第115話


(おいおい……冗談よせよ)


 かつての一級探索者である高宮の肉体を持つ亜人型エリートは余裕の笑みとは裏腹に冷や汗をかいていた。


 一撃、二撃、もう一撃。

 拳だけでなく蹴りも交えた連打、それも空間転移によりタイミングをずらし防御を取れなくして絶え間なく浴びせられているにも関わらず、九十九は全く揺れ動かない。

 隙をついた初撃の時点で耐久力はわかっていた。

 間違いなく殴り殺すつもりで浴びせた拳を、彼女は空中で身動きも取れず防御も取ってない素の身体能力のみで耐えた。

 最初から今まで、既に何十、下手すれば百に届くくらいの打撃を浴びせている。


 現に今も、無防備に晒された腹部へと渾身の蹴りが突き刺さった。


「っ……!!」


 ギロリと睨み返す九十九。

 瞳には恐怖や怯えは見られない。

 それを見て思わず後退り距離をとってしまった。


 ──倒れない。


 息を切らし、ゼェ、ハァと苦しげな呼吸音を奏でながらも、九十九直虎はその場に立っていた。


「っ〜〜……ふううぅ……! ……っ、どうしました? この程度ですか!?」


 既に満身創痍でありながら、虚勢混じりの怒声を上げる。

 頬は腫れ頭部からも出血し、服の下には見るも耐えない傷跡が刻まれている。それでも力は衰えず、気力も萎えず。

 二人を抱える手を狙われ指が何本もひしゃげているが、彼女はそれを無理やり筋肉のみで動かし強制的に握り拳を作った。


 あまりの痛みに頬が引き攣る。

 引き攣った頬もまた攻撃を浴びたことで負傷しているため、表情筋の変化一つに激痛が伴う。


 それでも彼女が笑えるのには、僅かばかりのひらめきがあったからだ。


(やっぱり、雨宮姉妹・・・・を狙ってこない……つまりこの二人には利用価値があって、どうしても取り戻したい目標なんだ。霞さんを狙わない理由は地雷を踏みたくないからかな? 姉が最優先だけど、その姉が完全に敵対してしまっては元も子もない。だから今はまだ踏み切れない……? うーん、合ってるか微妙ですね)


「ふー……あだだ……」


 息を吐く。

 息を吸う。

 胸の上下で骨が軋む。

 脂肪と筋肉で緩和出来ているとは言え、痛いものは痛い。


 歯を食いしばって痛みを堪えながら思案する。


 理由がなんにせよ、明らかに相手は二人へダメージが及ばないように九十九を集中して狙っている。

 彼女にとってそれはこの絶望的な状況下で唯一有利に働く事柄であった。

 九十九直虎は守ったり攻めたり、柔軟に力加減をすることが出来ない。

 仮に二人を手放し全力で防御に固めたとして、空間転移に対応出来ず奪われなんの憂いもなくなったエリート個体に嬲り殺しにされるのは目に見えている。

 だが、九十九は身体能力に関して一級探索者の中でも群を抜いている。

 破壊力に優れていると言うことは、耐久力でも他の追随を許さないということ。

 例え身動きが取れない状況であっても本気で固めた彼女の防御を抜くには相当の火力が求められた。


(目的は耐え抜くこと。そして逃げ延びること。今の私じゃ太刀打ちできない。耐えて粘って逃げ延びて、作戦を成功させる……!)


 重くなり始めた身体を奮い立たせる九十九を見て、ニヤリと笑みを浮かべたまま相対する高宮は愚痴を吐いた。


(くっそめんどくせえ……! こんなんなら女狐連れて来るべきだった。俺の火力じゃこいつを殺すのに時間がかかりすぎるぞ)


 殺せないわけではない。

 だが間違いなく時間がかかる。

 時を要すればそれだけ敵が増える。

 敵が増えればいずれ自分の手に負えない者がやってくるかもしれない。そうなれば最悪だ。奪還も出来ずなす術もなく命を奪われるのは流石に避けねばならなかった。


(三分……いや、五分は必要だ。そこまでやってこいつを殺してから新入りを確保して……ダメだな。正面からやろうとするからダメだ。こういう手合いには毒、搦め手を使うに限る)


 殴打、通用しているが弱い。

 腕や足を狙った攻撃も効いてはいるが全く折れない。

 胴体は特に顕著で、クリーンヒットした一撃ですら余裕で耐えるのだ。既に全身傷だらけであるのに痛みに呻くことすらせず耐え抜く精神力に舌打ちしながら、別の手を考える。


(首……硬ぇ。だが流石に中身までは硬くねえだろ。気道、そうだ、呼吸だ。絞めれば効くか? だが近づいて反撃を喰らえば俺でもダメージはくらう。そこを新入りに突かれたらめんどくせえな……)


 乗るか反るか。

 リスクを犯すか、安定を取るか。


(……時間はかけられねえ。新入りが余計な事をする前に獲る──)


 反撃のリスクはあるが、モタモタして雨宮紫雨がリッチとしての能力を使用される方が面倒になる。

 そう判断し攻撃に出ようとした時──ヒュオオオ、と。


 何かが空を切る音が耳に入る。


「……あ?」


 目の前で女二人を抱える奴ではない。

 何かが飛んでいる音──そう理解した時には遅かった。


 しゃらんと鳴る金属の擦れ音。

 ヒュッと言う風切り音。

 腕に生じた鋭い痛みに次いで肘から先の感覚が消失する。


「九十九ッ! 今だ!」


 駆け出す目標。

 逃走を促す叫び声。

 急襲に混乱しながら、左腕を始動に空間転移をしようとして──そこで気が付く。


(──飛べねぇ・・・・。わかる。上手く飛べねぇって……!?)


 自分でも知らなかった能力の穴。

 負傷している状態ならまだしも、肉体の一部分を欠損した状態での空間転移を試したことはなかった。

 当然だ。

 肉体を治すのもタダじゃない。

 痛みは感じるし精神的にも消耗する上、失敗したらと考えればそう簡単に試す事は出来なかった。


「チッ!」


 動揺を隠せないまま隣をすり抜けていく九十九に手を伸ばし、しかし、その手の先は失われていて届かない。


(飛ばない? なんで? なんでもいい! 瀬名・・さんが作ったチャンスを逃すな!)


 足や腕に蓄積したダメージは多いが、力を振り絞り九十九は駆け抜ける。


 そして大穴にもう少しで辿り着く寸前で、肩に抱いた紫雨が口を開いた。


「──ごめんなさい。そして……ありがとう」

「え?」

「上に行けばいいんでしょ? 私が連れて行く」


 紫雨はこれまで人類側に疑われないように力を使うことを躊躇っていた。

 もしも共謀していると疑われては話が拗れるし面倒臭い。

 先日の戦闘で勇人の恐ろしさを味わった紫雨はなんとか疑われず会話できる状態に持ち込みたいと思っていたために、追われている今も力を使うことはなかった。

 使うことにしたのは、身を挺して庇ってくれた九十九に感謝しているからだ。

 どう考えても邪魔な荷物だった。

 妹共々放り投げて戦闘に集中しても良かった。

 人類側が自分の事を信用してくれてるのではないか?

 そして、魔力的なパスの切れた香織は無事に人類と接触できたのではないか?

 そうなれば自分のやるべきことは……


(わざわざ霞まで連れてきたのは、そういうこと・・・・・・でしょ?)


 討伐するだけならこんな回りくどい手は打たない。

 身内まで連れてきてこんな風に庇いながら地上に連れて行こうとするって事は、自分の事を確保しようとしてくれている。


「一気に上まで────!」


 天井や床を操作し、一気に上に押し上げる。


 ダンジョンが変形し、隆起し、崩れ、九十九の立っている場所だけが上がっていった。


「……さて。諦めてくれるか?」


 あっという間に見えなくなった三人を背後に、瀬名は軽い声色で告げる。


 目の前の男はなぜかは不明だが、空間転移による追跡をしなかった。


 その結果、雨宮紫雨の協力もあり三人は無事地上まで到達できるだろう。

 作戦は成功、人類史上二人目の……いや、三人目の『モンスターとの混じりもの』が表舞台に出る事は確定した。  


(問題があるとすれば、私がこいつと一対一をしなければならないことくらいだな)


 勇人に投げられ──抱えられた際の声は聞かなかった事にして欲しい──追い付き一撃浴びせ逃亡を促せたのはいいものの、対面するのはエリート個体である。

 かつて人類だった誰かの成れの果て。

 勿論、『誰』が、『どうなったか』は既に目を通している。

 元一級探索者高宮の肉体を持つ、空間転移という強力な能力を扱う個体。


 残った腕を隙だらけな様子で眺めているのに、斬りかかれない。


 斬れば、いや。

 下手に動けば反撃が来る。

 それを理解しているからこそ、瀬名はじっくりと待った。隙だらけに見せてその実いつでも反撃できるように構えているというのは彼女も知っている手法だからだ。


「……ああ、そうだな。こうなっちまったからには、仕方ねえ」


 深いため息を吐いてから、亜人エリートは残った手で頭をガリガリと掻いた。


 そして、魔力が溢れ出す。

 暴風の如き圧。

 勇人が醸し出すのと、遜色ない恐怖心がこみあげてくる。

 瘴気の持ち主であるエリートが臨戦態勢になった証だ。


「っ……」


 ゾッ……!!

 鳥肌が全身に及び、以前経験した時とは全く違う、本気の殺意を浴びながら瀬名もまた構える。


「フゥー……」


 スイッチを切り替える。


 僅かにたじろいだ感情は消えた。


 瞳は鋭く口は一文字を結び、剣を両手で握り待ち構える。


 ────刹那、眼前に迫る拳。


 九十九は反応できず無防備に浴びたその攻撃を、瀬名は剣で受け止めた。


 ガ──キイイィィン!!


 金属同士がぶつかり合うような甲高い音と衝撃。

 発生した風で髪が靡くが目を凝らす事すらせず、瀬名は一挙手一投足を観察する。それと同時に、己の全力の拳を防いで見せた瀬名に対し亜人エリートもまた思案を重ねた。


(速い。対応できない程では無いが、力負けするな。雑に押して来た時が狙い目か)

(巧い。だが完璧じゃねえ。スペックで押していけるが、下手にゴリ押すと反撃くらうか)


 ────丁寧にやれば勝てる。


 拳と剣を打ち合わせながら、両者同じ思考に辿り着く。


 集中力と体力が先に欠けた方が負ける、と。

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