慟哭の心 2
3
男は青い長衣を着ていた。年の頃は六十くらいか、頭に髪の毛は一本もなく、終始にこにことしている。
「運命……の……神殿……」
「左様。運命のお告げ所の総元締めじゃ。儂は神殿司祭・ロイ・ロスルティと申す。ジルヴィスの宿主殿と、ジルヴェスの宿主殿」
「私は……アスティといいます」
「私はセスラス」
「ようこそ、運命の神殿へ。ようこそ」
「…………」
二人は顔を見合わせた。
「うむ。あなた方をここへ呼び寄せたのは儂です。その理由がお聞きになりたいか、よろしい」
ロイ司祭は身を翻して祭壇へ歩み寄った。
「かの昔古代王国に『運命』の国あり。最大にして最強の二つの運命、名を、
ジルヴィス。
ジルヴェス。
周囲或いは、本人すら気が付いている相手への愛を隠し、会えばいがむばかりの両者、しかして強力なり。
双生の能力持ちながら対極の性質、
一つは呪われた
一つは善きもの
自体が呪われているのではなく起こす性質が呪われる。また善もこれに同じ。
二つは協同体、一つの生命を共に生きる。
一つが死ねば片方も、宿主が死ねば片方も」
歌うように言い終えると、彼はまた二人を振り返った。
「---------」
「……つまり……」
セスラスが重い沈黙を破って呟いた。
「左様。アスティ殿が死ねばセスラス殿も。セスラス殿が死ねばアスティ殿も」
「……そんな」
「身体に容易に傷がつけられなくなりますな」
「そう。しかしかすり傷程度のものは共有しません。お二人が共有するのは死と、それに致る痛みのみ、つまり致命傷ですな。片方が致命傷を負えば、同じ痛みを片方が」
「……それを言うためだけに……?」
「そしていま一つ。あなた方は自ら死期を選ぶことはできません。【時】が来る日まで長らえなければなりません。あなた方の死ぬ時を選ぶのは【時】のみ」
「【時】……」
「そう。あなた方は、【時】が来るまで、死にません。死にかけても、それが死ぬ【時】でなければ、なんらかの方法で生き延びましょう」
アスティはうつむいた。
それでは、いつかリザレアが自分を必要としなくなった時、この世を去ろうと思っていた自分の思惑は、見えない手によって阻まれたことになる。アスティは必要以上に現在を生きぬく気力を持ち合わせていなかった。
「……」
「---------では、アスティが先頃自刃したことについては?」
アスティはセスラスの声にハッと顔を上げた。
そういえばそうだ。もしロイ司祭の言うことが本当ならば、ケスイストⅢ世に命じられてセスラスの生命と引き替えに自分が自刃をはかったとき、セスラスも同じ運命に遭っているはずだ。
「それは、わたしによってこうして封印が解かれなかったからです。こうして形のないものに対しては、封印というものは型を成さず言霊で封じられる。私があなた方にこの事を教えず、あなた方がこの事を知らなかったからです」
「---------」
「ああ、ついでに言うと、あの時アスティ殿を支えたあの赤い光、あれはジルヴィスのしわざでしょう」
「ジルヴィスの……?」
「そうです。あの時はまだ制約が解かれていなかったのでジルヴィスは現われることができなかった。しかしあの時アスティ殿を助けなければアスティ殿は間違いなく死に致っていたでしょう。【時】ではないのになぜかと聞かれれば、それはあなた方が【時】のことも運命のことも知らなかったから」
「……それでもジルヴィスは私を生かした」
「そうです。何千年も待って、制約も解く前に死なれてはたまらないといった調子でしょうな、ジルヴィスの言葉を代弁するとしたなら」
「---------」
「姿を現わすことも自らアスティ殿を救える立場にまだいないゆえ何もできなかったジルヴィスは、姿を現わさず自分の力を何かに移らせてあなたを救うことを思ついた。それ、そのルビーは、あなたのただならぬ想いが詰まっているようだ。だからやりやすかったのでしょう」
セスラスはアスティを見たが、そんな彼の視線と司祭の言葉に、アスティは顔を背けてごまかしただけだった。
「では私が今まで多くのひとを巻き込んだのは」
「それはカーファジェナも言った通り、ジルヴィスが駄々をこねた結果です。しかしそれだけではない、安定期に入っていないジルヴィスは自分の能力、人を巻き込むという能力が暴走するのを抑えることができなかった。それを抑えられるのはただひとつジルヴェスだけだった」
ザ……
「ジルヴィスの安定期、それはジルヴェスと共にいること。今の時代、本来あるはずのない外の世界での職をわざわざ持ってきたのは長老ワルスのしわざ」
「……長老の……」
「そろそろジルヴィスの限界だということを知っていたのでしょう」
「御存じなのですか、長老を……」
「懇意の仲です」
「…………」
「そして、お聞きなされ、おふたり供。お二人はあの古代王国の時代から預言されていた方々。これから実に多くの困難がおふたりを待ち受けましょう」
ザ……サ…… ……ザ……
「くじけてはなりません。渦に翻弄されるのではなく共に生きることを学ぶのです」
ロイ司祭はアスティの方を向いた。
「呪われた運命・ジルヴィスの宿主・アスティ殿。
呪われた運命を持ちはしても、あなた自体は違う。あなたはとても心の優しい方だ。ひとを愛する心は人一倍、強い心にあふれている。しかしそれだけに渦の持つ性質にあなたはいつも泣いてこられましたな。
ジルヴィスがあなたを宿主にしたのも偶然ではありますまい。
欠点のない人間はいない。欠点のない人間を人は嫌う。欠点のない人間は、陰がない」
ズ…… ザ……ァ……
「あなたに宿る、ジルヴィスがあなたの欠点。
そして生まれてもったその星の強さも」
「---------……」
ザ……ザ……ァ……
「そして善なる運命・ジルヴェスの宿主・セスラス殿。
あなたの今までの悪運の強さ、ジルヴェスのおかげだと思いなさるな。あなたの強運は天性のもの。そして強く優しい心。
ジルヴェスがあなたを選んだのも偶然ではありますまい。あなたはジルヴェスに選ばれた。しかし、宿主である以上は、あなたが先導権を握るのです。
お忘れなく、ジルヴェスがあなたに逆らえないということを」
ザ……ザ……ァァ…………
「それはあなたもです、アスティ殿」
セスラスはアスティが先程からわからないほど微かにかたかたと震えているのに気付いていた。
「そ、それは……」
アスティはやっとのことで口を開いた。その声の薄さは、痛々しいほどだ。
「私の両親が亡くなったのも……ジルヴィスの、……私の?」
怯えた子供のような横顔。セスラスはあの日のアスティの顔を思い出していた、両親のことを静かに語るアスティ。
『私の両親は早くして死にましたから』
『……捨て子でしたので』
『父はエーリック、母はマリエ・イザベル。それだけわかっていればいいのです』
ザー……ァ……ァァ……ザ……
「いや、それはありえません。幼い肉体に宿った運命というものは、本領を発揮することができない。それは誰のどの運命にしてもそうです。ご両親は魔法院に迷惑がかかるのを恐れてあなたをあそこへ置いていった。導師たちはあなたが誰の子かわかっていたはず。 それをあなたが大人になるまで言わずにおいたのは、精神的な衝撃に耐えられるようにとの彼らの配慮」
ザ……ザ……ァァ……ザァ……
「そんな……」
アスティは絶句した。もとより両親は、最初から死ぬつもりでアスティを置いていったのではない。ただ赤子の彼女にはきつすぎる逃避行、うまく逃げおおせてから、魔法院に戻るつもりだったとはいえ、自分たちの運命をある程度予測していたことは否めない。
「そんな気を遣わなくても、魔法院のような忘れられた伝説の場所を、いったい誰が中傷
するというの……そのまま逃げ込めば安全だったのに……---------両親と暮らすことができたのに」
セスラスは両親と暮らした記憶のないアスティの寂しい幼少期を思った。あまねく導師たちが彼女の父、彼女の母、彼女はそうして育てられた。母の記憶もなしに。魔法院広しと言えどアスティのように両親が捨てた、否、置いていったという例は他にはない。そもそも魔法院の領内に入って子供を捨てるなどはふつうの人間にはできないのだから。
共に暮らせたのに、あえてそうしようとしなかった父と母。
与えられたものが、他にあろうか?
ザァ……---------……ァ……ザ……ァ……
「!?」
「王、これ……は……!」
気が付くと二人の足首の辺りまで、いつのまにか水が浸っていた。分かれた水が元に戻っているのだ!
「なっ……」
騙された!
二人はとっさに思った。何を騙されたと言われればはっきりと言えないが、しかしこうなるとわかっていながら何も言わなかったのなら、確かに騙されたといってもいいのかもしれない。
しかし違った。
「さ、早くお行きなされ。もうすぐ水が元に戻る。この神殿の人間以外は耐えられますまい。さ、早く」
ザァァァァ……
「あちらの戸口から。さあ」
「最後に……一つだけ」
「なんなりと」
「カーファジェナは……ここの?」
ロイ司祭は重々しくうなづいた。
「あれには、気の毒なことをしました。……長い間。今はここの巫女として霊となって帰っています」
「そう……」
アスティはカーファジェナの姿を思い浮べた。
《沈黙の丘へ!》
「よかった……」
彼女には、助けられた。
ザァ---------……
「アスティ」
「……はい」
ふたりは向かって右側の小さな戸口から出ていこうと歩き始めた。既に水は膝まで迫ってきていた。
「また、……また来なされ。迷った時には」
ふたりは振り向いた。
そう……また、ここで彼の助言を必要とする時が、一度ならずあるだろう。自分はそのたび、彼と唇を重ねては辛い思いをしなければならないのか。
ふたりはうなづき、ひどく歩きにくいなかを、必死に進んでいった。水は膝のうえまで来ていた。
「---------王!」
アスティは絶望的な悲鳴を上げた。
行き止まりなのだ。通路は一本、他に部屋はない。水が胸まで浸かってきて、既に立ち泳ぎ状態だ。天井に頭がつく。
「両親を、恨んでいるのか」
「---------……」
アスティが天井に触れなんとかならないかと思案していたとき、意外に静かな声でセスラスが問いかけてきた。アスティは戸惑った。
「いいえ……この世に生んでくれたのです。感謝しこそすれ、どうして私が父と母を恨みましょう」
水がざぼんと流れてきた。一定間隔で徐々に戻ってきている。二人の口元まで水がせまり、あと一回か、少なくとも二回の還水で二人は完全に水のなかだ。
「ただ……寂しいのです。逃げ隠れせずその身をさらし運命のおもむくまま死んでいった両親の生き方を尊敬しています。でも……やっぱり寂しいのです。母の愛を知らずに生きてきました。母の代わりに多くの導師さまが私に愛を注いでくれました」
ザ---------!
勢いよく還水した。二人は顔を天井と平行にして、ほとんど天井に顔がくっつくくらいにしなければ呼吸できないまでになっている。しかし水の勢いは激しく、時折波打っては揺れ、鼻のなかに入ってくる。
「---------……!
でも……私は母との記憶が欲しかった。父の強さを知りたかった」
ブ……ン……
アスティの身体が光った。光は彼女の身体を離れうなりを上げて天井に吸い込まれていったが、なにも起こらなかった。アスティはため息をつく。
「だめです。やはり外部からの物質的な衝撃は受け付けないようです」
そう、だからこそ何千年もの間海水に浸っていながらも完璧な状態のままで残っていたのだ。
次の還水で……沈む!
「!」
セスラスの目に激しい勢いで流れ込む水に翻弄され、水を飲んでもがくアスティの姿が映った。
空気の激しい抵抗の音。息が……できない!
目の前の徹底的な危機に彼は気が狂うほどの恐ろしさを感じた。アスティは激しくもがいている。
……………………
助けてやらねば、そう思い手を伸ばしたが、苦しさゆえか水の勢いゆえか、伸ばした腕すらも翻弄されそれすらかなわぬ。
青水晶だけで創られた秘密の神殿の、青い海の水のなか、青い薄衣をまとったアスティは、背景にすべて溶けこんでしまいそうだ。幻想のように美しい、そんな言葉しか浮かばない。
…………と…………
セスラスはなんとかアスティの側まで泳ぎついて、もがくアスティを水中で抱き寄せた。 それに気付いたのか、アスティはもがくのをやめる。しかしそうしたところで、一体なにが変わるというのだろうか、否、なにも変わらず、ただ息が苦しいだけで。
……と……が……れり……
アスティは幼い頃、箱の中の水を大きく揺らした時のことを頭の隅で思い出していた。 大きく揺らすと激しく水が揺れ、左右したあげくざぱんざぱんと表へ流れるのだ。部屋の中はまさにその状態に似ていた。凄まじい勢いで左右するのでふたりは嵐の大海に投げ出されたように不安定で、かついつ死ぬともわからない恐怖にさらされていた。もう、あと少しで肺のなかの空気すらなくなる。セスラスがそう思ったときだ。
彼の頭に、なにかが浮かぼうとしている。
し……と…………は…………れり……
腕のなかのアスティが激しくもがいた。彼の目にもここらが限界だった。そして、もう自分も。
ふたりは、ただでさえ青い海水が青水晶に照らされてなおいっそう青い中、大量に水を飲んだ。
耳がひどく鳴っている。頭が痛い。
……来たれり………………
また水が流れて来た。
勢いで身体が流れ、新たに水を飲む。大海の木の葉のように不安きわまりないふたり、そしてふたりはまた大量の水を飲んだ。
ガボガボ……!
死……!
二人の肺からとうとう一分の空気もなくなり、入ってくるものはとうとう海水だけとなった。
---------何だ……?
セスラスの頭がなにかを思い出そうとしていた。何か、それは自分でもわからない、ただ何か来るのだけはよくわかる。
---------来る。
来る……!
白と黒が……---------来る!
白と黒が重なる時、時は来たれり。
水中で彼の瞳が見開かれた。
こういう事か!
彼は腕のなかでもがくアスティの唇を無理矢理奪った。一瞬激しく抵抗したアスティだったが、それは絶対逃げきれない恐怖を前にしての混乱だったのか、それに、所栓は女の力、彼の方が力では勝っている。
パ……リィ……ンン……
パ……ア……ァン……
「!」
胸が大きく空気を吸った。二、三度咳き込んで肺が抗う。
ふたりは、外にいた。
閉じようとする海のはるか上空に。
腕のなかでアスティが激しく咳き込んでいる。彼女のほうが水を多く飲んでいるのだ。 気付いて、その肩をそっと抱いてやりながら、セスラスはそれでも閉じようとする海から目を離せないでいた。苦しさで意志に反した涙が出て、アスティはそれでも未だ咳き込んでいた。息がとても荒い。その息をやっと整え、肩で息をしている彼女に、セスラスは静かに言った。
「---------見ろ」
ハアハア言いながらアスティはその視線を追った。
神殿の姿が、今まさに海にのまれようとしていた。
ああして、神殿は永遠に存在するのだ。
今後何度、あそこへ行くことになるのだろうか。
「あ……」
アスティが荒い息のなか小さく呟いた。
二人の姿はもう、もとの白い夜着へと戻っていた。
(不思議なところ……)
そしてふたりは思い知った。
互いに離れられぬこと、死すら、ふたりを簡単には分かつ事はできないということ。
それは、果たして喜ばしいことなのか。
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