第Ⅴ章 七つの光芒 4

 彼はよく女に間違われる。いや、よく、というのは大きな間違いだろう。いつも、だ。 そのせいで二十一歳の今も街を歩けば口笛を吹かれ仕事で繁華街に行けばいくらかと聞かれる。まったく気の毒としか言いようがなく、生まれてくる性別を間違えたとしか思えないほど美しいのだ。金茶色の髪、森の緑の瞳、エルフすら魅了してしまいそうな美貌、ため息がとまらないほどの、白晢とは彼のためにあるような美しさなのだ。それは幼少の頃より少しも変わらず、幼き頃のリューンはかなり苦労したものだった。

 彼の家は父と母と、祖父母、妹と兄、彼の七人家族で、祖父は昔えらい騎士だったのだという。父は商人だが、家としては中流で、しかもかなり成功していたほうなので、よく領主やウェンカの貴族たちの宴に招かれたりしていた。そしてその日も、ミルダ一家はウェンカの豪商クート侯に招かれていた。祖父母は留守番だ。

 一家は始めいい顔をしなかった。というのもクート侯は男色で有名で、ウェンカの美少年と呼ばれるものたちを片っ端から毒牙にかけていくことでは有名であった。しかしなにせ街の有力者だし、父の職業柄断るわけにもいかない。みんなでかたまっていれば心配するようなこともないと、結局宴に行くことにした。リューンの手をぎゅっと握って、

「離れるなよ。あの変態的欲望丸出し倒錯性愛者は油断できないからな」

 毒舌の兄の言葉にくすっと笑って、リューンは

「わかったよ。兄さん」

 と答えた。宴は盛況で、盛会というよりは少々盛り上がりすぎ、行き交う人の勢いもの凄まじく、リューンはしっかりとつないでいた兄の手もいつのまにか離してしまった。そして気が付くと、ホールの隣の小さな部屋にクート侯といた。

(ヤバイ)

 まずそう思った。

「リューン君」

「言いにくくありませんか」

「うん?」

「いえ」

「私は君のそういうところが好きだ」

 クート侯のごつい手がリューンの足を這った。

 ぞわっとしてリューンは身震いした。鳥肌がたっている。

「やめてください」

「そう言わずに」

 ぐっとのしかかられそうになった。そうなったら力のないこちらはまず救いなしだ。リューンは半ば長椅子に倒れかかりそうになってその手で近くにあった酒瓶を掴み、

「変態っ」

 という言葉と共に振りおろした。クート侯は倒れる、瓶は割れる、リューンは辛うじて助かったと、こういう結果である。リューンは部屋を出た。兄はすぐに見つかった。蒼白な顔をしてあちこちを走り回っていたからだ。

「兄さん」

「リューン」

 目に見えて兄はホッとした顔になった。

「どこに行っていたんだ。探したんだぞ」

「実は……」

 リューンは手短に話した。

「そうか。……ちっ、変態め」

「それはいいから早くここを出ようよ。あ、お父さんたちもいた」

 そうして、リューンは家族と共に帰宅の途についたのだった。



「ほっほっほっほっ、クート侯にな。それはリューン、さすが儂の孫じゃ。行く末楽しみじゃわい」

「からかわないでくださいお祖父さま」

 リューンは困ったように言った。兄さんの毒舌はこのひと譲りなんだな、ちらりとそんなことを思ってしまう。

「しかし親父殿。このままでは済みますまい。公にはできないがクートはそれなりの対策をたててくるはず。ここは当分リヴェーの別荘へ隠れたほうが」

「うむ。それは確かにそうじゃ。早速荷造りじゃ、夜逃げじゃぞ。それ未来の美青年、支度を急げ」

「……もう……」

 こうして真夜中、ミルダ家から人の気配がいっさい消えた。



 リヴェーは河のほとりにある避暑地で有名で、暑い夏などによくウェンカの資産家などが訪れる。彼らはそこでひとまずあちらの様子を見ることにして、おとなしく生活を今までのように続けていった。兄ラスナと河で遊びながら、リューンはまぶしい陽の光を受けながら自分に起こったこともしばし忘れて少年そのものになり遊び回った。そして夜は、祖父の豊富な知識から色々な故事や昔話を聞かせてもらったりした。

「さてアデュヴェリアで一番古い種族はエルフだとか、うむ、ダークエルフという者もおるな。しかし彼らよりもさらに古い種族がいる」

「エルフより……?」

「上位魔導師と呼ばれる者たちじゃ。彼らは戦士のごとく剣に長け、魔導師のように呪文で攻撃をし、また僧侶や司祭のように治癒呪文を駆使する。すべての儀式に精通し、医学も薬学も音楽も踊りもなにもかもをこなす者たちだ」

「完璧ですね」

「そう。完璧だからこそ人々に恐れられ、疎んじられてきた。彼らは独特の魔法で作られた一年中霧に包まれる魔法院というところで生活している。日々修業しているのだ」

「ふーん……」

「ハード……」

「お祖父さま、なんでそんなに詳しいんですか」

「……古い友達にな、いるのだよ。上位魔導師がな」

「ふーん……」

 感心する妹の後ろで、ラスナとリューンは囁き合った。

「本っ当に顔広いよな」

「ちょっと半端じゃないよね」

 こんな風にして日々が過ぎるといった具合であった。



 ある日ラスナとリューンは河のほとりに遊びに行った。初夏の河の水は冷たくて、きらきら輝く石、歩く蟹、泳ぎ回る魚、いくら遊んでも飽きなかった。風は涼しくて、ぎらぎら光る太陽もそれのおかげで愛想がよくなっているような気分だ。森が近くにあるから樹のにおいが終始漂っている。さやさや、さわさわという木ずれの音はこれ以上はないというほどの森の醍醐味だった。

 ぎっ。

 突然川下のほうで鳥が飛びたった。

 獣でも来たのだろうかと二人がそちらへ目を向ける。---------しかし、それは獣ではなかった。

 三人の兵士だった。兵士というか……武装した男といったほうがこの場合正解だったかもしれない。訓練されていないのは粗忽な雰囲気でよくわかる。善人にしても悪人にしても、訓練された兵士というものは、独特のぴりりとした空気を纏っているものだ。

「…………」

「リューン・ミルダだな。来てもらおうか」

「そっちのきれいなカオのおにいちゃんもいっしょだ。侯が喜ぶぜ」

 二人は顔を見合わせた。

 侯……クート侯のことだ!

「やれやれ……お前、あの変態によっぽど気に入られたんだな」

 ラスナは弟に囁きかけ、彼が嫌そうに眉をひそめるのを見てくすりと笑うと、走るぞ、呟き、突然走りだした。

 二人はいつも野山で駆け回っているため足が早い。それに名士であり騎士であった祖父の教育で身体は鍛えられているから、不意をつかなかったにしろこの男たちに二人を捕まえられたかどうかは定かではない。

 両者の差はぐんぐん拡がっていった。

 後ろで何か怒鳴る声がする。二人は全速力で走り続けた。

 ザシュッ……

 おかしな音がしても、リューンは怯まず走り続けた。そしてすぐ横でまた同じように走る兄、走り続けてから視界の隅で走っている兄、ずっとそこで変化がなかった兄に変化が現われたために、それが例え微少ではあっても、リューンにはすぐわかった。

「! 兄さ……」

 兄は腕からおびただしい血を出してしかしなおそれでも走り続けていた。後ろを見るとそう、地面には兄の血を吸った槍が突き刺さっていた。

 リューンはきゅ、と唇を噛んだ。



                    2



 リューンはその夜、家族に魔法院に移りたい旨打ち明けた。

 両親は立ち上がって驚き、妹はひく、と涙をにじませ、兄は、腕に包帯を巻いた兄は、悔しそうに唇を噛んだ。祖父は深々とため息をついてふむ、と呟いたが、顔にはひどく苦苦しいものが浮かんでいた。

「リューン……・」

 ラスナの呼び掛け、悲痛なまでのその顔に、しかしリューンは明るい笑顔をつくって答えた。

「だって。このままじゃいけないと思うんだ。でも相手は有力者だし、だからってあいつのとこなんか行きたくないし、一番の復讐は僕が消えちゃうことだと思うんだ」

 しかしリューンの胸の内には激しい怒りと憎しみが渦のようになって息巻いていた。

 家族を少しの間でも苦しませた!

 兄を傷つけた。そして今自分と家族を引き離そうとしている。

 あそこまでして僕が欲しいというのなら、忽然と消えてやる。手に入らなかった苦しみを存分に味わえ!

 祖父は承知してくれた。次の日家の一郭の窓から鳩が飛んだ以外は、しばらく何の変哲もない生活が続いた。昼は一時も兄妹と離れなかった。夜は夜で母を手伝い父と語った。 別れはすぐそこまで来ていた。



「クレアは?」

 妹がいないことにリューンは不安を感じた。まだ幼いし、あの時の男たちのような者がまたいたらと思うとぞっとしない。そういえばあの男たちは、しつこく家まで追い掛けてきて二人を捕まえようとしたので祖父が棍棒で簡単に殴り倒し、服を剥いで全裸にして、身体の自由を奪って河に流してしまった。まあ死にはしないだろうが、かなりの恥辱と恐怖を味わっただろう。そしてその時の祖父の手並みに、リューンは一種の感動を覚えている。

 そして祖父は、そんな憧憬の視線を送る孫に対して、上位魔導師は、彼らの実力は、こんなものではないよと笑顔で言った。

「お兄ちゃん」

 クレアが森のほうから息をきらして走ってきた。もう別れの時だというのに、あまり長く一緒にいられなかったせいか、リューンはピリピリしていた。

「クレア」

 彼は走ってくる妹の名を咎めるような気分で呼んだ。

「いったいどこに……」

 しかしそこまでだった。妹の手に緑色の美しい石が握られていたのだ。汗を額に光らせて、妹は笑顔で言った。

「お兄ちゃんの目とおんなじ色なの。きれいでしょ」

 自慢げに言った彼女の手はしかし、土にまみれ、爪は半分はがれて、痛々しいものだった。森まで行って石を掘り続けていたのだ。

「…………」

 リューンは万感の思いでそれを受け取った。今初めて、自分は本当に家族と離れ離れになってしまうのだという実感が湧いてきた。別れを目の前にして、それは少年を困惑させ迷わせる以外はなにもできない、迷惑なものであった。やっぱり残りたいかも、リューンは一瞬思ったが、しかしやはり自分は残ってはいけない。兄は腕の怪我だけで済んだが、今度は誰の生命が狙われるとも限らないのだ。リューンは決意を固めた。

 家族と別れ、祖父と共に歩きだし、しばらくすると辺り一面に霧がたちこめ始める。夏なのに、リューンが思ったとき、霧の向こうに荘厳な石の館が見えてきた。

 リンゴーン……

 鐘を鳴らすのと同時に、大きな扉が開いて、自分と同じ歳くらいの少女が出てきた。黒い瞳がかなり印象的で、美少女だ。

「ようこそ、魔法院へ」

「第七十九の導師・キースァ・メルディラーンの知り合いの者ですが」

 祖父が言うと、少女は前もって聞かされていたのだろう、心得顔で、

「はい、伺っております。ミルダ様ですね? どうぞ」

 二人は少女に案内されて中へ入っていった。しばらく回廊状の廊下を歩いていると、向こうから急ぎ足で誰かやってきた。

「おおリカル。よく来てくれた」

「キース。変わっていないな」

 どうやらこの人がキースァ・メルディラーンのようだ。リカルドと呼ばれる祖父をリカルと呼ぶのだからかなり親しいのだろう。

「アスティ、彼を案内してあげなさい。しばらくしたら呼ぶから」

「はい導師さま」

 アスティと呼ばれた少女はこたえ、

「じゃ」

 とリューンをうながした。リューンは彼女に連れられて色々なところを案内してもらった。彼らが毎日訓練しているところ、食堂、授業で使う教室、多くの広場や、表に吹き抜けの渡り廊下から見える庭、そこに林立する塔のいくつかも、見せてもらったりした。

「私の仲のいい仲間を紹介するわ」

 短い間ですっかり打ち解けた二人はそのまま歩いた。アスティに連れられて、リューンは彼女の仲間にも会わせてもらった。連れていかれた所には、茶色の髪の少女、えらく体格のいい空色の瞳の少年とがいた。

「ミーラ、ラウラ、新しく来たリューンよ」

「ああ、なんか特殊なケースとかいう……」

「なんで?」

 聞かれて、まさか答えないわけにもいかないので、リューンはぽつりぽつりと話し始めた。

「……苦労してんのねえ」

「若いのに」

 そんなこと言われたって、とリューンは苦笑いした。

 そして祖父とも別れを告げ、彼は魔法院の人間となった。野山を駆け祖父に鍛えられていたおかげでこの三人とは同じクラスに入ることができた。それでも最初の方はかなりきつくて、週末の休院日に家族に会いにいくなどとんでもなく、一日中寝ていたりした。そんななかでも定期的に手紙を書くのは忘れなかった。一年もたてば慣れるもので、幼くまだ家族が恋しいということもあり、よく家族に会いに行ったりして一日を過ごしたりしていたリューンだったが、後になって仲間たちに言ったのは、仲間のなかで家族がきちんといるのは自分だけで、それだけでも心苦しいのに、会いにいったりするのは反面とても辛かった、でも修業も家族との対面もこなせたのは、そんな風に家族がいて家族に会いにいく自分を、羨んだり皮肉ったりしない仲間たちがいたからだと、彼は言った。



「……」

「確かに、」

 アスティは苦笑いして自分の香茶を淹れ替えた。

「そう言われると、たとえばあなたは家族がいるからいいわよね、とか、そんなことは言わなかったのを覚えています。ただ彼に家族がいるのは当たり前で、同じように自分たちにはいないのが当たり前で、……家族がいるのに離れて暮らさなければいけない、そのほうが、いっそいないからと割り切って修業に励む自分たちよりは辛いのだと、そう思いました」

 セスラスはそれを聞きながらそうか、とこたえたが、よほどこの時言おうとした、リューンにそんなことを言わなかったのは、それぞれ親を早くから亡くしているお前たちの強さと、なにより生れつきもっていた優しさがものをいっていたのだという言葉は、とうとう彼は言わなかった。そして心のなかで呟いた、

 親を幼くして亡くした子供というのは、強くも優しくなれるものだ。


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