第98話

「……も、もうそろそろいいんじゃないか?」

「ン……そうだね。いきなりごめん」


 何秒か、何分か、それとも何時間か。

 僕にとって無限に続くかのように思われた時間は実際には十秒程度しか経っていなかった。


 腕の中にいる香織が身動ぎし、それと同時に開放する。


 ふわりと香る甘い匂い。

 五十年振りに嗅いだ香織・・は酷く魅惑的で、ずっと抱き締めたくなる。性欲というものが枯れ果てているのだが、まるで思春期を迎えたばかりの男児のように浮足立ってしまう。


 が、その気持ちをグッと堪えて、意識を切り替える。


 僕は勇人だ。

 人類の頂点で現代に蘇ってかつての勇者。

 喋るモンスター共と因縁があり、今この世を引っ張っていく世代が育つまで剣となり盾となるモンスター混じりのリッチだ。


 ……よし。


「それじゃあまず初めに、僕だけじゃ判断出来ないから上に連絡してもいい?」

「ああ。迷宮省とやらか」

「よく知ってるね」

「必死に調べたからな」


 タブレット端末を操作しつつ、尋問と言うほど厳かではなく、しかし質問というにはやや剣呑な雰囲気のまま会話を続ける。


「調べた……どうやって?」

「コンビニや本屋を利用した。見た目は人間そのものな上に服装も当時のものを再現しているから、特に怪しまれなかったぞ」

「え、服昔のままなの?」

「雨宮紫雨の魔力で再現しているから本物では無いが……少なくとも見た目は一緒だ」


 どうやって再現したんだろうと思ったが、一つ思い当たる事がある。


 先日のことだ。

 朝起きてからフラフラとやってきた霞ちゃんが言っていた、『僕の記憶を見た』という発言。元々ありえない事ではなく十分起き得る可能性が高いと考えていたが、それは間違いじゃなかったみたいだね。


 雨宮紫雨が香織の記憶を読み、それを元に地上へ派遣する事を決めた。


 こんなところだろうか。


 それに気になる事は他にもある。

 香織の言っていた、『まだ人間』って言葉。

 これはつまり、人から外れる手段があることを指す。


 個人的にこれは非常に気になる。


 僕も同じ立場だし。

 一度、洗脳染みた考えが唐突に湧いた。

 あの時は無理矢理封じ込める事が出来たけど、これから何度も何度もやってくるのなら億劫でしょうがない。

 解決できるならしたい。


 1回、2回、3回。


 タブレット端末がコールを重ねた結果、真夜中だと言うのに彼は起きた。


『……こちら忠光・・。どうされました?』


 流石に機嫌は良くなさそうだ。

 だが遠慮する訳にもいかない。

 なにせ、僕が地上に出てきたのと同じくらいの事件だからね。


「夜中にごめんよ。今すぐ判断を仰ぎたいことがある」

『わかりました』

「地上で50年前仲間として一緒に戦った土御門香織と遭遇した。どうすればいい?」

『…………』


 忠光くんは黙った。


 その気持ちはよくわかる。


 僕は黙ることすら出来なかった。


 つい衝動的に動いてしまうくらいだ。


 たっぷり15秒程思考に時間を費やしてから、話を再開した。


『なる、……ほど。危険性は……語るに及びませんね』

「僕がいるからね。そこは気にしなくていい」

『では一度迷宮省まで来ていただけますか?』

「んー……少し待ってて」


 一度電話をミュート状態にしてから、手持無沙汰で暇そうにしている香織に声をかける。


「香織」

「ん、どうした?」

「今から迷宮省に来て欲しいんだけど大丈夫かな」

「問題ない。だがその前に私の状態だけ聞いて欲しい」

「うん?」

「少し事情がある。一日一時間しか活動できないんだ」


 …………なるほど。

 だから突然現れたのか。

 魔力反応が全く無かったのはそれだな。


「それは僕が解決できるもの?」

「出来るかもしれないし、出来ないかもしれない。あまり時間も無いし、出来れば移動しながら詳細を詰めたい」

「わかった、それでいこう」


 こちらの予定は決まった。

 香織に魔力を使わせるわけにはいかないし、僕が抱えて行けば余裕だ。


「もしもし、待たせたね」

『お構いなく。それで?』

「これから僕が連れて行く。5分で着く」

『わかりました。因みに現在地はどちらで?』

「片縄山って所かな」

『片縄山ですね。……えっ、5分?』


 香織と話を始めてからおよそ10分。

 移動に5分使うと会話が出来る残り時間は45分。

 たった45分でどれだけの事が話せるだろうか。

 それを考えれば、この場で一分一秒でも浪費したくない。


「ていう事だから、また後でね」

『あっ、ちょっと待──』

「…………話は纏まったか?」

「一先ずは」


 夜中に叩き起こしちゃったのは申し訳ないけど、こればっかりは僕も想定外のトラブルだ。


 寧ろ何とか正気を保ったことを褒めて欲しいよ。

 あと少しで道を踏み外すところだったからね。

 改めて思うが、香織をこの手で葬れと言われると……どうしようもなく辛い。その事が来ないように、これからやっていかなきゃならない。


 僕に出来る事はなんだってやるさ。


「迷宮省に今上司とその他職員が集まってる。そこでとりあえず話せるだけ話して……ってところ。そっちの都合は?」

「先程の懸念点のみだ」

「それじゃあ話しながら行こうか」


 そう言って、腰を屈めて後ろから膝元へ手を寄せる。


 するりと掬い上げるように右腕で膝を持ち、そのまま背中ごと抱えた。


「っ…………お、おい」

「なんだい?」

「なんだい、じゃないが。何もお前、こんな抱き方しなくたっていいだろう……!」


 ぐぐぐっと力を込めているが全く意味がない。


 そりゃ当然だ。

 僕はリッチと融合した結果身体能力が超人的な領域に向上しているし、魔力で強化もしている。頼光くんを抱きかかえても余裕で封じれる自信がある。

 魔力で強化することも出来ない女性一人、黙って抱きかかえるくらい訳ないさ。


「五十年振りの再会だぜ? 少しくらい寂しさを紛らわせてくれてもいいと思うんだけど」

「~~っ、だ、誰だ勇人をこんな風にしたのはっ!」


 他でもない君だけど。


 そう言ってやろうと思ったが、あまりやると感情の抑制が効かなくなりそうなのでここまでにしておこう。


「あ、舌噛まないように注意してね」

「なに? お、おい。一体何を──」


 足に力を籠め思い切り空へと跳び上がる。

 家やビルを速攻で飛び越え夜の闇に隠れたあと、音と衝撃を遮断する魔力膜を張り空気を思い切り蹴り抜く。


 それを何度も繰り返す。


 ドパンッ!!

 ドパンッ!!!

 ──パパパッ!!!

 空気の弾ける音と音の壁を越えた衝撃が香織に当たらないように魔力で防ぎながら、夜の街を駆け抜けた。

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