慟哭の心 7

 セスラスを避けるようにして眠り続けていたアスティだったが、ある夜突然彼の訪問を受けた。

「元気そうだな」

 慌てて起き上がろうとすると、途端に激痛が胸に亀裂をきたすように奔る。アスティは顔をしかめた。

「慌てないでいい。ゆっくり」

 あくまで優しく彼はアスティに言った。起きるのに手を貸してやり荒い息をするアスティに水を渡す。

「……」

 アスティは彼の顔をまともに見ることができない。自分は、彼があの辛い痛みに襲われることを承知で、自刃をはかったのだ。

「---------」

「だいぶよくなったようだな」

 言うと、彼はいきなりアスティの手をとって自分の胸にそっとあてた。

「---------」

「同じ場所だ」

 言われて、アスティは悲痛な顔になった。

「……王……」

「何も言うな。責任はオレにある」

 哀しみに打ち拉がれた瞳を見て、彼は続けた。

「アスティ。お前は悪くない。あの時オレがもっと気をつけていればこんなことにはならなかったはずだ」

 所詮彼らはこういう運命にあるのだ。

 片方はひとを不幸にしてそれを己れの責任だと責め、もう片方はそれをとどまらせることができずに己れの無力を呪いながら対を慰める。どちらも辛いことだ。それが彼らがその能力の強さと代償に手に入れたものだ。

「---------」

 アスティはうつむいた。セスラスは静かに呼び掛ける。

「アスティ」

 しかしアスティは答えない。とても答えられない。とんでもないことをしてしまったのだ。もっと強くならなければ。長い沈黙が続き、とうとうアスティのほうが耐えられなくなって、顔を上げた。セスラスは迎えるように腕を小さく広げた。

「おいで」

「……」

 アスティは微かに眉を寄せる。おずと肩を動かしたが、それ以上は動かなかった。セスラスはベッドの上に腰掛け、彼女を待たずにそっとその腕に抱いた。

 本当はあの日こうしてやらなければならなかった。遅すぎた。

「---------」

 かつてのあの、<沈黙の丘>での息もできぬ抱擁と違い、傷を気遣ってか、それは至って優しいものだった。アスティは緊張していた全身から力を抜いた。

<すまなかった>

<…………>


 ふたりはしばらくそうしていた。互いの心を安心させるかのように穏やかな息遣いが静かな部屋にこだました。

 星が、砂漠の空の上に疾った。




 エヴィルド・リエンは船の上で目を覚ました。なぜ船の上とわかったかというと、終始聞こえる波の音、それにあわせてゆらゆらと揺れる部屋のせいだ。彼はすっきりとした気持ちで起き上がった。疲労に疲労を重ねて、やっと好きなだけ眠れたあとのときのようだ。 伸びをして辺りを見回すと夕方近いのか、外は赤く染まり窓から見える東の空は星が見えようとしている。彼は起き上がって室内を見回すと、なぜこんなところにいるかを思い出そうとした。

 ---------なにをしていた。

 いったいここに来るまでのいきさつはなんだったか? 船に乗る手続きなどした覚えがないが。

「あ」

 彼は必死に思い巡らしてやっと思い出した。

 オレはあの女と戦っていたはずだ。確か目の前で凄い爆発がして、……それからどうした? あの爆発をまともに受けたはずだ。あれをまともにくらったら、間違いなく死んでいたはずなのに、なぜ今生きている。彼は辺りを見回して、そして枕元の小さなテーブルに封筒が置かれているのに初めて気付き、宛名もなにもないそれを開くと、中身を取り出した。かなり分厚い手紙だった。ガサガサと音をたててそれを開くと、彼あての手紙であった。彼は暗くなろうとする船室でそれに目を通した。


 前略 エヴィルド・リエン様


 この手紙をあなたが読まれる頃、あなたはリザレアを離れエンリィ行きの船の上かと思います。


「エンリィ……」

 吐息まじりで彼は呟いた。北西にある割りと大きな都市だ。復興が一番目覚ましい都市でもある。彼は手紙に再び目をおとした。


 私の態度にさぞ驚かれたと思います。いつもなら同じ状況下でも冷静にしていられるものを、思わぬあなたの言葉に未熟な心が傾いだのでしょう。そこで、あなたに聞いて頂きたいのです、私の、私自身のことを。


「---------」

 どうやら長くなりそうだな。

 彼は薄暗い部屋のなか構いもせずベッドに座って手紙を読み続けた。


 私は呪われた運命を持ってこの世に生まれました。自分の大切な人、愛する人を、惨劇の末死に致らしめてしまうという、文字どおり呪われた運命です。


 衝撃的な言葉---------。

 彼は息を飲んだ。そんなはずはない、聞いた話と違う、思いながらも目が離せない。


 運命はそれ自体が個体で、人間を宿主としてその能力を発揮します。その昔古代王国

『運命の領域』という所に無数の渦状の運命が暮らしていました。渦達は発生すると同時に一人の人間の一生分の運命をはらんで領域に生まれます。そして自分の宿るべき人間が生まれると、その人間の元へ行ってその人間の運命として役目を果たすのです。そしてその人間の一生が終わると今まで担っていたその人間の運命を領域で浄化して、また別の人間の運命を新しくはらみ、その人間の誕生を待つのです。つまり一度生まれた渦は自分の仕事を終えても消滅することなく永遠に同じ作業を繰り返すのです。あなたという人間が自分の個性を持っていながらも、誰か他の人間の世話を一生するのと同じようなものだと考えてください。いわば『運命の領域』は、そういった渦を派遣する場所でもあったのです。領域は運命たちの聖域……今まで担っていた運命を浄化し次が来るまで安穏と暮らす彼らの故郷でもあったのです。でも古代王国の滅亡にあたって……たびたびの浄化もできなくなり、運命たちは領域から領域そのものの力を与えられました。自分で浄化できるようにと。そうして領域もまた王国と共に姿を消したのです。領域には強大な力を持つ渦が二つ在りました。その強すぎる実力を持つがゆえに人間に宿ることができるのは一度、たった一度。その一度を見極めないといけなかったのです。普通の人間には、彼らの能力は強すぎて毒だったのです。それほどの人間は歴史のなか二度は絶対に現われないとの考慮からでした。両者は対で、心の底では愛し合い、慕いあっているのに、不器用で会えば必ずいさかい合うという……まるで子供の不器用な想いによく似ていたものを持っていたのです。いわば光と影、片方の存在は片方の生、片方の死は片方の消滅を表しているのです。

 光の方を善なる運命ジルヴェス、影の方を呪われた運命ジルヴィスといいます。私はそのジルヴィスの宿主なのです。幼い頃から何人ものひとを巻き込んできました。自分を助けてくれた人、大切な仲間、歓迎を与えてくれた人……多くの人々が犠牲となりました。 関わる人すべてに災厄が降りかかるというのならどこかに隠れてしまえばよいのですが、渦はまったく不作為に、そしてまったく突然に猛威をふるうのです。そのため今関わっている人間を巻き込むかどうかもわからないまま、私は彼らと交流を続けなければならないのです。 

 そしてそれは又、ジルヴィスの策略でもあったのです。そうでもしなければ、私は無差別に周囲を巻き込む己れに嫌気がさしてとっくに隠遁してしまっていたに違いないからです。完全に俗世間との関係を断つ、それは、ジルヴィスにとってとても都合の悪いことだったのです。その傍ら、呪われた運命としての性質を発揮することも忘れてはいませんでした。

 そして私は、今の主君に出会いました。


 エヴィルドは灯りをつけた。しかしその瞳は紙面に釘付け、離れなかった。既に外は真っ暗、月の光が海を銀に照らし上げている。


 不安でした。今度こそ渦は主君を巻き込むに違いないと思って、日々怯えて暮らしました。もうお察しのことと思いますが、愛する人を自分のせいで死なせてしまうくらい恐ろしいことはありません。

 でも、なにも起こりませんでした。

 ジルヴィスの能力がなくなったとは、思いませんでした。なぜなら、明らかに渦の影響と思われる事が相次いで起こったからです。季節外れに干上がる河、砂嵐、私のせいだということは百も承知でしたが、主君が無傷なのは解せませんでした。私の渦に巻き込まれた、騎士団の人間が一人死んでいるのです。たまにしか顔を合わせない兵士が巻き込まれて、どうして毎日、一日中一緒にいる主君が、私の感情に敏感な渦が巻き込まなかったのでしょうか。かの戦のことを思い出して頂ければわかるでしょうが、私と主君の周りを取り巻いてはいても、直接手は出してこないのです。

 主君が対だったのです。

 巻き込まれないはずでした。渦の力は両者とも拮抗していて、いくら戦っていても相手を傷つけることはできないのです。また傷つける意志はないのです。ですが波紋は生じます。火花を散らせば、何かに火が付くのです。主君に出会うまでの私の渦は、対が誰に宿っているかを知っていましたから、早く主君に会わない私を急かしていたのです。駄々をこねていたのです。小さな子供が駄々をこねて暴れれば物が壊れます。それとまったく同じだったのです。そして主君と出会ってからは、いよいよ本格的な夫婦喧嘩が再開されたといっていいでしょう。私は主君に出会うためにこの世に生まれてきたと言っても過言で

はありません。---------ただ……時々思うことがあるのです。

 もっと普通の娘に生まれていたら、と。


「---------」

 エヴィルドは顔を上げて放心した。考えたこともない。あの女が平凡な娘に? 想像もできない。彼女のやることなすことすべて派手で……だからこそ華麗、だからこそ美しく、まるで英雄に生まれるべくしてこの世に生を受けたかのように。


 もし上位魔導師でなくて、どこかの街娘に生まれていたら、それなりに幸せな、平凡な生活を送ることができたのではないか、と。私にとって平凡という言葉は、永遠の憧れな

のです。でもそう思うのと同時に、こうも思うのです。上位魔導師に生まれたからこそ、

主君に出会うことができたのだと。愛する人を守ることができるのだと。上位魔導師でなければ、愛する人には出会えなかった、でも出会ってしまったからこそ、いくばくかの期待をして、裏切られ、それでも近くにいなくてはならないという矛盾を抱えなければならないのです。


 期待……。ああ、とエヴィルドは思った。あの二人は、市井ではよく、噂になったものだった。どう見てもどう考えても恋仲だという話は彼も聞いたことがある。あれだけ仲がよければ噂にもなろうが、それだけもしかして結ばれるかも、という期待を、女だけでなく男ですらも、時には抱いてしまうものなのだ。そして裏切り……そう、流浪王セスラスは今は妃を持つ身だ。


 呪われた運命を持っていなかったら平凡な一生が送れたでしょうが、持って生まれたからこそ主君に出会えたのかと思うとそれも複雑な思いです。ジルヴィスは今まで私に不幸しか運んでこなかったのですから。

 ---------こんなことを言えるのは、そういう状況にいるからなのです。もし私が本当に平凡に生まれてきていたのなら、勇ましい流浪王に心をときめかせるただの娘として暮らすことができたのに。


「---------」

 エヴィルドは眉間を押さえた。アスティの悲痛な思いが手に取るようにわかった。


 でもこれでよかったと、今は思うことができます。ずっと罪という腐敗した砂漠を歩いてきた私にとって、主君に出会ったという出来事は、たった一つのオアシスだった。

 上位魔導師は万能の能力を持つ種族です。私はそのなかで割に高い能力に恵まれてそこで暮らしてきました。だからこそ私の、ただそこにいるだけで災厄を招くこの渦が目立たなかったのかもしれません。ただの街娘になっていたらと先程申し上げましたが、なんの取り柄もない街娘にそんなことを背負わせたら、耐えられなくてとても長くは生きていられないでしょう。一見万能で、なんでもこなすように見えるからこそ、呪われた運命の影響が目立たずにすむのです。おかしな言い方かもしれませんが、呪われた運命を持つ資格

は上位魔導師にしかないのです。

 あなたは私を欠点のない女だとおっしゃった。それについて私がどうこう言うことは出来ません。所詮自分に対する自身の主観と他人の主観とでは大きな違いが生じるものなのです。ですがある人に言われました。

 私の欠点は、ジルヴィスだと。完璧な人間に与えられた、最高の欠点、呪われた運命を持っていることだと。欠点のない、英雄気質を持つ者を、時と歴史のなかから選びだし、そして宿ったのだと。主君に、そして私に。

 私たちは、片方は自分と関わってしまったがために人々を死に致らしめてしまった罪悪感に苦しみ、片方はその苦しんでいる姿を見て、引き金となり、食い止めることの出来なかった自分を苛んで、やはり同じように苦しむという辛い運命を持っているのです。逆にそれは、私たちの人並はずれた能力、地位、名誉、それらと引き替えに負っているようなものなのかもしれません。

 ではこれまでのように何度も死にかけてはそのたびに助かったのは自分の運命のおかげかというと、それは違うのです。危機に遭うたびわざわざ渦が助けてやらねば助からないような星の弱い人間には、最初からジルヴィスもジルヴェスも宿らないのです。もって生まれた強力な悪運と強運なのです。よく悪運が強いとか、運がいいとか人が言ってるのを聞きます。それは運が強いことを喜び祝福して言っているのでしょう。

 私たちは違うのです。

 運が強すぎるのです。強すぎて時に嘆きたくなるくらい、悪運が強いのです。

 同じ時代に互いに釣り合うだけの英雄素質を持つ人間が生まれることはまずありません。

 何千年に一回もないのだそうです。ジルヴィスとジルヴェスはよく待ちました。そして

私たちを見付けた---------……。同じ時代に同じだけ釣り合う英雄素質の人間が二人も登場するのは、きっと私たちが最初で最後でしょう。これも強運と言っていいでしょう。 いえ、凶運と言ったほうがいいのかもしれません。良いことなど、この運命を持ち合わせて良いことになど、出遭ったことすらありません。あったとしたら互いに無事に出会えたことくらいかもしれません。そして最大の「幸福」だったのかもしれません。だとしたらやはり、持ち合わせたこの悪運の強さと己れに宿った運命に感謝しなければならないのでしょうか。まだ答えを見つけられないままです。

 私のことを吹き込んだ人々に、私のことを教えられたのだとしたら、きっと私の出生も知っていることかと思われます。生まれたばかりの肉体に宿った運命は本領を発揮できないと聞きましたが、それでももしかして両親に私がなんらかの形で影響を与えたのだと言われても、なにも弁解の余地はないのです。まさしく私のたどる運命は呪われています。 主君の側にいるからこそこのような悲劇があるのだと思い、何度か出奔を考えましたが、

それもやめました。愛する対に何千年ぶりかでやっと出会え、安定していた渦が再び対と離れてしまった時、その時は、渦はどのような手を使ってでも私を主君のもとへ引き戻すに違いないのです。きっと今まで以上の惨劇を引き起こし、主君から離れたらどうなるかを私に思い知らせるに違いないのです。そしてまた対の元へ舞い戻り、時々事件を起こしては、自分の本来の能力を発揮するに違いないのです。私は主君に出会うまで、あたかもその日にそなえておいたかのような辛い目に幾度もあってきました。そうして私の渦は均衡を保ち、神代の時代からすでに記録されていた、己れが死の裁きを下すさだめの人々を巻き込み、じっと時を待ち、そして私を守ってきました。また主君も、私とは逆に最初から与えられた最悪の環境のなか、善なる白い渦の力に助けられあの戦の日々を生きぬいてきました。二人共そうやって生きてきたのです。

 呪われた運命・黒い渦ジルヴィスの役割は、ある人間を媒介として不幸を見せ付け、

「不幸」そのものの恐ろしさを人の心に植え付け、そうする事でまた「幸福」の価値を一定に保つことにあるのです。善なる運命・白い渦ジルヴェスは逆です。人は幸福に慣れた瞬間から、幸福であるという自覚をなくすのです。その安定した状況のなか人間が本能的に求めるスリルを、ジルヴェスが与えるのです。そしてまた人は、「幸福」へと帰っていく。二つの運命はそうして互いの必要性を引き立て合い高め合って存在する、この世の必要悪であり必要善なのです。

 長くなりましたが、この辺で終わりにしたいと思います。


 エヴィルドは手紙を持って船室を出た。甲板から見渡す限りの海、彼は縁に寄りかかって月に照らされた海と見、そのさざめきをひとしきり聞いていた。

 ようするにオレは、あいつらに騙されたってことか。

 彼は自分の馬鹿さかげんにいいかげん腹が立つ思いだったが、なぜかこころの底はひどく静かだった。

 彼はアスティのこれからの幸せを願った。いや祈ったといった方がよかったのかもしれない。三日月を見上げながら、今頃王宮でなにが起こっているかも知らずに、彼は月を見上げ、海を見下ろし、あの女に幸せが来ますように、静かに白い息を吐きながらこころのなかで呟いた。ただひとつ心残りは、自分に間違いを吹き込みアスティを襲わせたあいつらに仕返しできなかったこと、一方的にこの船に押し込まれ、彼らのことをアスティに教えてやることができなかったこと。

「まあいい」

 彼は縁に掴まり三日月を見上げた。なぜか笑いが込み上げるほどの銀の三日月。

 とにかく、あの幸うすい女に、幸せが来ますように。

 そして彼は、まだ最後まで読んでいない手紙を開いて、月の光の下で読んだ。


 最後に言わせて頂ければ、私は、主君に出会えて幸せでした。後悔したことも、歴史と時代を恨んだことも、また始めからこういう道をたどらせた運命に感謝しこそすれ、憎んだことはありません。

 あなたと出会ったことも、きっと時が経つにつれ意味を為してくるでしょう。

 しばらくお会いすることもないでしょうが、旅のご無事を心からお祈りしています。


                               アスティ

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