第53話
薄暗いダンジョンに足を踏み入れる。
瞬間切り替わる空気。
冷たく身を蝕むようなおどろおどろしい感覚が身体に満ちる。
相変わらず地底の空気は不愉快なままで、どれだけ踏破されようがそれは変わらないらしい。ただ、どうにも久しぶりに感じたような気がするのは、きっと僕が長い間ここに囚われていた所為だろう。
寧ろこっちの方が落ち着く、なんて思いたくなかった。
「勇人さん、大丈夫?」
「うん、問題ないよ」
晴信ちゃんが聞いて来た。
心配された、って訳でもないと思うんだけど……。
彼女は気が利くから、50年間閉じ込められていたダンジョンという存在に僕が何か感じてないか気になったんだろう。感じるものはあるけど、それは別に大切でも大事でもない。怨恨は心の中で飼っていてもロクな事にならないからね。
そんな彼女らの健全な感情を安堵させるために、僕は口を開いた。
「寧ろ好調なくらいだ。なんてったってリッチだぜ。モンスター混じりの僕が暗闇を嫌う訳がない」
「……そういえば、陽の光が苦手なんだっけ」
「今もあんまり得意ではないね。ただまあ、毎日30分日光浴したお陰で大分マシになったかな」
「健康的ね……」
モンスター混じりでも肉体的な進化の余地はあるみたいだから、今は太陽が苦手でも、10年も続ければ日を浴びるのが気持ち良くなると僕は推測している。
五感に変化があるんだ。
それくらいの希望的観測は持ち合わせていてもいいだろう。
そうじゃなきゃあ、この身体に絶望してしまいそうだからね。
「じゅ、10年も?」
「と言っても、あくまで僕の肌感覚で考えた推測に過ぎない。研究が進んで僕の肉体に対する理解が進めばもっと手早い手段が見つかるかも────……霞ちゃん?」
「は、はいっ!?」
「どうしたの。大丈夫?」
柚子ちゃんの驚愕の籠った言葉に勝手に答えていたら、違和感。
霞ちゃんが酷く緊張した表情をしていた。
良く見れば顔は青褪めているし、手は小刻みに震えている。
珍しい──というか、明らかに何かしらの異常を抱えていた。
「だっ! 大丈夫です! ちょっと、緊張しちゃって……」
深呼吸を何度か挟み、顔色はマシになった。
んん、霞ちゃんの感情が僕に伝わってこないのが歯がゆい。
それがあれば一発で問題が解決できるのに。
困ったな、と晴信ちゃんに視線を向ければ、彼女は眉を顰めながら霞ちゃんを見ている。
「…………霞」
「な、なに? 大丈夫だって、もー! 何もないよ?」
「……そう。ならいいけど」
明らかに空元気で虚勢を張ってるのが丸わかりだったが、彼女はそこに突っ込まずに引き下がった。
……まあ、最悪このレベルのダンジョンなら何とでもなるとは思うけど。僕としては十全な体調じゃないのならここで無茶はして欲しくない。
ダンジョンは、地底は普通じゃない。
ここでは何でも起き得るし、イレギュラーの対策はいくらしても足りないだろう。
そんな状況下で精神に異常を抱えている人を連れて行くのは些か危機感に欠けた行為だ。あの時代を直に見て来た僕としては、あまり容認したくない。
柚子ちゃんに目配せし、霞ちゃんの意識を逸らしてもらう事をお願いする。
頼む、伝われ、伝われ伝われ……!
「……あー、えっと。何よ霞、緊張してんの?」
「ん、んーん。ほら、久しぶりだから、ちょっとね?」
案外察しがいい柚子ちゃんが霞ちゃんの意識を逸らしてくれてる間に、僕は晴信ちゃんに耳打ちする。勿論、彼女に見えないようにだ。
「晴信ちゃん」
「うん。わかってる」
「僕は反対だ。イレギュラーが起きた時惨事を招く可能性がある」
「大丈夫、とは言えない。でもなんでああなってるのかはわかるから」
「……そうなのかい?」
霞ちゃんは僕から伝わる感情を気にする余裕もないみたいだ。
何に緊張している?
怯えている……備えている?
僕にはわからない何かに、彼女は怖がっているように見える。
それを晴信ちゃんは察しているらしい。
「多分ね。ダンジョン内で怪我をした探索者にとって、避けて通れない問題だから」
「……ああ、なるほど。そういう事か」
その言い方で何となく理解する。
わざわざ『怪我をした探索者にとって』と言ったのだ。
恐らく霞ちゃんは典型的なトラウマ……モンスターに対する心的外傷を抱いているのだ。僕もそういう状態に陥った人は50年前嫌という程見て来たからわかる。確かに彼ら彼女らと程度は違えど、一致する部分が多い。
「確かに避けて通れない問題だな……」
「……私も、確信は無かった」
「予兆はあった?」
「ううん。だから慎重にここを選んだ」
低難易度で浅い階層。
そこに五級探索者の柚子ちゃんと晴信ちゃんに加えて特別探索者として一級と同等の権力を持つ僕。
受付の人に怪訝な目で見られたもんね。
しかも『適正ではありませんがよろしいですか?』とまで言われた。遠回しに『適正レベルのリソース食い散らかすなよ』と言われているのだ。それくらいの言い回しは理解できる。彼女に鍛えられたお陰だ。
僕みたいなイレギュラーが相手でもちゃんとそういう対応が出来る迷宮省の職員は教育が行き届いているとしか言いようがない。
忖度しないその態度が良いんだ。
「……やりすぎないようにしなきゃね」
「配信するから、やりすぎたら一発アウトだよ」
「そりゃ責任重大だ。……でも、復帰戦に関しては推奨されてるんだろ?」
「
「なるほど、そういう絡繰りか」
付き添いで着いていく分には構わないが、荒らすなってことだ。
つまり実質僕が手を出す事は禁止されていると見た方がいいね。多分、僕が全力で戦えばこのダンジョンを一時間足らずで踏破出来る。モンスターは狩り尽くすし生命一つ残らないようにするのだって容易い。
勘がそう告げている。
戦いについて嘘をつかない勘が言っているのだから間違いない。
そんなことしないけどね?
今の時代、ダンジョンが立派な産業になっていると理解している。モンスターへの恨みはあるが、まだその時じゃあない。
「……霞ちゃんは強い娘だ。大丈夫だとは思うけど」
「うん。いざってときは任せて」
「頼りにしてるぜ。相棒をよろしく頼むよ」
チラリと霞ちゃんと柚子ちゃんに視線を向ければ、少しは緊張が緩んだのか、先程よりはマシな顔色をしている。
トラウマを抱いた人の対処法、かぁ……
専門外どころか、何もしてあげる事ができない。
僕は戦う事しか出来ないからね。
深く沈みこんだ人の周りにある闇を祓う事が出来ても、光は与えられない。
それが昔の僕だった。
今の僕は、どう在るべきなのだろうか。
「…………ま、我武者羅にやってくしかないね」
「……? 何か言った?」
「いーや、何も」
まずは知識を、そしてそれらが十分に集まって、霞ちゃんの目的も達成した後。
僕が一人手持ち無沙汰になってから考えればいい。現状、時間だけはたっぷりあるんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます