第35話


 その日、迷宮省に激震が奔った。


 振り切れんばかりに暴れるデジタルグラフに、具体的な数字は表示せずエラーばかり吐き出すモニター、測定不能を訴える計測器。


 その様子をモニター室から見ていた迷宮省副大臣、藤原陸人は呆然と口を開く。


「…………有馬さん」

「……何だ、藤原」

「これは、現実ですよね?」

「紛れもない現実だろうな……」


 一方、問われた有馬も半信半疑と言った様子でため息を吐いていた。


「歴代最高どころか、完全に鬼月の時と一緒か……」


 鬼月きづき義宣よしのぶ


 一級二位の座に着く実力者で、その魔力量はこれまで観測した人類の中で最も多いと言われている。


 彼が現れた四半世紀前、それまで使用されていた計測器では測れないという異常事態が発生した。オーバーフローした計測機器が黒煙と共に火に沈んで行ったのは、今でも時折語られる武勇伝の一つ。

 それ以降も彼を上回る魔力量の人間は世界中どこを見渡しても現れず、名実共に『人類史上最大の魔力保有者』として名を轟かせていた。


 そう、轟かせていた・・


「測り間違いである可能性は、万が一にも無いのだな?」

「……おそらく、無いかと。測定の方法に不備もなく、これまでの基準値を大幅に超える魔力量を持っているという事前の情報もありましたから、測定自体慎重に行っています」

「機器の耐久値で測るしかないか……」

「数値だけで言えば、鬼月一級三人分に匹敵する魔力負荷に耐えられるようになっています」

「ははは、とんでもないお方だ」


 しかし、追い抜かされた本人は笑っている。


 決してそこに悪意はなく、寧ろ誇らしげだった。


「これが50年前、世界を救った勇者ですか。納得するほかありませんな、全く」

「……ちょっと、嘘でしょ? この魔力量をあれだけ精密に操作してるって、本気なの?」

「事実やっているのだから、出来るだろうな。不知火が残っていればあいつの意見も聞きたかったが……」


 既に不知火はこの場を去っている。


 担当している関西地区にて緊急事態が発生し、その対処に追われているからだ。


 テンションが昂っているのに続きをやれなかったストレスを発散するように、単身爆速で東海道を駆け抜けていった稲光があったとかなかったとか噂されるのはまた後日の話になる。


「鬼月さん、自分の全力を制御する自信ある?」

「出来ぬ訳がないだろう──と、言いたい所だが……精密なコントロールは無理だ」


 宝剣に問われた鬼月は、渋い顔をしながら答える。


「身体強化と同時に最大火力の放出は出来る。だが、勇人さんのように電撃への魔力変質に加え肉体強化に再生も同時に行うのは、無理だ」

「……まあ、普通はそれで十分よね」

「だが、それで十分ではなかった相手が揃っていたということに他ならない。そこら辺どうなんだ、頼光公」

「昔と比べて今のモンスターの質が落ちたとは断言出来ん。だが、ダンジョンの中に居た奴と、地上を侵攻していた奴らには明確な差があった」

「差……?」

「連携と言うべきか……まるでただ悪戯に人を襲うのではなく、組織的な戦略があった。それも長続きしなかったがな」


 だから疑わなかった。

 いや、必要以上に疑うことをしなかった、と言うべきか。

 勇人ら四人組は確かに存在を報告していたし、彼らが潜り帰還した後のダンジョンから溢れるモンスターの数は減る一方だった。真実であろうと思われてはいたが、同時にそれを盲信するなと四人組から直々に伝えられていたのだ。


 もしこれがぬか喜びだったらどうする? 


 ホッと一息気を抜いた瞬間、攻勢が増したら? 


 だから自分達の功績だと喜ぶこともなく、彼ら彼女らは淡々と戦いに赴いた。自分達が死んでも目的を達成するのだと強固な意志を持ち全国を巡って、そして、関東のとある地で消息を絶った。


「なるほどね……本当に、どれだけ高潔に生きてたらそんなこと出来るのかしら」

「そしてそれを誇ることもない、と。お前とは大違いだな、宝剣」

「ぐ……そ、そりゃあ私だって若い頃は……って今もまだ若いわよ!!」


 宝剣甲斐(28)、魂の叫び。


「二八歳ならまだまだ若いのは当然だろう、何を言ってるんだお前は」

「九十九なんてあんな馬鹿なのにもう二十五歳だ。俺は絶望している」

「それは……もう、どうしようもないから…………」


 はあ、とため息を吐いた毛利に思わず同情しつつ、検査を補助していた職員との会話に耳を寄せた。


『ごめん、なんか壊れちゃった。もしかしなくてもこれやらかしてるよね?』

「い、いえ。こちらの誘導通りにやっていただきましたし、細心の注意を払っていたのは理解しています。ですが正確な数値を測るにはその機種ではまだ性能不足のようですので、暫定という結果でもよろしいですか?」

『うん、大丈夫だよ。次はどうすればいいかな』

「魔力総量、出力の検査は終わりましたので……次は魔力の回復量の検査ですね」


「あれだけの魔力量だと回復に時間がかかりそうだけど……」

「さて、純粋な人間とは言えないと自己申告するくらいには人離れした部分があるのだろうから、回復量が人より多くても違和感はない」

「私が大体半日で全快。鬼月さんは確か、二日必要なんだっけ」

「ゼロから数えればそうなるが、今のところ検査の時以外で三分の一を下回ったことはない」


 魔力の回復は自然治癒に任せるしかなく、現状では有効な手段は見つかっていない。


 食事や睡眠の質も特に関係がなく、各々に備わった治癒力によるとしか言いようがなく、だからこそ余計に魔力総量が多い人間は貴重だと言われている。


 国は魔力の多い人間を優遇するし、優遇される側も魔力を提供することを惜しまない。


「鬼月の時は大変だった。前線で戦わせてこれだけの魔力を持つ人間を失えば、将来的にどれだけ損をするか! そう言われておったな?」

「随分懐かしいことを。ですが言っていることは合理的ですし、間違ったことではない。結果的に私が一級として君臨することが国にとってプラスであると納得してもらえただけですよ」

「よく言うわ、儂を相手に一歩も引かなかった癖に」

「若気の至り、ですな」


(相変わらずバチバチね……)

(仲は良いんだがな……)

(やっぱ俺らより上の世代って血気盛んだよな)


 老獪な翁と国を引っ張る最前線に立つ男の空気を避けるように他の面々が距離をとっている最中────それは起きた。


『回復量? 魔力がどれくらいで満タンになるかって話?』

「はい。どれほどか把握されていますか?」

『えーっと、なんかねぇ……ご飯食べたら回復するっぽいんだよね』

「…………」

「…………」

「…………は?」


 空気が変わる。


『いやあ、昨日寝れないって話はしただろ? 飲まず食わずで生きてきたけど、昨日の夜久しぶりに水飲んだんだよ。そしたら味覚が機能してなかった上にお腹に溜まらなくてさ、じゃあどうなってんだと思って改めて自分で探ってみたら──魔力が回復してたんだよね、ちょびっと』


 便利な身体だよねー、笑い飛ばした勇人の言葉の後には沈黙だけがあった。


 一同は押し黙ったまま、誰も口を開かない。


 これまでも大概桁外れな面を見せてきたが、それはあくまで理解の範疇だった。


 50年前の人間が若い姿を保ってる時点である程度のことは理解できる。リッチの呪いだとか、実在した人物だとか、諸々の陰謀とすら言われそうな事柄も、当時を生きた人間によって正しいと肯定されたからだ。


 だが今回ばかりは違った。


「…………もしも、もしもですよ、藤原副大臣」


 神妙な顔つきで、慎重に口を開いた毛利。


 それに対して問われた副大臣もまた、表情を強張らせていた。


「……なんでしょうか」

「一人で関東で消費される魔力の半分を賄えると言われている鬼月一級の、倍以上の魔力量を誇る人物の魔力が、何度でも回復出来るとなれば…………どうなると思いますか」

「…………どれほどの食事量を必要とし、どれほどの魔力を持つのか具体的なデータを参考にしなければ正確な値は出せませんが……概算でよろしければ」

「それで構いません」

「…………日本国で消費される魔力全体の、二割から三割を補えるかと」


 重要なのは総量に比例する回復量だ。


 もしもこれが食事をとるだけで無限に回復し続けるのだとすれば、革命どころの騒ぎではない。


「同様のエネルギーを使用すると言うのなら理解は出来る。だがもしこれがそれらの法則を無視した、モンスター特有の理不尽な概念だとすれば……」

「それ以上はダメよ、毛利さん」

「わかっている、わかっているんだ、そんなこと」


 一瞬脳裏に浮かんだ非人道的な考え。

 当初から本人が言っていた通り、人体実験と称した試験体としての役割。

 それが何よりも価値を増幅させるものであり、世界中からその存在を渇望されるだろう。金のなる木、そんな範疇すら超えた無限に魔力を生み出せる、金の鉱脈。


「俺だってそんな手段を取るつもりはないし、何よりも頼光公が許さんだろう。だが…………」

「……リスクはあるし、これ以上公表するのはやべーかも知れねえ。でも、俺達はそれでも良いって判断した。この人に、自由に生きて欲しいって決めただろ。今更曲げさせねーぞ」

「当然ね。どれくらい回復するか正確に測る必要はあるでしょうけど──それは勇人さんのためであって、国を喜ばせる為じゃない」

「お前達……」


 有馬は思わず言葉を漏らした。


 効率的で非人道的な手段を用いてでも、社会を維持しなければならない時代を生きてきた。


 勇人もまた、そうやって切り捨てられた一人だ。

 誰かがやらねばならないことを、率先してやった四人組。

 一人また一人と姿を消しても本心の労いではなく、よく敵を倒したと褒めるばかり。見知らぬ誰かが死んで敵を殺したのならそれでいいと喜ぶ、喜んでしまう世界。


 そんな醜悪さに直面しながら、それでも前を見て戦い続けた男に対し、若き世代は人道を選んだ。


 魔力が増えると言うことは、エネルギーが増えると言うこと。

 エネルギーが増えれば電気やら何やらに変換することが可能で、電気の使用出来る量が増えれば、これまで手を伸ばせなかった分野に手を伸ばすことも可能となる。それこそ、農業特区を更に増やすことも可能だし、工業を発達させることも可能だ。

 それは国の発展につながり、やがて人類の発展につながる。


 もしも、もしも本人がそれを望んだら。

 魔力タンクとしてこのまま生き続けることを望み、己の肉体を弄ることを許してでも、この国に──人類に貢献することを、望んだとしたら。


 歳を取り現実を見てきた自分達は、即座に選ぶことが出来ただろうか。


「…………これからを背負うべき世代、だな」

「え?」

「何でもない。毛利よ、お主も本気で言ったわけではあるまい。戯れはそこまでにしておけ」

「……はい。申し訳ありません」

「皆、この話はやがて公表することになるだろう。だが我々の意思は揺らがず曲がらない。勇人さんには自由に、過ごしたいように生きてもらう。それが世界を救った立役者に報いるための最低条件──違うか?」


 誰も声を出さなかったが、思うことは一緒だった。


「この件はいくら表に出そうが構わん。そもそも信じ切る者の方が少ないだろうし、何より秘匿し続けることは我々の思惑に反する。だが、迷宮省として、探索者として、過去を知る者として、今の時代を生きる人間として……断固として、非道に手を染めることは許さん。もしその気配を察知したら速攻で潰せ。事後承諾でも構わん」

「他国との外交問題になりそうな場合は?」

「潰せ。どうせ表立って抗議はして来ない」


 かつて、人々を率いて日本を立て直した男、有馬頼光。


 その本質は苛烈そのもの。

 守るために滅ぼすことも止むを得ない。

 邪魔をしてきた人間は直接殺し、生き残ってもなお足を引っ張ろうとする小賢しい悪党をその手で黙らせてきた。


 情勢が安定しその苛烈さを久しく見せていなかったが、顔を覗かせたその姿に若い世代は身震いした。


(…………儂も老い先短い身。出来ることは、儂らの世代が消えた後、貴方の功績と貴方への敬意を失わせないこと……)


「……些か、老骨には堪えますな」


 しかし、それでも有馬は笑っていた。


 若い世代は大丈夫だ。

 それでも、自分達古い世代が何もしないわけにはいかない。

 任せっきりのまま居ては、勇人に守られるだけの存在になってしまう。


 生涯現役──その言葉が夢物語ではなく、現実になる予感を抱きながら、モニター越しに勇人との会話を始めるのだった。

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