第Ⅵ章 心 1
「---------」
セスラスは苦渋に満ちた顔を伏せがちにし、額に手をあてて窓によりかかっていた。
王城広しといえど彼がこのような顔をする場所は一つといってよかった。ここは彼の書斎である。
月の光が彼を青く照らし上げ床に落ちた影がくっきりと映えている。
---------外傷がないのだから手当ての施しようがない
その言葉が彼の頭の中をずっと回り巡って支配していた。皮肉な言葉……それは、あの日の言葉とまったく同じではなかったか。
『傷がないのだから手当てをしようにもできないよ』
それはあの夜---------ルイガと戦って敗れ、必死になって自我を捨て彼を守るために
全力を使いきったアスティに、村の医師役の老婆が言った言葉と同じなのだ。あの時彼女はどんなに声をかけようとも目を覚まさなかった。どんな悪夢に見舞われようとも、それに応え彼が必死に揺り起こしても、彼女の瞳は開かなかった。それは、使い果したすべてのエネルギー、自分の内にあるものを支えるすべてのちからをも総動員して彼を守ったがために、「眠り」という癒しによって昏睡を続けていた果てのことだった。そしてまたあの時の彼女には、目を開ける、意識を取り戻すというたったそれだけの力もなかったといっていい。本当に力をすべて使いきってセスラスを守ったのだ。
(同じだ)
(あの時と同じだ)
アスティはあの魔導師の痛恨の一撃から民を守るためにあの膜を張った。見ていたセスラスにとってそれは、予想以上に長く、そして悪意に満ちていたようにも感じられた。不測のことだったのかそうでもしなければ守りきれないと思ったのか、どちらにしてもアスティはあの日と同じことをしたに違いない。セスラスはぎり、と唇を噛んだ。
自分たちは対の運命を持つ身---------片方が辛い目に遭えば、また同じだけ片方にもそれが返ってくるのだという。なれば、アスティの場合こうして自分の力を使い果して生と死の淵とを行き来し、そして自分はそんなアスティを見て、こうして苦渋しただ己れの腑甲斐なさに拳を握り、ただじっとしているだけというのが、それぞれに与えられた「役割」なのか? そうまでして苦しめられる意味は? そして時には、昏睡するのが自分で苦渋するのがアスティではいけないのか?
今のセスラスはアスティと代わってやりたい気持ちで一杯であった。彼の目には、同じ苦難でも自分の方がまだ負担が軽く感じられて仕方がないのだ。なれば、時には交代でもよかろう。なぜアスティが、アスティだけがこんな目に遭う。
「……」
国王はしばらくの間部屋に立ち尽くしていたが、夜半を過ぎてその部屋の窓から一羽の鳩が飛んで行くのが、月明かりの中見ることができた。
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