第Ⅴ章 七つの光芒 5
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日が傾き始めている。しかしまだ夕刻には程遠く、砂漠の午後で最もけだるい時間がやってこようとしていた。こんな午後、砂漠の民はたいてい涼しい木陰で昼寝を楽しんだりしていることが多い。苛酷な場所で生活している人間というのは、時間の使い方をとてもよく心得ているものなのだ。
そんななか、アスティは軽く口のなかで溶ける砂糖菓子を出しながら、輝く砂を見つめつつまたまた話し始めた。
「シルヴァ・ラミラスはヴェヴ領のケルナという漁村で育ちました」
彼の髪は銀色だ。
最初、彼がまだ幼い乳飲み子であった時、あまりにも美しい銀髪なので、これは海の神にお返ししなければ、つまり海神に捧げなければ、という声が出るほど、それは美しい銀色だ。瞳は灰色がかったきつい青。全体としてきついイメージの容姿の彼だが、それがもとで人をよせつけないということは、まだないしこれからもないだろう。丸みを帯びた眉と人格のにじみでたその優しい口元は、年下の院生に人気がある一番の理由といえる。
彼の住む村ケルナは、ヴェヴのファーヌ河を背に、漁業を営んでいる。小さいが貧しいわけでもなく、平和な美しい村であった。誰も彼もが穏やかな人々であったが、しかし海の人間だけあって、みな勝ち気な性格であったことは否めない。そうでなければ一年中海と共にいることはできないと、シルヴァはのちになって語った。
幼いシルヴァの仕事は羊の世話であった。ケルナ村の人間は海だけでなく陸の仕事に携わる者も多く、それは海辺であるにも関わらず付近が豊かな草原に囲まれているという条件に恵まれているからであった。つまりシルヴァ少年は羊飼いの仕事をこの歳でしていたということだ。小高い丘まで羊を追い、潮風をたっぷり含んだ草を食ませ、彼自身海を見下ろしながら腰をおろして昼食にしようとしたときのことだ。
「! ---------」
それは六つの子供にもよくわかった、村からあがるその煙、おびただしい数の黒い煙が竈からあがったものではなく、なにものかによる突然の襲撃を意味するものだということが。
羊もそっちのけで彼は一目散に走りだした。村は、ひどい有様だった。血みどろの地面、知っている大人たちの悉くが惨殺され、家々はめちゃくちゃに荒らされていた。ハッとしてシルヴァは自分の家の方へと走った。彼には母と父、兄と姉がいた。家は他の家々の荒らされようと大して変わらないくらいぐちゃぐちゃにされていた。壁には凄まじい血のあとがべっとりとついていて、姉がひとり、そこに倒れていた。遺体はきれいなものだった。 姉は唇の端から血をだして死んでいた。その有様と、彼女の著しく乱れた衣服を見れば、どういう状況のもと彼女が死を選んだのかは、彼にもよくわかった。シルヴァは血がにじむほど唇を噛んだ。村を襲ったのが、いつか姉が言っていた、『ギゾク』とかいうものではないことだけは、確かだった。
『義賊っていうのはね、人を殺さないの。それから、盗めるものぜんぶを持っていかないのよ。盗られたほうも、盗られたあと生活できる程度、残していくの』
そんな風に言った姉が実は、昨年村に忍び込んだ一人の盗賊に恋しているということを、シルヴァは知っていた。
その姉はもういない。
「お姉……」
「おい、まだ生きてるのがいるぜ」
「すげえ上玉だ」
「奴隷商人にでも売るか」
「いや、金持ちのほうが割りがいい」
奴隷……!
そういえば殺されていたのは比較的歳のいっている者ばかりだった。海の男というのはたいていがみな体格もいいし体力もあるのできっと彼らに捕まってしまったに違いない。 父と兄が生きている可能性は強かった。無論抵抗して殺された者も沢山いたのを、シルヴァは忘れていない。
しかし今彼がここで捕まっては、兄たちが生きていようとどうしようもないことだ。生来賢いシルヴァはまず逃げることを考えた。生きなくては。
「そこの娘っ子だって高く売れそうだったのによ」
「簡単に舌噛みやがった」
「ま、いいや。来な」
シルヴァは迫ってくる手を払い除け、護身用に持っていたナイフで男の一人を刺した。 さして殺傷力のない子供だましのようなナイフではあったが、渾身の力を込めたためにそれは深々と突きささった。シルヴァは走った。怒号と共に男たちが追い掛けてくるのがわかった。羊を追って鍛えた足とはいえ、彼はまだ体力が充分できあがっていない少年なのだ。息がすぐにあがった。激しく息をきらしながら、目の前まで迫ってきている絶望にシルヴァは怯えた。今自分が生きなくては何にもならないのだと強く思った。こんなこと
では……兄と父を助けなければ。姉の仇を討たなくては。---------姉!
シルヴァの頭に火がついた。犯される前に舌を噛んで死で以てしてすべてを拒んだ姉。 生きたい、そう思った。なにより強く、生きたいと思った。そう願った。海よりも強くなりたい、あのように生命力溢れた強い存在となりたい。彼の思いは海へと通じ、やがては海の向こうまで届くほど強みを帯びた。
フッ……
突然、彼の周囲は霧で覆われた。
「えっ……な、なに」
多くがそうであるように……シルヴァは混乱した。ちょっと後ろの方では、相変わらず男たちの怒号が聞こえる。しかしそれは、突然の霧に対してではない、シルヴァに対してであった。彼らにはこの霧が見えていないのだ。そしてシルヴァは霧の向こうから現われた影に、……多くがそうであるように……怯えた。
「お前か? 我々を呼び出したのは」
「ゆっ、ゆーれい?」
「……古代の昔で世界征服とか色々言われたことはあったが……幽霊扱いされるのは初めてだ。まあ似たようなものだろう」
声からして初老の男のようだ。近づくにつれ全貌が明らかになる。黒いマントに全身を包み、全体としてするどいイメージだが、切るようなそれではない。
「---------」
「お前だろう、我々を呼び出したのは。心の底から生きたいと願ったのは」
シルヴァは恐る恐るうなづいた。
「では来なさい。お前はその資格を持つ」
そして連れていかれたのが魔法院というわけだ。
すでに院にいたのはアスティ、ミーラ、ラウラ、リューンの四人だ。
「ふーん大変だったねえ」
「……君、女?」
赤くなって言葉につまるリューンに代わって、ミーラが笑いながらシルヴァに言った。
「そうそう。こいつはねえ、どう見たってオンナノコだろおっ? リューン、今からでも遅くないぜえ」
「なにが遅くないっていうのさ!」
口論を始めた二人を困ったように見て、アスティがシルヴァに言った。
「この二人はいつもこうなの。まあ放っておいてあげて。スキンシップみたいなもんだから。私はアスティ」
「……アイスティー?」
「ア・ス・ティ!」
「……アスティね……アスティ」
一同は笑いに包まれた。
こうしてシルヴァも魔法院に来たというわけである。
「……やはり彼も正規の上位魔導師になってからお父君とお兄さんを探しあてたそうです。一年修業で北アデュヴェリア大陸を一周する間も、修業の片手間ずっと探していたみたいですが、それも決め手になったみたいです」
「なるほど」
セスラスは一人呟いて、幼い頃のシルヴァの、アスティの名前の間違え方を思い出して一人吹き出した。
そういえばシェイルの一件の時、青葡萄の島の洞窟で彼女をティー、と呼んでいたのもシルヴァだった。この名残なのだろう。あの時はアスティはわざわざ自分の名前を訂正させていたようだが、それはなぜかと聞こうとして彼は思い止まった。ティーと呼ばれることを黙認することは、アイスティーと呼ばれる自分を肯定することだと、聞く前に気付いたからであった。
そのアスティは西に傾き始めた太陽を見ながらしばらく無言だったが、しばらくしてまた静かに語り始めた。
「……これが最後になります。最後はモムラス。……モムラス・ウィンター。
彼は自由都市テュサの領内、ラケスという小さな村で生まれました」
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