第51話


 姿見に映る姿を見て、最終確認。


 髪型よし。

 化粧よし。

 服装よし。

 武器よし。

 うん、完璧。

 身体も軽いし、絶好のダンジョン探索日和。


「鈍ってないと良いんだけど……」


 調子はすこぶる良い。

 でもそれ以上に、ダンジョンからこんなに離れてた経験が無いから不安だ。一週間、いや、十日もの間戦いから離れてて、果たして私は元通りになれるのだろうか?


 養成校で一度受講した、卒業生の話を思い出す。


 その人は3年前まで現役の探索者で、ダンジョンで負った怪我が原因で引退したと言っていた。五体満足で健康そのものに見えたけど、精神が耐えられなかったって。

 俗に言う、トラウマ。

 養成校を卒業した生徒の中で探索者になるのは半数。

 その半数の内、一年以内に探索者を辞める人は、七割。

 数年間探索者として実績を積み上げた人が辞める理由は大半は、怪我によるトラウマが克服出来ないことだそうだ。


 壁に叩きつけられて、肺から空気が全て抜けた苦しさ。


 折れた腕を庇いながら駆け抜ける最中の、モンスターの痛ぶるような目。


 そのどれもが恐ろしくて、今も脳裏にこびりついてる。


 思わずギュッと手を握り締めた。


「…………大丈夫」


 痛みも苦しみも慣れっこだ。

 痛くても、苦しくても、それでも諦めたくないから探索者になった。私の決意は揺らがない。必ずお姉ちゃんの生きた痕跡を見つけるんだって、そうじゃなくても、何があったのかを理解したいんだって。


 ただわからないまま、何も出来ない無力な子供で居たくない。


 それが、私が探索者を目指した理由。


 だから立ち止まらない。

 今の私にはチャンスがある。

 こんなに恵まれてるのに、震えて立ち止まるわけにはいかないから。


 深呼吸を何度か繰り返し、気持ちを落ち着かせたタイミングで扉がノックされる。


「霞。準備できた?」

「うん。すぐ行くよ」

「もう勇人さん待ってるから」

「はーい」


 纏めた荷物を軽く背負って、扉へと手をかけた。











 ダンジョン特区までは電車で移動が出来る。


 僕がこちらへ戻って来たときは車だったけど、それはあくまで公共交通機関を利用するのが難しい場面だったから。通常時の移動は一級や二級であっても基本は電車らしい。

 それに、職員もいる。

 ダンジョン特区で働く人は探索者だけじゃない。

 技術者も迷宮省職員も生活を支える料理人や清掃員もいるのだ。そういった方々は電車で移動するらしい。


 とは言え、それはあくまで基本の話。


 一級や二級レベルになると緊急での呼び出しが日常茶飯事で、専用の車で移動が当たり前。


 電車に比べて柔軟な対応が出来るからね。

 当然と言えば当然である。


 それに、彼ら彼女らのレベルまで知名度が上がれば昔でいう芸能人のような扱いになる。


 普通に電車で移動する姿を見られれば噂が立つし、サインやら何やらを求められることもあるし、とにかくデメリットが多い。専用の移動手段を持っているというのは非常に合理的だ。


 だからだろうか。

 朝七時半、仕事に向かうサラリーマンやOLが一番多い時間帯。

 探索者としての服装に身を包み『やっちゃった』という表情の霞ちゃんと『特に何も気にしてない』晴信ちゃん、そして『まあそうなるわよね』と言いたげな柚子ちゃんに囲まれる形で電車に乗り込んだ迷宮省職員服の男──つまり僕は、電車の中にいる方々から異常な注目を浴びて非常に居心地を悪くしていた。


「あー……その、ごめんね? そりゃあこうなるよな」

「……想定は出来てたし、まあ、気にしなくていいんじゃない?」


 柚子ちゃんがそう言ってくれた。


 一応彼女には敬語を使わなくていいと伝えてある。


 敬う形は言葉だけではないと説得したら素直に従ってくれた。

 霞ちゃんもこれくらい素直になってくれればいいんだけど、どうにも敬語混じりが抜けない。晴信ちゃんは完全に公私を分けれるタイプだから別枠だが、柚子ちゃんですら敬語をやめた今、いい加減普通にしてくれていいと思うんだけど。


「車の予約ぐらいすれば良かったな」


 せっかく『特別』探索許可証なんてものがあるのだから、僕がもっと考えを巡らせておくべきだった。


「仕方ない。私達くらいの階級だと、公用車の手配は難しいから」

「選択肢すらそもそもなかったわ……」

「まあ、たまに柚子のコネで乗せてもらってたけど」

「ちょっ……!?」

「柚子ちゃんのコネ? そりゃまたどういう」


 晴信ちゃんが急に爆弾発言を放り投げた。


 聞き耳を立てていた他の方々もギョッとしている。


 僕も内心ギョッとしている。

 驚きたいのを押し殺し、いたって平静を装おって言葉を投げかけた。


「柚子は御剣一級と仲が良いから」

「へぇ、御剣くんと。……ああ、そういえば彼の師匠が道長くんだったね」

「…………く、腐れ縁って言う奴よ」

「元婚約者」


 柚子ちゃんの抵抗虚しく、晴信ちゃんは淡々と事実を告げた。


 なるほど、婚約者。

 そのコネを使って車移動して楽をしていた、と。

 タブレット端末で[立花柚子 御剣]と入力すればすぐにそれらを事実と裏付ける記事が出てきた。と言うことはつまり、これは周知の事実で別に秘匿しておくべきものではなかったって事だね。


「べっ、別に好きとかそんなんじゃないから! 勘違いしないで!」

「…………ああ、うん。わかった」

「微笑えむなぁ!」


 これは多分、あれだね。

 いろいろ言われすぎて逆に拗らせちゃったパターンだ。

 僕は恋愛の経験はほとんどないが、どうしてこんな風になってしまったのかを分析し推測する能力は他人と比べて長けていると自負している。


 御剣くんは良い奴だが、それが故にこうなってしまったのかな。


「……流石勇人さん。もう柚子のことわかっちゃったんだ、女誑し〜」

「おいおい霞ちゃん。わかってて言ってるだろ? 僕には君しか見えないよ」

「うぐっ……」


 そしてちょっかいをかけてきた霞ちゃんを一撃で沈没させた。


 ふっ、甘いぜ霞ちゃん。

 僕がその程度の揶揄いで焦るわけがない。

 仲間が死んでも焦らず敵を殺して全てが手遅れになった後で卑下出来るのが僕の特技だからね、ハハッ、ハァ……………………消えて無くなりたい。


「仲良くなったね。デートは大成功だったみたい」

「僕と霞ちゃんは特別な関係だから当然さ」

「惚気だ。ごちそうさま?」

「こんなの惚気の内に入らないよ」

「ごめんなさい。私が悪かったです。やめてください」


 晴信ちゃんの容赦ない追撃で霞ちゃんは沈み込んだ。


 かわいそうに……

 こういうやりとりをさせたらこの三人の中では晴信ちゃんが一番強い。

 まあ、そういう教育をされてきてるだろうし、言葉の裏を読み取る力が普通に比べて高いから当たり前の話だ。僕は荒療治というか、そうするしかない状況が続き過ぎて養われたが、元々そういうセンスはないからね。


 今は対等くらいかも知れないが、いつか彼女の頭の回転に着いていけなくなる日が来る。


 地頭の良さだけはどうにもならない。

 凡人でしかない、いや、戦うこと以外は凡人以下である僕がいつまでついて行けるか。ついていけなくなったその時が、僕と彼女の別れ目になるんだろうね。


 ま、それは今じゃない。

 敗北を認めた霞ちゃんの頭を撫でながら、晴信ちゃんに話しかけた。


「ごめんごめん。でもビジネスカップルとしては満点じゃないか?」

「うーん…………一方的すぎるかも」

「そればっかりはしょうがない。霞ちゃんが耐性を付けるまでは荒療治するしかないね」

「うん。早く慣れてね霞」

「無茶言うな!」


 頭を撫でる手を振り払わないところを見るに、やっぱり僕のことを男の異性として見てるわけじゃないと思うんだけどなぁ。


 どっちかって言うと父親とか兄とか、そう言うジャンルじゃないか……?


 そんな僕らの様子を見て、難しい顔をした柚子ちゃんが呟く。


「ビジネス……なの? これ」

「勿論ビジネスだ。恋愛で人気と金を得るのは嫌いかい?」

「嫌いっていうか……私は好きじゃない」


 そう呟く彼女の表情は優れない。


 直情的で元気なイメージが強いけど、嫌悪感に身を任せずコントロール出来てる時点で大人な娘だ。


 と表現してはいるけど、実年齢19の彼女らは子供ではなく大人。


 晴信ちゃんが言ってた通り、僕はある程度認識を改められるように練習している。無意識な状態ではなく意識的に彼女らを大人で一人の人間として責任を負う立場にあると刷り込み続ければ、かつての価値観は少しずつ薄れていくだろうという魂胆だ。


「人間嫌いなことは何かしら持ち合わせてるものだ。嫌いなものがない人間なんてどこにも居ないよ」

「……勇人さんもそうなの?」

「当然。嫌いなものは数えきれないくらいある」


 それら全ては50年前、気が狂ってしまうほど見てきた。


 今でもすぐに思い出せるあの地獄を、僕は生涯嫌悪し続ける。


 そして、それらに対して何もすることが出来なかった僕のことも。


「それでも、嫌いなものに折り合いを付けないと生きていけないからね」


 かつて、僕らは孤独だった。

 人々のために戦っていても、人々が共に戦ってくれるわけじゃない。

 中には終末を待ち望んでいる、よくもモンスターを殺したな、なんて言ってくる輩もいた。心が耐えきれなくて壊れてしまった人は救えないし、他責思考に陥って迷惑と被害を振り撒く人は黙らせてきた。


 いつかこの報いが私達にやってくるだろうなと呟いた彼女の表情は、忘れられない。


 今は、そんなことをしなくて良い時代なのだ。


「御剣くんは良い奴だと思う。柚子ちゃんは彼のことが嫌い?」

「嫌いじゃないけどっ……」

「それは君が色んな経験をして、たくさん考えて出した今の答えだ。それが折り合いを付けていくってことそのものなのさ」


 こんな大人失格と呼ぶべき人間に言われるのは腹立たしいかも知れないが、今はそれで納得してほしい。


 それか、納得出来なくても、いつか自分で納得出来る答えを見つける手助けになればいい。大人で社会を支えるべき立場であっても、何もかもが完璧だというわけではないのだから。


 僕が既に通り過ぎた道を通らせてあげられるなら喜んでそうしよう。

 わざわざ長い遠回りをしなくても良い場所は最短の道を行けばいい。

 長生きをした経験だけは豊富の人間が今を生きる人にしてやれることは、この経験を伝え導くことだからね。僕の場合は寿命がほぼ不老不死でこれからも生き続けるとわかっているから、それ以外に現代を生きるための適合をしなければならないんだけど。


「勇人さん…………」


 霞ちゃんが心配そうな表情でこちらを見てくる。


 何なら周りの人達も僕らの会話を聞いて、何ともいえない表情でこっち見ている。


 聞かれて困る内容は口にしてないから良いんだけど、流石に明日からは専用の車を手配してもらわないと迷惑だな。鬼月くんにお願いしておこう。


 変な空気になってしまった車内の雰囲気を吹き飛ばすために、霞ちゃんの目を見つめ返して話を切り戻す。


「まあ、ビジネスと言ってもそれだけを目的にした関係じゃない。僕らは正真正銘本当の意味で繋がってるから、ある意味でカップルと呼ぶのは正しいかもね」

「……その言い方はあんまり良くない」

「え、そう?」

「うん。エロいよ」

「えぇ……」


 晴信ちゃんがそう言った。


 試しに柚子ちゃんに聞けばコクコクと頷かれたし、霞ちゃんに至っては「えっち」の一言を残して無言だった。


 車内の空気は更に変な雰囲気になった。

 どうやら僕はまた失敗したらしい。

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