第Ⅵ章 心 7

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 そしてそれから二週間---------アスティは再び深い眠りにつきそして目覚めた。目が

覚めた時そこには仲間たちと導師とセスラスとディヴァがいて---------起き上がったアス

ティは怪訝そうに彼らを見回したものだ。

「な、なあなあなあなあ」

 ミーラがごくりと唾を飲んで聞いた。

「お前……自分の名前言えるか?」

 アスティは眉を寄せ、なんでそんなことを聞くのかというような顔で、

「……アスティ、……でしょ?」

 と小さく言った。

 一同ホッとしたのは言うまでもない。

 番人の言った通りアスティは記憶を失った間のことはいっさい覚えていないようだ。番人は、それはアスティが自分で選択することだと言っていた。すべてを忘れることを選んだのだろう。今までと違うアスティを知りそれによってどこか引け目を感じていた仲間た

ちも安心したようだ。---------言ってはならない、確認してもならない、彼女に、セスラスを見るたびに泣く思いでいたのかなどとは。

 そして八番目の月、天壇青の月---------何事もなかったようにアスティは城内の人間と共に仕事を始めた。今まで彼女の不在の間、彼女がいなくてはどうしても片付かない仕事がいっぺんにまわってきて、アスティはしばらく食事もできないほど忙しかったようだ。

 そして天壇青の月末日---------。

 一仕事終え、ふうと息をついていたアスティの部屋をノックする者がいた。夜である。「はい?」

 セスラスだった。

「? どうかなさったのですか」

 セスラスはじっと自分を見つめた。アスティは戸惑うばかりだ。

(?)

(叱られるようなことしたかな……)

「毎年毎年……こうもきれいさっぱり忘れられるものか」

「は?」

 セスラスはそっと持っていたものを差し出した。

 小さな苗だった。根の辺りはきちんと包まれ、細い細い幹の部分と枝の美しさはたとえようもない。

「誕生日だ。今年で確か二十二だったな」

「あ……」

「執着がないと忘れられるというが……お前は特別だな」

 照れたように彼女は顔をぽりぽりとかいた。

「……ありがとうございます……きれい」

「育てば見上げるほどになるという。どこか部屋から見える場所に植えるといい」

「……はい」

 アスティは苗を受け取った。こうしていつも自分が喜ぶものをくれる---------その心が彼女にはたまらなく嬉しい。

 夜で人目もなかったので、その苗はセスラスと共に植えた。ベランダから庭に下りることなどふたりにとっては何でもない。そしてベランダのすぐ下の日当たりのいい場所を選んでアスティはその苗を植えた。そんなアスティを、セスラスはどういう気持ちで見つめていたのか---------。

 アスティが記憶を失っていたこと自体がまるでなかったことのように、日々は忙しくしかし平和に過ぎていった。

 いや---------一つだけ、今までと違う変化が起きている。アスティの内部にだけ。

 強靱な精神を持つ故に、精神が強靱すぎる故に---------精神体というもう一人の自分

を持つアスティは、あの日以来アスティの存在を知覚し互いに会話するようにまでなっていた。それは心の中でアスティが呼び掛ければ応え、あちらにその気がなければ聞こ

えていても応えないという---------ある意味でセスラスとの心話にも似た状態で繰り広げられる。逆に《アスティ》の話など聞きたくなければアスティは拒否できるのだ。しかし心の内は開いてまる見えである。

 ちょっと不公平かな---------アスティは思ったりもする。しかし相談相手がいるのは

いいことだ。なにしろ自分の精神を守る、性格や考え方が違っても帰属するものが同じという自分自身なのだから、こんなに強い味方はいない。

《そうやって気楽にしていられるのも今の内だぞ。立場が違いさえすれば肉体を持つことができるのは本当は儂であったかもしれぬ。いつお前の隙を伺ってこの身体を奪うか知れたものではなかろう》

《その時はその時よ。身体が欲しけりゃあげるわ》

《……ふん》

 ふふ……とアスティは笑った。

 そして身震いもした。段々化物じみてくる己れ……その内人並みに生活することすらできなくなるような気がする。

 それでもいい。今はこうして、あの男の側にいることができるのだから---------。

《そういえばお前、あの男の傷……いい加減に消してやれ。どうしたんですかその傷とかなんとか言って。奴にも記憶がない期間のことは知らないことにしてあるのだろうが》

《あら最初から気付いておられるわよ。記憶が無いときのことを覚えていないふりをして

いるって。私から言うまで何もおっしゃらないだけ……》

 実は昨日言われたのだ。

「消さないままもいいが動くたび目に触れてな。なんだか気が散って仕方がない。まあどちらにしろお前のしたことに代わりはないからな、暇があったら消しに来てくれ。そういう約束のはずだろう」

 だから今から---------アスティはその傷を消しに行くのだ。精神の内部にいるからといって《アスティ》がすべてを知っているわけではない。所詮心の動きと精神では胡桃の中身のように住まう場所が違うのだ。一瞬一瞬何を考えているかまで、アスティは知られることもなかろう。

 そしてこれは《アスティ》の独り言で、

 アスティにはまったく聞こえていないのだが---------。

《ふん……あの男肝心のことは忘れておるわ。お前が奴を見るたびなんで泣くかをな。 そういうところは鈍いわえ》

 トントン……

 ノックして、この時ばかりは「失礼します」と言わずに中に入る。そこはふたりの大切な空間。国王でも参謀でもなく仕事もなく何にも圧力を感じない場所---------

「王……。例の傷を消しに参りました。それともまた増やしてみます?」

「ふふ……きつい冗談だ」


 そして今日も時が流れて行く---------


 砂漠には金色の風。

 ふたりのあっけないほど短いこの時間を祝福するかのように---------。

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