第117話
鹿児島ダンジョン特区は混乱の最中にあった。
混乱と言っても、統制の取れていないカオスになっているわけではなく、連絡や怒号に各種部門が慌ただしく動いているがゆえの表現である。
「九十九一級の生体反応に変化有り! ダメージ増幅しています!」
「そうか。耐えられそうか?」
「スペック上まだまだ余裕だと思われます。彼女の耐久力は格別ですから」
「状況は逐一報告しろ。勇人特別探索者はどうなっている」
「戦闘続行中です。特に生体反応に変化はありません」
「頼もしいな。瀬名一級は何をしてる?」
「バイタルに変化あり。戦闘は行っていませんが、少し心拍数が上がっています」
「ふむ……」
鹿児島ダンジョンを預かる伊東は顎を撫でながら思案する。
上から出来ることはそう多くない。
ダンジョン内部の探知は難しく、かろうじて行えるのが各探索者たちの状況把握程度。念のために用意した二級探索者達はいるが、戦力の逐次投入は愚策。
最悪、救助のために捨て石にする覚悟はあるが、それはまだ早い。
「雨宮四級は?」
「特に変化ありません。戦闘中……では、ないのではないかと」
「そちらも要注意だ。彼女が一番脆い。最も危険な立場にいる」
「はっ」
部下に指令を飛ばしつつ思う。
この場所から一体何が出来るだろうか、と。
たった四人の肩に乗ったものはとても大きい。
これからの人類の行く末を左右するものであり、既に鹿児島ダンジョンを拠点に活動している探索者たちは何が起きているか察している。
いずれ話は広がっていく。
SNSでももう隠していない。
失敗すればどうなるかは、予想に難くない。
「どうされました、所長」
「……いや。我々は無力だと、そう思っただけだ」
常日頃の業務では世の役に立っている。
ダンジョンの恐怖はまだ薄れていない。
ダンジョン内部で活動する探索者達が『配信』という形で戦いを娯楽にして提供したことで、『こんな命懸けなんだ』と再認識させる事にも成功した。
ダンジョン警報が鳴った時、彼ら職員は無力だった。
マニュアルに従い避難を促し入り口を封鎖し対応できる資格を持った探索者を待つ。その時に出来る事も限られていて、職員が直接自体の収拾に介入することなどほとんどない。
「それは……仕方ない話です。我々は
苦笑交じりにそう呟いた職員は、養成校の出身であった。
養成校を卒業し全員が探索者になるわけではない。
卒業は出来ても資格を得られなかった者は他の道を選ばざるを得ないからだ。その行き先は多岐に分かれるが、最も多いのが迷宮省やダンジョン特区関係者で、次点で一次産業従事者である。
彼は養成校在学中に探索者資格を得られなかったため迷宮省へと就職した。
魔力を使うのが致命的に下手くそだった。
恐怖で足が竦み、ダンジョン実習で立ち向かえなかった。
そこそこの魔力と致命的な気性。
測定値で言えば魔力C程度の量を持っておきながら戦えない事を恥じて、彼は支える道を選んだ。
「任せましょう。彼らは強いですから」
「……そう、だな」
所長である伊藤もまた、探索者になれなかった過去がある。
一手間違えれば死ぬというのはとてつもないプレッシャーだ。
彼はそれに耐えられなかった。
一つ間違えば全てを失う。
育てた親の愛と時間。
己の積み上げて来た苦労と努力。
十数年という決して安くない数積み重ねたものをたったの一瞬で消費するのはあまりにも切なく、そして恐ろしかった。
だからこの道を選んだ。
ダンジョン特区で働く人間の多くはそういう者の集まりだ。
戦う事を恐れ、しかし、戦う勇気のある人を支えたいと願った者達。
脳裏に浮かぶのは一人の少女。
養成校を優秀な成績で卒業し、父が担当していたダンジョンで経験を積むためにやってきた、とある名家の三代目。
凛とした顔立ち。
英才教育を施されて来たのだろう、学校を卒業したばかりとは思えない真っ直ぐに伸びた背筋と丁寧な所作を披露しながら、彼女は言った。
『戦うのは怖くありません。
「器が違ったな」
死ぬことより恐ろしい事がある。
そう言ってのけた娘を見てから、これが戦える人間とそうではない人間の差かと改めて思い知った。
「願わくば、勇士が皆戻ってくることを祈るくらいしか──」
その時だった。
どよめきが管制担当から広がっていく。
報告を待つよりも先に、伊藤は先程まで話していた職員に確認を促した。
「────これ、は……」
「どうした。何が起きた」
「……九十九一級が帰還しました」
「おお!」
「無事か?」
「命に別状はないでしょうが……二人、抱えています」
「位置情報は!」
職員達の怒号の如き声が響いた。
しかしそれは統制の取れてない混乱ではない。
誰もが聞きたい内容を単刀直入に訊ねた伊藤に、職員が答える。
「瀬名一級、および勇人特別探索者はまだダンジョンの中。雨宮四級と九十九一級の反応が地上まで上がってきております」
「つまり抱えた二人とは雨宮姉妹の事か」
「おそらくは。──失礼、現場から連絡です」
無線を介し、ダンジョン入口付近で待機していた職員から連絡が来たことで一旦作戦本部は落ち着いた。
一番ダメージを受けていた九十九が脱出し、その両腕に最優先対象である雨宮紫雨を抱えている。そして、言い方は悪いが、足手まといの雨宮霞も連れて来た。となれば後は地下に残る二人が戻れば自体の収拾は出来る。
作戦成功に一歩近づいたのだから、落ち着くには十分な情報だった。
きっとこの現場からの連絡も、深刻なものではないだろう──そう思った矢先の事。
『所長! すぐに増援をお願いします!』
一瞬、シンと静まった。
なぜ。
訊ねようとして、踏み止まる。
緊急事態だ。
ダンジョン警報の際や国際的な作戦に従事した経験もあり、彼は即断した。
現場、つまり帰還した九十九から何かを聞いて『増援』を要請した。
医療班の応援ではない。
つまり地下で何かが起きている、という事を意味している。
伊藤はそう判断し、そして、無茶を通すことにした。
「緊急回線を回せ。旅客機番号はメールにあった通りだ。不知火一級を呼び出せ」
「は……呼び出せ?」
「そうだ。呼び出せ」
「し、しかし。不知火一級はまだ時間がかかると」
「問題ない、そのための備えだ。それにな……」
──あの男がその程度の事出来ない訳が無い。
覚悟の決まった
その頂点に座す男が、空の上から落ちる程度の事、出来ない訳が無いのだと伊藤は言った。
空の上で到着まで待機していた不知火は、連絡を聞いて即座に外に飛び出た。
無論、暴風吹き荒れる空に、である。
扉を強制的に開き、同伴していた二級探索者に任せると青空に身を投げ出した。稲妻と化し、上空一万メートルからの高速滑空。
いや、最早堕ちていると表現した方が正しい。
重力と魔力による加速で、彼は文字通り稲妻と化した。
一万メートルを僅か
九十九が地上に戻ってからたった数分で瀬名の元に辿り着いたのだった。
(──さて。どういう状況だ、これは)
死に掛けの瀬名を救出し、ついでに足と腕を斬ったはいいが、いまいち状況がつかめていない。
目の前には無様に這い蹲る、映像で見た自称エリート。
正直な事を言えば、不知火にとってこれは期待外れな結果だった。
なぜなら、こいつは映像で見ただけで殺せると理解してしまったから。
空間転移は強力だ。
獣人エリートと共に連携を組めばかなり厄介である。
しかし、種が割れてしまった以上、地力で越えられた相手には勝てないタイプの能力だと不知火は考えた。
空間転移でチマチマ削られようが、一撃で殺せばいい。
勇人が至ったものと同じ結論を既に下している。
ゆえに、これは戦いにはならない。
不知火は戦闘狂のきらいがあり、強者との戦いが好きで、そしてそれを糧に強くなることに快感を覚えている。
しかし、彼は決してそれを優先しない。
社会的規範を身に付け、これまで生きて来た年上を敬い尊重しているのだ。
己の快楽のみを優先することなど唾棄すべき行為であった。
あくまで役割の中で楽しむ事こそが大事──そういう謎の美学を持っていた。
だから不知火は、立ち上がり攻撃を加えようとしている亜人エリートに対し、質問を投げた。
「おい」
「…………んだよ」
「貴様一人か?」
「……ハッ、誰が素直に答えるかよ、ボケが!」
溜めた魔力をそのまま投げただけの乱雑な攻撃。
だが、エリート個体の保有する魔力はそれだけで脅威だ。
万全の状態ならともかく、瀕死の瀬名が浴びれば死は免れないだろう。
球というわかりやすい形ではなく、波で魔力を放った亜人エリートは内心ほくそ笑む。
(当たれば一人は持っていける! 死に掛けを持ったままじゃ早く動けねえだろ……!)
そして避けた隙を突き脱出する。
先程まで試せなかった再生も
切り抜けられれば次につなげられる。
次に繋げれば、今度こそ人類に損害を与えられる筈だ。
波で視界を遮り、その間に両手足の再生を始める。
彼の予感通り、肉体が再生を始めた。
失われた部位が元に戻っていく。
それを見ながら笑みを深め立ち上がり、もう一度突然やってきた男へと目を向けた。
「──あ?」
ゴロン。
視界が回る。
地面に落ち、足のようなものが見える。
波は霧散していた。
そして、波は斬り裂かれたような痕を残していた。
「他にいないのか。つまらん」
その言葉を最後に、亜人エリートは意識を失う。
最後に見たものは、魔力波の向こうから飛来する雷撃だった。
(……手柄はこいつらのものだな)
なぜか空間転移を使用せず、数秒で死んだエリートの灰塵を見つめながら、不知火は足を地上へと向けた。
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