第5話 逢魔ヶ刻

「3時間と30分と23秒か。劇症型であること、末端からの壊死による激痛も加味したら最低限戦闘に流用できるか。まぁ、本来の目的を果たすには十分過ぎる時間だな」


 男の絶命を確認した私はストップウォッチの針を止める。

 男は四肢が黒く変色し、恐怖と絶望に目を見開き泡を吹いて息絶えている。見た目では分からないが、物が腐ったような酷い臭いが男からすることから効果通りに内部は腐っているだろう。


(武器に呪詛魔法をつければ多少なりとも使えるか)


 薬液に混ぜ込まずとも、直接武器に手にすれば魔法そのものを取り付けれる。魔法用語でいうと【付与エンチャント】と呼ばれる技法らしい。

 一時的にしか効果はないが、専用の道具を拵えるよりかは遥かに手軽だ。


(ただまぁ、手軽な面のデメリットもあるが。……まぁ今はいいか)


 黒い靄が男の体を包み込み、次第に消えていく。死亡状態を確定させるためにも後で解剖するためだ。

 男の体を靄が完全に取り込み終えると私は箒と塵取りを手にし、床に散らばったゴキブリの翅や足といった残骸を回収していく。【同族捕食】した後の後始末だ。100匹以上いたゴキブリの残骸はかなりの数にも及ぶ。

 大きな残骸を箒と塵取りで回収し、細かいのは雑巾掛けで取っていく。


「ふぅ……予想してた以上に散らかるな。今度からシートを敷いてからやろう」


 残骸の片付けを終え残骸をゴミ箱に入れる。

 箒と塵取りを部屋の隅に置き、ゴミ箱を外に出すと私は背筋を反らし伸ばす。


(うーん……しょと。もう夕刻か)


 背筋を伸ばし終えると、私は夕焼けに染まる空を見あげ、地を蹴り屋根の上に着地し屋根に座る。

 スラムから表町、そして広がる海へと沈む太陽。

 赤く染まるハルヴェスの街を私は太陽の日差しを受けながら見つめる。


 黄昏時、逢魔ヶ刻。太陽と月が入れ替わり、空を太陽が赤く染める時間。その時間を私は特に好んでいる。


 ゆっくりと落ちていく太陽を眺め、完全に落ちきったところで立ち上がる。


(明日も材木屋に行って扉を作るための資材を買って……ああ、人が近づかないよう【人払い】をしておくか)


 私は再び黒い靄を生み出し、中から一本の棒を取り出す。色は黒。表面には幾何学的な紋様が所狭しと刻まれ、先端は鋭く尖った形状をしている。

 成人男性の大腿骨を加工し作った触媒を手の中で弄ぶと逆手に握り、地面へと投げる。真っ直ぐと落下し、未舗装の地面に突き刺さると、私は祈るように手を合わせる。


「【月よ、月よ。安息の揺り籠を守り給え】」


 呪いの呪文を唱え、手を屋根につく。その瞬間、見える景色にノイズが走る。

 見える景色は変わらない。けれど、何が違う違和感。絶妙に心にノイズを走らせ、『当たり前』の皮を被る。

【人払い】の呪いが成立するのを確認し地面に降り立つ。


(【人払い】の原理自体は単純だが、私オリジナルの術式でやるとなると複雑。母の術式だと単純かつ簡単。……これに関しては専門性の違いだな)


 呪詛魔法が『術者が思う呪いの形』によって解釈が異なる都合上、どうしても得意不得意が出てくる。

 母が呪詛師、それも私以上に歪で悍ましい形で呪いを行使する。その技術と経験を私は生まれながら・・・・・・身につけている。


(こと、人の人体を利用した呪詛魔法に関しては私より上であるのは事実だしな。まだまだ技術転用が甘いか)


 家の中の自室に入り、箪笥の中から黒いローブを取り出す。昼頃に警邏隊の青年に切り裂かれたワンピースを脱ぐとローブに着替える。


(全く、それなりの素材を使った良品だったのに。今度また作ってもらうか)


 黒い靄を生み出し、中から一つの物体を取り出す。

 形状は箱。装飾は無く、端から見たらただの箱にしか見えない。

 色は黒。何者にも染まらない色であり、同時に終着の色。

 材質はミスリル銀。性質は破魔で悪性を拒絶する。本来は神官プリースト持つ錫杖に使われる素材。


 齢九つのノスフェラトゥが片手で軽く持てる程度には軽く、同時に私の周囲に浮遊する。


「魔法媒体『シュレディンガーの箱』。久方ぶりにこちら側へ出すことになるとはな」


 魔法を行使するためには杖などの媒体を必要とする。魔法が現実に干渉するための技術なら、媒体はアクセスキーのようなものであり、魔法行使には無くてはならない代物とされている。


(バジリスクの血液、ドラゴニアスの心臓、ナインフォックスの九つの尾。埓外の怪物どもは生まれつき媒体を肉体が有しているのが実に羨ましい。……と、風呂を借りに行くか)


 フードを被り、私は家を出る。

 街灯などと大層なものはスラムにはない。合ったとしても整備はされてない。

 夜へと落ちたスラムは非常に暗い。生気のない空気感と足下を鼠やゴキブリが走る。

 そんなスラムも次第に人通りが激しくなり、街灯が立ち並び灯りがついていく。スラムの一角、表町と面している部分とはいえ、綺羅びやか建物が立ち並び、窓から肌から薄っすらと見える服を着た女が街を歩く男達に媚びを売る。

 花街。港湾都市『ハルヴェス』に存在する娼館が立ち並ぶエリアだ。


 その中で一番大きな、かつて貴族の邸宅であった大きな屋敷、今は娼館『異端の眠り宿』の門を潜ろうとする。


「待て小娘」


 中へと踏み込もうとした瞬間、槍を持つ門番が進路を塞ぐ。若く革鎧を身に着けた用心棒の青年に視線を向ける。


「ここに何の用だ。この娼館で働く条件を知っているのか」

「……生憎と、私はここの関係者だ。見てわからないか」


 私がフードを外すと青年の顔は真っ青になる。


「こ、これはセレイナ様!申し訳ございません!!お母様は現在、客との応対をしております!」

「そうか」


 私は青年に背を向け、屋敷の門を潜る。


(全く、母もここに住まなくても良いのに)


 この娼館は母の持ち物であり、同時に母が住む家でもある。私は、母に会いにきたのだ。

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