第Ⅵ章 心 5
その頃魔法院では、突然帰ってきて何だかとても苛ついているラウラを、仲間がもてあましているところだった。
ガシャン!
ラウラが激しく蹴った拍子に、テーブルの上の花瓶が倒れて割れた。
「どうしたのラウラ」
リューンが困惑顔で聞く。うろうろと歩き回っては座り、座ってはまた落ち着きを失くして歩き回るラウラに、さすがの仲間たちも何があったのか憶測すらできないでいる。
ラウラはキッと振り向いた。意味があるわけではない、そうでもしないと気が済まないほど彼女は今苛ついているのだ。
「何があったんだよラウラ?」
ミーラがたまりかねて聞いた。
「アスティのことで何か発見したのか」
「発見? 発見だなんて……よくもそんなこと言えたものだわ」
「オレに八つ当りすんなよ」
「ごめん……あなたにじゃないの。今のは自分に言ったの。アスティがリザレアに着任してから随分経ってるし、その間何度も会ってるはずだったのに……気が付かなかったなんて。それで親友だなんてよくも言えたものだわ。自分が情けない」
「どうした? いったい何があった」
マキアヴェリも見かねて言った。彼が口を開くのだからよほど心配になったのだろう。「あたし恥ずかしいわ。すごく甘かったの。アスティを見る目が、アスティの陛下に対する想いをはかる気持ちも、すごく中途半端だったの。それって彼女に対する最大の侮辱だわ。悲しい……こんなことがあるなんて。よりによってあたしとアスティによ」
「喧嘩でもしたのかよ」
「昔はけっこうしてたよね」
「違う!」
ラウラは語気を荒げて反論した。ミーラとリューンがびくっとなる。
「アスティが泣いてた理由がわかったの。どうして陛下を見るたび理由もなく泣くのかがやっとわかったの。最初にわからなくちゃいけなかったのに、こんなに経ってからやっとわかったの」
「---------ラウラ……?」
「どういう……」
「涙が出る程っていうのがどういう事かわかってるの!?」
「---------」
「---------」
「アスティはね……アスティは、……陛下を見るたび泣きたくなってたの。それをずっと理性で抑えてたの! わかる? 今までずっとよ! 毎日毎日、部屋に入って陛下が目に映れば泣きたくなってたの。そのあと部屋から出て、もう一度部屋に入って陛下を見ても泣きたくなるほどだったの!」
「それが……どうしたってんだよ」
鈍いミーラにラウラは涙を浮かべながら怒鳴った。
「誰かを見るたび泣きたくなる気持ちっていうのがどういうのかわかんないの!?
ふつうはね、そういうのは時間と共に薄れていくものなの。あたしだって今母親が生き返ったらそれだけで泣いちゃうわよ。それからしばらくは母親を見るたんび泣いちゃうでしょうよ。でもね、毎日母親を見て母親と話してたら、その内そうすることが当たり前になって泣くことだって忘れちゃうでしょ? そういうもんなのよ。だってそれは母親がいることに慣れた証拠なんだもの。でもアスティは違うの。アスティはセスラス陛下のことを一途に想ってる。想い続けてる。毎日毎日一緒にいて仕事して隣に座って話をしてお茶を淹れてあげてもだめなの。アスティは十回部屋に入ったら十回泣きたくなるほど陛下のことを愛してるの! それがどういうことかわかる? あたしは……アスティのことをわかってるつもりでそんなことも気が付かなかった。誰かを見るたび泣くだけの強い想いなんて……今まで考えたこともなかった。アスティはそれを、理性の二文字で抑えてたの。 だってそのたび泣くなんてできないもん。いちいち我慢してたの。どれだけ辛いことかわかるの? ……ねえ!」
「……」
「ラウラ……」
モムラスが眉を寄せて彼女に近寄った。彼女がここまで悲しむのを見ていられないといった様子だ。彼がラウラの肩に触れると、とうとうたまりかねたかのようにラウラは彼にすがって泣きだした。
「そうか……」
シルヴァが小さく呟いた。
「記憶があるときは自分が『泣く』ってことがわかってるから、涙をおさえることができる」
「しかし記憶を失っていては陛下を見るたび泣く自分も含めて忘れているわけだ。身体が陛下を見れば泣くという公式を記憶しているわけだな」
「それってちょっとすごい」
「本能の一部に組み込まれてるわけだ」
ラウラの取り乱しよう……彼らにも理解できた。彼女はまだ泣きじゃくっている。「もう……もうだめ……あたしにはアスティを助けてあげることなんてできない。今のあの娘を助けてあげられるのは陛下だけなの。陛下だけ……」
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