第Ⅶ章 憧憬との離別 3

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 ラウラは思い出していた---------あの日の夜。

 打ち拉がれてアスティはやってきた。いつも、絶対に『そのこと』では弱みを見せなかったアスティが、隠そうともせず大粒の涙を次から次へと流し自分に会いにきたあの日の

夜。---------セスラスが成婚した日の夜。

(……)


  『ラウラ……』


 あの日のアスティの涙……。


  『お願い……一緒にいて……今だけ---------今だけ』


 ---------ラウラは忘れることができない。

 その時、院の玄関先が騒がしくなった。なんだろうと思って首をそちらに向けると、まだ見習いの院生たちが道を開けている。向こうからは、アスティの姿が見える。

「!」

 ラウラは立ち上がった。大きな荷物を持ってアスティがこちらに向かってくる。

「ラウラ」

「アスティ」

 困惑を隠しきれないようにラウラは彼女を迎える。

「え……じゃ今日から?」

 アスティは笑みを口元に浮かべてうなづく。

 今日から。今日からアスティは、特別院生になるための修業をするために魔法院にしばらく逗留しなければならない。あの夜、セスラスと血まみれになってやってきてから、二人して帰ってたったの三日しか経っていない。既にこの事実は魔法院中が関知している。

「……説得にもっと時間がかかると思ってた」

「そうでもないわ。もうほとんど公務のなくなる時期だし、まあいろいろ説明したしね。 重鎮のなかでも魔法院にすぐ頼ろうという空気を嫌う人は沢山いるの。すぐに頼らないために私が実力をつけに一時いなくなるっていうんだったら、歓迎するはずよ。まあ、」 アスティはいたずらっぽく笑って言った。

「ちょっとしたご褒美ってとこね」

「---------」

 ---------この娘は。

 ラウラは一瞬硬直した。

 ---------もう立ち直っている。

 いや、立ち直ったふりをしているのだ。そう簡単に立ち直れるものではない。それだけ導師というのは長い間憧れだった。自分でもそうなのだ。

 そんな暇ないのか……ラウラは思った。落ち込んでいる暇などない。敵は次から次へとやってくる。落ち込む暇があったら、前を向かなければ。

 アスティの修業の間、リザレアの仕事はアスティが部下に任せてきた。養成中の人材が沢山いるのだという。すべての書類に目を通したから、大した仕事もないというのも手伝って、まず大丈夫だろうとアスティは言った。それから砂漠のあの砂百足だが、十人の院生が毎晩出向くことになっている。いずれも一番弟子が五人以上であるという条件が、院長からも出されている。アスティがあれだけになるほどの敵なのだから、魔法院としても慎重にいかなければならない。

 そしてその間、アスティは魔法院のどの修業よりも苛酷な内容のそれをこなさなくてはならない。通常導師になるのに、これだけ過密なものは要求されない。彼らは導師になった以後は、時間というものに制約されない。時間によって歳をとるということが一切なくなるからだ。だから、導師になって三年以内にすべての目標を達成すればいいことになっている。導師になる者すべてがこれからアスティがこなすような超過密スケジュールで修業しなくてはならないのでは、とてもそれを監督したり審査する導師たちが普段の仕事にとりかかれない。三年以内に修業で要求されるものをすべて達成してしまえばいいのだ。 アスティはその三年を凝縮しなければならない。

 修業内容---------それは、上位魔導師として要求されるもののすべての試験。

 その内容、剣術、槍術、弓術、棒術、レイピア、サーベル、調香、アルコール知識、舞踊、医療、細工、鍛冶、美術、騎竜技術、魔術、香茶知識、宝石鑑定、基礎体力、基礎精神力、薬学、植物知識などが主に挙げられる。

 これらに与えられた課題を一個ずつ合格しなければ、『導師』『特別院生』という究極の称号を手に入れることはできない。ラウラがその内容を聞いてこくりと唾を飲んだほどだ。

「まず何からとりかかるの?」

「うん。最終試験は剣と魔法なの。剣の方は自分で作った剣で試験を受けなくちゃいけないから、まず鍛冶からかかろうと思って」

「ふあ~」

「剣術と魔術はオリジナルを創作しなくちゃいけないから今から考えておかないと。鍛冶で剣を造って合格したら舞踊と医療から攻めてみるつもり」

「……頑張ってね」

 げっそりとしてラウラは言う。三年かかるわけだ……心の中で呟く。

 うん、とにっこりと笑って答えたアスティの健闘を思うと、ラウラはもうしばらく院生のままでいいや、などと思ったりするのだった。



 この日からアスティの凄絶といっていいほどの修業が始まった。一日を丸々一つの課程のために修業するわけにはいかない。時間が足りないからだ。アスティは午前中を鍛冶で費やしながら基礎体力をつけることに専念した。まずは体力だ。すべてはこれで決まる。 鍛冶で造るものは剣と決められている。自分で造った剣で剣術の試験に臨まねばならないのだ。

 剣を造るには、金属の棒が五本必要だ。一本は芯に、二本は刀身に、あとの二本はさらに細く長い硬質の金属棒で、これを名刀に不可欠の鋭い刃にのばして、刀身に鍛接するつもりだ。アスティはどの棒も、何種類もの金属ひもをよりあわせて造るつもりだった。そもそも金属ひも自体、各種金属や合金を髪の毛より細いぐらいの金属糸にして、それらをつむぎあわせて造る予定だ。鍛冶技術担当のエルヴ師は、それを聞いて思わず天を仰いでしまったという。とてつもなく遠大な作業だ。師はアスティの側についてよき助言を与え彼自身が行なう鍛冶技術の試験に彼女が合格するようはからわねばならない。監督と試験実施、それがそれぞれの導師たちに与えられた仕事だ。

 最初の頃は、だらだらと実り少ない日々だった。手の中でいうことをきいてくれない金属と格闘している内に、それが数週間にもなった。今ではかなとこを打つハンマーの音、鞴の深いあえぎ、かさついた舌にもたつく呪文の言葉が、時計がわりだった。金属の糸一本一本に呪文を施さなくては、強い剣は造れない。しかし例えば最初の糸に施した呪文と二番目の呪文の相性がよくても、二番目の呪文の相性と三番目に施したい呪文の相性がよくないと、次にかかることはできない。なぜ三番目にその呪文を施したいかというと四番目にいい影響を与えるからなのだ。

 師はアスティが何度も失敗するだろうと予言し、実際彼女は何度も失敗した。

 ---------それも、成功に手が届くと思われた時に。ここぞという時に金属の細糸が弱って切れたり、溶接したひもがぱちんと分かれたりするのだ。アスティは残り部分を睨みつけ、放り投げるしかなかった。それが食事どきか睡眠時であれば、アスティはそうしたが、そうでない場合はたゆまぬ忍耐力をもって、またはじめからやりなおすのだった。

 アスティは、長く働き過ぎたり食事を抜いたりしないと、肝に銘じていた。焦りが何の役にも立たないとわかっていたからだ。どうせいつかは嫌でも焦りが来る、それまで忍耐力をとっておかなければ、だから、五本の棒になるはずの、親指の太さほどもある鉄と鋼の長いひもを作り上げるまでに、何週間もかかった。---------その間彼女が鍛冶だけにかかりきりだったというわけではない。その間をぬって、アスティは調香課程、宝石鑑定課程、アルコール知識課程をそれぞれ合格していた。調香は刺客が放った毒の香水を見極める技術を含め、自然界のありとあらゆる香りという香りを知っておかなければならない。 匂いを嗅ぎすぎてくしゃみがとまらなくなることもあれば、頭痛がしてくることもあった。アルコール知識というのは言うなれば酒の知識のことだ。幸い酒豪のアスティはどれだけ飲んでも翌朝けろりとしていられたが、隣で寝ているラウラの話では、夜中にいきなり、

「ライティの千七百年もの……いえ、いえ、この料理にはあいません」

 と寝言を言われて度胆を抜かれたという。

 植物知識もついこの間合格した。これらは基本的に勉強さえきちんとこなしてしまえば暗記ものと同じなのでそう大変ではない。といっても、やはり傍らで仕事をしながらというのはきつい。植物知識というのはその名の通りどの植物は何科でこういう効き目があるという薬草知識の延長線上だが、もう一つすべての花の花言葉を覚えねばならない。

「そんな少女趣味な真似してどーするんですか」

 アスティか尋ねると、担当のマイエ師は真面目な顔で、

「花言葉におおっぴらにはできないようなメッセージが込められていたらどうするのだ」 と言い返した。アスティは唸りながら渋々暗記作業にとりかかったという。

 おかげで仲間たちは、

「百合は?」

「えーと……『荘厳』」

「んじゃあハッカ」

「『美徳』」

 というふうに、アスティに付き合わされ、覚えなくてもいいものまで一緒に覚えてしまったらしい。

 それから、アスティは午後三時間の体力作りも怠らなかった。腕立て六百本、腹筋背筋はそれぞれ八百本ずつ。横で見ている院生が青くなるほどの回数である。

 さて鍛冶技術の方も先が見えてきた。

 青銅と金の糸をからみつかせた棒と、希金属と上質合金をクモ糸のように細くしたのをからみつかせた棒があった。ただ刃になる分は、珍しい金属などを加えて強化した鋼だけが使われていた。

「ここまではうまいものだ」

 ためつすがめつしていた棒を下ろして、エルヴ師は言った。

「もう、棒にかかずらわっていなくていい。さあこれからが本番だぞ!」

 鞴が盛んにうなりだし、師自らが石炭と木炭をせっせと炉にくべ、炉と金属をきれいに保つために銀砂を投げ込んだ。しまいには通風孔が追いつかず、空気にすすと硫黄の臭いがたちこめた。アスティは組み合わせを考えて慎重にひもを七本選びだすと、細い針金で束ね、赤々と燃える炉心に先端を突っ込んだ。一瞬後に引き上げ、かなとこで打ちのばす。 さらに赤白色になるまで熱し、布を巻きつけて、かなとことわきの輪型の打ち型に押し込む。アスティはその下にてこを置き、上に足をふんばると、腕と肩に全身の力を込め、厚い金属帯をそれぞれの手の幅ほどねじった。そうしながら歯の隙間から、呪文を念じ込めた。白熱光が消えると、金属ひもを火に戻す。鞴がわめき、アスティはまた、額から玉の汗が転がり落ちるほどの力を込める。さらに手幅一つ分ねじると、ばらばらだった帯はねじ釘のような山がつき、火のせいで灰色の塵をかぶった、太いねじれ棒となった。だがアスティの火と力と呪文が沁み渡るにつれ、ほこりの層はひびが入ってくだけ落ち、ぴかぴかの金属面が現われた。ねじ山はどんどん押し詰まり、やがては山の跡を微かに残すだけの平面になった。やがて、二十時間にわたるたゆまず、力を惜しまない労働の果てに、一本目の棒ができあがった。残りの四本にも同様の時間を費やし、五日後には全てが完成した。

 炉室の光はいつにもましてどんよりした感じで、はりつめた空気が漂っていた。アスティはしばらく、ハンマーを選んだり道具を見立てて取りやすい位置に並べたりしていたが、それどもついに芯になる棒と刀身になる二本の棒を取り上げ、ゆっくりと呪文を唱えながら、金属帯で一つにくくり、炉に突っ込んだ。それから特別の高熱を求めて鞴の調子をかえる。アスティは師に手動鞴のピストン役を頼んだ。鞴のあえぎと彼自身の呼吸が呼応する、とアスティは火ばさみで棒をつかみ、青白い炎の輪にさしこんだ。次に消し炭の中に移して、重いハンマーですばやく三度打ち、再び炉に戻した。一、二分後同じ作業を繰り返し、師に手を止めさせて、自動鞴に後をまかせた。木炭のゆるやかな歌にかぼそく合わせて、なるたけ呪文歌を歌いながら、メモに目をやり、さらには剣そのものが歌いだすのを待ち構えた。と、火花がぱちぱち散った。鋼が燃えだす兆しだ。そうさせてはならない。

 アスティはいくつもの歌を歌った。風と陽光を飲み干して育った木の歌を、続いて彼女

がそれを切り倒し、薪に割って、炭に焼き上げる---------なぜなら今度は木が空気と火を返す番だから---------歌を歌った。金属の歌も歌った。大地の血脈に人目に触れず形造られもせずにいた金属を、彼女が掘り返し、精錬し、姿形を与えていく、という歌だ。 炭と鋼が言うことをきいたら、その二つを一緒にして、技を込める。一段上の命令に従わせ服従を求める。アスティの言葉は、鞴の力強い呼吸と調子が合っていた。鋼からか細い声が発生し、アスティの呪文の抑揚と調子を合わせた。やった! 彼女は剣を手繰り寄せた。先端が黄色い火花の噴泉になってそれを、巨大なかなとこの広い堅木の台の上で鳴り響き、揺れるまで、打って、打って、打って、打ちまくった。かなとこの上でぱちぱちいう鋼を、あちらへこちらへとねじり、輝き燃える金属の爆発する光輪に目をそばめた。 光がおさまった頃に師が鋼を突き付ける、と、アスティは鞴に飛び付いた。アスティは鋼を木炭の奥に突っ込み、ひねって表面をきれいにした。さらに次から次へと呪文を繰りだしながら、鋼を荒々しく引き出すと、ありったけの形と大きさのハンマーでたたきのめした。

 アスティの仕事は苛酷だったが、その日超時間働き続ける内に、ひどく不機嫌な顔も消えはじめた。ついに鋼を炉から取り出し、かなとこに横たえた。より抜きのみぞ鎚用工具を手にして、厳密な精度でぴったりの幅に伸ばし、先端を尖らせると、疲れもふっとんでしまい、アスティは晴れ晴れと笑った。アスティが鋼を焼き入れ用の水桶に入れた段階で、師は大喜びのお祭り騒ぎを予想したのだが、水蒸気が晴れて見えたのは、おしるし程度の微笑みを浮かべて手にした細い刀身を見つめている、アスティの姿だった。

 なにも不都合なところはない。完璧だ。ならばなぜこんな顔をしている……?

 師はそこまで思って愕然とした。

「二枚目の刃……このまま造るつもりかね」

 アスティは煤で汚れた顔で師を見て言った。

「ええ。思った以上に時間がかかりました。一か月かかってしまいました。ここまで来ればあと一枚造るのにそんなに時間がかかりません」

 彼女の言葉通り、あっという間に二枚目の刃が仕上がった。彼女はコツを掴んだのだ。 二枚の刃をどちらも針金と金属帯で刀身にくくりつけた。あぶられるような熱をものともせず、炉の上に身を乗り出して邪魔物のない場所を探し、そこにゆっくり、そろそろと束ねた刀身を差し込んだ。ここが最も難しい工程なのだ。普通の模様入れをした剣は、芯に接着する前の刀身に刃を鍛接して造るが、この剣に力を与える統一性は、葉脈のように内側から伝わらせなければならなかった。鍛接したのちに折れることでもあれば、剣は木の葉のように衰えて死んでしまい、それまでの苦労が泡と消えてしまう。

「もっと熱くなければならんな」

 師の言葉どおり、炉の熱は充分ではない。アスティは床のハンドルにかけより、ぐいと百八十度回した。地下から熱風がごおっと上がってきて、石炭と木炭の層を吹き抜け、炉心から丸天井まで届く火を吹き上げた。次に滝の水を調節するハンドルを回す。アスティはこれが最後と自身に鞭を入れ、白く輝く鋼を何度も何度も炉心に入れ、入れてはハンマーで打った。疲労と寝不足でかすむ師の目には、アスティがハンマーを打ち下ろす度に火花散るオーラに飲み込まれて見えた。一打ち一打ちが自動ハンマーのように力強く高く鳴り響いた。アスティが刀身を火のなかに入れる度、師は気が遠くなるほど鞴を回し続けた。 再びハンマーが鳴り、声がこだまする。刀身はかなとこの上にくさび止めされ、熱気が室内の煙をさんざめく天鵞絨のカーテンにかえた。刀身に覆いかぶさってへりを叩くアスティは、背を丸めた不思議な影となり、か細い呪文が微かに聞こえる。

 さらに炉の中に、こみの部分を叩きのばし、鋲穴をあける。白く輝く刀身が焼き入れ桶

の上で一瞬動きを止める---------と、じゅん! という音が悲鳴のように響いた。蒸気がもうもうと立ち籠め、天井で爆発する。そして熱いしずくが雨と降り注いでかなとこと炉をしゅうしゅう泣かせ、汗に濡れた肌に苦痛を巻き散らす。蒸気の熱風は煙った空気に浸透し、金属の表面に黒い雨のようなどろどろの液体を降らせた。蒸気が一掃されたあとには、アスティが剣を手に立っていた。それを巨大なかなとこに、叩きつけるように置く。 陰にこもった鐘のような音が響いた。

「完成です」

 アスティは疲れきった顔で言った。

 刀身は軽いハンマーとやすりで仕上げ、弱酸性液に数時間つけておいて表面の汚れを取り除き、片側の刃を回転砥石ともっと細かい砥石で研ぎ上げ、前よりも強い酸を少しつけて、すぐ拭き取った。さざ波跡にも似た模様が、奇妙にねじれ、よじれて刃の表面に光っている。ランプの明かりにかざすと、深みと遠近感が増すようだ。

「よくやった」

 疲弊しきった顔で師が晴れ晴れと言った。その顔を朝日が照らし上げる。夜明けだ。

「アスティ。見事な剣だ。鍛冶技術、これをもって合格とする」

 アスティは小さく歓声を上げた。

 剣が出来上がったのだ。


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