第36話


「……勇人さん、一体何やったんですか?」

「いやあ、ははは。ちょっとね」


 昼時。

 それぞれ別に検査を行っていた霞ちゃんと合流し、二人揃って迷宮省内にある食堂に訪れていた。


 平時であれば職員達で賑わっている筈の食堂は、酷く静まっている。


 人はいる。

 食事も行われている。

 ただ、会話だけが少ない。

 僕と霞ちゃんの声だけが響いている、そんな感じだ。


 まあ僕らを見て直接ザワザワ噂をしている訳でもなく、ただ本当になんとなく僕らの様子を伺っているのだ。そんな風に見られる筋合いはないと言いたいところだけど、動物園のパンダ扱い──もうパンダはいないらしいが──も致し方ないので、受け入れるしかないね。


 その内慣れてくれるさ。


 本当ならお金がない僕がご飯を食べる事は出来ないんだけど、今日は特別に提供して貰った。


 魔力の回復量もこの後調べたいだとか言ってたかな。

 霞ちゃんの分は霞ちゃんが自腹を支払っているので、なんとも言えない申し訳なさがある。


「普通じゃない注目のされ方なんだけど……」

「うーん、まあ、モンスター混じりが同じ空間に居るとなったらしょうがなくないか?」


 場は更に静まったし、霞ちゃんはカレーを喉に詰まらせた。


「ゲホッ! ゴホッ、ガハッ!?」

「おいおいお嬢ちゃん、若いのに喉を詰まらせてどうしたんだい」


 詰まらせたというより器官にカレーが入ったのかな。


 咳き込んでいてかわいそうなので背中を摩ってあげる。


「あ、ありがとうございま……じゃなくて!!」

「うん? 僕なんかした?」

「あんまり卑下されると困るんですってば!」

「卑下……?」


 卑下なんてしてないんだけど。


 自虐おじさんが面倒くさいと言うのはわかるし、僕もそれになりつつあるのは理解している。


 でも今は決してそんなことしてないんだけどな。

 もしかして喋るだけで卑下してると思われてるのかな? 

 ハハッ、手厳しいね、若者は。


「あ……これ本気で言ってるんだ……」

「……?」

「いえ……いいです、わかりました。私がいずれなんとかします」

「えぇ……」


 霞ちゃんはスプーンを握り決意を固めてしまった。


 周りの人もそれとなく同意するような雰囲気を見せている。


 50年振りに娑婆に出てきた老人の扱いがこれだ。全く、寂しくなっちゃうぜ。まるで僕だけが世界に取り残されている感じがするね? 


「──そうだ。それより勇人さん、どうですか?」

「うん?」

「ご飯ですよ、ご飯。美味しいですか?」


 霞ちゃんは笑顔で聞いて来た。


 ────これは、あれだな。


 下手な事は言わない方がいい。

 ただでさえ僕が睡眠出来ず食事も摂ってない事に心を痛める優しい心の持ち主だ。これで僕が「実は味がしなくてさぁ」とか言っても良い事になる気がしない。


 有馬くん達には必要なことだったから伝えたけど、あくまでそれはあの場に居る人たちの間で留めるようにお願いもした。彼ら彼女らは皆大人で、年齢的にもそう気にしすぎる事はないだろうと考えていたのも確かだからね。


 だから僕は50年どころかもっと長い時間見てないんじゃないだろうかと言える美味しそうなざるそばを箸で掴んで、これまた懐かしさを感じるめんつゆに浸して、すっかり忘れていた啜る感覚を思い出しながら口に含んだ。


 ──無味。


 味は無い。

 水だけではなく、どうやら純粋に僕の味覚が失われている事に間違いはないらしい。


 味のしない柔らかい何かが口の中を暴れまわる。

 美味しくない食事には慣れていたが、ううん、これは中々どうして……あまり心地いい食感とは言い難い。


 折角50年前、いや、ダンジョン発生前と変わらない食事を摂れているというのに、勿体ないなぁ。


 でも嬉しいよ。

 僕らが食べてたようなそこら辺の草とか、獣臭くてとても美味しいとは言えなかったジビエとか、ああいうのに比べればこれぞ文明的な食事だと言いたくなる。だから口の中を這いずる感覚があまり好ましくなくても、心に浮かぶのは喜びだ。


「──うん、美味しいよ」

「本当ですか!? よ、良かった~……」


 うっ、心が痛む。


 霞ちゃんが本心から良かったと言っている事は、流石の僕でも理解できる。


 だから余計に心苦しい。

 こんな小さな嘘だけど、その小さな嘘で彼女の真心を否定してしまうのだ。


 だからそれを悟られないよう、これ以上思考が及ばないよう、切り替えるように話を始めた。


「蕎麦なぁ、最後に食べたのはいつだったかなぁ……」

「覚えてるんですか?」

「乾麺の類は割とすぐ食べられちゃってねぇ。火起こしさえ出来れば手軽に食べることが出来たから、僕らは口にする事はなかったんだ。だから食べた記憶が全然無いなぁ」


 基本困ってる人達に食べてもらってたからね。


 僕らは野生動物を狩る余裕もあったし、肉を分け与える余裕すらあった。


 一番世話になったのは農家さんかな。

 頭数減らしてなんとか酪農を維持してくれてる人がさ、搾りたての牛乳を飲ませてくれた事があった。


 あの時の牛乳は本当に美味かった。

 格別だったね。


「……それじゃあ、これからは食べ放題ですねっ」

「……うん、お金稼げるようになったらね」

「全然奢りますけど……」

「いやごめん、それだけは本当に勘弁して下さい」


 男として霞ちゃんに世話されたままなのはいただけないのだ。


 なんか僕の魔力量でザワついてたし、多分魔力を納める面で手早く貢献できる筈……! アルバイト、そう、魔力を生み出し続けるアルバイトをだね。それが無理でもせめて農家さんの手伝いをするとかで何とかするつもりだ。


 そして渋る僕に対し、霞ちゃんは衆目があることも気にせずサラッと言った。


「勇人さんはあんまり気にして無いかもしれないけど、私、本当に感謝してるから。もっと受け入れて欲しいなぁ……」

「……もう十分世話になってるつもりなんだけども」

「足りてないし。私のこと捨てるつもりかって心配になるもん」

「そんなことしないってば。僕が約束違える様な男に見えるかい?」

「見た目だけで言えば、まあ、結構軽い人に見えますよ」


 そんな……バカな。

 軽薄そうな見た目に見えるってことか? 

 つまりそれは、僕が女を殴ってそうだという評価と直結しているのではないか? 


『顔がいい』とはつまり、そう言う事だな? 


 なんて事だ……


「こうなったら爺さんになるしかないか……!」

「なんで!?」

「僕は軽薄な男より紳士だと思われたいからね」

「私は……す、好きだよ? 今の勇人さん」

「あ、そう? 霞ちゃんがいいならいっか」

「…………それ、どうい……い、いや! 何でもないです!」


 バクバクと勢いよくカレーを食べる霞ちゃんを眺めつつ、無味蕎麦を口に放り込んでいく。


 ていうか、なるほどそうか、理解したぞ。


 霞ちゃんがやけに僕に対してこう、変な距離の詰め方をしてきたのは捨てられるかどうかって不安が元だな? 


 捨てるも何も僕は君と共に居ると誓ったし、嫌と言われるまでどこにもいくつもりは無いんだけど……


「霞ちゃん」

「ふぁい?」


 もぐもぐ口を動かしている霞ちゃんの目を見ながら、言う。


「言っておくけど、僕は君から離れるつもりはないよ」

「ン゛ッ!?」

「なんだか勘違いされてるからわざわざ言うけどね、どちらかと言えば捨てられるのは僕の方だし、君が僕に恩を感じているのと同じかそれ以上、君に恩と借りがある。50年の孤独から解放してくれた事実は、君が思ってる以上に大きいもんだぜ?」

「ン゛ッ!! エフォッ!!」


 肘をついて、両手の指を絡ませて作った土台に顎を乗せながら続けた。


「僕らは一蓮托生、そうだろう? どっちが上でどっちが下か、なんてのは、今は関係ない」


 まあ、種族的には僕が上で霞ちゃんが下なんだろうけど。


 それはどうでもいいことだ。


 本気で焦ったのか、顔を赤くして水を流し込んだ後、呼吸を整えてから霞ちゃんは言った。


「…………そ……」

「……そ?」

「そう言う事軽々しく言わないでください!! この女たらし!!」


 食堂の中に霞ちゃんの大声が轟く。


 しかし周りにいる職員さんはそれに顔を顰めるような事も無く、何とも言えない表情霞ちゃんを憐れむような視線を向けて席を立っていった。


 それでも注目は余計浴びたわけで、それを霞ちゃんもわかっているのか、恥ずかしそうに縮こまりながらスプーンをトレーに置いた。


 さて、どうしたものか。

 別に誰彼構わず言っている訳では無いんだけど──過去はともかく、今はそう──どうにか弁明したいところだ。


 怒ってる訳でもないし、こちらからすれば僕の言動が女たらしとはどういう事なんだと聞きたいくらいだが、この手の出来事は50年前に遭遇したことがある。


 あれは確か、訪れた地域の有力者っぽい見た目の人に挨拶した時だったか。

 まだダンジョンの被害が広まってない地域で、日本の危機を他人事に捕えてる空気のある場所だったからよく覚えてる。


 僕の事をとても素敵だの魅力的だの言ってくれる女性が居たんだけど、その方がどうにも、僕の大切な人に対して冷たい態度をしていた。粗相をしたわけでもなく、ただなんとなく彼女の事が気に入らなかったんだろうと思う。


 だから彼女を庇うために色々言ったら、最終的に顔を真っ赤にした状態で拳を顔とお腹に入れられたんだよね。


 あの時と同じだ。

 だからうん、あの時と同じ対応をすれば大丈夫な筈。


「……困ったな、女たらしかぁ」

「う…………ご、ごめんなさい……」

「霞ちゃんにしか言ってないんだけど」

「──…………う、うぅ~~~!!」

「大丈夫? 水飲む? これまだ飲んでないから大丈夫だよ」

「いっいらない! いらないから!!」


 とりあえず怒ってない、かな? 


 こんなことで仲違いしたくないからね。


 それにしても、うーん、女たらしとは……


 僕からすればこんな爺があんなこと言っても正直気持ち悪いだけだろうと思っているんだが、やっぱり見た目が若いままなのがダメなのかな。でも見た目はそのままで良いって何度も念押しされてるから変えない方がいいのも事実だろうし、うーん……渋い顔をちゃうね。


 これこそ有馬くんに相談するべきかもしれない。

 70歳超えた爺さんらしい言動って、どうすれば身に着くのかな。


 ただ今回幸いだったのは、周りの職員さんは騒ぐ僕らを睨む訳でも叱る訳でもなく、ただ遠巻きに見る事を選んでくれたこと。これで怒られてたら霞ちゃんが可哀想だったからね。


 誤魔化すように口の中に蕎麦を放り込めば、味のしない柔らかい麺が口の中を満たす。


 この歳になってまだ人間関係で苦い思いをしなくちゃならないってのが、何とも言えない僕らしさがあると溜息を吐きたくなるのだった。

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