろう? 誰でもいいのかお前!」

「誰でもいい訳じゃないけど……あれ? 昔香織と旅してた時普通に同じ部屋じゃなかった?」

「……………………」


 澪の呆れた視線が今度は香織に向けられた。


「『今の情勢で一つずつ部屋をとるような贅沢はしたくない』って、言い出したのは多分君だったような気が」

「…………さて、いい物件探しか。もちろん私の好みは反映されるよな?」

「香織、ワンアウト」

「くっ……!」


 フゥン、なるほどなるほど……


 僕ァね。

 男女の機敏には疎いけど、過去形で行われてた事なら意外と理解してるんだ。例えば香織が僕に対してパーソナルスペース全開になってた事とか、今考えてみれば距離感おかしいって所とかさ。


 僕とは二人きりで酒飲んだくせに一緒に戦った軍人さんとは絶対サシで飲まなかったよな?


「う、ぐ、ぐ……」

「へぇ、乙女ねぇ」

「このかわいさを知ったのは最近のことだけどね。いいだろ?」

「健気でいいと思うわ。まああの頃勇者様はそんなこと微塵も考える余裕がなかったみたいだけど」


 澪の全てを叩き落とす口撃により僕らは押し黙り、物件を表示していたタブレットは彼女の手元に収まった。


 綱基、悪いんだけど今すぐ復活してくれないか?

 吹っ切れた澪には勝てそうにないんだ。











「────くしっ」

「エストレーヤ殿、風邪ですか?」

「いんや、ちょっとむずむずしただけだ」

「戦場とは違いここはいくらでも温かくする道具がありますから、どうぞお身体にはお気をつけください」

「へいへい……」

「はぁ……言葉遣いもそろそろ勇者らしくなって欲しいものですが」

「そりゃ無理だ」


 最前線であった島の東部から後退し、姫勇者──エストレーヤは共に戦った騎士達と王都へと向かっていた。


 姫とついているが、彼女は平民出身であり決して高貴なる血族ではない。


 ただ便宜上、士気を上げるために姫という肩書きを据えられているに過ぎず、エストレーヤ自身はその肩書きがまずいことにならなければいいがと危惧している。


(ハァ……こっからどうすっかなぁ……)


 モンスターの血は何とか洗い流したが薄汚れた白銀の鎧をカチャリと揺らし、用意した丸太の上に腰を置いて、手に持ったカップを包むように持った。


(モンスターは追いやった。暫くは持つ。なんか知らんが『魔王』は人類に興味が無えし、八星将は殺った。四天王クラスでもまあ何とかなる。問題は……)


 そこで一度思考を止めて周囲を見た。


 隣に座るのは先ほどまで会話をしていた男であり、将軍と呼ぶ彼女と共に戦場を駆け抜け続けている騎士だ。


 といっても指揮官の立場であり、決して前線に出張る事はない。

 人型戦略兵器であるエストレーヤを如何にして投下するか、その扱いは人類で随一のうまさを誇る。

 ついでに貴族。

 それも面倒なことに公爵、つまり王族の血を引く一人のため、面倒な問題事を抱える一人でもあった。


(これからだよなぁ……暫くモンスターが攻めてこないとなれば優先的に固める方向に切り替わる。んで敵が攻めてこないなら人間同士で内ゲバやる隙が生まれちまうわけで。王都近郊まで攻め込まれても身内争いしてんだからまあ当然やるわな)


 すでにこの国の王族と呼ばれる面々とは顔を合わせているが、どうにも感触は良くなかった。


(島限定とはいえ)人類独立を勝ち取った王はともかく、その周りが問題だった。


 三人いる王子の内一人はエストレーヤに対し既に求婚を申し入れている。

 理由は単純、強い血を残すため。

 しかも嫡男だ。

 面倒事でしかない。

 残った二人はそういう目では見てこないが、逆に下賎な平民として蔑まれている。そっちの方が余程マシだった。


 王女は王女で面倒くさい。

 やはり島という閉ざされた環境で、現状外部に人類が存在するかもわからない状況がゆえに彼女らに対する王族としての教育が緩かった。


 他に国が存在せず、自分たちを脅かす連中も出てこない。

 そんな状況で百年近く存続しているのだからしょうがないことかもしれないが、それにしたって面倒だ。


(姫勇者とか言い出したの俺じゃねーっての! 誰だよマジで! なんで王侯貴族の中で平民出身の女を姫とか言っちゃうかなぁ……)


 寧ろ、平民がそんな風に言われていることを利用した王が強かだった。


 エストレーヤにも家族がいる。

 他人の記憶と人格があるからといって、幼い頃から育ててくれた恩を忘れるほどではない。

 それに、根本的に、彼女は善性だ。

 人を殺したいとは思わないし、いくら最低だと思っても、生存戦略の上で正しいと認める合理性もある。

 

 だから余計面倒だった。

 

 自分がそういったしがらみを何も気にしない人格ならば、そもそも勇者と担がれることすら許さなかっただろう。


(将軍はともかく他の連中もこれから求婚祭りか。俺が男ならともかく女だぞ? 一人産むのにどんだけ時間かかると思ってんだ。種馬ならぬ繁殖馬扱いは流石にごめん被る。……けど、この島に逃げ場はない。この島の地上には)


 これまで各地を回ったことで大まかな地形は掴んでいる。

 それに加えて作戦のために島全体の地図も見ているため、逃亡先の吟味は出来た。


(──迷宮。モンスターの置き土産。アレは、間違いなく向こう・・・のと一緒だった)


 姫勇者エストレーヤには秘密がある。


 前世の記憶。

 ここではない異世界における、一人の青年の記憶。

 混ざり合い、異世界に生を受けた一人の女性でありつつ、現代日本に生きた青年の自覚を持つ彼女は、その記憶を思い出しながら考えた。


(あいつらはどうやって向こうに行った? 確実に方法がある筈だ。一方的に送り込む、そんな秘密が……)


 こちらの世界では迷宮と呼ばれているそれの最下層にまだ踏み込めていない。


 迷宮の最下層には何かがある。

 そう言われ続けて、この島にある迷宮を踏破した者は誰一人としていなかった。


 答えはシンプル。

 誰も辿り着けなかったのだ。

 誰一人として最下層に到達するほどの強さを持っていなかった。


 魔王軍幹部とすら対等に渡り合える彼女ならば、踏破は夢じゃない。


(鬼が出るか蛇が出るか。どちらにせよ、分の悪い賭けになりそうだ)


 静まり返った野営地で、エストレーヤは一人思考を巡らせる。


 人類を救った引き換えが繁殖馬扱いなのは許せない。


 前世で得た倫理観が、彼女自身の行く末を強く拒絶していた。

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