第99話

「────っ!!?」


 深夜二時過ぎ。

 宿で熟睡していた雨宮霞は、汗を滝のように流しながら跳ね起きた。

 心臓が高鳴り両手は痺れたかのような感覚と共に震え、顔の紅潮がおさまらない。


「はぁっ、はっ、はあっ……!?」


 ぎゅううと胸を掻き抱きながら立ち上がり、備え付けの冷蔵庫から水を取り出す。


 五百ミリリットルサイズのペットボトルに入ったミネラルウォーターを一気に飲み干して、汗をタオルで拭い、一息吐いた。


「は、はぁ〜〜〜っ……!! ふ、ふぅ、ふーっ…………」


 未だバクバクと激しい鼓動が鳴る心臓。

 頬と耳が熱を持ち紅潮する。 


「な、な、なに……!? なんなのっ!?」


 パニックになりかけた思考を落ち着かせようと深呼吸を重ねるが、一向に収まる気配が無い。


 それから大体五分程その状態のまま座り込んだ霞は、ある事に気が付く。


「……これ、勇人さんの感情?」


 胸がドキドキと高鳴る。

 まるで恋を始めて知った子供のように。

 頬と耳の紅潮も、何かに興奮しているかのようなおかしさだ。


「なにが……起きてるの……?」


 呆然としながら、霞はヨロヨロとふらつきながら端末を手に取った。






 ───

 ──

 ─






「あっ……」

「どうした?」

「いや。なんでもないよ」

「? そうか」


 なんだかすごく嫌な予感がする。

 具体的には、僕の隠しておきたい部分が全て赤裸々になっている気がする。多分とある女性に感情が伝わりまくっているので。


 は~~……

 まあ、しょうがないか。

 隠しようがなかったし、取り繕う事も出来なかった。


 寝てて気が付かなかった事を祈ろう。


 考えるのを後回しにして、今は香織の事を優先する。


 曰く、『完全な蘇生ではなくあくまで肉体と自我があるだけで魔力を生み出す事が出来ない』というのが、一時間しか動けない理由だそうだ。唯一の供給源である雨宮紫雨も他エリートに疑われない程度にしか動けないらしく、まずはその改善をするためにコンビニや本屋を巡っていたらしい。


 ──もちろん、時間は足りない。

 最初は日中に活動していたが少しずつ時間がずれ、深夜に不法侵入を繰り返していたそうだ。


「罪は償う。死人に対する法があるかはわからないが」

「現状君は存在してるかどうか微妙だからね。悪いようにはならないさ」


 なにせ僕も前科アリだ。

 銃刀法違反を犯し揉み消してもらった事もある。

 なあに、それくらい迷宮省がちょちょいのちょいと何とかしてくれる。これが現代社会の闇って奴だ。


「ところで勇人」

「なんだい?」

「お前、いつまで私を抱きかかえているつもりだ……?」

「いつまでって、そりゃあ……迷宮省に着くまでだけど」

「どう見てもここは迷宮省だが」

「部分的にはそうかもね」

「さっき門に迷宮省って刻まれてたが?」


 ちっ、流石に目敏いな。

 いいだろちょっとくらい触らせてもらっても。

 五十年間強制的に禁欲させられてきたんだし再会で浮足立つくらい許して欲しいんだけど。


 それに、これは防衛という観点でも最も効率がいい。


 だって僕が魔力で防げない物はほとんど無いからね。


 地下からエリートが砲撃してきても防げる自信があるよ。


「香織は嫌?」

「嫌……じゃないが……」

「じゃあいいじゃんか。どうせ誰も見てないよ」

「……はぁ。口が上手くなったな、おまえ……」


 それにどうせあと一分もしない間に人が来る。

 ちゃんと魔力でレーダー張ってるから、ここに接近してる人影には気が付いている。


 だから口惜しさを感じつつも──これから何度でも触れ合えるからいい加減にしろと言い聞かせながら──ゆっくりと降ろす。


「ふん、まったく。甘えん坊め」

「ずっと一人だったからね。大目に見てよ」


 そうして待つ事数十秒、想定通りの時間に彼は現れた。


「お待たせしました……!」

「そんな待ってないよ。寧ろよくここまで早く来たね」

「いえ、遅いくらいです。緊急事態が起きた際、私はすぐに出てこなければいけない立場ですから」


 申し訳なさそうに言いながら続ける。


「既に支部長以上の人間には招集をかけ関東の本部にも連絡済み。あと五分もせずにリモートの準備が整いますので、移動しましょう」

「何から何までありがとう。移動しながらでいい、先に紹介だけしておくよ」


 歩き出した忠光くんの後ろに着いて行きながら、香織も横に並ぶ。


「彼女が土御門香織。五十年前に一緒に戦った仲間で、死んだ筈の一人だ」

「迷惑をかけてすまない」

「いえ、迷惑などと……こちらこそ慌ただしい顔合わせになり、申し訳ありません」

「そう畏まらなくていい。私は勇人と違って生きていた訳ではないし、年齢的には貴方の半分程度だ」


 彼女は令嬢だが、礼儀作法にうるさい訳ではない。

 気品あふれる所作を取りつつも別に他人に強要したりはしないし、その場で臨機応変に対応する柔軟さも持ち合わせている。ちゃんとした教育を受けた貴人だ。

 それは動く死体となった今も変わらない。


「しかし……我が父からも話は聞いておりますから」

「父? 私のことを知っているのか」

「ええ。気高く美しい貴族のような人だったと」

「き、貴族……大袈裟だな。私は一般人だぞ」

「あくまで生まれは、だろ。受けて来た教育は貴族と表現しても間違いじゃないさ」


 僕なんてそこら辺の学校を出て高校も偏差値の低い場所を選びそのまま高卒で現場仕事をしていたんだ。


 それも悪い事じゃあない。

 社会ってのは誰かの手によって維持されてるからね。

 僕もその一端を担っていたんだろうとは思うが、働くのが下手くそだったから作るより壊す方に貢献していた。


 だから憧れたんだ。


「頼光くん、驚くだろうなぁ」

「父には申し訳ないですが、まだ伝えておりません」

「おや、そうなの? 後でなんか言われない?」

「もういい年ですし、こんな真夜中に叩き起こしては老体が持たないでしょうから」

「ハハ、よく言うぜ」


 頼光くんが託してもいいと思い始めたのも少しわかる。


 忠光くんや鬼月くん、毛利くんらの世代が軒並み優秀なんだ。


 もう立派に社会を支えてくれているし、これから先の未来に対する投資も怠ってない。


 頼りになるぞ、彼らは。


「頼光……もしやあの少年か?」

「思い出した?」

「ああ。……そうか……生きていたんだな」


 香織はそう言って、何かを噛み締めるかのように口をきゅっと結ぶ。


 ……わかるなぁ、なんとなく。

 自分が居なくなってから世の中がどう変化したんだとか、自分達の戦いが果たしてどのように影響を与えたのかとかさ。


 気になるんだ。

 そしてそれを知ると、何とも言えない気持ちになる。

 感動しているような、それでいて虚しさばかりが生まれているような感情。


 これはね、同じ立場になってみないと分からないかもしれない。


「あ、そうだ忠光くん」

「は、なんでしょうか?」

「香織は活動時間に限りがある。伸ばせるかの実験をしたいから、ある程度防御力のある部屋を貸して欲しい」

「了解しました。すぐに手配します」


 香織の話を聞いて、僕なりに思いついた手段が幾つかある。


 リスク管理をしつつ試しておきたかった。


 もしこれが上手く行けば、香織の扱いは格段によくなるかもしれない。


 僕らは勇者だ。

 命を賭けて戦った。

 別に報われたいと思っていたわけじゃないし、今もまあ、別にそんな事は考えてない。


 ただ、それなり以上の愛を向けている仲間をいつまでも疑う状況はあんまり気持ち良くはないんだ。


 解決できるなら解決したい。

 そう思うのは当然の事だろう。


 五十年前、僕は香織に助けられてばかりだった。


 何から何まで全部だ。

 今も助けられてばかりだけど、今の僕は昔よりかは成長している。


 今度は僕が助ける番だ。


「ところで勇人」

「うん?」

「さっきから通知音が凄いが」

「…………」


 無言で端末を手に取った。


 通知は100件を超えている。


 全て霞ちゃんからの連絡だった。


 …………頭の中で強く念じる。


 大丈夫だよ大丈夫だよ大丈夫だよ大丈夫だよ大丈夫だよ……!


「よし、伝わったな」


 どうせ後で説明しなくちゃいけないんだ。


 今は時間が無いからね。

 本当にすまないと思っている。


 端末をポケットにしまいこんだ。

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