第2話 スラム

 私にとって血は生物として必要な食料である。


「んぐ、んぐ……」


 小皿を満たすは赤い血。まだ凝固していない新鮮な血液。私は皿を持ち上げ、口を開き口内へと流し込む。

 生臭い鉄錆の味、それを本能が美味と判断し喉を通し許容する。


「ぷは……ご馳走様」


 口元についた血をハンカチで拭い、皿を机に置く。口内に残留する血鉄の味を噛み締めながら天井を見上げる。


(……ノスフェラトゥが他の魔族に比べて人族に嫌悪される理由も分からなくはないがな)


 見方を変えれば吸血行為はカニバルと対して差はない。たとえ生きるために必要であっても眉を顰められる行為に間違いはない。


(しかし、ノスフェラトゥが生きるためには血液が必要であるのもまた事実だ)


 この世界の生物には生命力と呼ばれるエネルギーがある。

 体力、精力、精神力といった前世の言葉で表されるそれらはこの世界の魔力と呼ばれる別エネルギーの源泉であり、同時に肉体の成長と破壊の二面性を有している。

 本来生命力による成長と破壊が均衡を保っているが、一部種族は身体と生命力が合致せず、自壊する危険を内包している種族がいる。

 そうした種族は別の生物から生命力を奪うことで肉体を維持しており、ノスフェラトゥもその一種なのだ。


(『生命調律∶血液』。血と血に由来する物質を取り込みエネルギーとするノスフェラトゥの種族特性。その副産物で寿命というのが著しく長くなったが、それでもプラマイゼロだろう)


 椅子から降りると入口へと目を向ける。


 賊が侵入の際に扉を蹴破った影響で木の扉は完全に壊されており、明るい外界から空気が入り込んでいた。


「しかし、こうも扉が蹴破られると作り直さないといけないな」


 床に散らばる扉の残骸と蝶番を見てため息をつく。


(『狩人』め、壊すのは良いけど直す身にもなってくれ)


『狩人』――ノスフェラトゥを代表する『他生物から体液などを摂取し生きる生物専門の殺し屋』は容赦がない。

 結果として住んでる家が壊されてはたまったものではない。


「直すにしても、資材を買わないといけないか……まぁ、その前に見張りを用意しないとな」


 袖口から取り出した試験管のガラス製のキャップを外す。

 試験管をひっくり返すとボトボトと薬液が床に落ちる。落ちた薬液は赤い煙を放ち、家の隙間から外へと流れ出る。


 ブブブブブブブブ、ブブブブ、ブブブブブブブブと。黒光りする絨毯が壁を、床を、天井を覆い尽くす。


 ブラド・イヒレン。言葉の意味は『血食いゴキブリ』。


 散布された薬液は数千匹にも及ぶ肉食性の小型昆虫魔物を誘引した。


(前世における誘引剤は殺虫やネズミ取りに使うものらしい。そういう使い方はアリではあるが、魔法ではない。私は魔法師であって誘引物質の研究者ではない以上、そこに神の奇跡が無ければならない)


 一つの成熟した文明が終わり、次の文明へと続く黎明期であるこの世界の科学は前世と比べると遥かに劣る。

 しかし、その代用として生命力を魔力に変換し現象や物質を操る技術――『魔法』がある。

 神の奇跡を人為的に再現するのが『科学』とするなら、神の奇跡を人が操るのが『魔法』であり、私もまた魔法を使う者――魔法師である。


「これだけ集まれば十分か。【拡散停止】及び【警戒】」


 誘引剤に混ぜた魔力を遠隔で消し、蠢く蟲たちに指示を出す。ゴキブリたちの羽音は聞こえなくなり、私は縁の大きな三角帽子を手にする。


(誘引剤に魔力を込め、誘引剤の影響を受けた生物を洗脳し使役する魔法【媒介者の軍勢】。……【人払い】でも良かった気もする。選択ミスった、かなぁ)


 誘引剤の薬効は既に切れている。最初の一匹に【媒介者の軍勢】が取り付けば一匹分の魔力を利用し爆発的に広がる都合上、薬効は短く小規模で構わない。

 それこそ、僅か数秒に満たない時間で半径数メトラ圏内の蠅を集め操ることもできる。

 しかし、それ故に周囲から使用したことが露呈しやすく、魔法が拡散しやすいため影響を及ぼす範囲がどの程度になるのか予想がつかない。また、全体を一斉に操る都合上分割はできても個体単位に細かい動きを指示できない。


(まあ、帰ってきたら100匹ほど使って上乗せした呪いの実験をするとしよう)


 足元で蠢くゴキブリたちが足元を開き、床が開く。帽子を頭に被り、外に出るとゴキブリたちが入口を塞ぐ。


「っと……」


 途端に私の膝から力が抜け、立ち眩み壁にもたれ掛かる。身体が水で覆われているような動きにくさに顔をしかめる。


(吸血鬼というのは日に嫌われているというが、この感触には慣れない)


 私は青天の空を仰ぎ見る。青天の空に昇る太陽の光に私の口は不快感に曲げる。

 ノスフェラトゥは陽光を嫌う。陽光が出ている時間、ノスフェラトゥの体は鉛のように重くなり動きが鈍くなる。


『月光寵愛』と呼ばれる種族特性を持つため、ノスフェラトゥは夜行性の魔族として知られている。

 故に、ノスフェラトゥは昼間は睡眠を取り夜間に活動することが多い。弱い部分を見せれば狡猾な人間は確実に突いてくるからに他ならない。


(しかし、あいも変わらずこのスラムは『はきだめ』だな)


 無秩序に建てられた古びた家々。脇道では物乞いが座り込み、娼婦が立ち、粗野な破落戸がたむろする。

 都市インフラから見放され、悪徳と腐敗に満ちたスラムの空気は都市の掃き溜めに相応しく、同時に警邏が来ないため魔族にとって過ごしやすくもあるため離れる理由がない。


(ま、さっさと木の板でも買って実験するとしよう)


 空は快晴。しかし心の天気は陰鬱。

 そんな空気に嫌気が差し、石を蹴飛ばした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る