慟哭の心 6
「陛下……」
連絡を受けて、魔法院からラウラたちがやってきた。入り口からではなく、窓からやっときてほしいとの国王の申し入れ、紙片についた微かな血、さぞ訝しく思ったことであろう。
「看てやってくれ」
セスラスは何も言わずにアスティを示した。
「! ……」
「ア、アスティ……」
彼らは絶句してアスティに歩み寄った。ラウラが詠唱するなか、セスラスは仲間たちに今日のいきさつを話して聞かせた。
「緑止草を四年以上も!?」
「狂ってる……」
彼らは顔を見合わせた。妊婦にそれだけのことをさせてしまったのなら、アスティでなくとも死にたくなるほどの責任を感じるだろう。
「あまりに平静を装っていつも通りに振る舞うので、つい油断した。すまないと思っている」
「陛下……」
「そんな、おやめ下さい」
頭を素直に下げたセスラスを慌てて引き止め、仲間たちは顔を合わせた。
「とにかく一度魔法院に戻り導師がたと相談して参ります。私たちだけでは判断しかねますので」
「ラウラ、残ってくれるね」
シルヴァが言うと、ラウラは言われなくとも、という顔でうなづいた。
「それでは明日……」
セスラスはうなづいた。仲間たちは〈移動〉の魔法で魔法院に帰り、ラウラとセスラスと、眠るアスティだけが残った。
「さぞかしオレを恨んでいるだろうな。もっと気をつけていれば」
「いえ陛下……もうそんなにご自分を責めるのはおよしになってください。それだけ言って頂ければ、もう」
セスラスはアスティを見た。死人のような顔をしている。
「治癒能力が低下してしまうので回復を急ぐことはできません……」
ラウラはアスティの手をベッドのなかに入れてやりながら言った。白い顔が暖炉の火の光を受けて赤く染まる。
「慌てないでいい。ゆっくり休ませてやってくれ」
ラウラはうなづいた。外を見ると、ああどうりで明るいはずだ。
外はきれいな三日月だった。
そういえば灯りをつけずにここまで来たのだった。こういうことは、我を忘れていると気が付かないものだとラウラは思った。
「陛下、もう遅うございます。お戻りになられては」
「うむ」
セスラスがこたえたので、ラウラは彼の退室を待った。
「……」
しかしこたえたまま彼が考えるようにして手を顎にやったので、ラウラは不審に思って思わず聞き返してしまった。
「……陛下?」
「ああ?」
セスラスも我にかえってこたえる。
「……あの?」
ラウラはてっきりすぐに出ていくと思っていたのだが。まだ何か用があるのだろうか。 なにか自分がしなくてはならないことで、まだそれをしていなくて、セスラスはそれを待っているとか? まさか。
「うむ。実はな」
セスラスは真顔で言った。
「帰り方がわからんのだ」
「---------はっ?」
帰り方っつったって……ラウラは思った。扉を開けて、廊下を歩いて、部屋に行けばいいのだ。来るときだってそうしただろうに。と、思って、ラウラはふと、
(どうして陛下は離れた場所からアスティのことがわかったのかしら)
という、基本的な疑問が浮かぶのを自分でも認めていた。
「……」
この方は、どうやってアスティの危機を知ったのだろう。
「なにしろ来るときは、勝手にこいつに連れてこられたからな」
セスラスの言葉は続いてなにかを呟くようだったが、考え事をしていたラウラはそこまで注意を払うことができなかった。ただ彼女が見たのは、そのセスラスの言葉に顔を上げたラウラの目の前に、なにか、クリスタルをはじいたような音とともに、白い渦状のものがセスラスを取り巻いて現われたということくらいだろうか。
「---------」
「導師たちから話は聞いているだろう」
言われて思い立った、ジルヴェスだ、と。
「やれやれ。こいつに連れてこられたのはいいが、どうやって帰る? アスティなら〈移動〉を使うが」
「よかったら私が……」
キラ……
ジルヴェスが一瞬光った。アスティの胸元も同じように一瞬光ったかと思うと、青い残像を残してセスラスは、部屋から消えていた。
「うそ……〈移動〉……?」
仲間たちは代わる代わるアスティの看病に来た。肺炎を理由に臥せっているが、事実を知るのはセスラス以外ではアリスくらいなもので、頻繁に訪れては、仲間たちに食事をそっと運んでくれたりした。
セスラスはあまりよく知らないが、導師たちも頻繁に来ているらしい。この季節、会議は数がめっきり少ないので、すべてをディレムに任せ、どうしても出席しなければならないようなものは、やっと一時間近く出現が可能になった[影]を出させ、セスラスは魔法院に入り浸った。書物を漁りまくり、古代文字はたどたどしくも読み取り、読めない太古の文字や魔法文字はアスティの六人の仲間たちのうちの誰かをつかまえて教えてもらったり読んでもらったりした。
彼が調べた結果によれば、セスラスとアスティは、[影]を出せるくらいの実力まで追い付いている。そこまですると、今度はアスティの能力を、アスティの渦を媒介にして、自分の渦に取り次ぎ、結果的に自分が使えるということがわかったのだった。この間彼が私室に〈移動〉できたのもそのためだといえる。仲間たちはせっせとアスティの看病に来てくれている。知りたいことがわかった以上彼もリザレアに戻らなければならない。[鍵]をしていないから、[影]の見聞きしていることがすべて耳から入ってくる。いや、渦から、といったほうがいいだろうか。
アスティはこの前意識を取り戻したらしい。が、ほとんど食事のとき以外は眠ってしまうそうだ。アスティは癒しに眠りを使う。眠ることがアスティにとっての癒しになる。循環が悪いのか、彼はまだ意識を取り戻してからのアスティには会っていない。もしかすると、アスティはそれを狙って眠ってしまっているのかもしれない。自分がなにをしたかを、よくわかっているのはアスティ自身なのだ。
「でもミーラ」
「あーん?」
本を読むミーラにリューンは言った。傍らではアスティがすやすやと眠っている。
「止血の仕方は完璧だったよ」
ミーラは顔を上げてリューンを見た。
「そうだな。あの状況であれだけできるたぁ陛下も大したもんだ。気が付かなかった」
「やっぱりあの方は凄いね。でもいったいどういう生活をしてらしたんだろう……」「さあな。流浪時代が長い、冒険者をやってたって聞いてるくらいだ」
ミーラはまた本に目を通した。勉学にはいっさい触れないような大きな身体のミーラだが、魔法院でひとりの導師の一番弟子を名乗るだけあって彼の空色の瞳からは並々ならぬ知性が感じられる。
その夜セスラスがアスティのもとを訪れた。アスティは相変わらずこんこんと眠り続けている。ミーラとリューンは気を遣ったのか、いつのまにかいなくなっていた。庭にでも出ているのだろう。
(目覚めたくないのか)
<楽になりたい……少しの間だけでいい……>
セスラスはアスティのあの日の言葉を思い出している。
目覚めないことで逃げているのだ。死すら許されない苦しみのなかから這い出すのは、終わりのない眠りのみ。セスラスは今までのジルヴィスが起こした遍歴を知っている。辛さはあじわった当人だけが知っている。なればこそ、もっと気をつけてやるべきだった。自分は『ジルウェス』、善なる運命、それが自分の役割なのだから。
ラウラは毎日のように来てくれる。心配なのだ。よく栄養のある果物などを差し入れに持ってきてくれたりする。
「もっと食べなよ」
「うん……」
しかしまだ皿にはかなりの量が残っている。ラウラはため息をついた。
「おかゆ嫌い?」
「……」
「夜になるとやっぱり食欲おちるね。身体が冷えるから果物も食べられないし」
「……」
「明日ね、カペル師とパウラ様が来るって。楽しみでしょ」
言ってから、ラウラはひくっと引きつった。
「アスティ~~~」
「---------え?」
「ひとりでしゃべってるよあたし」
「あ、ご、ごめん」
「いいけどねー」
アスティは窓の外に目をやった。
「王が……」
「は!?」
「……王も……傷は治ったかしら……」
「---------」
ラウラは黙った。なんでも、導師たちの言葉によると、二人は死の痛みのみを共有するらしい。アスティが自刃をはかったときにもセスラスの胸には同じ激痛が疾ったとか。そして時に、共有した痛みだけで片方が死ぬということもあるらしい。アスティはまだ少ししか起き上がれられないが、セスラスはどうなのだろう。平然としているから、きっと激痛を感じたのは、あのときだけなのだろう。とても複雑だ。
窓の側にはようやく暖かくなってきた春の日の光が、床に影をおとすようにして二人を照らしていた。
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