第54話


 いつも通り配信をするにあたって、霞ちゃんから借りたモノクルを片目に装着する。


 配信を一足先に始めた柚子ちゃんと晴信ちゃんが諸々の説明をしている間、僕はダンジョンの空気を肌で感じていた。


 地上の清潔で新鮮な空気より、淀んだ地底の空気の方が僕にとっては馴染み深い。なんていうんだっけな、実家のような安心感とか、親の顔より見た何とかだ。ネットの慣用句として今でも使われているのを確認している。

 これで若者の流行にもついていけるぜ。


「ふー……はあぁぁ〜……」

「緊張してる?」

「……あはは、隠せないか。うん、ちょっと、緊張してるかな」


 ゆっくり慎重に深呼吸を繰り返す霞ちゃんの横に立って、話しかける。


 すっかり敬語も抜けてる。

 余裕がないのが丸わかりだ。

 受付の段階ではこんな風になってなかったから、このダンジョン特有の感覚で死にかけた時の記憶がフラッシュバックしてるんだろうね。


 死を一度でも眼前に感じれば、人は特定の状況下に対する恐怖心を抱くようになる。


 みんなも、死に掛けた後だったり、誰かが死んだ後に突入する時は強張った顔をしてたのを思い出した。


 そこまで考えて、ふと思う。


 ──今の僕は、それと似たような状況下にいるんじゃないかって。


 僕はいつまでも過去を引き摺っている。

 それはあの頃のことが忘れられないからで、諦められないからで、まだ現実と折り合いを付けられていないからだと思っていた。だが、霞ちゃんのように恐怖を抱きトラウマになっている娘が折り合いを付けるかどうかという話かと言われれば、違う。


 僕のこれは果たして、過去を引き摺っているなんて話なのだろうか。


 トラウマと呼ぶべき物に変容してるんじゃないか?


「……まさかね」


 なんて、ネガティブな考えはここまでにしておこう。


 僕がしっかりしてなきゃ霞ちゃんも安心して現実と向き合えない。社会経験は彼女らと大差ないが、いろんな感情と折り合いを付けることに関しては僕は彼女らの数歩先を行く。


「リラックスだ、霞ちゃん」

「わっ」


 頭に手を乗せて、髪型が崩れない程度に撫でる。


「確かにモンスターは手強い。今の時代は産業でしかないかも知れないけど、僕らの時代じゃこれは生存競争だった。どっちが殺してどっちが生き残るか。軍隊のように率いられたモンスターを倒さねば、僕らは滅んでいた」


 装着したモノクルに注いでいく。

 

 デジタルな情報が表示されるが、まだ霞ちゃんが配信を開始してないからコメントが映ることはない。


「今はそうじゃないだろう?」

「……はい」

「それに、霞ちゃんは死にかけていたけど──死ななかった。腕に穴が空いていて、身体中傷だらけで、黒い血液すら流れてた。だけど君は生き延びた」


 ゴクリと喉を鳴らす。


「君は死なないよ。僕が保証しよう。そして、これからもっと強くなる」

「…………はいっ」

「……二人とも、イチャイチャするのは良いけどもう配信してるよ」

「イ、イチャイチャしてないってば!」


 晴信ちゃんの呆れた声で我に帰った霞ちゃんが慌てて僕から距離を取る。


 うん、やっぱりもう手遅れだねこれ。

 

 ただ取り繕う方法はある。

 僕が過去を公開する、というのは霞ちゃんにダメだと言われたからそれはやらない。要は霞ちゃんが恋愛感情を向けているわけじゃないと理解させれば良いだけなので、父親や兄のようなものだと言えば良いだけだ。


 それ以上は噂に過ぎないし、本人たちが否定している限り事実にはなり得ない。


 ちょっと霞ちゃんは僕に対して距離が近すぎるんだよなぁ……


 いや、もしかして、元々こういうタイプなのか?

 単にこれまでダンジョンに全てを注いできた所為で露わになってなかっただけなのか? 柚子ちゃんとの仲の良さを見ればあり得ない話ではない。益々同級生の男の子たちが不憫に思えてきたぞ……


 霞ちゃんは慌てた勢いそのままで配信を付けた。

 

 既に二人から説明を受けていたのか、付けてすぐにコメントが沢山流れてくる。同時接続人数は大体5万人、平日の昼間なのにこんなに見てくれてる人が多いのは本当に凄いな。


 文化としても成長してる。

 ますます粗相は出来ないと気を引き締めてから、コメントと話し始めた。


「やあ皆。今日もお邪魔してるよ、すまないねぇ」


 本来霞ちゃんの配信を目当てに見ている人もいる筈なので、手短に、そして簡潔に挨拶と詫びを兼ねて言っておく。


:霞はいつもダンジョンにいるな

:ダンジョンと結婚した女

:それデマだよ、相手がいるじゃん笑

:おっ勇人さんだ

:公開した情報について教えてくれ!!

:うっす

:今日も女誑しやなぁ

:もう霞はアンタのものでいいよ

:俺では霞を幸せに出来ないんだ 君に託す

:誰だよお前


「な、何なの本当! ちょっと前まで私にそんな恋愛的なこと期待してなかったくせにいいぃ!!」

「ああ……まあ、それが人気商売って奴の宿命だ。諦めよう」


 ウガウガ怒っているが、これも予定通りといえば予定通り。


 僕らはカップルチャンネルだからね。

 偽装ビジネスカップルチャンネルだ。

 その本当の正体は50年前に人を辞めてモンスター混じりの中途半端な怪物となった男とそんな男に命令権を握られた哀れな女の子である。既にバレているが、この路線で行く限りそっちの不埒な印象は薄まるだろうという淡い希望も篭っている。


 言葉一つで命令できる主従関係よりカップル扱いされる方がよほどマシだからしょうがない。


「まあ、そうだなぁ。一つ言えるとすれば──こういうことをしても怒らない間柄、って事だ」


 キレ散らかしてる霞ちゃんの肩を抱いて、そのまま身体に寄せる。


 僕の中の女誑しってこういうことしてるイメージなんだけど合ってるよね? ナルシストと女誑しの区別があまりつかない僕としては、自信がないが……晴信ちゃんと練習したら『どこに出しても恥ずかしくない女の敵』と称賛された。


 称賛されたんだよな……?

 貶されたわけじゃないんだよな?

 普段の態度とは変えてるから、日常的に非難されているわけじゃないと思いたかった。


:え?

:は?

:ウーン(即死)

:何してんの!?

:あーあ

:あああああああああ!!!

:ピ

:ゆ嘘でしy


「──…………?」


 抱き寄せられた霞ちゃんはキョトンとした表情で僕を見ている。


 そのまま抱き寄せた方の手を曲げて頭を撫でれば、コメント欄は阿鼻叫喚と化した。


 うんうん、僕らの分析は間違ってなかったね。

 これをずっとやってたらまた新しいアップデートをしなくちゃいけないだろうけど、適度にやれば問題ない。しばらくはこれで誤魔化せる。霞ちゃんの覚悟を無駄にしないために、僕は先手を打った。


「何してんの!!?!?!?」

「え? 何って……肩を掴んで抱き寄せただけだけど」

「は!!!?!?」


 柚子ちゃんが絶叫した。


 ダンジョンが故にその声は強く響いた。


 多分この階層にいる人達には聞こえただろう。


「わお、プレイボーイだ」

「ふっふ、完璧だろ?」


 晴信ちゃんと二人でグータッチを交わす。

 

:待って待て待て待て待て

:え? もう? そんな進んだ?

:早スギィ!!!!!

:手が早すぎるだろ

:これが勇者か……

:ファーwwwwww

:消えます 死にます

:これは……コード青! 即死です

:結婚しよう

:もう霞ガチ恋勢は消えた方がいい これ以上苦しむ必要はない

:どう見てもトドメだろこれ

:あれ? なんか晴と仲良くね?

:……晴が絡んでるならなんか意図がありそうな気がしなくもないんだけど


 おっと、鋭い。


 いまだに固まった状態の霞ちゃんから身体を離して、聴覚に意識を割く。


 …………ん、居るね。

 数は二つ、リハビリにはちょうどいい。

 柚子ちゃんに説明するのはもうちょっと後に回すとして、今は先にモンスターの対処を優先だ。


「霞ちゃん」

「…………」

「おーい、霞ちゃん」

「な……んですか」


 む。


 霞ちゃんの前で手をひらひらしていたら、そそくさと距離を取った。


 ちょっとやり過ぎたか……?

 でも晴信ちゃんはオッケーだと言ってたしなぁ。


 ちょっとコメントを見て、今の対応が正解かどうかもう一度確かめる。


:あっ

:うん……

:これ以上はもう……ネ

:OVERKILL

:パンク寸前やね

:わかりやすすぎる

:男慣れしてない美少女が誑かされてるだけ定期


「……大丈夫?」

「だいじょうぶです」

「そう? なら良いけど」


 コメント的にも大丈夫そうだし、まあ、一度任せてみようか。


 本当にダメそうならすぐに手を出す。

 

「ここの通路真っ直ぐ行って十字路を左。その先にモンスターが二体いる。やれるかい?」

「この先に……」


 噛み締めるように彼女は呟き、目を閉じる。


 怖いのは当然だ。

 死にかければ恐怖心を抱く、当たり前のこと。

 野生動物ですらそうやって学んでいくのだから、人間だって恐怖心を植え付けられればその克服は容易ではない。


 それでも、霞ちゃんはダンジョンに来た。


 ダンジョンで戦うことを選んだ。


:え? ここ第五ダンジョンだろ、霞なら余裕じゃん

:柚子晴の配信見てないのか

:霞のリハビリ配信だよこれ

:怪我した後の探索者はどうしてもなぁ

:頑張れ!

:霞ー、頑張れよー!

:お前なら大丈夫だ!

:これまで頑張ってきたんだ! 大丈夫!


「…………うん。やれる。やるよ!」


 そう言いながら、霞ちゃんは腰に取り付けていた剣を持つ。


 魔力が滲む。

 それはかつて彼女が使っていたものとは違う、やや黒みがかった靄のような実体を見せる不思議な魔力。


 リッチとしての力を受け継いだ、この世界で唯一僕と同じ力を持つ証明。


:怖がらずにやっちゃいなさい! 勇人さんも居るし絶対大丈夫だから!

:……は!!?

:宝剣甲斐!??!??!

:なんで?

:うそだろ 一級が四級の応援をしにわざわざ……?

:雨宮、お前には期待している。強くなれよ。

:えっ

:うそでしょ

:不知火!!??!?!!?? なんで!!?!?

:霞お前何したんだよ


「え? わ、宝剣さん! それに不知火さんまで……!」


 コメントに気がついたのか、霞ちゃんは嬉しそうに呟く。


「……はぁ? 宝剣一級と不知火一級がコメント? なんで?」

「……何したの?」

「凄く簡単に説明すると、僕と不知火くんが戦う前に霞ちゃんも不知火くんと戦ったんだよね。その時の繋がりさ」

「……」

「……??」


 流石の晴信ちゃんもこの情報には沈黙を選んだ。


 そして柚子ちゃんは理解を拒んでいるように見える。


 不知火くん、強いからね。

 彼と霞ちゃんじゃ天と地ほどの差がある。

 あり得ないのは重々承知の上で、戦った結果不知火くんが期待を寄せるほどのポテンシャルを彼女は見せたのだ。


 通路の先から徐々に進んでくる影。


 遠目に見ても手強いモンスターには見えない。


 小型の、ちょっとした魔獣って感じ。


 両手足に魔力を溜め、霞ちゃんは意識を研ぎ澄ませる。


 身体の震えは、ない。

 彼女はダンジョンで戦うことに怯えていたけれど、すぐにその恐怖を取り払ってみせた。僕の助けは必要なかったんじゃないか?


 本当に強い娘だ。


 僕の協力者には惜しいくらいに。


「……やっちまえ、相棒」


 ──駆け出した。

 

 地面を蹴り、壁を蹴り、三次元的な機動でモンスターに接近する。


 音に奴等が気付く頃には既に到達していて、二体のモンスターの間をすり抜けながら首を切断。ややスプラッタな光景だけど、これくらいは見慣れてるだろうし配慮はしない。


 鮮やかな手並みだ。

 彼女がこれまで積み上げてきた努力が、僕と出会い生き延びたことで更に向上している。ああ、やっぱり僕の目に狂いはなかった。霞ちゃんはもっともっと強くなる。

 戦闘と魔力に関してだけは信用出来る勘が告げているのだ。

 

 彼女は強くなる、と。

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る