第116話

「──シイッ!!」


 攻撃を避け、受け、流す。

 片腕を失ったのにも関わらず攻勢は止まらず、寧ろ時間を経れば経るほど研ぎ澄まされていく。


「ハアッ!」


 振り抜かれた蹴り。

 避けるのは難しいと判断し、剣で受け、流す。

 無理なく逸らしているのに衝撃は身体を突き抜け両腕には痺れが奔った。


(──たまらんな、これは……)


 かつての一級試験であってもこれほど緊張してはいなかった。


 下層のモンスターといえど、所詮はモンスター。

 魔力の扱いも、膂力も、そして戦い方も獣同然。

 時に知性を持っているであろう個体との戦いもあったが、このように言語を解し戦術や技術を持った敵と戦うのは初めてである。

 防戦一方なのはいつも通りだ。

 問題なのは、攻撃の隙を見出せないこと。

 耐えて、耐えて堪えて忍んで、見つけた僅かな隙間に一撃を刻む。


 それが自称『才なき者』、有馬瀬名の戦い方だ。


 この戦い方の弱点はいくつかあるが、その中で最も脆い部分は。


 敵が格上であれば格上であるほど、勝ちの目がなくなっていくことである。


(一撃の重さが桁違いだ。膂力に魔力を乗せるのが上手い、いや、息をするのと同じくらい馴染んでいる。モンスターであるから当然だが)


 それでいて速い。

 威力と速さと正確さを持った攻撃など悪夢でしかない。

 それこそ勇人に鍛錬をつけてもらった経験があるから今はまだ耐えられている。丁寧に丁寧に隙を探し、敵の弱みに付け入る。

 彼女の勝ち目はそこにしか見出せないのだから、これが続くどころか時間が経つほど強くなっていくなど考えたくもない。


(ま、相手はエリート。かつて世界を混乱に陥れた人類の大敵であるのだから、その程度は出来て当たり前だ)


 しかし、彼女もまた強者の一角。

 最上位の傑物に触れ己を見つめ直した結果、彼女の芯は揺らぎないものへと変貌した。己の戦い方を卑下しながらもそれを決して手放さない。

 自分には自分の強さがある。

 この磨き上げた技術は紛れもなく『有馬瀬名』のものだと、強く自覚したのだ。


 だから彼女は折れない。

 弱った様子も見せない。

 困る仕草も感じさせない。

 ずっと変わらぬ表情、変わらぬ動作、上がり続ける敵の速度に己も無理やり合わせながら、それでも衰えることのない戦い方。


 ──祖父に憧れた。

 己の身一つでモンスターと戦い、そして荒廃した国を復興させて見せた祖父の人生そのものに。


 ──父に憧れた。

 偉大なる父親に負けることなく腐ることなく、持って生まれた能力を存分に磨き上げ一級探索者の主力であり国防を担う一人として矢面に立って戦う父に。


(憧れは、憧れ。私は私だ)


 有馬瀬名は殻を破った。

 閉じこもり、卑下していた己を受け入れた。

 名門の生まれで、偉大な家系の一人で、なのに大した才能を持たない自分が嫌いだった。


 しかしそれこそが自分だった。

 そんな自分でもいいと思えるようになった。


 だから崩れることはない。

 彼女は目論見通り、勝ちの目が見えるまでただひたすら耐え続ける。


 一方、対面する亜人エリートの胸中は────


(──ざっけんな……!! 堅すぎんだろが!!)


 こめかみに青筋が浮かぶ程度には苛立ちを隠せない様子で肉体を動かし続けている。


 それもその筈、彼の脳裏にはモンスターとしての本能か生物に対する殺害欲求や衝動的な破壊欲が暴れ回っている。

 生前の影響か、それとも彼本人の気性か、それに飲まれ暴走する程軟弱ではない。

 しかし、耐えられているからとは言え、その欲求に従うことを否定しているわけじゃない。

 つまり、彼は『いつでも殺せる筈の人類』を殺せないことで普段の冷静さを失いつつあった。


(さっきの女はバカみてぇに硬かったが、こいつは違う。堅ぇ。堅牢だ。技術わざがある。ああ面倒くせえ! 本気で女狐が恋しくなってきたぜ……!)


 空間転移という力はあまりにも便利で無法だ。

 彼の移動できる範囲は極めて広い。

 ダンジョン内は勿論、ダンジョン間を飛び回ることも問題ない。

 今ここを離脱して、仲間を連れてくることも考えた。

 だがそれは出来ない。

 腕を失ったことで空間転移がうまく出来なくなったのだ。


 一生続くわけではないという感覚はある。

 だが、今はできない。

 なぜ飛べないのかもわからない。

 その理由を解明するのは今ではない。


(崩れないなら押し切るしかない。だが片腕がない今決定打に欠けてる。モタモタしてれば増援が来るかもしれねぇ……)


 殴打を堰き止める瀬名の表情は変わらない。

 シンと感情を宿さない無表情で淡々と避け、受け、そらす。

 時折逸らした際のぶつかり合いで傷がつくが、それだけだ。致命打にはならず、そして反撃もない。


 耐えることのみを考える戦い方は焦らせるには十分だった。


 亜人エリートは己に増援がないことを知っている。

 そして人類が作戦行動をとっていることを悟っており、それはつまり、バックアップとして上に控えている戦力がいることを意味している。

 時間をかければ取れるだろう。

 時間をかけ過ぎれば負ける。


 瀬名は己に増援がないだろうと思っている。

 敵の増援があるかどうかは最早賭けであり、もしも増援が来れば自分の命は無い。不知火が来ているそうだが、まだ空の旅の真っ最中。

 間に合いはしない。

 故にこれは賭けだ。

 彼女はすでに捨て身の意志を持っている。

 死ぬまでは足掻く。

 死するならば仕方ない。

 死ぬのならば、役に立とう。

 大を取るために小の犠牲はしょうがない、と。

 かつて祖父や勇人達が抱いた決死の覚悟を持っていた。


(……やるか。やっちまおう。さっきは判断ミスだった。さっさと強引にでも奪うべきだった。やるぞ)


 亜人エリートもまた、同じ覚悟とまでは行かずとも博打に出ることを選んだ。


 乾坤一擲。

 どの道、新入りである雨宮紫雨は取り戻せそうにない。

 ならば一人でも敵戦力を削ぐことに集中した方がいい。

 決めた、今決めた。

 故に動く。


「──っ!?」


 殴るように見せかけた拳を開き、剣を掴み取る。


 ギュウウと握られた剣は軋み、瀬名の力ではぴくりとも動かない。


(まずい! 距離を──)


 僅かに見せた動揺。

 ほんの少し、堅牢な彼女の一分の隙を見逃さず、亜人エリートは大きく踏み込んだ。


 ──ゴッッッ!!!


 ダンジョンの床が大きくしずむ。

 踏み込んだ足を起点に円を描く地割れが生じ、力の向きが乱れた瀬名は体勢を崩した。

 空中でなんとか身を捩り立て直そうとするも、その隙はあまりにも大きい。

 剣を投げ捨て残った腕に魔力を集中させた男が、ニヤリと笑みを浮かべながら嘯く。


「くたばりな、お嬢ちゃん」


 ────べギャッ!!!


「──っ!!?!?!?」


 腕を交差し、少しでもダメージを減らそうともがいた。

 無駄な抵抗だった。

 空中で力の逃す場もない状態でのクリーンヒット。

 魔力の籠り具合も、力の入れ方も、そして当てるインパクトも完璧。


「っっっ!!? づぅ゛っっ!!」


 視界が明滅する。

 腹部が弾けたような痛み。

 熱した鉄柱が突き刺さったような、胴体が消失したような感覚。


 衝撃を殺せずダンジョンの床を転がり跳ねていく。

 無論それも彼女にとっては一つ一つが大きなダメージになる。

 魔力が一般化したとは言っても人類は人類のまま。

 有馬頼光や九十九直虎のような埒外の肉体を持たない限り、エリートの一撃は致命傷足り得るのだ。


 ゴロゴロではなく、グシャッ! ドシャッ! と人体が奏でるとは到底思えない音を発しながら瀬名はダンジョンの床を跳ね、やがて数十メートル離れた地点で勢いを止めた。


「ふぅー……」


 その様子を見て、亜人エリートは鬱憤が晴れたと言わんばかりの笑みを浮かべる。


 人類には煮湯を飲まされてばかりだった。

 勇人の襲撃を皮切りに、今度はなんでもない人間に手こずる。

 入れ替わった女には奇襲で腕を切り落とされるし攻めきれないし、抱えていた苛立ちの何割かは今の一撃で消えた。


 しかしまだ油断できない。


 あれだけ耐えた相手だ。

 確実に息の根を止めるまでは抵抗を重ねるだろう。

 何より、自分の全力の殴打を耐え抜いた女もいる。

 前例を鑑みると、血反吐を吐き何回も地面に叩きつけられた女が相手だとはいえ、決して慢心できる相手ではなかった。


「よし、殺すか」


 拷問し情報を得るという選択肢もなくは無い。

 だがそんな周りくどいことをする必要はなかった。

 情報は欲しいが、最悪デュラハンである黒騎士の力を借りて蘇生し吐かせればいい。何度も何度も殺して精神を磨耗させればいずれは吐くだろうという魂胆である。

 新入りのリッチは力を扱えないと言っていたからやらせなかった。

 デュラハンの黒騎士は熟練だ。

 自分よりも長生きをしている個体である。

 そういう手腕に関しては信用できる相手だった。


 いつもなら空間転移で一瞬で移動できる距離を悠然と歩き、一分経たずに瀬名のもとに辿り着く。


 ──有馬瀬名は有り体にいえば虫の息だった。


「っ…………! ぁ……が……」


 胴体は大きく凹み、幾つかの内臓が破裂している。

 口からも鼻からも血が溢れており、呼吸もままらない。

 ダンジョンの床に何度も叩きつけられたことで両手足にも傷は刻まれていて、特に左腕に関しては、折れ、捻れ、ひしゃげている。

 頭部からも出血を重ねている上に、ぶつかり衝撃を受けたことで脳に影響もあるかもしれない。


 ヒュ……ヒュ……とか細い呼吸を重ねながら、そんな激痛に苛まれながら、死が目前に迫っていながら、それでもなお──有馬瀬名は、恐怖を抱きながら、亜人エリートを睨み返していた。


「────……っ?」


 彼女の視線を真正面から受け止め、亜人エリートは僅かに動揺する。


 何に動揺したのかはわからない。

 だが確かなのは、何か、琴線に触れることがあったことのみ。


(……いや、いや。なんだ? 何もないだろ。ただ人間が死にかけてる、それだけだ。殺しちまおう)


 瀬名の顔を踏みつけるように足を乱雑に乗せ、踏み潰さんと力を込める。


 感慨はない。

 ただ邪魔だった敵を殺すのみ。

 そこまでやって、ようやく今回の戦いはひと段落だ。


 下で戦闘をしているであろう勇者と黒騎士の戦いに巻き込まれたくはない。空間転移が使えるならまだしもステゴロで混じるなど愚かな行為は出来ない。

 男は弁えていた。

 己があの領域にいるなど自惚れてはいない。

 放っておけばいずれ黒騎士が勇者の首を獲るだろう。


 それくらいの実力はあるはずなのだから。


 故に、ここは一人葬ることで一旦の決着だ。


 そう考え、ミシリと瀬名の頭蓋が悲鳴をあげた──その時。


 雷撃が奔った。


 閃光そのものだった。

 亜人エリートは反応することすら出来なかった。

 視界を眩い光が覆ったと思えば、一瞬で過ぎた稲妻が身を焦がしている。

 肩口から大きく切り裂かれた胴体から血が溢れ出したと同時に、彼は気がつく。


「…………あ?」


 バランスを崩し、後ろに倒れた。


 立ちあがろうとして腕を突こうとして、空振る。


 残っていた筈の片腕が無い。

 地面に目を移せば、そこには無事だった筈の二の腕から先が転がっていた。


「……は?」


 立ち上がることが出来なかった。

 彼の左足は太腿から切断されているからだ。

 ドクドクと血が流れ出る。

 急速に失せていく己の命を自覚した頃に、足元に転がっていた筈の女がいない事に気がつく。 


「何が……」

「何が起きたかわからん。そう言いたげだな」


 突如聞こえた声。

 先ほどまで誰もいなかった空間に一人の男が立っている。


「……なんだ、お前は」


 亜人エリートは声を絞り出す。


 金色の髪。

 ギラギラと闘志の燃え盛る瞳。

 右手に剣を、左腕に瀬名を抱えながら、男は言った。


「黄泉の旅路に持って行くと良い。俺は不知火織。いずれ勇者をも追い越し、世界最強になる男だ」

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