第Ⅴ章 七つの光芒 1

 ラーケン家はヴェヴ王国にかつてあった残り少ない上級貴族である。家柄が古いせいもあって王家の筆頭顧問役を代々仕切っていたが、またその権力の絶大さもあって、周囲からの妬みや憎しみ、それらから吹き出る陰謀の数々ははかり知れなかった。

 マキアヴェリには双子の兄がいた。次代当主、デュランである。当時二人は七歳、既にデュランの方は当主になるための教育を受け始めていて、弟と容姿はまるで同じなのに、どこか年齢に合わない、覚めたようなというか冷静なというか、そんな空気が表情に漂う少年であった。またマキアヴェリの方といえば、そんな兄を見続けてきたので、将来は能く兄を助けようと、また同じように学ぶ少年であった。自分が当主になれるとも、なりたいとも考えたことのないマキアヴェリだった。兄が大好きだったし、なにより彼の助けとなり、苦痛を和らげ安らぎを与える存在になりたいと思っていた。このまま将来、二人が成長すれば必ずやそれを引き裂くための陰謀も数々現われよう。また当主交替を企て、二人が仲たがいするよう計らう者も現われよう。しかし彼らは、そのどれにも屈服することはないに違いない。この世で唯一の、「もう一人の自分」。互いを愛し、また尊重し、そして敬う。

 既に当主の自覚があるとはいえデュランも七つの少年、遊ぶときはまったく屈託のない少年へと生まれ変わる。

 二人はまた首都でも有名な容姿の持ち主であった。潤んだような見事な黄金色の瞳はさながら虎目石を彷彿とさせ、その髪は豊穣に実る穂のようで。光の至高神レディバの申し子だと言う者すらいるという。

 そしてそんな黄金の髪を窓から差し込む陽の光に透かしながら、二人は遊びに夢中になっていた。まだ暖かい初夏の日の午後で、緑が時々風にさざめいては揺れる美しい日であった。そしてその日が美しいがだけに……起こった惨劇の悲惨さはまた、見る者聞く者の眉を自然歪めさせる。

 事件は、昼すぎに突如として起こった。

 二人はいつものように遊び部屋で遊びに夢中になっていた。奥まった部屋なので、玄関でなにかばたばたとしていても、今日は大切なお客さまが来ているのだろうか、くらいし

か思わなかった。しかしその直後に、二人の教育係、---------二人はじいと呼んでいたが---------が、慌てふためいた様子で駆け付けてきた。

「ぼっちゃま方、早くお隠れなさいまし」

「なに、どうしたのじい」

 彼のこんな慌てた様子は初めて見るデュランとマキアヴェリであったから、さすがに妙に思って遊ぶ手をやめた。何といっても上級貴族の自覚と教育を受けている二人である。「よろしいですか、お二人とも」

 じいは激しく息を切らせて二人を見た。

「ラーケン家は残り少ない上級貴族。それを妬む者もいると、この前も申し上げました」

「うん、そうだね」

「どうしたの?」

「謀反の嫌疑をかけられたのです。お父さまは今表で兵士たちを食い止めておられます」「謀反!?」

「そんなことあるわけないよ」

「陰謀です。今は……」

 その時、後ろの廊下でガタン! という激しい音がした。はじかれたように振り返ってじいは、顔色を変えてさらに言いつのった。

「さあ、早く。最早一刻の猶予もありませぬ」

 そう言うと、驚くほどの早足で二人を奥に連れていった。デュランとマキアヴェリは、起こった事の重要さがまだいまいちよくのみこめないまま、走るようにして彼の後を追った。兄のデュランの顔が、徐々に冷たく、能面のように冷たい無感情なものになっていくのにすら、マキアヴェリには気付かなかった。

 二人がじいに連れてこられた場所は古い武器庫だった。二人はよくここで遊んでいたものだった。

「よろしいですなお二人とも。決して、決してここから出てはなりませんぞ。なにがあってもです。じいが目の前で倒れても、歯を食いしばってここにいなされ」

 それは凄まじい顔をしていた。決死の顔、というものがこの世に本当にあるのなら、多分こんなものだというくらい、凄い顔だった。それは、突然の嫌疑にも慌てて自分を忘れず、ただこの将来の当主、そしとてその当主のよき参謀になるであろう二人の双子を、どうしても守らなければ、何があっても、そう自分の生命を賭してでもという、そんな気迫から生まれたものであった。そしてじいが武器庫から出たほぼ直後に、二人の兵士がそこへ踏み込んできた。

「じいさん、双子を見なかったかい。金の目に金の髪」

「知らんな」

 兵士の方は明らかに彼をこの家の執事として見、じいの方は兵士を敵として見た、これが双方の言い分であった。そして共通していることといえば、確実に相手を手にかけてやるという迫力くらいなものであったろうか。

 じいがすらりと剣を抜くのが、開けた扉の隙間から、二人にもよく見えた。

「フフ、じいさんやる気だな」

「どうせ殺すんだ。こんくらいの抵抗も面白い」

 兵士の背後からは激しい破壊音や剣戟の音、侍女の悲鳴などがひっきりなしに聞こえてくる。

 そんな音を耳にしながら、じいは絶望的ともいえるほど歳の離れた、力も持久力も数倍以上上の兵士と戦わなければならなかった。そんなじいを見ている二人が、では安全かといえば、そんなことは決してなかった。間もなくもっと大勢の兵士たちが踏み込んできて所在わからぬ二人を探し始めるだろう。そうすれば絶対、二人の生命はないのだ。そしてマキアヴェリは、隣でたたずむ兄・デュランの顔が、弟の彼でも一瞬ぞっとするほど冷たいものになっているのに、ようやく気付いた。

「ヴェリ」

 そしてまたその声も、これが七つの少年の声かと思うほど、一瞬ドキリとするほど冷たくて、そしてすわっていた。マキアヴェリは自分が兄にゾッとしているのに気付いていた。

「昔、よくここでかくれんぼしたの覚えてるか」

「え……う、うん」

「じゃあ昔の通路が残っていたのは」

 マキアヴェリはかぶりを振った。

「だろうな。おいで」

 兄は彼の腕をひっぱると、ずっと奥の方に彼を連れていき、隅のほうにある盾がたくさん入っている古い櫃の前まできた。そしてそれについていた丸い把手を力一杯引っ張るとそこには、もうもうと立ち上がる埃と共に、どこまでつながっているのか、小さな黒い出口がぽっかりと口を開けていた。

「あ……」

「思い出したか。いいか、お前はここから逃げろ。僕が引き止める」

「だったら僕が……!」

 デュランは静かに首を振った。

「世継ぎを手に掛ければ、それで満足してお前のことまで考え及ばないかもしれない。それにヴェリ。上級貴族が生き残っていくには、時代がきつすぎるんだ。先日従妹のテオドラも彼女の馬鹿な兄のせいで家を出たのは知ってるだろう。エリオン家は結局滅んだ。

 まだテオドラは十だったのに……・彼女も上級貴族の家の娘だったってことだ」

「デュラン」

「僕が奴らを引き止めている間にお前は逃げろ。これは賭けだ」

「デュラン……・・」

 二人は見つめ合った。もう絶対に会うことはできない、もう一人の自分。そして二人は一生分の想いを込めて抱き合った。静かに、そして激しく。

「僕の短剣だ。形見にあげるよ」

 そう言うとデュランは、くるりと向きを変え、信じられないくらい颯爽とした足取りでマキアヴェリが見えない程度に扉を大きく開いた。

「ぼっちゃま……!?」

「僕が相手だ!」

「お前か……・デュラン・ド・ラーケン」

「それとも弟のほうか?」

「デュランは僕だ。お前たちに気やすく呼ばれるほどの下賤な名前ではない!」

 兵士たちは少年らしからぬ彼の気品と、迫力の両方に気押されてそれを隠すかのように軽口を叩き合った。

「馬鹿なところは親父そっくりだな」

「剣の錆にしてやったけどな」

 デュランの顔色が、一瞬で蒼白なものになった。まだ逃げずに、扉の影からそれをうかがっていたマキアヴェリにもそれがよくわかったほどだ。

「…………たのか」

「何だと?」

「父上を、殺したのか!」

 デュランは顔を上げた。

 少年の、その凄まじい形相。

 髪は怒りでさわさわと波立つ幻想を、瞳は激しく燃えてさながら燃えて溶ける純金。

 冷たい炎。

 そんな言葉を連想させた。恐ろしいまでの怒りの表情だった。そしてこれが、「上級貴族の息子」であった。歴史が生み出し作り上げた古き血のみせる片鱗であった。

 デュランはスラリと剣を抜いた。そして勇敢にも兵士たちに挑みかかっていったが、その剣技は兵士たちも思わず怯むものであった。日頃の鍛練も手伝って、しかしこれは彼の天性の才能であった。

 剣戟の音を聞きながらマキアヴェリはしかし、まだ逃げることができなかった。今すぐにでも彼を助けたかった。共にいたかった。ここで別れてしまうなど、嫌だった。たった一人の愛しい兄。しかし彼の言葉がマキアヴェリの頭にこびりついて離れなかった。そして、逃げなければという焦燥と、とどまりたいという願望が、同じくらいの磁力で彼を後ろへ前へと引き合い、彼の足を動かさずにいた。

「そういえば弟がいたはずだ」

 デュランを押しやって、兵士のひとりが言った。血まみれになって床に倒れたじいがハッと顔を上げたが、デュランは一人冷静だった。

「弟は去年家を出た」

「何……・」

「貴族の暮らしが嫌になったそうだ。テュサに従者と移った」

「自由都市テュサか……・まあいい」

「そうだ。死ぬのは僕だけでたくさんだからな」

 そしてまた再び挑みかかるデュラン。剣戟の最中に彼は後ろをちらりと見た。まるでマキアヴェリがそこにいるのをちゃんと知っているかのようだった。そしてその一瞬の瞳はこう言っていた。

 逃げろ。いつまでもつかわからない。

 マキアヴェリはその瞳に胸を衝かれた。

 今度こそ本当の別れだということを、少年ながらに彼は悟ったのだ。

「兄さん……・デュラン……」

 呟き、そしてその瞳に永遠にその高雅なる姿を焼き付け、マキアヴェリは唇を噛んで駆け出した。

 通路は、ずっと続いていた。どこまで行っても出口は見つからず、暗い地下道は少年を

ひどくおびえさせるのに充分なものであったろうが……--------- 今は、そんなものすらもマキアヴェリにとっては取るに足らないものであった。目の前で最愛の兄と別れを告げ、今その望みと生命のすべてを託されて逃げだしたマキアヴェリが、どうして暗闇ごときに怯えるであろうか。

 やがてどれだけ走ったのか……・・向こうに小さく光が見えてきて、息が切れ切れのマキアヴェリは、めまいを押さえふらつく足元を励まし、必死に走り続けた。

 そして地上に出るとそこは、テュサと思われる都市を遠くに見る、一面の草原であった。 マキアヴェリはかなりの距離を来たことになる。ハアハア言いながら彼はそこで息を整えた。肺が破れそうだった。

 そしてその時、天は無慈悲にも、彼に追っ手を与えた。複数の足音はすぐ後ろから追い掛けてきた。マキアヴェリは哀れにも呼吸が少しも静まらないうちに走りださなくてはならなかった。しかし隠れる場所などなかった。なにしろ辺りは一面の草原なのだ。そして緑の平原の上を、金の髪の彼が走れば、嫌でも目立った。彼はすぐに大人の足に追いつかれそうになった。

 必死に走る彼の脳裏には、突如昔じいが二人に話してきかせた話のことが浮かび上がっていた。

『その魔法院ってどこにあるのじい』

『さあ……・ただひとつわかっていることは、心の底から戦いたい、自分の身を守りたいと思う者のみが、たどりつける場所だそうですよ』

 今、自分を助けてくれるのは魔法院しかないと直感した。七歳の少年、一人故郷から離れ兵士に追われる少年が、他に何を頼れたであろうか。

 しかし目に見えて走る速さの劣ってくるマキアヴェリの後ろには、剣を引っさげた兵士たちが今にも迫ろうとしていた。

(助けて……・)

(助けて……・)

 背中に鋭い痛みが疾った。斬られたのだ。

(---------助けて!)

 少年はその瞬間、世界で誰よりも『生命』を求めた。世界の誰よりも助かりたい、そして生きたいと強く願った。気が遠くなって倒れ、いよいよだめかと思ったとき、兵士たちの罵声が聞こえないことに気付いた。そして、顔に触れる草がしっとりと濡れていることにも。訝しげに顔を上げると霧の向こうから人影が、背後には霧にむせびながらも石の大きな館が。それだけをやっと確認すると、気力も体力もとうとう尽き果て、マキアヴェリは気を失った。



 目が覚めて、最初に目に入ったのは自分を見守っていた同い年くらいの少年少女だった。六人いる。

「起きた?」

 黒い髪の少女が言った。隣の、肩まである茶色の髪の少女も言う。

「あなた、五日も眠っていたのよ」

 マキアヴェリは起きようとした。しかし、体がわずかに反応するだけで動かない。

「まだ動いちゃだめだよ」

 反対側にいる金茶色の髪の子が言った。きれいな子……女?

「傷がまだ完全じゃないんだよ」

 灰色の瞳の少年も言った。隣の、妙にがっしりした体の空色の瞳の少年が後ろを向いて誰かに話し掛けた。

「パウラ様、起きましたよ」

 向こうから、はちみつ色の髪、アクアマリンの瞳の美しい女が歩いてきた。

「お、ご苦労さん。ついでだけどミーラ、この子を見付けたジェイラドを連れてきてくれないかい」

「はい」

 体格のいい少年はミーラというらしい。部屋の向こうに消えた。

「さて……」

 パウラと呼ばれた女は椅子に座ってマキアヴェリの顔をしげしげと見つめた。定軌道で巡行していた魔法院を大陸の端から端へと呼び寄せた少年。

「名前は? 言えるかい?」

 パウラ師は優しく言った。

「……ヴェリ。マキアヴェリ・ド・ラーケン」

「! ---------上級貴族か……参った。ヴェヴから上がった煙はそれだね」

 そしてその時扉が開いた。誰かが入ってきたのは空気でわかった。

「パウラ」

「ジェイラド」

 師は振り返って言った。近寄って来た人影はやはり黒いマントを羽織っていた。一人の初老の男がこちらを見ている。鋭いが、英知と優しさのこもった瞳で。

 深い青。

 どことなくじいに似ていた。

「嫌でなければ、ここに来るまでのことを話してごらん」

 優しい声だった。引き込まれるようにして話すうち、落ち着いてきたマキアヴェリは、先程パウラ師が言ったことをようやく理解し始めていた。ヴェヴから上がった煙! それは自分の家が焼かれたということに違いないのだ。話すうち愛する父、愛する母、いつも優しかったじい、そして最愛の兄・デュランのことを思い出してきて、マキアヴェリの瞳から一筋の涙がこぼれた。疲れはて、彼は絶望しきっていた。そんな彼の話、そんな彼の面差しを聞きまた見ていた六人の少年少女は、そっと側によった。黒い髪の少女はまるで母のように額にかかる髪をやさしく撫で、茶色の髪の少女は頬にそっと口づけしてくれた。

 マキアヴェリがここが魔法院だということ、気を失う寸前見た人影はやがて彼の師となるジェイラド師で、魔法院では呼び寄せた者を最初に発見した者がその者の魔法院内での身元保証人と世話役を引き受けるということ、金茶色の髪の子が実は少女ではなく少年だったということを知ったのは、そんなに後のことではなかった。



「これが彼の生い立ちです。悲惨な過去にも関わらず、---------不思議に魔法院では誰もがそうですが---------彼はいつも笑っていました。七つという、ちょっと遅めの修業始めで、最初はみなについてこれるか心配されましたが、貴族の教育の一貫として剣もバッチリできましたし、元々魔法を使う家系でしたので、すぐに追い付くことができました」

「……なるほどな」

 セスラスはキッ、と背もたれに寄り掛かり呟いた。そしてふと、思い出したように顔を上げて言った。

「そういえば初期の勇女軍のなかにも同じ名前がいたようだが」

 アスティはセスラスの記憶力のよさに思わず微笑んで言った。

「テオドラですか? 彼の従妹です。魔法部隊の分隊長です」

 なるほど勇女軍は剣を使えることを大前提にした軍隊だし、その勇女軍で魔法を使う魔法部隊の分隊長ならば、上級貴族の称号もうなづける。彼ら上級貴族はその古き血ゆえに魔法能力に長けた者が多い。テオドラが魔導師の学院を出ていったのは、その陰惨な生活が嫌になったからだ。アスティが新しい香茶を淹れ、それに口をつけながら、セスラスは彼女が次を言い出すのを待った。そしてアスティはまた頃合を見て話し始めた---------。

「次はそうですね……ミーラ……ミーラ・ファルシア、出身は自由都市テュサ、仲間の中では私の次に魔法院に来ました」

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