第30話
――今日は本当に色々あった。
嬉しさで飛び跳ねたくなるような事から、思わず溜息を吐きたくなるような事まで色々だ。一言で言えば、カオスだったと言うしかないかも。
だって本当に滅茶苦茶だったんだから。
死に掛けて、蘇って、怪しいお兄さんに出会って、その人が実は黎明期の勇者さまなんて呼ばれてる人で――人間じゃなかったり、しかもその人間じゃない力で私の命を救ってくれたり。これまで雲の上の存在だった一級探索者の皆さんと会った挙句、現代で最強と呼ばれてる人と戦う事になったりともう沢山。
私一人の頭で処理できる情報の量をとっくに超えている。帰りの車なんて普通に寝てた。臭い匂いを撒き散らしていることを誰も指摘してくれなかったから、汚れた状態の私を色んな人に見られた。
本当にさいあく。
うう、勇人さん私の寝顔見てないよね……?
流石に寝顔が全国に知れ渡るのは恥ずかしいって言うか、なんかもう……生きていけないかも。ネットニュースは私と勇人さんの話題で持ち切りだし、同級生や仲のいい人達から連絡がずっと来ている。
今もピコンピコン通知がうるさいから、全体報告だけして個別連絡は無視する事にした。
だって今、それどころじゃないから。
「うはっ、すごいなこれ! ふかふかだ!」
……現実逃避は、ここまでかなぁ。
目の前にある現実に向き合う時が来てしまった。
これまでを思い返しても決して覆らない現実。
時として何をしても間に合わない事があると知った昼、世の中には自分が知らないだけで色んな事情があるのだと悟った夕方、理不尽と期待は紙一重だと絶望した夜。
ベッドに腰掛けてポフポフと布団を叩く勇人さん。
顔がいい。
女誑しって感じだけど、目元がすごく柔らかくて優しいんだ。
配信でもイケメンって言われまくってたし、まあ実際カッコイイと思う。というか、そんなに男の人と関係があった訳じゃないし、たまにデートに誘われたりはしてたけど、それどころじゃなくて断っていた過去がある私にとって、本人にその気がないと分かっていても身構えてしまうのだ。
大丈夫大丈夫、勇人さんが
ふ~~……。
「霞ちゃん? どうしたの?」
「……ちょっと心の準備をしてました」
「あはは、何もしないってば。伝わってるでしょ?」
「伝わってますけどぉ……」
自分より圧倒的に強い男の人と、ホテルで二人きり。
このシチュエーションで身構えない女は居ないと思います。
勇人さんが腰掛けるベッドに、恐る恐る腰掛ける。
ギシ、とベッドが軋む音。
そんなどうでもいい、普段なら気にしない音が妙に耳に残る。
当たり前だけど何もしてこない。
わかっているけれど、まあなんと言いますか、探索者やってて色々女を捨てている身だけど、女なので。
「それじゃあ、落ち着いて話をするためにさっきの続きを話そうか」
「続き、ですか?」
「うん。なんとなく霞ちゃんが僕の感情を読み取っている事についてだ」
「ああ、やらかしたって言ってた……理由がわかってるんですね」
「予想外と言う他ないけれどね。君に注ぎ込んだ生命力、というより……命令権があるのが原因かな」
サラッと言うけど、私に対する命令権が普通に存在しているらしい。
じ、人権が……無視されてる。
でも、元を辿れば勇人さんが居なければ私は死んでいたわけで、そういう意味では人権なんてもう持ってないのかも。あ、でも、なんでも許すわけじゃないから。配信でも注意しなきゃ。まったくもう、勇人さんが私にその、エッチなことするわけないんだから。
そういう目的がある人じゃないのはとっくにわかってる。
それじゃあ何で怯えてたんだって?
それはそれ、これはこれ。
わかってるのといざ目の前にするのでは色々違うんです。
「なんとなく、命令権に対する感覚ってある?」
「正直何も。逆に勇人さんにはあるんですか?」
「あるよ。なんとなくだけどね」
「……そんなに気にしてないので後悔とかしなくていいですよ?」
伝わる後悔の念。
言葉にして伝えると、勇人さんは困った表情でくしゃりと笑った。
「そりゃまあ、何でもかんでも押し付けられたら私も困りますけども。勇人さんそんな事しないでしょ?」
「おいおい、僕だって男だ。ふいに下卑た目線を送ってきたらどうするんだ?」
「それこそ無いって。私の事女として見てないの、わかってますからね」
「ありゃ。それはそれで失礼な事をしてる気が……でもちゃんと可愛い子だなとは思ってるし、魅力的だとは思ってるから安心してくれ」
「ん゛ん゛っ……配信中に言わないでね、そーいうこと」
「ははは、わかったわかった」
ジトっと見るけど全然反省した気配がない。
私には色々事情があるから勘違いしないけど、これ、普通の女の子にしたらダメな態度だからね。
恋愛経験が豊富な子は大丈夫だろうけど、耐性無い子に言ったら本気になるかもしれないんだから。これはちょっと、順を追って教えなきゃ。コメントでも散々言われてたけど、勇人さんは自己肯定感が異常なまでに低い。
もっと自信を持っていい。
実績も強さも在り方も生き方も精神も、どれもこれも誇りをもっていいものなのに。
勇人さんは自分を決して褒めない。
言葉で軽快に応えながら、心の中で自分を罵倒している。
その理由が私は知りたかった。
「多分僕が意図的に名前を呼べば命令した形になると思うんだ。スケルトンにやってるようにね」
「ああ、あの人……人、でいいんですかねあれ」
「人かなぁ……人骨が元なら人だけど……これからの検査次第ってところだ」
ちなみに、スケルトンは今迷宮省が保有する検査施設に一足先に収容されてるらしい。
明日には私と勇人さんも向かうから長い別れにはならない。
「試してみる?」
「えっ……命令を?」
「そう。いきなりやられるより今のうちにやっておいた方がマシじゃないかな」
それは……確かに。
急に命令をするタイミングがあんまり想像できないけど、もしかしたら私の判断が間に合わないような時に勇人さんが指示を飛ばすかもしれない。
その時に戸惑うのは嫌だなぁ。
「……わかりました。でも、変な事は命令しないでくださいね」
「しないしない。まったく、信用無くて泣けてくるぜ」
苦笑しながら勇人さんは私の顔をじっと見つめる。
う……
何も変じゃないよね。
汗は拭いたし髪も直した。
職員用の服だからちょっと着慣れてないけど、決して変じゃない。
うん、大丈夫。
「【霞、立て】」
「っ…………!?」
名前を呼ばれた瞬間、身体が硬直した。
金縛りにあったような感覚。
力が入らないとかじゃなくて、身体の感覚が消え失せる。
そしてそのまま私の意志に反して勝手に立ち上がってから、ふっと元通りになった。
「っ……!!? あ、う、動く……」
「どうだった?」
「何か……変な感じでした。力が入らないって言うか、私のものじゃない感じがして」
これ、いきなりやられたら動揺しちゃうかも。
それに命令されてから動き出すまでちょっとラグがある。戦闘時にやられたら結構ヤバい。意図的にやらない限りは問題ないって話だから心配しなくてもいいとは思うけど……
「そっか……その様子だと、かなり違和感あったようだしこれは封印しようか」
「そっちの方が安心できます。あ、勇人さんに命令されるのが嫌とかそういう面での話じゃなくて、あくまで戦闘時のリスク管理とかが大変だからって話なので――……なんで笑ってるの!」
「いやあ、操られるのはいいって、それ年頃の女の子が言っちゃダメだろ」
「うぐっ……! も、もう! 人が気遣ってるのにそうやって茶化して!」
「あんまりそういう事言ったらダメだよ?」
「ど、どの口が……!?」
あははと笑う勇人さんに怒る気も失せて、そのままベッドに倒れ込む。
いいように弄ばれてる気がする。
そりゃまあ年齢を考えれば色んな意味で勝てる訳ないんだけど、こう、なんか余計にドキドキさせられて腹が立つというか……恋愛感情が無いのをわかりきってるのにそういう目でちょっと捉えてしまう自分の心が憎い。
勇人さんは大人だし、おじいちゃんだし、私に興味なんてない。
「はああぁぁ……もう寝たい……」
「ベッドは好きに使いなよ。僕はベランダでゆっくりしてるからさ」
「あ……そういえば、寝れないんでしたっけ」
「正確には寝なくていい、かな。眠気があるわけでもないし、ここから見下ろす街並みってのも楽しみたいからちょうどいい」
騒いで疲れを思い出したのか、急に眠気が襲って来た。
勇人さんの言う通り、ベッドはすごく柔らかくて、すごく質のいいものなんだろうなと思った。
服も着替えてないのに、少しずつ希薄になっていく意識。
落ちていく瞼に抗う事も出来ず、でもせめて寝る前に、一言だけでもいいから言いたいことがあった。
「…………勇人さん」
「なんだい?」
「助けてくれて…………ありがとう、ございます……」
ああ、言えた。
これが言いたかったんだ。
勇人さんは助けられたって言うけど、本当に助けられたのは私の方だから。
感謝の念は伝わってくる。
だから余計に言いたくなった。
だって、私の気持ちは、言わなきゃ伝わらないから。
「――――……うん。どういたしまして」
ちゃんと受け取ってくれた優しい言葉を最後に、私の意識は暗闇に包まれた。
無駄にいい部屋を用意してくれたみたいで、ベランダと言うよりはテラスのような広さがある。
テラスと言うのはおかしいんだっけ?
そんなことを言われたような記憶があった。
勿論僕に金持ちの知識は無いので、大体受け売りである。
「『
お金も地位も何もない僕だけど、こんないいホテルに泊まれるくらいには優遇されている。
50年前とは何もかもが違う。
宿泊施設なんてまともに用意してもらえなかったし、暖かいお湯を使ったのなんて記憶にないくらい遠い出来事だ。川で洗ったり、雨水で凌いだり……富める者とは真逆の生活を送っていた。
それでも彼女は文句の一つも言わなかった。
それが義務だと。
そうしたいからしているのだ、と。
きっと思う事はあっただろうけど、彼女は逞しく前を見続けていた。
社会に、世に、人に絶望していた僕を立ち直らせてくれたのはきっと、あの光に目を灼かれたからに違いない。
「流石に夜景とまでは言えないけど……綺麗だよなぁ」
独り言を呟く。
この声を聞く人はどこにもいない。
だからちょうどいい。
霞ちゃんも寝て、監視の目はあっても干渉はしてこないだろうしね。
落下防止用の柵に手をのせて、眼下を見下ろす。
ポツポツと灯った光。
流通は相変わらず変わってないのか、静かになった街中をトラックが走っている。タクシーはあんまり無いかな。今日が何曜日かわからないけど、休日じゃないならそんなものだろう。ダンジョンが現れる前、もっと人混みで溢れていた時代を僅かに想起してから、何もかもが灰塵になった風景を思い出す。
瓦礫、死体、血だまり、人体の一部、腐臭。
それしかなかった。
それが今やこの光景だ。
「ここまで元に戻ったんだぜ。あの頃から」
もう僕たちの時代は終わった。
だけど、僕たちが生きていた意味はあった。
僕はね。
先に死んでいった皆の全てが無意味ではなかったのだと、そう噛み締めたいんだ。
僕らの犠牲があって、守り抜いた人たちが社会を復興させたんだ。恩着せがましくて不愉快だと言われるかもしれないけど、それくらいは許して欲しいんだ。僕の事はどうでもいいが、僕の仲間達の死が無駄だったなんて死んでも思いたくないから。
「お酒でも飲む洒落た趣味があれば良かったんだけど、残念ながらそんな面白い男じゃないんでね。これで勘弁してよ」
備え付けの低いテーブルに持ってきたコップを四つ並べて、これまた備え付けのミネラルウォーターを注いでいく。
「月見酒ならぬ、月見水。……笑われちゃうかな」
口に運んだ水の味はしない。
どうやら50年間で味覚もポンコツになってたらしい。
これが公の場じゃなくて良かったよ。流石に動揺してただろうから。
「……美味いなぁ」
それでも心の底からポツリと漏れた言葉は、真逆の言葉だった。
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