慟哭の心 3
4
エヴィルド・リエンはリザレア城アクティア・サンドデューンを見上げた。
昼すぎリザレアに到着した彼は、予想以上に厳しい砂漠の冬に小刻みにローブのなかで震えつつ、白い息を吐きながら窓の外に見える城の影を見続けた。酒場はなぜか扉が開け放しで、風はないものの、かといって冷たい空気を遮る目的はいっこうに果たせていなかった。
「はいよ兄さん、お待ち」
店の親父が彼の注文した食事をテーブルまで運び、彼が見ていたのが王城だということに気付くと、腰に手をやって話し掛けた。
「兄さんお城に興味があるのかい」
エヴィルドは食事にありつきながらああ、と低くこたえた。店の親父はひとなつっこい性格なのか、店が暇な時間のせいもあって話し続けた。
「きれいなお城だろ? あまりこのレヴラデスでは見られない建築だと思わないかい」
「あれはなんでも流浪王が建てたとか」
「ああそうさね。セスラス王が指導して造らせたんだ。立派だろ。あのお方も剣聖の称号を頂いたり封印王って呼ばれたりして、リザレアの誇りさな。まあ、それは今に始まったことじゃないけど」
「…………」
「ああ、アスティ様も忘れちゃいけないな」
エヴィルドの眉がぴくりと動いた。
「あの方は正にリザレアの守り神だよ。女神さな。あの方がいなかったら今のリザレアはもっと発展が遅れていただろうなあ」
「……彼女も城に?」
「ああ。そりゃあそうだ兄さん。あの方は参謀だもの」
「……」
親父は言うとごゆっくり、と告げてまたカウンターへ戻っていった。エヴィルドは食事を続けながら尚も城を見続けていた。
それから三日後、アスティは自室で砂漠を見ながらぼうっとしていた。冬は暇で、仕事もなく、部屋にこもって暖炉の火を見つめたり、本を読む気にもなれず、こうして砂漠をみつめることが多い。他にすることといえば、ふと思いついて部屋の方を見、[影]をつくってみたりするのみくらいで。肘をついてアスティは放心したように厳格な砂漠を見つめ続けていた。
私は砂漠で死にたい……。
そんなことを思っていた。アスティは砂漠が好きだった。愛していた。美しい砂漠、厳しい砂漠、いつも変わらず彼女を受け入れる砂漠。願わくば砂漠の砂の上で死にたいものだ、アスティがそんなことを思っていたとき。
「!」
アスティはなにかの気配を感じた。
---------呼ばれている。
直感してアスティは、〈移動〉した。次の瞬間には、彼女は自分を呼び寄せた者の波動をたどった末、砂漠の真ん中にいた。
そこには、一人の青年がいた。
「…………」
「アスティ・アルヴァ・ラーセ?」
「---------」
青年のただならぬ気配、アスティは密かに身構えた。
「名乗りなさい」
青年もアスティの放つ微かな殺気に身構えた。
「エヴィルド・リエン」
青年はそう名乗った。エヴィルド、口のなかで小さく繰り返すと、アスティは彼をキッと見上げた。腰まである茶色の髪をひとつに束ねている。色は白いほうだ。瞳は青い。整った顔立ちだが瞳の鋭さというか、残酷なような眼差しは普段からのものなのだろうか。
「---------何の用」
「さっそくで悪いが貴女には死んでもらう」
「!?」
「なに、評判を聞いたのでな」
「評判? なんの……」
---------ドン!
アスティが言い終わらないうちにエヴィルドの魔法が炸裂していた。アスティのいた場所には黒煙が立ち籠め、砂は微かに焼けている。
「---------」
「今のは挨拶がわりだ」
「なんのつもり」
「なに……」
彼は自分の魔法をいとも簡単によけてすでに体制を整えているアスティに肩をすくめてみせた。
「あんたには消えてもらう」
「……誰に頼まれて」
「いんやオレの意志でさ」
「……」
「あんたみたいな完璧な人間は嫌いでな。で、ある連中とうまがあってそいつらが協力してくれて、魔力が倍になったってわけ」
「ある……連中……」
「みんな聞いたよ」
エヴィルドは素早く詠唱した。
彼の周囲の空気が見る見るうちに冷えていく。
「!」
「あんたが呪われた女だってこともな!」
ヒュッ……
「! ……」
アスティは咄嗟に飛びのいて詠唱した。が、それも完成する前にエヴィルドの猛攻に阻まれる。
「言いなさい。ある連中……『奴ら』は誰なの!?」
「そんなことよりも自分の身の上の心配をするがいい!」
ひゅごう!
「…………」
エヴィルドは煙幕の向こうで腰を低くしてこちらを睨むアスティの姿をとらえていた。「ふん、さすがだ」
「---------」
目を細めて自分を睨むアスティにも怯まず、エヴィルドは砂の上で腕組みをした。
「どうして……」
「もともとあんたたいな人間は嫌いなのさ。完璧面していい子ぶって。まあオレがあいつらに話を聞くまではそれどまりだったけどな」
「……」
「あんたが呪われた女だって聞いてからはいよいよ我慢できないね。なんだ? あんたは自分が周りの人間を不幸にしても全然平気ってわけか。普通なら悔いて隠遁するなりどっかに隠れるなりするけどな」
「---------」
「知らないふり、偽善面して今の地位に居座りか。オレはそういう女が一番嫌いでねえ」 呪われた運命……。
「のろわれた、おんな……」
どちらがどう違うというのだろうか。なにも変わらない気がする。
「とにかく、」
エヴィルドは詠唱しながら言った。
そんなことは並みの魔導師ではできることではない。彼の言う『あいつら』に魔法能力を伸ばしてもらったのだとしても、彼の根本的な能力もまた相当なものだろう。
「あんたには死んでもらう!」
「!」
アスティは一瞬の判断で両手を差し伸べ妙な形に組んだ。
「うっ!?」
煙幕の向こう、身の切れるような殺気にエヴィルドの全身が硬直した。
「驚いた……」
白い煙が晴れるなか、アスティの低い呟きが聞こえる。
エヴィルドは鳥肌がたつのを感じていた。彼女の声にでもなく、その殺気にではなく、存在を侵される根底からの恐怖にだ。彼は戸惑いながらも詠唱しようとしていた。
「あなた私に勝てるつもりでいるの!?」
エヴィルドは全身が吹っ飛ぶような強烈な圧力をにぶい音と共に感じた。
「!? ……」
彼が押しつぶされるような強力な圧力に必死に抵抗する内に、アスティが不気味なほど音もなく近付こうとしていた。
「あなたに……あなたなんかに……私の気持ちの何がわかるっていうの!」
四方八方から彼めがけて巨大な火の玉が襲ってきた。彼は自分を襲う圧力に必死に抵抗するのに夢中で、詠唱することも当然予想されたアスティの第二の攻撃に対する身構えもすっかり忘れていた。
凄まじい攻撃の連続……!
エヴィルドに一切反撃の余地を与えない。彼は身を守るのが精一杯の状況のなか、これが本当の戦い方なのだと心のどこかで思っていた。先程のように圧力を与えて反撃の余裕も精神も完璧に封じこめて、間髪入れず攻撃を繰りだす。完璧な戦い方、すべてを心得た。
「く……そ」
彼も負けてはいられない。顔を庇いながら、アスティの猛攻に耐えながら、嵐のような魔法攻撃の中彼も必死に詠唱した。
「!」
アスティは表情を険しくした。今激しい抵抗を感じた。案の定、彼を攻撃していた魔法の数々が無効化されている。
「……」
「やるじゃねえか」
エヴィルドが言って詠唱しようとする前に、アスティは既に攻撃を始めていた。力場の影響からか、髪がさわさわと波立っている。
「生かしては帰さないわよ」
どこかで不吉な風が吹いている。それに髪を揺らしながらエヴィルドは叫んだ。
「正体表しやがったな! 呪われた女が……死にやがれ!」
アスティの険しい表情が一瞬鬼神のようにいっそう険しくなった。アスティは叫ぶようにして詠唱を始めていた。
「大気に舞う大気、風の乙女よ 我の声に導かれ今この地に現われよ我の声我の血我の視線をとらえすべてを切り裂く風となれ!」
「うっ……」
「〈烈風〉!」
波のような波動が全身を駆け抜けたと思った瞬間エヴィルドの全身が激痛を叫んだ。彼が目を開けた時彼の全身は薄く切り裂かれ血にまみれていた。
「っ……くっそ」
「あなたなんかに! あなたなんかにわかってたまるものですか!」
エヴィルドはハッとして顔を上げた。アスティの波打つ髪。彼女から感じる圧倒的な威圧感。しかしアスティは泣いていた。泣きながら必死に彼を睨んでいた。
「---------」
「私が……私が---------ど・れ・だ・け」
アスティの周囲の空気が赤く染まった!
「炎霊よ」
アスティは叫んだ。
「大地と天に眠り大気に身を潜めし太古にして神秘の精霊よ 我が呼ぶ我が叫ぶ今我の言
葉すべてに感応し---------」
エヴィルドの目にもアスティに向かって空気が一気に凝縮されていくのが見えた!
「我の意志我の目となりて我の命に従え!」
---------
エヴィルドが覚えているのは、ここまで。
数日後国王セスラスのもとへ砂漠で起きた原因不明の爆発の数々についての報告がなされたが、そのことはそれきり王宮に持ち出されることはなかった。
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