第6話 娼館のラウンジ
屋敷の中は広く、同時に多くの女と男が入り交じっていた。
天井は高く、壁や天井に丁寧な金細工の装飾が施されている。玄関の広間には大きな階段が伸び、カウンターにはラウンジが設置されている。ソファに座る大柄な男が娼婦の胸を揉み、黄色い喘ぎ声を鳴かせる。
人の欲望の集積所である娼館に辟易としながら、ソファに腰掛ける。すると、その隣にアラクネの女が座り、空のグラスを差し出してくる。
「あらセレイナちゃんいらっしゃい」
「……メリアナか」
黒い蜘蛛の下半身と妖艶な美女の上半身を持つアラクネの女――メリアナから空のグラスを受け取ると黒い外骨格に覆われた手に持ったボトルを揺らす。
ボトルを傾け、グラスの中にオレンジ色の液体が注がれる。
「今日はラウンジに来たけれど、どうかしたのかしら」
「別に。母が客と応対中と用心棒から聞かされたから、その暇潰し」
「あらあら。でもコボルトちゃんたちが準備をしてたからそろそろ終わると思うわ。それにしても……」
メリアナは手をワキワキと動かしながら、私に抱きつく。私の頭を胸の中へと押し込み、頭をスリスリと頬擦りする。
「うーんやっぱり抱き心地がいいわ。スベスベの長い黒髪と小さな顔。やっぱりこの年頃の女の子は抱き甲斐があるわぁ」
「髪の毛で興奮するな呪うぞ変態」
「あらごめんなさい。でも胸の中にいるのも悪くないでしょう?」
「息苦しい」
仄かに甘い香りが鼻腔を満たし、息苦しさが逆に心地よい。
男が女の胸に顔を埋めるのはそうした欲情と興奮があり、メリアナはそれに母性を感じとり欲情している。
そういう性癖であると私は理解しているが、その被害に合うのは私や私と同い年くらいの少年少女たちだ。
(この性癖が無ければ良い人なんだが……)
決して言葉にしないが、それでもずっと続けられると窒息してしまう。
胸で窒息死されるのは流石にゴメンだ。
「それで、今日の仕事は良いのか?」
メリアナの胸から顔を外し、私はオレンジジュースを飲む。
メリアナは娼婦で、男に身体を売ることで生計を立てている。金を稼ぐために仕事をせねばならないのは自明だ。
「今日は大忙しよ。他国の貴族たちが来て会合を開いたらしく、こっちでその接待をしているの。この街で一番珍しい娼館だもの」
「なるほどな」
『異端の眠り宿』はハルヴェス唯一所属する娼婦男娼全員が魔族の娼館だ。
ハーピィ、アラクネ、ラミア、サキュバス、そしてノスフェラトゥなどなど、人族社会から爪弾きにされた魔族が集いその身体や芸能を売って金を得る。そのサービスは多岐に渡り、その技術はこの花街随一のものになっている。
物珍しさ、或いは魔族を人族が屈服させることの興奮なのか。通う人の足は途絶えることがない。
「で、こっちにいるのはサボりか?」
「ギクッ!い、いや、お客様をちょっと強く酔い潰しちゃっただけだから、うん」
アワアワと手を動かし、ミステリアスで美しい顔を赤らめるアラクネの女に私はニヒルな笑みを浮かべる。
「別に気にしない。元より、私はこの娼館の禿ではない。私はあくまでこの娼館の虫に過ぎない」
「もー、そんな格好つけちゃって。でもいいわ。そういう背伸びしてるところ、私は好きよ」
「それは好意的な意味か?それとも本能的な意味か?」
「どっちも」
「……やっぱり信用できないな」
禿や用心棒に手を出すのは彼女の悪癖だ。
「禿たちや支援してる孤児院に通えばいいのに。遊ぶことはとても大切よ?」
「私が行ったところで気味悪がられるだけだ。ノスフェラトゥなんて血液を取り込まないといけない怪物だからな」
「あら、それならサキュバスも怪物かしら」
「当たり前だ。元より、人族からしたら『穢れ』を持つ私たちは皆一様に怪物だ」
私はオレンジジュースを飲み、静かに首肯する。
『穢れ』とは、魔族を生み出したとされる邪神が持つ原初の呪い。魔族の魂を汚染するそれは人族の信仰する神々の教義において等しく忌避される。
その性質は本能に由来し、価値観を歪める。価値観の歪み方は人それぞれで、しかし性癖や欲望に忠実になる性質だけは共通している。
魔族社会に生きれなかった者たちであろうと、それは変わらない。
(私は魔族を害虫だと定義づけている)
存在するだけで鬱陶しく、邪魔に思い、しかし自然界のサイクルにおいて絶対に必要不可欠な存在。魔族というのもまた自然界のサイクルの中にある存在なのだ。
「そう……それでも私たちは人族と共に生きることを諦めるつもりはないわ。だって、もうここしか居場所がないもの」
「難儀だよ、本当に。人族社会も魔族社会も」
スパークリングワインをグラスに注いで飲むメリアナの憂いに満ちた顔を見上げ、私もオレンジジュースを飲む。
「あ、セレイナのお嬢。ここにいやしたか」
メリアナと雑談をしていると背後から声をかけられる。黒いスーツを着たコボルト――犬頭とモフモフの毛に覆われた身体を持つ魔族――の老人は私を見上げにこやかに笑みを浮かべた。
「アイゼンか。どうかしたのか」
「お嬢、奥様の応対が終わりやした。つきましては私室に来るようにと」
「分かった。それじゃあまたな」
「ええ」
オレンジジュースを飲み干し、私はソファから立つ。玄関の階段から二階へと上がりながら試験管を何本か取り出し『シュレディンガーの箱』の中へと入れる。
(さて、今日は何を言われるのだろうか。……まぁ、ふざけたことを言えば問答無用でゴキブリの刑だ)
イヒレンを呼び寄せる薬液の入った試験管を片手で玩びながら、私は娼館の奥へと歩いてく。
愛おしく、同時に乗り越えるべき壁である母の元へと向かうのだ。
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