第83話


 一級探索者には”差”がある。


 これは誰しもが言わずとも悟っている事だ。


 最上位の実力を持つ不知火や鬼月を中心とする一線級。


 そこから一歩退く、御剣や桜庭等中堅どころで将来的に幹部候補と目されている層。


 そしてまだ物足りないが戦力になる事を期待されている若手枠。


 その若手枠の一人であり、現代における『名門』出身である女性────有馬瀬名は、ダンジョンを脱出し受付にて清算を行っていた。


 その表情は凛としている。

 頼光譲りの鋭い目つき、だがそれは美麗と呼ぶに相応しい。すらりと伸びた足と女性にしては高い身長によって醸し出される雰囲気は冷たく、自然と人を寄せ付けないオーラを出している。


 そんな彼女を遠巻きに発見した探索者が、仲間の肩を叩き指差した。


「おい……あれ、瀬名一級じゃねえか」

「え? ……本当だ。珍しいな、鹿児島から出てくるなんて」


 有馬瀬名一級の担当は鹿児島県。

 かつて一度人類が完全に撤退しモンスターが支配する土地となったが、有馬頼光率いる遊撃隊の活躍により取り戻す事に成功。それ以降はダンジョンからモンスターが溢れることもなく、完全に人類の生息圏として復興している。


 それ以来常に有馬家の管理下にあり、最初は頼光、次に忠光、そして今代は瀬名へと引き継がれていた。


 もちろんコネではない。


 土地に詳しくノウハウもありいざとなれば父親や祖父にすぐ聞く事が出来る環境を持ちながら、一級としての実力を持つ彼女が選ばれるのは道理と言える。


 ──しかし、正しい見方ばかりされるわけではない。


 人は噂をするのが好きだ。

 噂だけではなく、他人を好き勝手な物差しで評価するのが好きだ。知識による物差しの大小こそあれど、ものを推し量る行為を好む事実は変わらない。


 時代によっては有名税と揶揄されるその対象に、彼女も当て嵌まっていた。


「ようやく一級か。いや、一級に上がれる事自体がすげえんだけど、やっぱ父親や爺さんに比べるとちょっと見劣りするなぁ」

「鹿児島担当ねぇ。鹿児島って第四ダンジョンだよな? あそこで一級の腕が磨けるのかね」

「忠光さんの時は九州統括に就任するのがわかってたから疑問じゃなかったけど、瀬名一級は時間がかかってるからな……」

「九十九や氷室はそれぞれ各地のダンジョンに潜ったりしてるって聞くけど、瀬名一級はやってるのか?」

「有馬家だし九州内ならどれだけ飛び回っても怒られなさそうだけど、担当になってから鹿児島出てないって聞くぜ」


(──…………)


 周囲のざわめきを耳にしつつ、瀬名は特に気にする様子もなく待った。


 数秒後に受付員が戻り、ダンジョンで得た報酬を振り込んだ旨を受ける。


「はい、お疲れさまでした。今後もこちらで活動されますか?」

「ああ。最低でも一週間は福岡に滞在する予定だ」

「わかりました。こちらで情報共有しておきますので、何かあれば気軽にお声がけください」

「……そうか、わざわざすまない」


 一瞬顔を歪め、誰にも悟られること無くそれを押し込み元の表情で答え、その場を後にした。






「おかえりなさい、お嬢様」

「お嬢様はやめろと言っているだろう」

「爺から見ればいつまでもお嬢様ですよ」


 ダンジョン特区まで車を回している実家の気遣いにやや辟易しながら、フン、と鼻息を吐いて車に乗り込む。


 一級専用の移動手段があるのは珍しい事ではない。


 特に一地域を統括する立場となれば、その負担は想像しているより多く重たいものだ。代わりはおらず、一級案件が起きれば全て自分で解決するしかない。

 それがゆえ専用の移動手段が用意されているのは、寧ろ当然とも言える。


 だが、瀬名は”特権”が好きでは無かった。


 幼い頃から何一つ不自由した事は無い。


 正確に言えば、学ぶのに苦労したことはない。

 偉大な英雄の祖父が築いた地盤を盤石にした知勇兼備の父親。この両名から有馬家の人間としての心構えは生き方は教わって来たし、嫁入りした母や祖母から教えを受けた事も沢山ある。


 厳しい鍛錬を受けてきたが、そのアフターケアは欠かさなかった。


 後遺症が残るような怪我は一度もしなかった。

 栄養バランスと味の両立する質のいい食事を摂って来た。

 贅沢三昧を尽くすような家では無かったが、貧困に喘いだことはない。それどころか記念日には毎度豪勢な食事が用意され、両親の得た富と栄光を享受していた。


 ──それが、どうしようもない程嫌いになったのは、15歳の頃。


 有馬瀬名には才能が無かった。


 幼い頃の測定で、魔力が大したことがないとわかっていた。

 それは祖父も同じで、寧ろ祖父である頼光は魔力がほぼゼロのかつての人類と全く変わらない体質である。現代において魔力を全く持ち合わせてない人間はおらず、そういう人物は半世紀前のダンジョン発生前に生を受けた老人のみだった。


 魔力が全てではない。

 祖父のそんな言葉を受けて、彼女は前を向いた。

 頼光が寝るときに聞かせてくれた勇者の話に憧れ、そして国を支える柱として今もなお立派に聳える祖父と父親を尊敬した。


 だが、現実は無常。


 年齢を重ねる度、彼女は己に才覚がないのではないかと疑い始めた。


 魔力が少ないことはなんとでもなる。

 身体能力さえ高ければ探索者として一流になれるのは祖父が証明していたがゆえに、幼い頃から道場に入り浸り歳上に混じって剣を振り身体を鍛え続けた。


 魔力の扱いも下手ではない。

 だが決して特筆するほど上手でもなかった。

 父親である忠光の魔力操作精度がAだとするなら、彼女の魔力操作精度は頑張ってC程度に落ち着く。


 年を重ねるごとに実力の伸びは減っていく。

 決して早熟というわけでもなく、そして晩成というわけでもない。焦りや翳りがありつつも、彼女は懸命に励んだ。


 そして決定的な出来事が起きる。


 齢15歳、中学を卒業し養成校へと入学した時のこと。


 彼女は首席どころか、上位五本指に入ることすら出来なかった。


 筆記は問題ない。

 実技で大差をつけられた。

 魔力量、魔力操作精度、そして鍛え上げた剣の腕も足りていなかった。


 有馬瀬名には才能がなかったのだと、納得した。


 そして憤慨し、憎んだ。


 ──ただの小娘に過ぎないのに、こんないい暮らしをしていい筈がない、と。


 実家を出て、彼女は養成校の近くのアパートを借り一人暮らしを始めた。


 生活費も己で捻出するためにアルバイトをしながら、極限まで切り詰めた生活をしながら養成校での日々を過ごす。


 実家を頼る事は許せなかった。

 幼い頃から世の中がどれだけ苦労して歩んできたから聞いてきたからこそ、己の不甲斐なさが許せない。食事一つ、寝床一つに苦労する人生を歩んできた者達がいるのに、自分のような無能がただ享受するなど絶対に。


 何かに取り憑かれたように修練を重ね、異常と呼べる鍛錬の果てに卒業する時には首席の座を得たが、彼女の気は晴れず。

 これまで享受した特権に報いるために。

 才のない自分に時間を費やした家族の期待を裏切らないために、彼女は狂ったように修練に時間を費やした。


 彼女は家族が嫌いなのでも、贅沢が嫌いなわけでも、責任が嫌いなわけでもない。


 有馬という名門に生まれるに相応しくない、才能のない己が嫌いだった。


 それは一級という資格を得た今でも変わらず、鹿児島に篭り怨念渦巻く鍛錬を重ね続ける執念の原動力となっている。


「お嬢様」

「なんだ」

「今後のご予定に一つ追加がございます。後ほどご確認ください」

「わかった」


 足を組み、窓から外を眺め考える。


(──……勇者さま、か。かつて爺さまが話をしてくれた、あの)


 彼女の脳裏に浮かぶ幼き日々の記憶。

 己に絶望もしておらず、光り輝く未来があるのだと夢を思い描いていた頃。


 厳しくも優しい祖父が、何よりも楽しげに──そして切なく悲しみを抱いた表情で語る、かつての動乱の話。


 あの頃の様にただ憧れる事はできない。

 彼我の実力差ははっきり理解している。

 勇人がダンジョンの奥底で、単身繰り広げた戦闘を見た。


 正直に言えば、心が震えた。


 自分と比べれば強者で、この世界で有数の実力者だと思っていた祖父や父親すら軽く蹴散らせるほどの絶対的で理不尽な暴力。


 嫉妬した。

 なぜ私はこんなにも才がないのか。

 どうしてこんなにも情けない力しか持たないのか。

 人生の半分以上を戦いに費やして、身に付けたものがギリギリ一級に認められる程度。祖父のように国を立て直すために奮闘することも、父のように国を支える柱になることも出来ない。


 情けなさと悔しさと羨ましさで、気が狂いそうになった。


 そんな彼が九州に来ると聞いた。


 今回実家に呼び出されたのもそれが関係しているのだろうと彼女は推測している。まだ詳細な内容は聞いていないが、祖父と勇者は知り合いであるらしい。

 ならば祖父が中心になって接待する。

 自分はあくまで挨拶の一つでもすればいい、と考えていた。


「────歯牙にも掛けられんだろうがな」


 彼女は己の力量を正確に理解している。


 一級として認められたのは他に候補がいなかったからだ。そして一級として認めても問題がない程度の実力があったからだ。


 期待の若手枠ではない。

 とりあえず現状の戦力とするため、暫定で上げられた使い捨ての人員。それが彼女の自己評価であった。


「お嬢様? 何かおっしゃいましたか」

「なんでもない。それと爺や」

「はっ」

「お嬢様はやめろ」

「お嬢様がお嬢様でなくなったなら考えましょう」


 ダンジョン黎明期を生き延びた付き人に飄々と躱されながら、彼女は無言で外を眺めた。

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