かつての仲間 4

                     2



 共に行くというエシャレルと、黙ってついていく意志を表したディヴァ、セスラスとアスティ、ラウラの五人は、急いで青葡萄の島へと向かった。竜というのはまったく馬と同じ手綱さばきをするというので、アスティ、ラウラ、セスラスの三人は一頭ずつ、エシャレル

とディヴァは同じ竜に乗ることになった。そもそも彼ら上位魔導師が扱う竜というのは異空間から召喚する中位のもので、竜の産地で名高いヴェヴの下位の竜よりは扱いやすいといわれている。

「ディレムには内緒だぞ」

 セスラスは旅立ちぎわ呟いた。聞き取ってアスティがわずかに笑う。無論王妃はこのことを知っているが、何もいわずに送り出してくれた。ディレムに言うのも筋だとは思ったがそんなことをしては絶対に止められるのを、セスラスは知っていたのだ。薄明るい空に舞い上がる竜四頭---------……海の向こうへと消えていった。

「この雨も『古き者』の復活を示す前兆よ」

 ラウラは雨に濡れながら前を見据えたままディヴァに言った。

「あの悪魔が復活すれば世界から光は消える。この雨は悪魔の波動が砂漠を覆っているなによりの証拠だわ」

 ディヴァとエシャレルは少し前を飛ぶアスティの後ろ姿を見た。

 背中は到って静かなものであった。ただ厳然と前を見据えているのはそれだけでもわかる。竜の翼はしゅんしゅんと風を切り、しばらくすると、黒い海の上に、小さな小さな島が見えてきた。青葡萄の島である。

 かの島はレヴラデス、北アデュヴェリアで唯一の孤島で、管理はリザレアがすることになっているが、絶海の孤島、暗礁がいくつもあり、船の墓場と恐れられ、近寄る人影もない。

 島の名前の由来は、古代の昔島にしか実らない青い葡萄からきているが、今は種も絶滅してしまって辛うじて名残りが見えるだけだ。また未知の青い宝石でできた葡萄状の鉱石が眠るという伝説も語られており、訪れる冒険者が後を絶たない時期もあったが、それらの大半は暗礁の見えぬ腕にとらわれ海の藻屑と消えたか、あるいは環境の厳しすぎる島での生活や魔物の多くとの戦いに敗れ土の一部となるばかり。

「……見えてきたわ」

 雨のなかアスティが低く呟いた。意識してやっているのだろうか、表情はまったく読み取れない。

 ここから先騎竜で行くのは危険なので、四頭の竜が土の剥出しになった平地に降り立ち、アスティは白い息を吐きながら遥か向こうに黒い影となってそびえている山を見た。

 おおおおおおおおお---------ん。

 低く、大地が鳴動するような、不気味な咆哮が聞こえる。『古き者』である。

「あそこだわ」

 アスティは呟くとセスラスとうなづきあった。その時、上空からサッと竜の影がさし、一行が上を見ると金髪の青年が騎竜している。第二十四の導師・ジェイラド・タリスミルズの一番弟子、マキアヴェリ・ド・ラーケンである。金の髪、金の瞳、彼のこの容姿は霧雨のなかまるで光の幻のよう。

「ヴェリ……!」

「アスティ。早く行かないと大変なことになるぞ」

 一同うなづきあっていざ山の方へ向かおうとしたときだ。

 アスティの足元を、いきなり炎を帯びた槍がかすめた。

「ここから先は通さんぞ!」

「シェイル……!」

 彼だった。久しぶりの鳶色の瞳。あの顔立ちは変わっていない。アスティは懐かしさで涙が出そうになったが、そんな彼女の想いを断ち切ったのは当のシェイル自身だった。

「アスティ。悪いがここから行かせるわけにはいかない」

 と、セスラスの方へと目をやり、ひどく憎しみ込めた瞳で睨むと、

「お前は行け。山頂でギルメス様が待っている。ヴェリ、案内してやれ」

「シェイル!」

「行け。ギルメス様は負けない。しかしアスティ、お前は通すわけにはいかない」

「……本当に彼が憎いのは私のはずなのに……」

 アスティは雨に濡れながら悲痛に呟いた。自分がいなければイムラルは死なずにすんだのに。確かに彼を殺したのはセスラスだ。だがその要因は他ならぬ自分である。アスティの濡れそぼった頬に一筋だけ熱いものが伝わった。

「アスティ。どうしてもここを通りあの男に追い付きたいと思うのなら、僕を倒してから行くといい」

「!」

「どうした。来ないのか」

 シェイルはバッ、と両手を広げた。

「ならばこちらから行く!」

「!」

 アスティは反射的に側にいたディヴァを突き飛ばした。ラウラの側にいたエシャレルは彼女に守ってもらえる余裕があったが、アスティは、今自分以外の誰かを守る精神的余裕はなかった。シェイルに攻撃されたことすら、唖然として跳ね返すことを忘れていたのだ。

 ゴォォオオオ!

 シェイルの足元から炎が真っすぐアスティの方へ地を這い襲ってくる。

「! ア---------」

 ディヴァはラウラに助け起こされながら叫びそうになった。が、炎はアスティの周りに瞬間張りめぐされた結界の周囲をなめまわすと、そのまましばらく結界を覆う。そのなかでアスティは悲痛な顔でシェイルを見た。

「シェイル……お願い。あなたとは戦えない」

「甘いことを言うな。君も同じ魔法院で修業した仲間だろう」

「……シェイル……『古き者』を復活させてしまうほどあなたのリザレアに対する憎しみは強いの……?」

 シェイルの顔が一瞬む、という顔になった。思わぬところを突かれたのだ。

「……そうだ」

「---------シェイル」

 アスティは結界を解いて身を乗り出した。

「あなたの両親を殺したのは大地の部族で王じゃないわ」

「同じことだ! 奴が大地の部族として王になったのなら! リザレアの王となったのなら!」

(そしてアスティ! 君の想い人なら!)

「シェイル!」

「行くぞ!」

 ガラッ---------!

 天空からアスティ目指して雷が疾った!

「!」

 ディヴァはラウラの張った結界のなかで息を飲んだ。

「大丈夫よ」

 が、ラウラはいたって平静だ。

「ほら」

 アスティのまわりを真円を描いて大地が黒く焼け焦げていた。が、アスティ自身には傷ひとつ負わせることができなかったようだ。降りしきる雨のなか、シュウシュウと音をたてて白い硝煙のようなものがしばらく漂った。

「……」

 アスティはうつむいていた顔を上げた。

「シェイル……」

「---------」

「お願い……もうやめて」

 シェイルはチッ、と舌打ちした。

「なぜ攻撃しない! 本気になれアスティ!」

 幾つもの閃光がアスティを襲った。アスティは抵抗しない。ただ結界のなかでじっとうつむくのみ。

「シェイル……いつのまにあんな実力を」

 ラウラも悲痛な顔でそれを見つめていた。

「---------なんとかならないんですか!」

「あたしたちが首をつっこむ問題じゃないわ」

「でもあのままではアスティ様が」

「あのこはやられない。やられないけど……」

(アスティわかっているの)

(復活は近いのよ)

 こんなところでもたもたすることはできないのだ。アスティの心中を強烈なジレンマが襲っているはずだ。

 早くセスラスのもとに追い付かなければならない。よしや彼がギルメスに勝てたとしてもすぐ近くには復活間近い『古き者』がいる。そしてそれを食い止めるためには、まず目の前で自分を阻む『敵』を倒さなくてはならないのだ。

「シェイル!」

「アスティ! いい加減に来い!」

 ---------ドン!

「---------シェイル!」

 シェイルはチッ、と舌打ちした。

「どうした。昔の君はもっと強かったはずだ。---------それともあの、どうしようも

なく責任感のない放浪男のもとですっかり骨抜きにされてしまったのか」

「---------」

 アスティはぐっと唇を噛んだ。うつむいていた顔をゆっくりと上げ、かつての仲間を睨み上げる。

「……シェイル。私の悪口はいいけど王のことを……」

 エシャレルの瞳に上空に光青白い閃光が移っていた。風がいよいよ激しくなり、しかし相変わらず雨は霧のように降りつづく。

「悪く言うのは許さないわ!」

 カッ!

 ---------ドン!

 シェイルを凄まじい雷が直撃した。閃光がディヴァの顔を白く染め上げる。

「……やっと本気になったようだな」

 硝煙の向こうからシェイルの満足気な呟きが聞こえてきた。

「では行くぞ!」

 ひとしきりの間二人は激しい戦いを繰り広げた。

 アスティが雷を呼びシェイルが大地を割り、主人の命を受けて現われたエフリートがシェイルに炎の網となって襲いかかったと思えば、アスティに鋭い刃のような雹が降りそそぐ。光は闇を孕んで二人を照らし、風が唸って真空の力を帯び、水の乙女たちが嬌声を上げて飛び回る。上が下、右が左になり、草地だった場所は焼け焦げてふた目と見られぬものと成り果てていた。

(シェイル)

(シェイル)

(どうして?)

(---------どうしてなの?)

 アスティは泣きたいのを必死にこらえて心のなかでただそれだけを叫んでいた。なぜこんなに苦しんでまで己れの道を生きなければならないのだ。残酷すぎる。それともこれが呪われた運命を持つ人間の宿命か。アスティが呪文を詠唱しながらシェイルの背後の山、今頃はセスラスとマキアヴェリが到着しているかもしれない山の影をその瞳に映したときだ。

「---------」

 アスティの目の前にいくつもの残像が現われては消え、凄まじい勢いでそれが幾度も幾度もただ繰り返された。それは、暗闇のなかで一瞬だけ雷が光景を照らすのとよく似ていて、現われては消え、消えては現われ、そのたび違った光景を映しだした。セスラスの姿、仲間たち、かつての魔法院での生活、海、リザレアの城壁、親友、砂漠戦争の日々、草原

で出会った狼、預言、石版、預言者、空、雨、馬、エルフ、魔神。激しい残像、意味のない残像、アスティの目の前でそれらが何度も何度も繰り返された。そして。

「---------」

 アスティは目の前に立ちはだかるシェイルの姿を見た。

「---------」

 それは彼であって彼でなかった。アスティの内にあるもの、心の内にあって彼女を苛み幾年にわたって苦しめてきたもの、呪われた運命ジルヴィスが、渦の能力を通してアスティに見せたシェイルの心の内。

 アスティは詠唱をやめた。

 一瞬荒野と化した二人の周囲に、耳鳴りも忘れるほどの沈黙が訪れる。

 ただ雨が大地をうつ音だけがやさしく聞こえる。

「アスティさん……?」

 ディヴァが白い息を吐きながら呟いた。エシャレルは息を飲み、ラウラは相変わらずただ黙ってそれを見守るだけ。

「……シェイル……」

 そう。そうだったの。やっとわかったわ、どうしてそんなに私に挑戦的に言ったかが。

 ---------私は、自分にしてもらっているほど、人の心に敏感ではないのかもしれない。 ごめん、ごめんね。

「……シェイル。これが最後よ」

 アスティは突然厳しい顔、厳しい声になって言った。詠唱中止のあと、いきなりのことだったので、シェイルもむ、と呟いて身構えた。二人はいっせいに詠唱を始めた。

「アスティ……」

 ラウラは悲痛な呟きをもらした。知らずぐっと拳を握る。

 それでいいのね。

 ラウラは泣きそうになった。今のアスティの心中を思うと、今までも同じくらい彼女が苦しんできたのだと思い、やはりこれからも同じ試練に立ち向かわなければならない彼女のことを思うと、今だけ、そう今だけでも、アスティの代わりになってやりたかった。

 ラウラはアスティの詠唱を聞き取って、そのアスティの覚悟のなまなかではない事と、その呪文自体の恐ろしさに蒼白になっていた。

 アスティの呪文が完成しつつある。

「……すでに形なき死者の姿。死神の媚薬」

「な・・まさか……塵化の呪文!?」

 シェイルの驚愕の前で、アスティの詠唱が終了する!

「大地と生命の理。 ミカエナ、ミルナ、ジルナ!」

 ヒュゥゥゥゥ……

「アスティ……」

 ラウラは眉を寄せた。彼女の目の前で、シェイルは足から上へ向かって灰になろうとしていた。それは激しく早く、一刻の猶予も与えぬ無慈悲さで。

「ま……あ……なんてこと……---------」

 隣のエシャレルも絶句している。デイヴァは、恐ろしさのあまりがたがたと震え続けている。禁忌の魔法の一つ、『塵化』の魔法だ。シェイルは苦しみの声も上げず瞳を閉じて己れの最期を享受していた。

(……これで……これでいい…………愛する女に殺されるのなら……これも

本望……---------)

 そしてとうとう、シェイルは一山の灰となってその場へ崩れ落ちた。

「……こんな魔法を使える方がいたなんて……」

 エシャレルが呟くなか、ラウラは結界を解いた。ディヴァが駆け寄ろうとする前に、アスティは今の今までシェイルであった灰の山の前まで走り寄って、崩れ落ちた。

「シェイル……」

 アスティは灰にそっと触れようとした。が、霧雨に打たれて湿り気をおびていた灰は、その手を逃れて風に舞い、螺旋を描いて飛んでいってしまった。後に残るは少々の灰が申し訳程度。

「……」

 シェイル。見えたの。ジルヴィスが私に見せたのよ。あなたの心の内。

 崩れおちるアスティの耳に、そしてその後ろで彼女を見守っていた一同の耳に、大地の底からの振動のような咆哮が聞こえてきた。

 おおおおおおおお---------ん。

 その声にハッと顔を上げ、アスティは泣いていたのか、目をこすると立ち上がった。雨のなかでは、どれが涙のあとかすらもよくわからぬ。

「行きましょう。三度目の咆哮で『古き者』は甦るわ」

 一同はうなづきあって一路、山へと向かった。

 ヒュウ……

 風が吹いて焼け跡となった平地をなでた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る