黒き月夜の吸血鬼〜吸血鬼にTS転生した私は宿業の中で生き続ける〜
黒猫のアトリエ
第1話 転生
目覚めると、そこは小さな教会の中であった。
材質は石。蠟燭の光が空間を照らす。木の長椅子が並び、最奥には聖母と聖人のステンドグラスが嵌め込まれており、見た目からしても素朴そのものだ。
しかし、木の柱に付けられた石像は悍ましい異形の怪物が並べられ清廉な場ではなく邪悪満ちる邪教のそれであると俺は気づく。
「ようこそ辺獄へ。神の教えを知らぬ異教徒よ」
ふと声がかかり、教壇へと顔を向ける。教壇の上には黒い神父服を着た黒人の老人がいた。
総白髪と皺だらけの体、しかし背筋はピンと張りその僧帽には老いの兆しはない。見れば見るほど清廉の徒であることがよくわかった。
ここが邪教の教会でなければ、その本質に気付けないほどに偽りを纏っているのだから。
「……何者だ、アンタ」
ロザリオの逆十字に手をかけ、聖典を脇に持つ老神父をひと目見た瞬間から全身から冷や汗を吹き出し、沸き立つ感情を押し殺し敵意を向けた。
外面は取り繕っていても、数メートルは離れた場所からでも分かるほどの血の匂いと腐臭。
本能というのは理性以上に正直者で、その本質を気づかせてくれたのだ。
「ほう……随分と警戒されたものだ」
「何者だ、と聞いている」
「……まぁ、良いだろう」
瞬間、俺の背後から老神父の声が聞こえた。
振り返ると老神父が目を細め立っていた。
「私の名は『黒神父』。這い寄る混沌に連なる者の一人であり、盲目白痴の魔王に仕えるメッセンジャー。そして、この教会の神父でもあり、汝の転生を行う者でもある。何をそんなに怯えている」
「神父、か。普通に見ればそうだろうな。……けど、お前は普通の人間じゃない。より悍ましい何かだ」
「ふむ、記憶を失ってなお、その本能は変わらずという訳か。……少々説明不足ではあるが、仕方ない。始めるとしよう」
老神父はそれだけ言うと、その姿が崩れ始める。
老人だったその姿は沸き立つ泡へと溶けていき、何処からともなく冒涜的な嘲り声が聞こえてくる。
本能がよりけたたましく警鐘を鳴らし、心を守るため意識が落ちていく。
「汝、欲望を解放せよ。呪い呪われ、生きていくと良い」
そう老神父だったものが言葉を発した瞬間、私の意識は落ちていった。
■
悪夢は終わり、現実へと回帰する。
脳に響く鈍痛に泡沫に漂う私の意識は引き戻され、瞼を開けた。
(……悪夢か。相変わらず、不愉快極まりない)
色白の皮膚に覆われた細い腕を天井に伸ばし、小さな手を広げる。
忌々しき邪神『黒神父』。私の前世は死した後にかの邪神の深淵を覗くこととなり、その自我は完全に消失し断末魔の記憶と培った知識が魂に焼き付くことになった。
結果、私は前世の知識と断末魔の記憶を有した状態で産まれることになった。
悪夢として見ているのは断末魔の記憶であり、意識的に思い出せる範囲以上のものを再演している影響で脳が悲鳴をあげているのだ。
(時間は……正午か。いつもより少し早いがまぁ、起きてしまおう)
部屋の壁に掛けられた時計を見て上体を起こし布団を退かしてベッドから降りて身支度を始める。
(しかし、本当にファンタジーな世界だよな)
床に付いてしまうほど長い黒髪の寝癖を整えながら化粧台の鏡に写る一糸纏わない自分の姿を見て私は思う。
色白の肌。フラットより高い目尻と瞳孔が縦に割れた紅い瞳。口から見える鋭い犬歯。
異形の部位は人形のように整った顔立ちも相まってより美しいものへと昇華している。
ノスフェラトゥ――この世界における吸血鬼として私は産まれ変わったのだ。
「前世はヒュームの男であったが、今では吸血鬼の女か。前世の私では予想していなかっただろうな。……尤も、前世の記憶は皆無に等しいから前世に対してはどうも思わないが」
胸の中心に刻まれた黒い三日月の聖印をなぞるとタンスの中から黒のワンピースを取り出し着替えてベルトをし、ポーチを取り付けると髪を三つ編みにして水晶を加工して作った髪留めで髪を止める。
(ああ、それとこれらも着けないとな)
化粧台の上に置いた青い宝石が装飾された指輪を手に取り左手中指に嵌めると部屋を出る。
居間は人の気配どころか私以外の生物の気配を感じず、簡素なテーブルと椅子、その他雑多な小道具が床に置かれている。
机の上に置かれたボトルを手に取る。その軽さに目を細め、ため息をつく。
(血は……切らしていたのだったな。工房に獣の血が保管してあるから取りに行く……いや、別に構わないか)
ボトルを机に置き外界と家の内側とを区切る扉へと視線を向ける。
同時に、扉が蹴破られ黒装束の賊が部屋の中へと侵入してくる。
「ノスフェラトゥ、覚悟!!」
「……『狩人』か」
床を蹴り賊のナイフを躱し、私は目を細める。同時に賊の手が前に突き出され、折り畳み式の弩が向けられる。
放たれる弩の矢。空気を切り裂き迫る必殺の一撃は袖口から宙へと投げ出された試験管にぶつかり、軌道が逸れて背後の壁へと突き刺さる。
「割ってしまったな?」
「何?」
迫るナイフを腕を掴み止め、私は笑みを浮かべる。賊はその様子に怪訝げな視線を向けてくる。
零れ落ちた極彩色の薬液は床に落ち、黒い煙を吹かす。
それは人によっては悲鳴をあげるであろう地獄の合唱、その序章に過ぎない。
「私は魔法師であり呪詛師。呪いを生む者だ。しかし困ったことに呪いというのは伝達しにくい。道具を使うにしても所持できる数には制限があるし、刻印系に関しては論外も論外。戦いに使用するにはひと工夫が必要になる」
ブブブブ、ブブブブ、ブブブブ。
壁から、床の僅かな隙間から、天井から。羽音の大合唱が家を包み込むように聞こえてくる。
「だからこうして身近な虫を支配し媒介してもらえば呪いの伝達というのはより速く、より正確になると思わないか?」
「っ……!!」
賊は私を蹴り飛ばし、再び弩を向ける。その瞬間、賊は黒い風に包まれる。
正体は、蝿。何千ものウジコバエが賊の身体を包み込む。
薬液は誘引剤であり、呪詛が込められた手製の魔道具でもある。
「ぐ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
絶叫。それは賊の断末魔であった。
賊の身体に蝿が取り付くと賊の身体が床に落ちる。抵抗する力が蝿へと流れ、耳から、鼻から、口から蝿が体の中へと入っていく。
「【解散】」
私がパンッ!!と手を叩き肉と肉が打つ音を響かせる。それだけで蝿たちは一斉に去っていく。
床に倒れ、呼吸もままならない様子の賊を私は見下ろし私は顎に手を当てる。
「非殺傷系の呪詛でも想定以上に効果が大きい。【接触濃縮】は狭い室内ではあまり使わないようにするべきか」
息も絶え絶えで私から離れようとする賊の背を足で踏みつける。抵抗する力を失った賊はそれでもなお離れようと藻掻く。
生にしがみつく不様な様子を私は笑うこと無く見下ろす。
「これでも私は敵対者には容赦無い性質でな。殺しはしないが、それ相応の実験の手伝いをしてもらうぞ。……まあ、その前に腹拵えだがな」
賊のうなじに視線を向けると唇を舌で舐める。
今の私はノスフェラトゥ。この世界における吸血鬼であり、魔族。
血を啜り生きながらえ、人の肉体も精神も魂も穢す呪詛師として産み出された。
私はこの世界に私の生き様を刻み込むために、邪神によって転生したこの世界を生きていく。
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