第Ⅳ章 慟哭の心

《かのローディウェールが滅んでから数千年……わたくしの使命は、転生し宿主に宿ったジルヴィスとジルヴェスに出会い、両運命に翻弄される宿主にその〈名〉を伝える事》《二つの運命は互いに憎み合い、嫌いあうようなことを言ってはいても、互いを愛し合っているのです》

《わたくしの使命はただそれだけ……》

《たったそれだけのために……》

《……数千年……》

 カーファジェナ……。

 そしてアスティもセスラスも、洞窟が崩壊しようとするときに見た、壁に刻まれていた言葉のことなど、すっかりと忘れている。

 そして運命は導かれ---------……---------。



                    1



 リザレアにも冬が来た。あの預言の開かれた凍天の月から早いものでもう一年、まだまだではあるが、各国からもやっと落ち着いてきたという朗報がぞくぞくと送られてきている。

 一方まったくといっていいほど公務のないこの季節、セスラスとアスティの訓練は続いていた。[心話]は、日々の訓練のたまものだろうか、やっとどこへ行ってもとどこおりなく話せるようにまでなった。最初は、扉一枚を隔てただけでもすぐに声が途切れてしまったものだが。そして二人は、巫女カーファジェナが言った、「それ以上のこと」の意味がわかるようにまでなっている。

「陛下、例の徴税の件ですが」

 ノックをして執務室に入ってきたディレムは、椅子に座るセスラス、側に立つアスティと……それからもう一人、アスティの隣に立つアスティを見た。


     白と黒重なる時、時は来たれり。


「?」

 ディレムが何かの幻かと思って目をこすると、次の瞬間アスティはやはり一人だった。「どうした」

「あ、いえ……」

 そんなことは気にもとめず、ディレムは用件だけを述べ、しばらくアスティの意見も交えて三人で話し合った後、また出ていった。二人は顔を見合わせた。

「危なかったな」

「でも一瞬のことです。きっと幻覚でも見たと思うでしょう」

 アスティは言うと、また自分の隣のなにもない空間に目をやった。意識してこころを集中させる。

「……」

 やはりそこには、もう一人アスティが立っていた。が、それも一瞬、すぐに消えてしまう。

「今の状態では一瞬が限界ですね」

「心話以上のこと、か……」

 セスラスはため息をつきながら、段々と人間離れしていく自分たちの能力に呆れ果てていた。彼らはこれを[影]と呼んでいる。まだ使えるようなものではないが、これが一定時間出せるようになれば、今までのように周囲を気にして表へ出ることもなくなるとは、嬉嬉として言ったセスラスの言葉だ。訓練がすすむたび、二人はそれが実現可能だということをますます思い知った。[影]は心話と違って長時間出しているのにはかなりしんどい。


     白と黒重なる時、時は来たれり。


 しかし、これを徐々に慣らしていけば、自分と同じように振る舞わせることも不可能ではない。五分も出すことができれば、[影]は口をきき、考えることもする。要するに、「もう一人の完全な自分」なのだ。遠隔操作でしゃべらせたりする必要はなく、本体の人間の思考そのもので行動ししゃべるということもわかってきた。しかしそんな便利な分、訓練と能力の具合によって[影]である時間が限られてしまうので、永遠に[影]に本体のふりをさせることはできない。また[影]は二人のそれぞれの渦が創りだすというのも、その目で確認している。つまり、[影]は余計な知識を得て、本体そのものになり得ようとすることもしないのだ。なぜなら、[影]は渦によって創られ、渦は宿主には逆らえぬものであるから。

 そしてまだまだ完成とは程遠い[影]の訓練を続ける凍天の月の半ばの、その月の夜、アスティは夜眠ろうとしてなかなか眠れず、起き上がってテラスに出て、ひとり月を眺めていた。

「……」

 深呼吸すると……真新しい夜のにおいがする。冬だというのに、今日は朝からぽかぽかとして暖かかった。どこからか海の音がして、アスティは海の方へと目を馳せた。

「……あ」

 アスティはなんの前触れもなく思い出した。あの日のあの時、壁に刻まれていた言葉。


     白と黒重なる時、時は来たれり。


(そういえばすっかり忘れていたけれど)

(あの言葉はどういう意味だったのだろう)

 きっと今まであったいくつもの啓示を、神殿のように彫っていたのだろうが、それにしても興味深い。しかしあの洞窟がもうない今、調べたくとも調べられない。アスティが再び月を見上げた時である。アスティはふわりと飛んだ。

「! ……」

 明らかに自分の力ではなかった。戻ろうと思って呪文を唱えても、なんの変化もないのだ。アスティは状況に身を任せて空へと向かった。そして下にリザレアを見下ろし、砂漠と海が見える場所まで来ると、そのまま彼女は空中で静止した。

「…………」

 アスティは次になにが起こるかわからないまま、月を見上げていた。胸がどきどきするほど美しい晩だ。こんな夜は、彼女でなくとも眠れないだろう。こんな夜は、幼い頃を思い出す。こんな夜は、ひとのこころをくるわせる。

 と、その時背後に人の気配を感じて、アスティは恐る恐る振り向いた。

「……王……」

「風流な月見だな。人のことは言えんが」

「……」

 セスラスは浮遊したまま辺りを見まわした。口には出さなくとも、二人ともこう言いたかった、一体これはどういうことなのかと。

「急に目が覚めてな。月でも見ようと思ったらこうだ」

「……」

(同じだ……)

(……私と)

(どういうことなのだろう)


     白と黒重なる時、時は来たれり。


「!」

 二人の視線が重なった。その瞬間。

 パリ……ィィン

 パア……ァァン

 現われた。しかし宿主がその存在を知る以上は、名を呼ばぬ限り渦は現われることはできないはず。それでは、ふたりにとって未知のものが渦を媒介にしてふたりを呼び出したということだろうか? ではこれから、いったい何が起こるのか? ふたりはじっと時を待った。

 しかしなにも起こらない。渦は相変わらずゆっくりと旋回を続けている。ふたりはごく至近距離にいるので、刻まれた言葉どおり、「重なって」いる。渦の触れた部分だけが相手の中を通りすぎ、そしてまた旋回を続ける。

「……重なって、……ますよね」

「うむ」

 二人は待った。ただひたすら、何かが起こるのを。しかし何も起こらない。

 重なり方がまずいのかと思って身体を近付けたが無理。

 重なる。

 渦は重なっている。なのに何も。

 重なる……。

 しかし、ではその宿主は?

「---------!」

 ふたりは同時にその事実に気が付いた。アスティにとってそれは、良い事だったのか悪い事だったのか。セスラスはうなづいた。

「王……」

 重なる、その言葉の意味を噛みしめて、アスティは急に心が重くなった。そしてそんな彼女に気付いてか気付かないでか、彼女の腕を掴んだセスラス。

「王……」

「道徳的な事を言っている場合ではない。宗教的概念で見ろ」

 言うや、彼はアスティの唇を奪った。影重なり、唇もまた重なる。

「…………」

 それは、必要以上に長く。

 身体が離れて、アスティはセスラスの顔をまともに見ることができなかった。また王妃に対する罪悪感も彼女を苛んだ。男の人は、アスティは思った。

(男の人は、『宗教的概念』、その一言で、こんなにも割り切れるものなの?)

 そしてアステイにそれだけの思いをさせた割に、周囲にはなにも起きなかった。

 ザ……。

 ザ……

「?」

「何の音でしょう」

 ザザザ……

 そして、それは「起こった」。

「……王……!」

 ふたりは目を見張った。

 目の前の海、南へと通ずるリザレア沖の海が、真っ二つに分かれている!

「…………」

 あまりの光景にふたりはしばし言葉もなかった。あの地底湖の風景とよく似ている、セスラスはちらりとそんなことを思ったりしたが、あの時はアスティひとりの力、今回は、ふたりの力による。この違いは?

 あまりの光景に、ふたりは唖然としていた。海底は砂地を見せ、暗い水は二つに分かれても尚滝となって流れている。そして、そして、その先には。

 青い宮殿。

 全体がすべて青水晶づくりの、あれは神殿。

「……」

 海底は深かった。深くて暗い。軽く五十メートルはあるだろう。渦は、あそこへ行けと言っているのだろうか? 旋回を続けたままなにも起こそうとはしない。

「…………」

 二人が神殿に見とれて沈黙していると、何もしないのに浮遊したままの身体が勝手に海へと向かいはじめた。抗いたくともできなかった。

「---------」

「---------」

 ジルヴィス。

 ジルヴェス。

 なにか関わりが?

 二つの渦は二人がぬれそぼった海底の砂をザッと踏みしめると、現われたときと同じようにまた、突然スッと消えた。

 ふたりは神殿へ歩きだした。

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