第Ⅶ章 憧憬との離別 2

 湯から上がってセスラスは、そのまま真っすぐ医務室に向かった。一足先にアスティが手当てを受けているはずだ。

「陛下」

 カペル師が立ち上がって彼を迎え入れる。

「夜中に申し訳ありませんでした。しかしこのまま城に帰るのも難しいと思ったもので」「そのお考えは賢明です。二人して湯を使えば必ず怪しまれましょう。ところで、」

 カペル師は声をひそめるようにして言った。

「先程のお話ですが……不可解です」

「……やはりそう考えるのが普通でしょうか」

「アスティが砂百足の襲撃に気付いたのはちょうど一週間ほど前だと申しておりました。 全力で戦わねばとてもではないが太刀打ちはできなかったと。一体や二体ならばあの大きさでも問題はないでしょうが、何十という数で来られると……今まで何故陛下に黙っていたかは、まだ申しておりません。直接陛下に申し上げると」

「……わかりました」

 アスティは医務室で身体を起こしたままベッドにいたが、セスラスの姿をみとめると身を乗り出すようにして、

「王……」

 と言った。

「謝らんでいい。理由を聞こう」

 座りながら単刀直入にセスラスは言った。

「……はい」

 アスティも神妙な気分になって少しうつむき、そして話し始める。

「……最初に気付いたのは……一週間ほど前でした。ようやく多忙期の余波もなくなった頃で、やれやれと思って床につこうと思っていたときのことです……」

 夜中突然アスティは皮膚の裏側が粟立つような不快な危機感に襲われた。それは時間が経つにつれ増していく。絶対何かあると思い砂漠に出て、そしてあの巨大化した砂百足と遭遇したのだという。

「毎日毎日……同じ時間同じ場所に現われました。際限なくというのは、あれを言うのでしょう。死ぬことが少しも恐ろしくないような、そんな手向かい方で……五十からの数をこなすのには、全力で戦わねばなりませんでした。日に日に数は増してきて、疲れて疲れて眠ることもできなくなっていきました」

「……」

「なぜご報告申し上げなかったか……---------……それは、報告が無駄だと思ったからです」

「無駄……」

「はい。恐れながら……私が全力でやっと倒せるような相手です。勇女軍や騎士団ではとてもかないません。あの速さには魔法で対応するしかないのです。勇女軍の魔法部隊が全員で全力を出しても、一体倒せればいいほうだと、実際戦って見当をつけました」

「お前が言うのなら正しいのだろう。実際見ていてオレもそう思った。だがリザレアにはディヴァがいる」

 ディヴァが祖とするリザレアの地の最初の預言者は、この大陸に存在する預言者でも五本の指に入る実力を持っていた。それだけ土地の持つ力が強いということだ。だからこそディヴァは少年とは思えないほどの実力を兼ね備えているし、何度もそれは見せ付けられている。アスティもそれは充分承知のはずだ。

「……それも考えました。ですが……」

 アスティはちょっとうつむいて、一瞬後決心したかのように顔を上げた。

「ディヴァが戦うことはできます。ですが、一度で彼は、確実に死にます」

「---------」

 それだけ肉体的にも困難だということなのか。精神力が強靱な場合、その精神力を急激に消耗した時に頼りになるのは体力である。体力が立つことを全身に奨励し体力が詠唱を助けてくれるのだ。アスティだからこそ、毎日疲労の色が濃いだけで留まれたのかもしれない。そして魔力とは精神力に帰依するもの。魔力を急激に使ってしまうと、身体が驚いてショック状態になってしまうことも珍しくはないという。アスティのように慣れているとしても、結果はこれである。

 そしてセスラスは、アスティがこれを公にしなかった理由もわかっていた。アスティ一人でどうにもならないのなら、その後ろ盾をする魔法院に応援を要請しようという声が上がるに違いなく、アスティでもだめだったのだからという強烈な強迫感が、強くこれを後押しするからだ。それだけは嫌だったのだ。魔法院あってのアスティ、魔法院あってのリザレアにしたくない。それはセスラスも同じはずだ。

「体力のばけものの上位魔導師がこんなになるなんて」

 ラウラも隣で聞いていて絶句している。

 しかもアスティだ。自分たちも含めアスティは一番弟子という院生の中でも特殊な立場にいる。それは、他の院生よりも優れた実力を持つ者達に対して与えられた称号であり一層厳しい訓練をこなした証拠でもあり、要するに一番弟子と呼ばれる者達は並の院生より数段高い実力を持っている。その一番弟子の中でマキアヴェリと並んで同期の頂にいたのがアスティだ。アスティでもこれほど体力を消耗したのだ。その事実は仲間たちを絶望させるのに充分な事実だった。百の文献千の遺跡を見るよりもずっとわかりやすい。

「余計な被害は出さない方がいいと思いました。……死ななくていい命を死なせるのは無駄なことです」

「……そのとおりだが……せめてオレには話した方が楽だぞ。まあ、話したところで役に立つことは何もないが」

 だからこそアスティは言わなかったのだろう。言ってもどうもならないのなら、言わない方が余計な心配をかけさせないというもの。賢明とも愚直とも、判断がつかないやり方だった。

「さてこれからのことですが……」

 カペル師が口火を切った。

「襲撃はこれからも続きましょう。しかし、このままのアスティの実力では、到底始末はつきますまい」

「……」

 アスティは押し黙った。その通りだ。今までは気合いと根性でなんとか頑張ってきたが正直もうこれが限界だ。身体がガタガタなのだ。

 そんなアスティを見てカペル師が続ける。

「……じきにこの時が来るとは思っていましたが……まさかこんなきっかけとは思いませなんだ」

「? お師匠様?」

「立てるかね。立てるのならついてきなさい」

 カペル師はセスラスにもついてくるよう目顔で示し、歩き始めた。よろけながらもアスティはそれについていく。セスラスがそれを何気ない仕草で支える。その背中を見て、ラウラは一層切なくなった。

 ---------なによりお似合いの二人なのに。

 いつもいつも思う。しかしこれはアスティに言ってはならない、言えば彼女は悲しみ、傷つき、そして怒るだろう。王妃をないがしろにする言葉だと。そして言っても仕方のないことだと。

 ---------結ばれることはなによりの禁忌……



 カペル師が二人を連れてきたのは院長室だった。既に院長は二人を待っていた。

「いつかこんな日が来ると思っていた。覚悟はしていたが、やはりその時を迎えるといささか胸に来るものがある」

 院長はこう切りだした。怪訝な顔をするアスティに、院長は優しく言う。

「アスティ。わが兄弟弟子の一番弟子にして長老の愛弟子。かの『運命の領域』の強大なる力を持つジルヴィスをその身に宿す強靱な星に生まれた我らが院生よ」

「……」

「お前は上位魔導師。魔法院の見習いすべてが憧れる上位魔導師。しかしそれにはさらに

上が。それは『導師』という資格、究極とまで言われた上位魔導師のさらに究極の最終形態」

「はい……知っています。すべての上位魔導師にその権利があり、望めばいつでもその資格を得られると。試験を受けそれに合格すれば誰にでも可能な究極の資格……導師になればその人間に流れる時間は止まり、極端な言い方をすれば老衰では死ななくなる。

 ---------そうですね」

「そうだ。そして普通の院生……上位魔導師と導師の実力は、天と地ほどに差がある」「……」

「本来なら魔法院が助力をしてもいいはずだが……陛下もお前もそれを喜ぶまい。だからこそ今までずっと黙っていた。中立を旨とする魔法院は戦争以外ならばどうにもならない場合のみ他国の援助は快く引き受けるが……何かあったらすぐ魔法院にという考えが宮廷内に根付いてしまってはよくない。それは怠慢につながる。そしてまたアスティの立場にも陛下の執政にも微妙な影響を与えましょう。それだけはいけない。しかしアスティだけで解決するには、あまりにも相手が悪すぎる」

「---------」

 アスティはきゅっと拳を握った。自分からは……言いたくない。それは幼い頃の自分を含めて今の自分も否定することだ。無理とわかっていても、自分で自分の夢を否定することだけはしたくない。

「本来ならここで導師昇格の試験を受けるべきだが」

「---------」

 アスティは知れず唇を噛んだ。院長も、カペル師も、彼女の無念が痛いほどわかった。

「アスティは導師昇格の権利を与えられない。いや、与えられてはならない」

「---------」

 震え……止まれ。

「アスティが導師になること、それはアスティの時間が止まり言うなれば時間の経過による死と無縁になるということになる。また導師ほどにまでなれば戦闘においても死ぬよう

なことはない。徹底的に鍛えられるからだ。つまり導師とは不死なのだ」

 アスティはうつむいたまま瞳をそっと閉じる。与えられていた恩恵の光が、自分だけを避けていってしまったような気分に捉われた。

「アスティが不死になると……困ったことになる。何故ならアスティは呪われた運命ジルヴィスの宿主であり、善なる運命ジルヴェスと対をなす己れの運命とともにまたジルヴェスの宿主とも対をなすからだ。片方が死ねばまたもう片方も。生命を共にするのは二人の運命。

 そしてジルヴェスの宿主がセスラス陛下である以上……アスティが不死ならばまた陛下

も不死ということになる。生命を共有しているのですからな。

 陛下が魔法院の人間或いはただの一般市民ならばそれでも構わなかったかもしれない。 しかし陛下は国王だ。荒れていた国を建て直し預言を封印したという強大な事業を二つもやり遂げられた以上は、間違いなく歴史に残るお方。そんな方が不死では、それは歴史を止め、英雄をいつまでも抱き続けるリザレアの堕落にもつながる。人間は必ず平等に死に、それによって発展していくものなのです」

 一呼吸置いて院長は言った。

「つまりアスティは導師になることができない」

「---------」

 わかっていた---------。

 あの日運命の神殿を訪れロイ司祭のあの言葉を聞いた瞬間から。自分は死なねばならぬ存在になったのだと。

 それはつまり幼少の頃からの憧憬との離別。

 アスティはカペル師の元で育った。師を師と仰ぎ、父と慕い母として敬った。なにより

も上位魔導師としての目標でもあった。その師に近付き越えるとはいわないまでも近いものになるには、導師になるというのがアスティの最終目標でもあった。それは、リザレアに赴任してからも変わらずに彼女の胸にあった。

 人並みの幸せ---------両親との思い出もなく、誰より愛する男と結ばれることも許されないアスティにとって、『導師になる』という密かな思いは、唯一許された甘やかな憧れであったはずだ。

 それを今、どうにも逃げられない運命という見えない手によって、彼女は許された唯一のものすらも無残に奪われようとしている。

「---------」

 アスティは沈痛な顔のままうつむき、じっと瞳を閉じた。

 わかっていた。わかっていたことだ

 それでも何故だろう、

 ---------こんなに泣きたい気持ちなのは。

「アスティ……」

 セスラスが思わず声をかけても、そっと顔を背けるだけ。院長もカペル師も、鉛の棒でも呑んでしまったかのように、口を重く閉ざし眉根を寄せて硬直している。

 同じ上位魔導師だけがわかるこの気持ち、

 どうしようもない疎外感と、裏切られた気持ちと、そして絶望。

 今までに見たこともないほど打ち拉がれたアスティを見て、セスラスはそれほどまでのことなのかと改めて実感した。自分で思っているよりも、ずっと、ずっと衝撃は強いに違いないのだ。それはもう、自分などは蚊帳の外、上位魔導師になるために育ち上位魔導師に

なり上位魔導師と共に生活をしている人間ではないとわからないことなのだ。

「……」

「カペル師」

 そんな沈鬱な、まるで太陽の光も届かないような深い深い海の底のような沈黙のたちこめるなか、セスラスがおもむろに言った。

 低く、抑揚のない声だった。強い声だった。

「全身全霊でアスティを守ると誓います」

「---------」

「---------」

 アスティが驚いて顔を上げた。カペル師もじっとセスラスを見つめる。

 そんな、---------そんな言葉。

 これではまるで……---------まるで。

「私に責任がないとは言い切れない。……約束します」

「陛下……」

「……」

 アスティは沈痛な面持ちでそれを見ていた。覚悟はできていたはずだった。頭でわかったようなふりをしていただけ。しかしもう決断しなければならない。

 それにしても彼のあの言葉。まるで---------まるで。

「アスティ。落ち込むことはない。お前は導師にはなれない。なれないが、魔法院はあらゆる事情に対処する」

 院長が静かに言った。

「導師になるの権利を失うのと同時に、お前はある権利を手にする。導師になる権利を持つ者にはない権利だ」

「---------」

 初めて知らされる事実に---------アスティは目を細める。

「導師としての実力を持ち不死なのが導師。そして何か事情があってその権利を失った者は、導師としての実力を持ちそしていつか死ぬ者……。それを魔法院では特別院生と位置づけている」

「特別……院生……」

「そうだ。特別院生はあらゆる面において導師と同じ権限を持つ。能力も然り、権利も然り。ただ唯一違うことは、不死ではないこと」

「……」

「アスティ。今回の事態……魔法院の協力があればいくらでも対策はある。しかしそれはお前が最も嫌う方法。なぜなら根本的な解決ではないからだ。

 アスティよ。ならばお前が今より数倍数十倍の実力をつけリザレア参謀として決着をつけるのだ。そして今より実力をつけるには導師になるより他がなく、お前が導師になる権利を持っていないというのなら道はたった一つ---------」

 院長の瞳がきらりと光った。

「特別院生になるのだ」

「---------」

「そのためにはみっちり修業を行なわなくてはならない。が、それだけの見返りは必ずあるはずだ。リザレアにいる以上激しく動く政情に終始翻弄されよう。また戦にもこれから先何度立ち合うかわからぬ。その時、お前は特別院生になった己れを誇りに思うはずだ」

「……私が……特別院生に……」

 アスティのつぶやきだけが、夜の院長室に静かに響いた。

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