第Ⅴ章 七つの光芒 2

 その抜けるような空色の瞳は、テュサでも評判であった。そしてその子供らしからぬ体格の良さは、将来戦士としての素質を充分、約束されたようなものだった。当時ミーラは弱冠三歳、しかしどう見ても五歳、あるいは七歳に見えても、いっこうに不思議なものはなかった。自由都市テュサは商人の街だ。きちんとした国家ではなく、従って国王というものも存在しない。しかしその規模の大きさは広さにしろ生活にしろ一つの国家に匹敵するものがある。アデュヴェリア、---------北アデュヴェリア・レヴラデス---------では、だから商業や経済の中心はこの街だといっても過言ではない。国王がいないから街を統率するのは代わりに複数の選ばれた人格者かつ商人で、議会がすべてを執り行なう民主的な都市だといってよい。

 そんなある日、テュサの一区画が整備されることになり、その地区に住む住民は、銀の森付近で一時的に生活しなければならなくなった。そのため、一週間かけての住民大移動となったのだ。ミーラの父親は武器屋をしていたので、馬車の荷台には一人息子と木の箱に入った多くの武器がひしめくことになった。

「何も整備なんかしなくったていいのに」

 彼の母親は家財道具などすべてを積み移動しなければならないことに大いに不満で、ずっとぶつぶつ言っていたものだったが、ミーラにとっては初めてのことで、夜も眠れないくらいの興奮であった。

 三日目のことだった。自由都市テュサの紋章の入った幌馬車の大移動---------それだけで行商と勘違いされたのか、突然一行は盗賊の大部隊に襲われた。実際、商人がほとんどであったから、行商と大した違いはなかったのかもしれない。その時ミーラは御者として馬を制していた父とその隣の母の間でちょこんと座っていたが、母によって荷台に隠され、彼自身も床の戸板を開け、逃げた。外は、ちょっとした地獄だった。他の馬車のほとんどは焼かれていた。そうでないものはでは幸運たったかといえば必ずしもそうではなくて、引き裂かれぼろぼろにされたり、また逃げる子供を助けるため賊の気を引こうとして暴走しめちゃくちゃになった馬車もいる。

 ミーラは青くなって後ろを振り向いた。荷台から自分を見ている母がいた。母が口を開いて何か言おうとした正にその時、血飛沫があがって母が倒れた。この時ミーラが悲鳴も上げずに咄嗟に岩陰に隠れたのは、彼の天性の戦士としての素質をよく物語っているといっていい。続いて断末魔の悲鳴が聞こえた。声からすると父だった。よほど飛び出そうとした。しかしそうすれば自分は殺されるか、あるいは売り飛ばされるか、どのみち仇をとれるような状況ではなかった。ミーラは歯軋りした。こんな……こんなことってない。 なんにも悪いことしていないのに、どうして? 仕返ししたいのにできない。どうして? ミーラの心が憎しみ一色に染まった。

(くやしい……)

(絶対に殺してやる!)

(いつか殺してやる!)

(真の……---------真の戦士になって!)

 途端……目の前の風景が一変した。

 火で焼かれた草原と馬車から、薄暗い霧の風景へ。

「な……何……?」

 ミーラは訳のわからない恐怖で立ち尽くした。一体何が起こったというのだ。そしてしばらくすると、霧の向こうからおぼろげながらにも人が近付いてくるのがよくわかった。 ミーラは警戒した。そして身構えた。もしかしたら盗賊のなかに魔法使いがいて、こちらを安心させるためにやったことなのかもしれない。捕まるとしても殺されるとしても、ただ無抵抗にそんな目に遭うつもりはなかった。精一杯抵抗してやるつもりで、彼は身構えた。霧の向こうからやってきたのは一人の初老の男だった。背はそんなに高くないがすごく貫禄がある。黒いマントを羽織っていた。

「お前かね? 儂らを呼び出したのは」

 ミーラは絶句した。ただその男の言葉は、昔話で聞く悪魔が召喚主に尋ねる言葉ととてもよく似ていたので、

(あくま!?)

 と一瞬混乱したことも否めない。

「ひどい有様だな……後で人をやって埋葬させなければ」

 辺りを見回して呟くと、男はミーラを見た。

「名はなんという?」

「ぼ、僕は……ミーラ・ファルシアといいます。呼んだって、あの……」

「父と母はどうした」

「…………」

 押し黙ったミーラを見てため息をつき、男は言った。

「可哀相にの。さて……」

 展開を感じてミーラは焦った。

「あの……僕どうなるんですか」

 男はじっと彼を見た。

「お前はさっき、本当に戦いたいと思ったかね?

 心の底から強くなりたいと願ったか?」

 恐る恐るミーラはうなづいた。まだ、この目の前の男を信頼していなかったとはいっても、それは事実がゆえに。

「よろしい。では来なさい。お前を望んだ通りの戦士にしてあげよう」

 手を引かれ、彼は霧の向こうへ連れていかれた。不思議と恐怖は消えていた。やがて見えた石造りの建物へたどりつくと、男は大きな扉の脇にあった呼び鈴を鳴らした。中で、リンゴーン、というような音がした。

「そういえばわしの名前を言っていなかったな。わしはマルスじゃ。マルス・ロッドリルナー。今日からお前の世話役じゃ」

「おかえりなさいませ導師さま」

 中から出てきたのは黒髪の少女だった。

「アスティ。ご苦労様」

 アスティは導師の傍らにいたミーラに気付いて、ドキッとするような黒い目で笑いかけた。

「あたらしいひとですか?」

「うむ。案内してやりなさい」

 アスティに一通り案内されたミーラは、ここが魔法院と呼ばれる古代の存在である事、ここにたどりつくことができるのは心の底から戦いたい、強くなりたいと純粋に思う者だけだということを知った。

「じゃああなたなのね」

「---------何が?」

「わたしたちナヴィエドあたりを巡行していたの。それがいきなり正反対の場所に来たから、誰か呼んでるんだろうって」

 そして彼は修業を始めた。いつまでも老いずずっと同じ容姿のままの導師たち、霧に包まれた魔法院、それらに囲まれ、ただ強くなるためだけに。


「---------それから、一年修業を終えたその足で彼は仇を討ちました。見習いは個人的な理由で上位魔導師としての能力を使ってはいけないという掟なので」

「ふむ」

 セスラスは興味深げに呟いた。

「確かいつも違う恋人と一緒にいるのは彼だろう」

 アスティは一瞬ちょっと意外そうな顔をして、それから吹き出した。それから後もよほどおかしかったのか、彼女はしばらく笑っていた。

「……妙なことを、覚えていますね」

 やっとそれだけ言うとアスティはまた吹き出した。ミーラの遊び人ぶりは天下一との評判だ。かの『草原の狼』フィゼとどちらが凄いだろうかとアスティが思ったのは一度や二度ではない。

 くすくすと笑いながらアスティはお茶をかえましょうか? と尋ねた。セスラスはうなづき器を彼女に渡す。新しい香茶を淹れながらアスティはまた語り始めた。

「では次は……ラウラのことを」

 私の大切な友達、心の友、なによりも大切に誰よりも親しく過ごしてきた魔法院のあの時代……なぜ彼女はあんなふうにして笑えるのか---------。



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